【西陽の当たる地獄花~参拾漆~】
文字数 2,097文字
冷たい風が吹き抜ける。
寂しげに佇んでいる牛馬と宗顕だけでは、亡骸まみれの廊下は広すぎて風はいくらでも通りを抜けてしまう。
「鬼水さんが……?」
宗顕は辺りを見回す。だが、そこに鬼水の姿はない。想像したくないことだろうが、もしかしたら屍のひとつとなってしまったのではないか。そんな思いが動作として現れるように、目を凝らして床に散らばる屍の山を眺めるも、そこに犬の死骸はない。
「何処へ行かれたのでしょうか……?」
まるで牛馬ならその答えを知っているとでもいわんばかりに宗顕は牛馬に訊ねる。だが、牛馬はそれを馬鹿げたことと否定するようにうっすらと鼻で笑って見せると、
「さあな。あの男も小便垂らしとはいっても、地獄の四天王のひとりだ。己の使命とやらに忠実なのはテメエにもわかるだろ。もしかしたら、そのまま付いていったのかもしれねぇな。それか、あの気持ち悪い化け物に噛み付いたままになっちまってるか、だ」
「そんな……」
宗顕の顔が青ざめて行く。
「おいおい、別にテメエがそこまで気に病むことでもねえだろ。仮にあの化け物にくっついていようが、噛みついたままになっていようが、そうなったのは、あの野郎が自分でしたこと。おれたちにどうこう出来ることでもねぇよ」
「そんな……」絶望が宗顕の顔に表れる。「では、鬼水さんは……」
「生きてるかもしれねぇし、死んでるかもしれねぇ。そんなことより、こんなところにいるよか屋敷を見て回ったほうがいいんじゃねぇか? このままじゃ小便垂れが見つかるどころか、おれらも野垂れ死ぬだけだ。さっさと行こうぜ」
そういって牛馬は歩き出す。草履の底と、ネットリとした擦れた血液の跡と臓器の破片が生々しい音を立てる。宗顕はどうにも気が進まなさそう。だが、牛馬のいう通り、このままの状態でいたところで何の解決にもならない。宗顕は諦めたようすで一歩前へ……。
宗顕の耳がピクリと動く。足を止め、うしろを振り返り、再び前を見直す。その先にあるのはいずれも真っ暗闇。何処までも続く死の道。
「牛馬様!」宗顕が呼び掛ける。「お待ちを!」
牛馬は足を止め、呆れたように振り返る。
「テメェ、まだ油売るつもりか? そんなにそこにいたけりゃひとりでいろ。死んだっておれに文句はいうなよ。立ち止まるヤツはいつだって置いてかれる運命にあるんだからな」
行こうとする牛馬。だが、
「お待ち下さい!……聴こえませんか?」
牛の足が再び止まり、爪先が宗顕のほうを向く。足許は指の間まで血塗れになっている。
「……何が?」
宗顕は目と耳を動かして辺りに注意を払う。その顔つきは緊張そのもの。恐怖も漂っているが、何の根拠もないような恐怖ではなく、確かにそこにこころを粟立たせるような何かが存在するような、そんな恐怖だった。
牛馬はうしろを振り返る。その足許は踵を返していない。そのまま前へ進もうという様子は、そこにはない。ただ、宗顕がするように目と耳で周囲の様子に注意しようという気概が見える。
「……何だ?」
「わかりません。ですが……、さっきのもののけとはまた違う。何というか、もっと細かくて軽い何かが……」
「小便垂れか……?」
宗顕は牛馬に自分の考えをよくわからせようとするように首を横にゆっくりと振る。
音は次第に大きくなってくる。宗顕の額が汗で湿る。目が血走る。黒目が右に、左に。
宗顕の目が見開かれ、牛馬は目を細める。
蜘蛛だった。犬ほどの大きさがある巨大な蜘蛛だった。いや、顔が違う。身体と脚は間違いなく蜘蛛なのだが、顔は人間のようだった。充血して膨張した目に、口は大きく縦と横に裂けている。歯は一本もない。皮膚は漆黒。
そんな人間蜘蛛が床一面を覆うほどの大群で前後両方から迫って来ている。
宗顕は口をわななかせ、完全にことばを失っている。牛馬は今一度、『神殺』を抜く。
「宗顕……、おれの背に付け」
宗顕はワケもわからずに呆然と牛馬を見る。
「猿が! 早くしろ!」
宗顕はハッとして牛馬の背中に飛び掛かり、肩口をガッシリと掴む。
牛馬は宗顕をおぶったまま前から来る人間蜘蛛の大群に向かって走って行く。
飛び掛かる人間蜘蛛の大群。
牛馬は全身を躍動させる。振り回される宗顕。鞭のようにたわむ刀が数多の人間蜘蛛を切断する、切断するーー切断する。
緑の血液が飛び散る。
牛馬の身体に群がる人間蜘蛛。悲鳴を上げる宗顕、足で群がる人間蜘蛛を蹴り落とす。
前から来る人間蜘蛛はまだたくさん。
「牛馬様!」宗顕。「うしろ!」
牛馬は振り返る。
振り落とされる人間蜘蛛。
落とした人間蜘蛛数匹を叩き斬る牛馬。一気に走り出す。また振り落とされる人間蜘蛛。
牛馬は斬る、人間蜘蛛を。
一匹、二匹、三匹……。次から次へと人間蜘蛛の死体が積み上がって行く。
牛馬と宗顕の身体が緑色に染まって行く。
だが、牛馬の斬擊は群がる人間蜘蛛をすべて斬りきれない。次第に牛馬の身体に群がって行く人間蜘蛛。そして、牛馬と宗顕の肉体は人間蜘蛛によって埋め尽くされる。
最初は立っていた牛馬と宗顕も、群がる人間蜘蛛の中でバタリと倒れた。
