【不良の音楽、世界を制す】
文字数 2,972文字
音楽の力は絶大だと思う。
どんなに沈んでいようと、好きな音楽を聴けば何とかなりそうな気になれるし、気分もブチ上げてくれる。
舞台や映画でも音楽は効果的に働き、場面をより強く印象づけてくれる。しかも、その使い方は単一的ではなく、悲しい場面で陽気な音楽を掛けることでよりその効果を高める「対位法」というテクニックもあって、無限の可能性を感じさせてくれる。
かくいうおれは、バンドでボーカルをやっていたこともあって音楽は好きだ。どうせロック限定だろ?といわれるかもしれないが、案外そうでもなく、クラシックからヒップホップまで割りと広い範囲をカバーしているーーつもり。
というより、カッコいい音楽は好き、ダサイものは別にって感じだったりする。まぁ、ダサイといっても、ただダサイだけのものは嫌いだし、ダサカッコいいものに関しては普通に好きだ。ハードロックとかな。
さて、そんな感じで今日は音楽の話である。昨日はかなりサボった内容になってしまってすまんね。今日はちゃんと書くーーてか、義務で書いてんじゃないんだし、別に謝ることはないのかもしれんがね。
それはさておき、早速書いてくわーー
あれは中学三年の頃だった。ちょうど応援団長を終え、受験勉強に励んでいた時期のことだ。
まぁ、前も話したかもしれないけど、受験勉強期は日々の学校に加え、週六で塾に通っていたこともあってフラストレーションは溜まりに溜まっていた。
ゲームをやりたい、映画を観たい、遊びたい、遊びたい、遊ぶ女は嫌いだ!とそんな感じだったのだ。スターリンいいよな。
ただ、そのフラストレーションを唯一発散させてくれるのが、音楽だった。
当時聴いていた音楽といえば、『サイレントヒル』シリーズや『バイオハザード2』のサントラといったゲームミュージックを始め、アメリカのオルタナ、ミクスチャーと呼ばれる新時代のロックミュージックが主だった。
まぁ、中学生ともなるとカッコつけて洋楽聴きたがるからねともいわれかねないが、アメリカのロックを聴き始めた理由は単純にお絵かき掲示板で出会った知人の影響だったりする。
SNSの影響でそういったサイトも廃れたけど、またそんな感じのコミュニケーションが取れる場が欲しいもんやね。どうでもいいけど。
しかし、何でそういった音楽にハマったのかといえば、理由はふたつある。
ひとつは単純に流行りの音楽にこころを揺さぶられなかったから。今でこそ流行りの音楽の中にもカッコいいメロディラインはあると知っているのだけど、この時はそこら辺が全然わからなかったのだ。まぁ、未熟。
もうひとつは映画『マトリックス』のエンディングで流れていた『レイジ・アゲンスト・ザ・マシーン』と『マリリン・マンソン』の影響だ。小五の時にそれらを聴いて以来、おれは歪んだギターにハードな曲調の音楽というものがずっと好きだったのだ。
まぁ、そんな感じでにわかではあるけれど、ちょっと特異な趣味の持ち主であったワケだ。
そんな自分がほんの少し楽しみにしていた時間がある。
それが給食の時間だ。
あまり食えるタイプの人間ではなかったが、給食が好きだった。何故なら給食中に流れる音楽を聴くのが好きだったからだ。流れる音楽といえばポップスばっかだったけどね。今ならそれでもいいんだが、その時はそれではモノ足りずーー
こともあろうかロックの要素が欲しくなってしまったのだ。
そもそも給食中に流れる音楽というのはどういう風に決められているのか。それは単純に担当の放送委員が適当に流しているだけだった。しかも、放送委員に音源を渡せば普通に流してくれるというではないか。
おれは放送委員の立川にいった。今度、自分の持ってくる音源を流して欲しい、と。立川は何の可笑しな反応もせずに、いいよと答えた。
立川はキャナの関係で当時それなりに仲が良く、サッカーでキーパーをやっていたこともあってか、体育でサッカーをやるとなると急にイキリだしちゃう系男子ではあったが、体育を退けば、それなりに話はしていた。
ちなみに、健太郎くんとは仲が悪く、しょっちゅう殴り合いのケンカをしていた。どっちが強かったかといえば、健太郎くんだけど。
それはさておき、それからというもの、立川が昼の放送を担当のするときはいつもMDを渡しては曲を指定して掛けてもらっていたのだ。MDっていうのが時代を感じさせるよな。
まぁ、掛かった曲の音量が地味に小さかったことに首を傾げはしたけど、確かに掛かったのよ。お陰で給食中はいい気分。
が、十二月の中旬くらいに事件は起きた。
その日も立川にMDを渡し、掛けてもらう曲を指定したのだ。曲は確か『Slipknot』の『(sic)』だったと思う。どんな曲かというと、
「お前ら全員病気だーッ!」
