【明日、白夜になる前に~四拾四~】
文字数 2,475文字
夜の公園は灯りでうっすらと照らされ、光と闇のコントラストが際立っている。
電車に乗って地元の駅で降りても、家に帰る気はおきなかった。イヤなことがあれば、うまいメシをたくさん食って、よく寝ればいい。
だが、ことはそう簡単ではない。
ただ、今は自分の部屋に帰りたくない。それだけだった。あそこはぼくにいらないことばかり考えさせる。居心地がいいからこそ、どうでもいい、どうしようもないことまでもを考えてしまう。そんなことはわかっていた。
外の空気は最高においしかった。何者をも縛らない、この解放感。社会というテロリズムによる軟禁、拘束される毎日から解き放たれるふとした瞬間が、ここにはある。
スマホが震える。だが、ぼくはそれをなかったことにする。電源を入れて画面を見ることなど、誰がするモノか。
携帯電話は人を縛りつける。他者との連絡が容易になる。それは便利なだけではなく、逆にいえば社会や人間関係といった十字架に自分を縛りつける行為と何ら変わりはない。
ぼくは一瞬ではあるが、そんな十字架、枷から解き放たれた状態である。今のぼくを縛りつけるモノは何もない。ぼくは……。
いや、今のぼくはただ現実から逃げているだけに過ぎない。そんなことはわかっている。
スマホを無視する。それは逆にいえば、スマホという存在に縛られているということだ。
何故縛られているか。
そこに届くメッセージの中に、ぼくが目を通したくない何かがあるに違いないからだ。
宗方さんに桃井さん、あるいはそのふたりに準ずる誰かーー例えるなら小林さんかーーからのメッセージが来ている。それはぼくにも容易に想像がついた。
昼間の出来事が頭をよぎる。ふたりの女子社員とのやり取り。自分の人生に現れたワン・オブ・ゼム。だが、同時にぼくの人生を素通りしなかったふたりの訪問者。別に彼女たちに罪はない。当たり前だ。ふたりはただ、自分の持つ、ある感情に突き動かされただけだ。
それが運の尽きだった。
相手がぼくというのが、運の尽きだった。
関わる相手が悪かった。世の中には、もっと竹を割ったようにサッパリとモノを決め、自分の感情に正直になれる人がいる。そういう人のもとにたどり着けなかったのが悪かった。そう、悪かったのだ……。
違う。
結局ぼくは、こうやって外で解放感を感じていると自分にいい聞かせているだけ。実際はこうやって煩悩に満ち満ちている。罪悪感と同情が入り交じったような複雑な想いが、ぼくに自分を正当化させるよう肩を叩く。
ぼくはそこから目を叛けているだけだ。
何かが込み上げてくる。自分の内側で、燃え上がるような熱い何かが尽き上がって来る。頬が震え、胸がしゃくり上がる。鼻からは悲しみが液状化して洩れ出して来る。
そして、気づけばぼくは泣いていた。
どうすればいい。どうすればいいのだ。
自分の気持ちがわからない。自分は一体何をどうしたいのだ。誰が好きで、誰とつながりたいのか。いや、自分の気持ちだけではダメだ。それを優先した結果、逆に退かれたということが殆どだったではないか。
じゃあ、どうすればいい。ぼくは一体どうすれば良かったのだ。
人から好かれたいと思うのは、人間なら誰しもが思うことだろう。だが、それが上手くハマって特定の誰かだったり、要領のいい人ならば不特定多数の人に好かれるというのに、ぼくはブタを引いたように上手くいかない。
……いや、それはぼくに対して何かしらの感情を抱いた人に対して失礼だろう。
だが、その人たちの抱いていた感情というのは、本物だったのだろうか。一時の感情で燃え上がった淡い蝋燭の炎と同じようなモノではないとどうしていえるのだろうか。
ダメだ。ネガティブな感情ばかりが込み上がって来る。苦しい。胸が苦しい。まるで内側から少しずつ圧迫されていくような、そんな苦しみが、ぼくの心臓を万力で締め上げて行く。
ぼくは泣いた。夜の公園でただひとり、誰もいない光と闇の交差する中で泣き続けた。