【続く】
寂しげに佇んでいる牛馬と宗顕だけでは、亡骸まみれの廊下は広すぎて風はいくらでも通りを抜けてしまう。
「鬼水さんが……?」
宗顕は辺りを見回す。だが、そこに鬼水の姿はない。想像したくないことだろうが、もしかしたら屍のひとつとなってしまったのではないか。そんな思いが動作として現れるように、目を凝らして床に散らばる屍の山を眺めるも、そこに犬の死骸はない。
「何処へ行かれたのでしょうか……?」
まるで牛馬ならその答えを知っているとでもいわんばかりに宗顕は牛馬に訊ねる。だが、牛馬はそれを馬鹿げたことと否定するようにうっすらと鼻で笑って見せると、
「さあな。あの男も小便垂らしとはいっても、地獄の四天王のひとりだ。己の使命とやらに忠実なのはテメエにもわかるだろ。もしかしたら、そのまま付いていったのかもしれねぇな。それか、あの気持ち悪い化け物に噛み付いたままになっちまってるか、だ」
「そんな……」
宗顕の顔が青ざめて行く。
「おいおい、別にテメエがそこまで気に病むことでもねえだろ。仮にあの化け物にくっついていようが、噛みついたままになっていようが、そうなったのは、あの野郎が自分でしたこと。おれたちにどうこう出来ることでもねぇよ」
「そんな……」絶望が宗顕の顔に表れる。「では、鬼水さんは……」
「生きてるかもしれねぇし、死んでるかもしれねぇ。そんなことより、こんなところにいるよか屋敷を見て回ったほうがいいんじゃねぇか? このままじゃ小便垂れが見つかるどころか、おれらも野垂れ死ぬだけだ。さっさと行こうぜ」
そういって牛馬は歩き出す。草履の底と、ネットリとした擦れた血液の跡と臓器の破片が生々しい音を立てる。宗顕はどうにも気が進まなさそう。だが、牛馬のいう通り、このままの状態でいたところで何の解決にもならない。宗顕は諦めたようすで一歩前へ……。
宗顕の耳がピクリと動く。足を止め、うしろを振り返り、再び前を見直す。その先にあるのはいずれも真っ暗闇。何処までも続く死の道。
「牛馬様!」宗顕が呼び掛ける。「お待ちを!」
牛馬は足を止め、呆れたように振り返る。
「テメェ、まだ油売るつもりか? そんなにそこにいたけりゃひとりでいろ。死んだっておれに文句はいうなよ。立ち止まるヤツはいつだって置いてかれる運命にあるんだからな」
行こうとする牛馬。だが、
「お待ち下さい!……聴こえませんか?」
牛の足が再び止まり、爪先が宗顕のほうを向く。足許は指の間まで血塗れになっている。
「……何が?」
宗顕は目と耳を動かして辺りに注意を払う。その顔つきは緊張そのもの。恐怖も漂っているが、何の根拠もないような恐怖ではなく、確かにそこにこころを粟立たせるような何かが存在するような、そんな恐怖だった。
牛馬はうしろを振り返る。その足許は踵を返していない。そのまま前へ進もうという様子は、そこにはない。ただ、宗顕がするように目と耳で周囲の様子に注意しようという気概が見える。
「……何だ?」
「わかりません。ですが……、さっきのもののけとはまた違う。何というか、もっと細かくて軽い何かが……」
「小便垂れか……?」
宗顕は牛馬に自分の考えをよくわからせようとするように首を横にゆっくりと振る。
音は次第に大きくなってくる。宗顕の額が汗で湿る。目が血走る。黒目が右に、左に。
宗顕の目が見開かれ、牛馬は目を細める。
蜘蛛だった。犬ほどの大きさがある巨大な蜘蛛だった。いや、顔が違う。身体と脚は間違いなく蜘蛛なのだが、顔は人間のようだった。充血して膨張した目に、口は大きく縦と横に裂けている。歯は一本もない。皮膚は漆黒。
そんな人間蜘蛛が床一面を覆うほどの大群で前後両方から迫って来ている。
宗顕は口をわななかせ、完全にことばを失っている。牛馬は今一度、『神殺』を抜く。
「宗顕……、おれの背に付け」
宗顕はワケもわからずに呆然と牛馬を見る。
「猿が! 早くしろ!」
宗顕はハッとして牛馬の背中に飛び掛かり、肩口をガッシリと掴む。
牛馬は宗顕をおぶったまま前から来る人間蜘蛛の大群に向かって走って行く。
飛び掛かる人間蜘蛛の大群。
牛馬は全身を躍動させる。振り回される宗顕。鞭のようにたわむ刀が数多の人間蜘蛛を切断する、切断するーー切断する。
緑の血液が飛び散る。
牛馬の身体に群がる人間蜘蛛。悲鳴を上げる宗顕、足で群がる人間蜘蛛を蹴り落とす。
前から来る人間蜘蛛はまだたくさん。
「牛馬様!」宗顕。「うしろ!」
牛馬は振り返る。
振り落とされる人間蜘蛛。
落とした人間蜘蛛数匹を叩き斬る牛馬。一気に走り出す。また振り落とされる人間蜘蛛。
牛馬は斬る、人間蜘蛛を。
一匹、二匹、三匹……。次から次へと人間蜘蛛の死体が積み上がって行く。
牛馬と宗顕の身体が緑色に染まって行く。
だが、牛馬の斬擊は群がる人間蜘蛛をすべて斬りきれない。次第に牛馬の身体に群がって行く人間蜘蛛。そして、牛馬と宗顕の肉体は人間蜘蛛によって埋め尽くされる。
最初は立っていた牛馬と宗顕も、群がる人間蜘蛛の中でバタリと倒れた。
【続く】