【西陽の当たる地獄花~参~】

文字数 2,843文字

「まぁ、そう慌てなさんな。何もそう急かさなくとも地獄は逃げはしない」巨体はいう。

 巨体は皮膚をひんむかれた巨大な猿のような見た目をしている。下顎の八重歯がやたらと発達しており、口から飛び出てしまっている。瞼は厚ぼったく、目の下には隈が深く刻まれていて、一見すると目玉がないようにも見えるが、その実、細い切れ長の目があるのがわかる。髪はなく、衣服も腰に巻いた藁のみという何とも貧相さを極めた感じの様相を呈している。

 牛馬は目を細めていうーー

「地獄は逃げなくとも、時は刻一刻とおれたちの元から去って行くんだぜ。いいからさっさと何をどうしたらいいのかいったらどうなんだ? それとも、テメェは鬼のクセに人間に勿体ぶるっていうのか?」

 牛馬の横柄ないい分に鬼と呼ばれた巨体は顔をしかめて、「んーッ……」と唸る。牛馬は更に続けるーー

「おれは悩顕のジジイから、羅刹門に巣食う餓鬼どもを始末するようにいわれただけだ。そうすりゃ閻魔への渡りをつけるためにすべきことがわかるからって。そしたらテメェが現れた。だが、テメェはおれをこんな汚ぇ雪隠みてぇなくせぇ小屋の中に招きながら、もてなしもしないし、どうすればいいかを教えるでもなく、ウダウダと御託を並べてやがる。さぁ、どうするデカブツ。そろそろくせぇ息を吐き散らしながらハッキリしたらどうなんだ?」

「何だとこの腐れ外道!」

 片ヒザを立てて今にも鬼は牛馬に飛び掛からんとする。が、それに合わせるようにして牛馬は腰に差しっぱなしだった刀を抜き、その切先を鬼の目元に突きつける。

 時間が止まったように動き出す。鬼のこめかみからは汗が流れ、唾を飲み込み喉仏が上下し、微かな吐息を漏らす。

「な、何するんだよ」

「死にたければそういえ。おれだって気は長くないんだ。ふたつにひとつ。おれに何をして欲しいのかいうか、死ぬか、だ。三つ目はねぇ」

「おれを殺したら、閻魔様への繋ぎは完全に絶たれちまうぞ……」

 鬼は精一杯の抵抗を試みるようにいう。が、牛馬はそんなことはお構い無しといわんばかりに不敵な笑みを浮かべて見せ、

「なら、おれがテメェの首を閻魔への手土産にしてやる。当然、閻魔の首もな」

 張り詰めた空気が埃だらけの室内をグッと引き締める。鬼はまるで目の前に広がるいくつもの悪夢が混じりあったような恐怖から目を逸らすようにふと笑みをこぼし、

「わ、わかったよ。いう。いうから。でも、その前に、オメェさんの名前くらい訊いてもいいだろう? おれもオメェを閻魔様に紹介するのに名前が必要だし、これから話を進めるのにオメェを呼ぶのに名前は必要だと思わねぇか?」

「はぁ? テメェも地獄の鬼だろ? なら、今のおれに名前なんてモノがないことはわかっているはずだ。ここに来る前にあった名前なんて、全部忘れちまってるんだからな」

「い、いや、でもオメェ、悩顕様に名前つけて貰わなかったのか?」

「あ?」牛馬は眉間にシワを寄せる。「テメェ、何でおれがあのジジイから名前を貰ったことを知ってんだよ?」

「べ、別に可笑しなことはねぇ。あっちの世界で親から名前を貰うように、こっちの世界じゃ僧侶に名前を貰うことになってんだ。ほ、ほら、戒名ってヤツがあるだろ? 本来ならあっちの世界の坊さんにつけて貰う戒名も、無縁仏として死んだなら名無しのまま土に埋められて終わりだ。オメェさんはだから名前のない状態でこっちの世界に来ちまったんだ。だから、そういう無縁仏にまずこっちの世界での名前を与えるのが悩顕様の最初の仕事なんだよ!」

