【マキャベリスト~三途~】
文字数 2,405文字
川だったーー非常に美しい川だった。
陽の光が川面に反射し、まるで虹のように七色に輝く水面は何とも幻想的で美しかった。
弓永はどこかの川岸にいた。
その川岸にはたくさんの人が並んでおり、列の先には、木で組まれた簡易的な掘っ立て小屋があった。
弓永は列を無視して前に向かった。列を並んでいる人たちの無気力な視線や、驚きの表情を無視して。
列の先頭には、手に何枚もの書類を持った何ともみすぼらしい着物のような服を着た痩せ細った男がいて、列に並ぶ人に書類を見ながら何やら勧告しているようだった。
「訊きたいことがある」弓永が不遜な態度で男にいった。
「お並びください」男が不満そうに顔を歪めた。
「ここはどこだ?」
弓永は男のことばを無視していった。が、男はそれを無視して尚も弓永の質問を突っぱねた。弓永は大きく息を吐いたかと思うと、男の汚い着物の胸ぐらを思い切り掴み、自分のほうへと引き付けた。
「どこだって訊いてんだよ」
「ですから……」
「何してる?」
小屋のほうからそんな声が聞こえた。声の主は屈強な肉体を持った男だった。腰元には警棒のような鈍器を携帯しており、その態度も何とも威圧的だった。
「この人が……」
痩せ細った男がワケを説明した。屈強な男は弓永にガンをつけて威圧的に顔を近づけた。身長は175センチ程度の弓永より15センチはデカイだろう。弓永は震えることなく、屈強な男を目を細めて睨み返していた。
「ちゃんと並んで頂かないと」ダークマターのような眼を弓永に向けて屈強な男はいった。
「ここはどこだって訊いてんだよ」
「だから、並べ」
「誰に口利いてんだよ」
屈強な男は痩せ細った男に何かを要求した。痩せ細った男は手に持っていた書類を吟味し、その中の一枚を屈強な男に手渡した。屈強な男は書類を受け取り読み上げた。
「五村市警刑事組織犯罪対策課強行係警部補の弓永龍だな。お前はこれから裁判を受けなきゃならない。裁判は川の向こうで行われる。だから、さっさと並ーー」
突然、屈強な男が股間を押さえて身体を折った。弓永が男の股間を蹴り上げたのだ。
「何が裁判だ。人を何だと思ってる」
屈強な男の髪をひっ掴み、顔面に膝を打ち込む弓永。男が倒れると、長い棒やさすまたのような器具を持った男が五人ほど現れた。
「何だ、やるのか」
弓永は威圧的にいったーー
「……もう二度と来ないで下さい」
目元にアザを作り鼻から血を流しながら、痩せ細った男はいった。地面には六人のみすぼらしい着物姿の男たちがグッタリとして寝転がっていた。弓永にはキズひとつなかった。
「誰が来るかこんなとこ」
弓永はそういい捨てると、川とは反対方面に歩き出した。道の向こうには闇が広がっていたーー
「気がついた?」高くてか細い声だった。
弓永が目を覚ますと、ネコが彼の顔を覗き込んでいた。いや、ネコではなかった。武井愛。目には涙を溜め、顔には擦り傷がたくさんついていた。
「あぁ、武井か」弓永は平然といった。「化けネコかと思った」
「何バカいってんの。心配したんだよ」
「心配すんな。あの世のヤツラにも受け入れを拒否されちまってな。当分は死ねなさそうだ」
弓永がそういって笑い出すと、武井はワケがわからないといった感じで呆然とした。
「で、ここはどこなんだよ」
何とも粗末な部屋だった。今にも崩れてしまいそうなくらい年季の入った木の梁に、すぐに砕け散ってしまいそうなガラスが入った変色した棚、弓永が眠っていたたくさんのダニが巣食っていそうな汚い布団と不衛生で、とてもじゃないがまともな場所ではないと思われた。
「それにーー」弓永は上裸だった。「これ、お前が脱がしたのか?」
「違ウ」訛りの強い返事。「気ガツイタカ」