みたいな感じである。
給食中に聴く内容じゃないだろって感じだけど、まぁ、英語なんでそれは別に。
ぶっちゃけ英語を聞き取れるヤツも殆どいなかったし、聞き取れるような歌い方もしてないから内容的には大丈夫だったと思う。
そんな感じで給食の始まりですよ。最初の配膳中はモーツァルトの『メヌエット』が掛かり、頂きますの挨拶をして給食を食べ始めるとポップな音楽が流れる。ポップな音楽が数曲掛かったところで、漸く『(sic)』が流れ出す。
爆撃のようなツーバスドラムに絶叫する歪んだギター、内蔵に響くヘヴィなベース、そのすべてを統括しつつも個性を見せるターンテーブルにサンプラーにパーカッション。そして、地獄の最果てから響くような凶悪なヴォーカル。
すべてがカッコよかった。
おれは満足気に給食を口に運び続けた。が、
突然、音楽が消えたのだ。
これには流石に「ん?」って感じになりまして。しかも、それから先、特に何も掛からなくなってしまったのだ。
これは流石にハテナもいいところで。給食後に立川に話を訊いてみたところーー
「いや、校長が入ってきて、『これは給食中に掛ける曲ではないッ!』っていって止めやがったんだよ」
とのことでした。そう、
おれが掛けた曲が校長の逆鱗に触れたのだ。
今でこそ、人にはそれぞれ音楽の趣味があって、できることならその範疇の曲を聴きたいと思うのは普通のことだとわかるのだけど、当時はマジで理解できなかった。すべてが。
でもそりゃ、「お前ら全員病気だーッ!」って曲をパブリックでローカルな学校放送で流すのはマズイよな。お前ら全員病気だ!
それからというもの、おれも反省して『黒夢』だとか『SADS』のような日本のロックを流すようにし、それから二学期も終了してそのまま受験モードに入ったんで給食中の音楽どころではなくなったのでした。
ちなみに、キャナは「これは給食中に掛ける曲ではないッ!」を想像で真似しまくってました。まぁ、堅物で変な校長だったしな。
音楽は本当にいいものだが、個人の趣味が諸に出るコンテンツなので、自分の好きなものを過度に人に薦めたり、人の趣味に干渉したりするのは止めたほうがいい。
好きなものというのは、その人のパーソナリティであり、イデオロギーなのだから。
もし、他人に自分の趣味に干渉されたら、
「これは自分の聴きたい音楽ではないッ!」
とでもいっとけばいいと思うよ。
アスタラビスタ。
どんなに沈んでいようと、好きな音楽を聴けば何とかなりそうな気になれるし、気分もブチ上げてくれる。
舞台や映画でも音楽は効果的に働き、場面をより強く印象づけてくれる。しかも、その使い方は単一的ではなく、悲しい場面で陽気な音楽を掛けることでよりその効果を高める「対位法」というテクニックもあって、無限の可能性を感じさせてくれる。
かくいうおれは、バンドでボーカルをやっていたこともあって音楽は好きだ。どうせロック限定だろ?といわれるかもしれないが、案外そうでもなく、クラシックからヒップホップまで割りと広い範囲をカバーしているーーつもり。
というより、カッコいい音楽は好き、ダサイものは別にって感じだったりする。まぁ、ダサイといっても、ただダサイだけのものは嫌いだし、ダサカッコいいものに関しては普通に好きだ。ハードロックとかな。
さて、そんな感じで今日は音楽の話である。昨日はかなりサボった内容になってしまってすまんね。今日はちゃんと書くーーてか、義務で書いてんじゃないんだし、別に謝ることはないのかもしれんがね。
それはさておき、早速書いてくわーー
あれは中学三年の頃だった。ちょうど応援団長を終え、受験勉強に励んでいた時期のことだ。
まぁ、前も話したかもしれないけど、受験勉強期は日々の学校に加え、週六で塾に通っていたこともあってフラストレーションは溜まりに溜まっていた。
ゲームをやりたい、映画を観たい、遊びたい、遊びたい、遊ぶ女は嫌いだ!とそんな感じだったのだ。スターリンいいよな。
ただ、そのフラストレーションを唯一発散させてくれるのが、音楽だった。
当時聴いていた音楽といえば、『サイレントヒル』シリーズや『バイオハザード2』のサントラといったゲームミュージックを始め、アメリカのオルタナ、ミクスチャーと呼ばれる新時代のロックミュージックが主だった。
まぁ、中学生ともなるとカッコつけて洋楽聴きたがるからねともいわれかねないが、アメリカのロックを聴き始めた理由は単純にお絵かき掲示板で出会った知人の影響だったりする。
SNSの影響でそういったサイトも廃れたけど、またそんな感じのコミュニケーションが取れる場が欲しいもんやね。どうでもいいけど。
しかし、何でそういった音楽にハマったのかといえば、理由はふたつある。
