【明日、白夜になる前に~睦拾参~】
文字数 2,220文字
夜の空気は湿っている。
ぼくは家に帰る気になれずに、ただただストリートを放浪していた。理由は自分でも良くわからなかった。ただ、たまきと会ってきたことが理由のひとつであろうことはわかっていた。
たまき、元気そうだった。
あんなことをしてしまったとはいえ、彼女はぼくのことを本気で想っていた。そう聴かされると何だか複雑な気分ではあった。
あんな女、そう思って徹底的に嫌いになろうと思っていたのに、あんなことを聴かされてしまっては嫌いになんかなれなかったし、彼女を疑ったことも非常に申しワケなく思った。
涼しい風。だが、右腕がその涼しさを感じることはない。そのことで怒りを抱くことは簡単だった。しかし、その怒りが容易に崩れ去るのも同じことだったようだ。
たまきが里村さんを監禁する。そんなことはあるはずなかった。物理的に無理だった。何故なら、今は彼女が法のもとに監禁されているのだから。それに加え、彼女がぼくに向かっていったひとことが決め手だった。
「会いに来てくれて嬉しかった。わたしからアナタに会いに行くことはもうないと思っていたから。そうすることが、アナタにとっての幸せだと思っていたから……」
ぼくのことをそういう風に想ってくれている人が今さらになって、脱獄なんかして粘着してくるワケがないじゃないか。
気づけばぼくは涙を流していた。
人の好意が信じられず、それを疑って無下にしてしまう。人にとってそれほど辛く悲しいことはないだろう。だが、人間関係はいつだってイビツな形をしたパズルのようなモノ。ハマったと思ったらいつしか歪んで外れてしまう。
ハマったからいいというモンではないのだ。人間関係というのは。イビツになる切っ掛けなんて、いくらでも転がっている。片方が疑いを抱けば、あるいは片方が嫌悪感を抱けば、人間関係なんて意図も簡単に崩れる。
ぼくは彼女の好意を水面下で無下にし続けていた。だが、そんなことも露知らず、彼女はぼくの考えを受け入れ、アクリルの向こうでぼくの訪問を喜んでくれた。
確かに、牢獄の中にいて孤独感に苛まれていたからこそ、そういう風になっていたのだろうとも思えなくもないし、牢から出て、仮にまたコンタクトを取るようになれば、また同じようなことをするかもしれない。
だが、あの場で喜んでくれた彼女の感情自体は本物ではないのか。
そう考えると、いつだってそうだと思えてならなかった。いつだってぼくは、自分を想ってくれる、愛してくれる人を信じることが出来なかった。そういう人をキズつけることで愛情を試そうとしていた。本当にイヤなヤツだった。何故そんなことをするのか。それは自分がずっと孤独だったからだ。
孤独が常習化すると、他人を信じられなくなる。いつしか自分と他者を切り離し、気づけば、自分と社会という構図で対立させてしまう。そうなれば孤独感は爆速で増加する。
アイツは信じられない。
アイツは敵だ。
自分の頭の中で仮想敵と化した愛しい人たち。もはや、どんな愛情を以てしても、ぼくの頭と目にはフィルターが掛かっており、そこには悪意と憎悪しかないように思えてしまう。
だが、そこには悪意も憎悪もないのだ。
すべてはぼくの感情が一方通行し、相手の事情を完全にシャットアウトした結果なのだ。そこにはぼくが頭で作り上げた仮想敵が勝手にそうしたこと。すなわち、ぼくの妄想でしかない。
そう、すべては妄想のもとに始まる。
誰かを好きだというのも、嫌いだというのも、そういった感情はいってしまえば、すべては自分の感情という妄想から始まるのだ。
ぼくが好きだという人も、誰かは好きじゃないワケで、それどころか嫌いだという人もいる。妄想は感情から発展する。だからこそ、気持ちが爆発してトラブルにだってなりうる。
だが、感情自体が妄想から発展することだってある。あの人と寝たい、いい関係になりたい。そういった願望は、そう妄想することから始まる。その結果、相手に対する好きという気持ちが爆発的に燃え上がる。
そう、すべては妄想にはじまり、妄想に終わる。だが、この現実は妄想ではない。妄想を先行させたところで、現実にいい影響はない。むしろ、悪いことしかない。
いつまでも夢見心地ではいけない。
たまきに対して抱いていた怒り、憎悪、それは現実でやられたことが起因してもいただろうが、それは妄想の中で作り上げられた仮想の怒りと憎悪も上乗せされていたことも認めなければならない。確かにぼくは彼女のことが好きだったのだから。その好きという感情も妄想から発展したと考えれば、今ぼくが彼女に抱いている感情も妄想に過ぎないのだろうけど、だとしても、もう妄想の中で作り上げた都合のいい感情は切り離さなければならないのだろう。
気持ちを切り替え、今この瞬間から里村さんをどうにか助けなければならない。たまきが犯人でなかった。この事実だけで今日は大きな収穫だったと思う。
ふとぼくは何をしているのだろうとも思うが、こんな話、警察に話したところで何とかなるだろうか。彼女自身、何処に監禁されているかもわかっていないのに、警察に話して何処を調査して貰うというのだろう。そもそも、彼女の家族も同様に監禁されているというのに。
なら、ぼくが何とかするしかない。素人考えにはなってしまうけど、ぼくが人のために出来ることはもうこれしかないだろう。