そういってコンクリの床に粗末な便所サンダルの音を響かせて現れたのは、ニャン・カオフンだった。カオフンは、ベトナムから来た闇医者で、昼夕は雀荘を経営し、夜は掛け金青天井の裏麻雀の場をセッティングしつつ、違法な医療手術をして生計を立てていた。
「お前か」
「オ前、危ナカッタ。下手シタラ死ンデタ」神妙な顔つきでカオフンはいった。
「そうだよ。あたしを助けに来たと思ったら急に目の前で倒れるんだもん。どうしようかと思っちゃった」
弓永に助け出された後、弓永は気絶、武井は弓永の運転してきた車に乗って彼をカオフンのオペルームまで乗せて来たのだった。
「一体、何があったの? それに、その背中のキズ……」
武井は弓永のうしろ脇腹の刺し傷を指した。弓永は縫合された刺し傷を指でなぞった。
埠頭にて佐野を殺し損ねた後だった。
弓永は武井のパソコンのデータベースに残った助部の調査記録が、助部を狙っていた連中にとって都合が悪いと気づいた。
だとしたら、パソコンの内部データを消去し、助部の存在を認知している武井は邪魔にしかならない。弓永は大鳩に助部が残した情報と、ヤーヌスと関わりのあった企業及び、その企業とその周辺が所有する建物を洗わせた。
大鳩が洗った情報をもとに、弓永はキナ臭い建物を総当たりで当たった。
結果、三件目に漸く武井のいる建物を見つけ、彼女を助け出したのだが、脇腹のキズは弓永の体力をジワジワと蝕んでいた。
脇腹のキズーー埠頭を去ろうとしたところで、死に損ないのアウトローに刺されたモノだった。何とか止血はしたが、それも所詮は応急処置にしかならなかった。
「そんな……」武井はことばを失った。
「まぁ、この程度なら問題ない。で、もういいんだろ?」カオフンに弓永は訊ねた。
「マダダメ。死ヌゾ」
「硬いこというなよ。こっちだって、面白いモンを手に入れたんだ」
そういって弓永はポケットから、破り取った血の付いたシャツの袖口を取り出した。
「それは……?」
「魔女を殺す秘薬、さ」
弓永は怪我人とは思えないような不敵な笑みを浮かべ、ブラックホールのような深遠な黒目を鈍く輝かせた。
【続く】
陽の光が川面に反射し、まるで虹のように七色に輝く水面は何とも幻想的で美しかった。
弓永はどこかの川岸にいた。
その川岸にはたくさんの人が並んでおり、列の先には、木で組まれた簡易的な掘っ立て小屋があった。
弓永は列を無視して前に向かった。列を並んでいる人たちの無気力な視線や、驚きの表情を無視して。
列の先頭には、手に何枚もの書類を持った何ともみすぼらしい着物のような服を着た痩せ細った男がいて、列に並ぶ人に書類を見ながら何やら勧告しているようだった。
「訊きたいことがある」弓永が不遜な態度で男にいった。
「お並びください」男が不満そうに顔を歪めた。
「ここはどこだ?」
弓永は男のことばを無視していった。が、男はそれを無視して尚も弓永の質問を突っぱねた。弓永は大きく息を吐いたかと思うと、男の汚い着物の胸ぐらを思い切り掴み、自分のほうへと引き付けた。
「どこだって訊いてんだよ」
「ですから……」
「何してる?」
小屋のほうからそんな声が聞こえた。声の主は屈強な肉体を持った男だった。腰元には警棒のような鈍器を携帯しており、その態度も何とも威圧的だった。
「この人が……」
痩せ細った男がワケを説明した。屈強な男は弓永にガンをつけて威圧的に顔を近づけた。身長は175センチ程度の弓永より15センチはデカイだろう。弓永は震えることなく、屈強な男を目を細めて睨み返していた。
「ちゃんと並んで頂かないと」ダークマターのような眼を弓永に向けて屈強な男はいった。
「ここはどこだって訊いてんだよ」
「だから、並べ」
「誰に口利いてんだよ」
屈強な男は痩せ細った男に何かを要求した。痩せ細った男は手に持っていた書類を吟味し、その中の一枚を屈強な男に手渡した。屈強な男は書類を受け取り読み上げた。
「五村市警刑事組織犯罪対策課強行係警部補の弓永龍だな。お前はこれから裁判を受けなきゃならない。裁判は川の向こうで行われる。だから、さっさと並ーー」