自分の中に溜まった負の感情が、涙として溶け出して行く。
だが、そんなのは端から見ればどうといったことのない、ちっぽけなモノでしかないだろうし、一見して情けない、みっともない三十代半ばの草臥れた不審者にしか映らないだろう。
その見方がダメなのだろう。他者と自分を比較するような見方しか出来ないのが、何よりもダメなのだろう。
ぼくだ。
大事なのは、ぼく自身なのだ。
そう思って強気に出てみたのが、今日という日だった。だが、これまでに積み上げてきた一分、一秒、一日、一ヶ月、一年の集合体によって作られて来たぼくの人格では、その重圧に耐えきれなかったのだ。
そして、またぼくはひとりになる。
黒沢さんとは最近会うこともなくなっているし、中西さんとはあの見合い以降、連絡も疎らになっている。目の前にいくつかの道が延びているが、そのいずれも茨道。足場が脆いか、障害物に阻まれているか、問題が多すぎる。
中途半端は百害あって一利もない。そういったが、それは確かだろう。
だって、ぼくには百害しかない中途半端な道ばかりが残されているのだから。
思えば、こうやって公園でひとり座っているところに、たまきはやって来たのだ。
あの時は静かに舞い上がったモノだった。こうしてひとりで夜の公園にいるのも、無意識の内に第二、第三のたまきの存在が来るのを待ち望んでいるからなのかもしれない。
だが、現実はいつだって非情だ。そんなモノが向こうからやってくるワケがない。
ぼくには退路がない。進路は極端に限られ、その道幅は糸ほどに細い。
ぼくはスマホを取り出した。
やはり、現実と真っ向から向き合わなければならないのか。
ぼくはスマホの電源を入れた。
メッセージにメッセージ、メッセージの山。ぼくのこころは締め上げられる。その中には宗方さんのもある。桃井さんからは来ていない。中西さんからの返信があった。小林さんからのメッセージもある。
視界がグルグル回る。吐き気が止まらない。
ぼくは覚悟を決めた。
【続く】
電車に乗って地元の駅で降りても、家に帰る気はおきなかった。イヤなことがあれば、うまいメシをたくさん食って、よく寝ればいい。
だが、ことはそう簡単ではない。
ただ、今は自分の部屋に帰りたくない。それだけだった。あそこはぼくにいらないことばかり考えさせる。居心地がいいからこそ、どうでもいい、どうしようもないことまでもを考えてしまう。そんなことはわかっていた。
外の空気は最高においしかった。何者をも縛らない、この解放感。社会というテロリズムによる軟禁、拘束される毎日から解き放たれるふとした瞬間が、ここにはある。
スマホが震える。だが、ぼくはそれをなかったことにする。電源を入れて画面を見ることなど、誰がするモノか。
携帯電話は人を縛りつける。他者との連絡が容易になる。それは便利なだけではなく、逆にいえば社会や人間関係といった十字架に自分を縛りつける行為と何ら変わりはない。
ぼくは一瞬ではあるが、そんな十字架、枷から解き放たれた状態である。今のぼくを縛りつけるモノは何もない。ぼくは……。
いや、今のぼくはただ現実から逃げているだけに過ぎない。そんなことはわかっている。
スマホを無視する。それは逆にいえば、スマホという存在に縛られているということだ。
何故縛られているか。
そこに届くメッセージの中に、ぼくが目を通したくない何かがあるに違いないからだ。
宗方さんに桃井さん、あるいはそのふたりに準ずる誰かーー例えるなら小林さんかーーからのメッセージが来ている。それはぼくにも容易に想像がついた。
昼間の出来事が頭をよぎる。ふたりの女子社員とのやり取り。自分の人生に現れたワン・オブ・ゼム。だが、同時にぼくの人生を素通りしなかったふたりの訪問者。別に彼女たちに罪はない。当たり前だ。ふたりはただ、自分の持つ、ある感情に突き動かされただけだ。
それが運の尽きだった。