ひとつは単純に流行りの音楽にこころを揺さぶられなかったから。今でこそ流行りの音楽の中にもカッコいいメロディラインはあると知っているのだけど、この時はそこら辺が全然わからなかったのだ。まぁ、未熟。
もうひとつは映画『マトリックス』のエンディングで流れていた『レイジ・アゲンスト・ザ・マシーン』と『マリリン・マンソン』の影響だ。小五の時にそれらを聴いて以来、おれは歪んだギターにハードな曲調の音楽というものがずっと好きだったのだ。
まぁ、そんな感じでにわかではあるけれど、ちょっと特異な趣味の持ち主であったワケだ。
そんな自分がほんの少し楽しみにしていた時間がある。
それが給食の時間だ。
あまり食えるタイプの人間ではなかったが、給食が好きだった。何故なら給食中に流れる音楽を聴くのが好きだったからだ。流れる音楽といえばポップスばっかだったけどね。今ならそれでもいいんだが、その時はそれではモノ足りずーー
こともあろうかロックの要素が欲しくなってしまったのだ。
そもそも給食中に流れる音楽というのはどういう風に決められているのか。それは単純に担当の放送委員が適当に流しているだけだった。しかも、放送委員に音源を渡せば普通に流してくれるというではないか。
おれは放送委員の立川にいった。今度、自分の持ってくる音源を流して欲しい、と。立川は何の可笑しな反応もせずに、いいよと答えた。
立川はキャナの関係で当時それなりに仲が良く、サッカーでキーパーをやっていたこともあってか、体育でサッカーをやるとなると急にイキリだしちゃう系男子ではあったが、体育を退けば、それなりに話はしていた。
ちなみに、健太郎くんとは仲が悪く、しょっちゅう殴り合いのケンカをしていた。どっちが強かったかといえば、健太郎くんだけど。
それはさておき、それからというもの、立川が昼の放送を担当のするときはいつもMDを渡しては曲を指定して掛けてもらっていたのだ。MDっていうのが時代を感じさせるよな。
まぁ、掛かった曲の音量が地味に小さかったことに首を傾げはしたけど、確かに掛かったのよ。お陰で給食中はいい気分。
が、十二月の中旬くらいに事件は起きた。
その日も立川にMDを渡し、掛けてもらう曲を指定したのだ。曲は確か『Slipknot』の『(sic)』だったと思う。どんな曲かというと、
「お前ら全員病気だーッ!」
みたいな感じである。
給食中に聴く内容じゃないだろって感じだけど、まぁ、英語なんでそれは別に。
ぶっちゃけ英語を聞き取れるヤツも殆どいなかったし、聞き取れるような歌い方もしてないから内容的には大丈夫だったと思う。
そんな感じで給食の始まりですよ。最初の配膳中はモーツァルトの『メヌエット』が掛かり、頂きますの挨拶をして給食を食べ始めるとポップな音楽が流れる。ポップな音楽が数曲掛かったところで、漸く『(sic)』が流れ出す。
爆撃のようなツーバスドラムに絶叫する歪んだギター、内蔵に響くヘヴィなベース、そのすべてを統括しつつも個性を見せるターンテーブルにサンプラーにパーカッション。そして、地獄の最果てから響くような凶悪なヴォーカル。
すべてがカッコよかった。
おれは満足気に給食を口に運び続けた。が、
突然、音楽が消えたのだ。
これには流石に「ん?」って感じになりまして。しかも、それから先、特に何も掛からなくなってしまったのだ。
これは流石にハテナもいいところで。給食後に立川に話を訊いてみたところーー
「いや、校長が入ってきて、『これは給食中に掛ける曲ではないッ!』っていって止めやがったんだよ」
とのことでした。そう、
おれが掛けた曲が校長の逆鱗に触れたのだ。
今でこそ、人にはそれぞれ音楽の趣味があって、できることならその範疇の曲を聴きたいと思うのは普通のことだとわかるのだけど、当時はマジで理解できなかった。すべてが。
でもそりゃ、「お前ら全員病気だーッ!」って曲をパブリックでローカルな学校放送で流すのはマズイよな。お前ら全員病気だ!
それからというもの、おれも反省して『黒夢』だとか『SADS』のような日本のロックを流すようにし、それから二学期も終了してそのまま受験モードに入ったんで給食中の音楽どころではなくなったのでした。
ちなみに、キャナは「これは給食中に掛ける曲ではないッ!」を想像で真似しまくってました。まぁ、堅物で変な校長だったしな。
音楽は本当にいいものだが、個人の趣味が諸に出るコンテンツなので、自分の好きなものを過度に人に薦めたり、人の趣味に干渉したりするのは止めたほうがいい。
好きなものというのは、その人のパーソナリティであり、イデオロギーなのだから。
もし、他人に自分の趣味に干渉されたら、
「これは自分の聴きたい音楽ではないッ!」
とでもいっとけばいいと思うよ。
アスタラビスタ。