突然、屈強な男が股間を押さえて身体を折った。弓永が男の股間を蹴り上げたのだ。
「何が裁判だ。人を何だと思ってる」
屈強な男の髪をひっ掴み、顔面に膝を打ち込む弓永。男が倒れると、長い棒やさすまたのような器具を持った男が五人ほど現れた。
「何だ、やるのか」
弓永は威圧的にいったーー
「……もう二度と来ないで下さい」
目元にアザを作り鼻から血を流しながら、痩せ細った男はいった。地面には六人のみすぼらしい着物姿の男たちがグッタリとして寝転がっていた。弓永にはキズひとつなかった。
「誰が来るかこんなとこ」
弓永はそういい捨てると、川とは反対方面に歩き出した。道の向こうには闇が広がっていたーー
「気がついた?」高くてか細い声だった。
弓永が目を覚ますと、ネコが彼の顔を覗き込んでいた。いや、ネコではなかった。武井愛。目には涙を溜め、顔には擦り傷がたくさんついていた。
「あぁ、武井か」弓永は平然といった。「化けネコかと思った」
「何バカいってんの。心配したんだよ」
「心配すんな。あの世のヤツラにも受け入れを拒否されちまってな。当分は死ねなさそうだ」
弓永がそういって笑い出すと、武井はワケがわからないといった感じで呆然とした。
「で、ここはどこなんだよ」
何とも粗末な部屋だった。今にも崩れてしまいそうなくらい年季の入った木の梁に、すぐに砕け散ってしまいそうなガラスが入った変色した棚、弓永が眠っていたたくさんのダニが巣食っていそうな汚い布団と不衛生で、とてもじゃないがまともな場所ではないと思われた。
「それにーー」弓永は上裸だった。「これ、お前が脱がしたのか?」
「違ウ」訛りの強い返事。「気ガツイタカ」
そういってコンクリの床に粗末な便所サンダルの音を響かせて現れたのは、ニャン・カオフンだった。カオフンは、ベトナムから来た闇医者で、昼夕は雀荘を経営し、夜は掛け金青天井の裏麻雀の場をセッティングしつつ、違法な医療手術をして生計を立てていた。
「お前か」
「オ前、危ナカッタ。下手シタラ死ンデタ」神妙な顔つきでカオフンはいった。
「そうだよ。あたしを助けに来たと思ったら急に目の前で倒れるんだもん。どうしようかと思っちゃった」
弓永に助け出された後、弓永は気絶、武井は弓永の運転してきた車に乗って彼をカオフンのオペルームまで乗せて来たのだった。
「一体、何があったの? それに、その背中のキズ……」
武井は弓永のうしろ脇腹の刺し傷を指した。弓永は縫合された刺し傷を指でなぞった。
埠頭にて佐野を殺し損ねた後だった。
弓永は武井のパソコンのデータベースに残った助部の調査記録が、助部を狙っていた連中にとって都合が悪いと気づいた。
だとしたら、パソコンの内部データを消去し、助部の存在を認知している武井は邪魔にしかならない。弓永は大鳩に助部が残した情報と、ヤーヌスと関わりのあった企業及び、その企業とその周辺が所有する建物を洗わせた。
大鳩が洗った情報をもとに、弓永はキナ臭い建物を総当たりで当たった。
結果、三件目に漸く武井のいる建物を見つけ、彼女を助け出したのだが、脇腹のキズは弓永の体力をジワジワと蝕んでいた。
脇腹のキズーー埠頭を去ろうとしたところで、死に損ないのアウトローに刺されたモノだった。何とか止血はしたが、それも所詮は応急処置にしかならなかった。
「そんな……」武井はことばを失った。
「まぁ、この程度なら問題ない。で、もういいんだろ?」カオフンに弓永は訊ねた。
「マダダメ。死ヌゾ」
「硬いこというなよ。こっちだって、面白いモンを手に入れたんだ」
そういって弓永はポケットから、破り取った血の付いたシャツの袖口を取り出した。
「それは……?」
「魔女を殺す秘薬、さ」
弓永は怪我人とは思えないような不敵な笑みを浮かべ、ブラックホールのような深遠な黒目を鈍く輝かせた。
【続く】