相手がぼくというのが、運の尽きだった。
関わる相手が悪かった。世の中には、もっと竹を割ったようにサッパリとモノを決め、自分の感情に正直になれる人がいる。そういう人のもとにたどり着けなかったのが悪かった。そう、悪かったのだ……。
違う。
結局ぼくは、こうやって外で解放感を感じていると自分にいい聞かせているだけ。実際はこうやって煩悩に満ち満ちている。罪悪感と同情が入り交じったような複雑な想いが、ぼくに自分を正当化させるよう肩を叩く。
ぼくはそこから目を叛けているだけだ。
何かが込み上げてくる。自分の内側で、燃え上がるような熱い何かが尽き上がって来る。頬が震え、胸がしゃくり上がる。鼻からは悲しみが液状化して洩れ出して来る。
そして、気づけばぼくは泣いていた。
どうすればいい。どうすればいいのだ。
自分の気持ちがわからない。自分は一体何をどうしたいのだ。誰が好きで、誰とつながりたいのか。いや、自分の気持ちだけではダメだ。それを優先した結果、逆に退かれたということが殆どだったではないか。
じゃあ、どうすればいい。ぼくは一体どうすれば良かったのだ。
人から好かれたいと思うのは、人間なら誰しもが思うことだろう。だが、それが上手くハマって特定の誰かだったり、要領のいい人ならば不特定多数の人に好かれるというのに、ぼくはブタを引いたように上手くいかない。
……いや、それはぼくに対して何かしらの感情を抱いた人に対して失礼だろう。
だが、その人たちの抱いていた感情というのは、本物だったのだろうか。一時の感情で燃え上がった淡い蝋燭の炎と同じようなモノではないとどうしていえるのだろうか。
ダメだ。ネガティブな感情ばかりが込み上がって来る。苦しい。胸が苦しい。まるで内側から少しずつ圧迫されていくような、そんな苦しみが、ぼくの心臓を万力で締め上げて行く。
ぼくは泣いた。夜の公園でただひとり、誰もいない光と闇の交差する中で泣き続けた。
自分の中に溜まった負の感情が、涙として溶け出して行く。
だが、そんなのは端から見ればどうといったことのない、ちっぽけなモノでしかないだろうし、一見して情けない、みっともない三十代半ばの草臥れた不審者にしか映らないだろう。
その見方がダメなのだろう。他者と自分を比較するような見方しか出来ないのが、何よりもダメなのだろう。
ぼくだ。
大事なのは、ぼく自身なのだ。
そう思って強気に出てみたのが、今日という日だった。だが、これまでに積み上げてきた一分、一秒、一日、一ヶ月、一年の集合体によって作られて来たぼくの人格では、その重圧に耐えきれなかったのだ。
そして、またぼくはひとりになる。
黒沢さんとは最近会うこともなくなっているし、中西さんとはあの見合い以降、連絡も疎らになっている。目の前にいくつかの道が延びているが、そのいずれも茨道。足場が脆いか、障害物に阻まれているか、問題が多すぎる。
中途半端は百害あって一利もない。そういったが、それは確かだろう。
だって、ぼくには百害しかない中途半端な道ばかりが残されているのだから。
思えば、こうやって公園でひとり座っているところに、たまきはやって来たのだ。
あの時は静かに舞い上がったモノだった。こうしてひとりで夜の公園にいるのも、無意識の内に第二、第三のたまきの存在が来るのを待ち望んでいるからなのかもしれない。
だが、現実はいつだって非情だ。そんなモノが向こうからやってくるワケがない。
ぼくには退路がない。進路は極端に限られ、その道幅は糸ほどに細い。
ぼくはスマホを取り出した。
やはり、現実と真っ向から向き合わなければならないのか。
ぼくはスマホの電源を入れた。
メッセージにメッセージ、メッセージの山。ぼくのこころは締め上げられる。その中には宗方さんのもある。桃井さんからは来ていない。中西さんからの返信があった。小林さんからのメッセージもある。
視界がグルグル回る。吐き気が止まらない。
ぼくは覚悟を決めた。
【続く】