ぼくは袖で涙を拭った
【続く】
ぼくは家に帰る気になれずに、ただただストリートを放浪していた。理由は自分でも良くわからなかった。ただ、たまきと会ってきたことが理由のひとつであろうことはわかっていた。
たまき、元気そうだった。
あんなことをしてしまったとはいえ、彼女はぼくのことを本気で想っていた。そう聴かされると何だか複雑な気分ではあった。
あんな女、そう思って徹底的に嫌いになろうと思っていたのに、あんなことを聴かされてしまっては嫌いになんかなれなかったし、彼女を疑ったことも非常に申しワケなく思った。
涼しい風。だが、右腕がその涼しさを感じることはない。そのことで怒りを抱くことは簡単だった。しかし、その怒りが容易に崩れ去るのも同じことだったようだ。
たまきが里村さんを監禁する。そんなことはあるはずなかった。物理的に無理だった。何故なら、今は彼女が法のもとに監禁されているのだから。それに加え、彼女がぼくに向かっていったひとことが決め手だった。
「会いに来てくれて嬉しかった。わたしからアナタに会いに行くことはもうないと思っていたから。そうすることが、アナタにとっての幸せだと思っていたから……」
ぼくのことをそういう風に想ってくれている人が今さらになって、脱獄なんかして粘着してくるワケがないじゃないか。
気づけばぼくは涙を流していた。
人の好意が信じられず、それを疑って無下にしてしまう。人にとってそれほど辛く悲しいことはないだろう。だが、人間関係はいつだってイビツな形をしたパズルのようなモノ。ハマったと思ったらいつしか歪んで外れてしまう。
ハマったからいいというモンではないのだ。人間関係というのは。イビツになる切っ掛けなんて、いくらでも転がっている。片方が疑いを抱けば、あるいは片方が嫌悪感を抱けば、人間関係なんて意図も簡単に崩れる。
ぼくは彼女の好意を水面下で無下にし続けていた。だが、そんなことも露知らず、彼女はぼくの考えを受け入れ、アクリルの向こうでぼくの訪問を喜んでくれた。
確かに、牢獄の中にいて孤独感に苛まれていたからこそ、そういう風になっていたのだろうとも思えなくもないし、牢から出て、仮にまたコンタクトを取るようになれば、また同じようなことをするかもしれない。
だが、あの場で喜んでくれた彼女の感情自体は本物ではないのか。
そう考えると、いつだってそうだと思えてならなかった。いつだってぼくは、自分を想ってくれる、愛してくれる人を信じることが出来なかった。そういう人をキズつけることで愛情を試そうとしていた。本当にイヤなヤツだった。何故そんなことをするのか。それは自分がずっと孤独だったからだ。
孤独が常習化すると、他人を信じられなくなる。いつしか自分と他者を切り離し、気づけば、自分と社会という構図で対立させてしまう。そうなれば孤独感は爆速で増加する。
アイツは信じられない。
アイツは敵だ。
自分の頭の中で仮想敵と化した愛しい人たち。もはや、どんな愛情を以てしても、ぼくの頭と目にはフィルターが掛かっており、そこには悪意と憎悪しかないように思えてしまう。
だが、そこには悪意も憎悪もないのだ。
すべてはぼくの感情が一方通行し、相手の事情を完全にシャットアウトした結果なのだ。そこにはぼくが頭で作り上げた仮想敵が勝手にそうしたこと。すなわち、ぼくの妄想でしかない。
そう、すべては妄想のもとに始まる。
誰かを好きだというのも、嫌いだというのも、そういった感情はいってしまえば、すべては自分の感情という妄想から始まるのだ。
ぼくが好きだという人も、誰かは好きじゃないワケで、それどころか嫌いだという人もいる。妄想は感情から発展する。だからこそ、気持ちが爆発してトラブルにだってなりうる。
だが、感情自体が妄想から発展することだってある。あの人と寝たい、いい関係になりたい。そういった願望は、そう妄想することから始まる。その結果、相手に対する好きという気持ちが爆発的に燃え上がる。
そう、すべては妄想にはじまり、妄想に終わる。だが、この現実は妄想ではない。妄想を先行させたところで、現実にいい影響はない。むしろ、悪いことしかない。
いつまでも夢見心地ではいけない。
たまきに対して抱いていた怒り、憎悪、それは現実でやられたことが起因してもいただろうが、それは妄想の中で作り上げられた仮想の怒りと憎悪も上乗せされていたことも認めなければならない。確かにぼくは彼女のことが好きだったのだから。その好きという感情も妄想から発展したと考えれば、今ぼくが彼女に抱いている感情も妄想に過ぎないのだろうけど、だとしても、もう妄想の中で作り上げた都合のいい感情は切り離さなければならないのだろう。
気持ちを切り替え、今この瞬間から里村さんをどうにか助けなければならない。たまきが犯人でなかった。この事実だけで今日は大きな収穫だったと思う。
ふとぼくは何をしているのだろうとも思うが、こんな話、警察に話したところで何とかなるだろうか。彼女自身、何処に監禁されているかもわかっていないのに、警察に話して何処を調査して貰うというのだろう。そもそも、彼女の家族も同様に監禁されているというのに。
なら、ぼくが何とかするしかない。素人考えにはなってしまうけど、ぼくが人のために出来ることはもうこれしかないだろう。
ぼくは袖で涙を拭った
【続く】