「最初の仕事か」牛馬はうっすらとした笑みを引っ込めて軽くため息をつくと、「まぁ、いいだろう。だけどな、人に名前を訊く時はまず自分からだろう。閻魔だか神仏だか知らねぇが、こっちの頭はそんな当たり前のことすら教えられねぇ能無しなのか?」

「……そ、それもそうだな」笑みを浮かべながらも、鬼の声は震えている。「鬼寅、だ……」

「牛馬だ」

「牛馬、か。因果な名前を貰ったモンだな……。それより、牛馬さんよぉ……」鬼は切先に注目したまま指差して、「その刀、どけちゃくれねぇか。そんな危ねぇもんがあっちゃ、こっちも話づれぇや」鬼寅の目が潤う。

「……それもそうだな」

 牛馬はゆっくりと切先を鬼寅の目から離す。ホッとひと息つく鬼寅。がーー、

 牛馬は突然、鬼寅の顔面を蹴り飛ばす。

 鬼寅は蹴られた顔を抑えてうしろに倒れ込む。

 室内にこだまする鬼寅の悲鳴。

 牛馬は倒れた鬼寅に馬乗りになり、刀の刃先を鬼寅の首に突きつける。

 刀を少し引くと、鬼寅の首から緑色の血がツーッとひと筋、流れ落ちる。鬼寅は悲鳴を上げ、

「な、何をするんだッ!?」

「偉そうにおれに指図するな、不細工なツラしやがって。いいからテメェはおれにどうして欲しいのか、いえばいいんだよ。おれがあと二寸も刀を引けば、テメェの首はパックリ割れて吹き出る自分の血飛沫の音を聴くことになるぜ。三つ数える内に、だ。三、二ーー」

「助けてくれぇ!」

「助けて欲しがったら、悲鳴よりもまずいうべきことがあるだろ?」

「知らねぇんだ! おれは知らねぇ!」

「知らねぇ、だぁ? テメェ殺すぞ!」

「本当に知らねぇんだ! ワシは、ただ閻魔様との繋ぎでしかねぇんだ!」

「じゃあ、悩顕はあの餓鬼どもを殺してテメェの汚ぇ面を拝ませるためにおれをここへ寄越したとでもいうのか!?」

「違う! アンタを試したんだ! ここには腹を空かせた餓鬼どもがうようよしてる。餓鬼どもに喰われちまうような弱っちい魂じゃ、この頼みは任せられねぇからだ! だから、ワシは何も知らねぇんだ! ワシはただ閻魔様と悩顕様の繋ぎ役としてここに居座って、悩顕様の送り込む刺客を見極めて閻魔様の元へ送るよういわれただけなんだ!」顔を涙でグシャグシャにして必死に訴え掛ける鬼寅。

 牛馬は鬼寅の首もとから刃を退けると、鬼寅の上から素早く身をかわし刀を鞘に納めると、

「それを先にいえ」

 鬼寅は勢い良く起き上がると、牛馬から身を引く。それを見た牛馬はうすら笑い、

「そうビビるなよ。おれとテメェは行きずりの仲だ。殺しはしない」牛馬はさっきまでの非情なものいいとは打って変わったように優しい声色でいう。「それより、早く閻魔のところへ案内してくれよ。仕事は早いほうがいい」

「とはいえ、もうすぐ夜だ。閻魔様のいる奉行所まで続く冥土の森に夜入るのは危険だ」

「何かあんのか?」

「夜の森は腹を空かした魑魅魍魎が獲物を求めて徘徊してる。車を引く魔犬だって喰われかねねぇし、下手したらオメェさんもーー」

「おれも、何だ?」牛馬の目ーー虚無。「喰われちまうとでもいいたいのか?」

 鬼寅はまるで怒られた子供のように小さく頷く。それを見て牛馬は高笑いする。牛馬は狂ってしまったかのように笑うのを止めようとしない。鬼寅の顔から血の気が引くーー

 真っ黒な黄泉の月が地平線から顔を出す。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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