【明日、白夜になる前に~漆拾捌~】
文字数 1,609文字
「人生ってのは、どうにもならないことが多いモンやねぇ......」
そう呟いたのは、里村さんとの面会が終わった後にたまたま入ったバーにて、同じカウンター席で飲んでいた男だった。男は、身長は多分170センチ程度で、髪をうしろに撫で付けた掘りの深いイケメンだった。水色のシャツにジーンズが聡明でクールな印象を与えていたが、いざ話してみると変な口調でメチャクチャなことを話す変な人だった。
彼はボンドマティーニを飲んでいた。わざわざそんなメニューにないモノを頼むことを考えると、結構な常連であり、結構な007のファンなのかもしれない。
彼と話し出したキッカケは、ぼくが沈んだ顔でうつ向きながらチビチビとカクテルを飲んでいたからだった。そんなぼくが余りにも弱々しく見えたのか、どうしたんだい、とフレンドリーに話し掛けてきたのだ。
バーで飲むのも殆ど初めてだったし、そんな風に知らない人に話し掛けられたことも珍しいことだったせいで、一瞬かなり戸惑った。だが、所詮は見知らぬ他人。都合が悪い、怪しい頼みごとか何かをされたらすぐに消えればいいし、逃げればいい。それに自分の身の上をまともに知らない相手のほうが、プライベートのしがらみがない分、逆に深刻な話もしやすいと思ったのだ。
「失恋?」
ぼくが考えを巡らせていると、彼はふといった。ぼくはーー
「まぁ......、そんな感じですね」
「そうかぃ......。フラれたん?」
ぼくは色々あったとだけ答えた。すると彼は、
「ということは振ったってなりそうだけど、でも何か色々とワケありだね」
ワケありということばに間違いはなかった。好きだった女性が二重人格で、自分を殺そうとした、そう答えて信じてくれるもんだろうか。もちろん、里村さんのためにもそんなことはいわないが。もちろんカスミのためにも。
だが、ぼくは試しにーー
「変なこと訊きますけど、好きな相手に殺されそうになったとしたらどう思います?」
そう訊ねると彼は驚いていた。それから案の定、殺されそうになったのかと訊かれたので、ぼくはそれを否定して話を促した。彼は少し考えたかと思うと、突然寂しそうな表情で正面にあるジョニーウォーカーのボトルを見詰めた。
「......殺されるほうが幸せだったこともあるかもしれないな」
予想外の答えにぼくはギョッとした。ぼくはその理由を訊ねた。と、彼は、
「殺されるってことは少なくともふたりの間に何かしらのやり取りがあって、気持ちや感情を交換し合った結果としてそうなったってことだ。気持ちや感情が昂っても、それが相手もそうなのか、盛り上がってるのは自分だけではないかと不安になってしまう。でも、そんなことをしていると、いつしかデッドラインはやってくる。何もできずに気づけば、その人は遠くに行ってしまっている。そうなるくらいなら、好きな人に殺されて、その人の姿を自分の人生のラストに網膜に焼きつけて死んだほうがまだ幸せなのかもしれない......」
彼はそういってマティーニをひと口呷った。狂ってる、そう思えなくもないが、何処か納得出来る気がする。
人は生きる中で必ず恋をする。だが、その恋が必ず成就するとは限らない。いや、むしろ逆、実らないことのほうが圧倒的に多い。遠目で好きな人を見詰め、思い、会話も交わすこともなく別れたり、相手が恋人を作ったり結婚したりして、結局は何も出来ずに終わってしまうことなんかザラにある。
そんな風に何のコミュニケーションもなく終わるのなら、何かしらの理由で相手に殺されたほうがいい。もちろん、自分から彼女をどうするとかではない。それは論外だ。好きな相手を傷つけてまで接点なんか持ちたくない。それなら端から彼女を見詰めているだけのほうがいい。でも、もし彼女からーー
「人生ってのは、どうにもならないことが多いモンやねぇ......」
その時、彼は寂しげにそう呟いた。
【続く】
そう呟いたのは、里村さんとの面会が終わった後にたまたま入ったバーにて、同じカウンター席で飲んでいた男だった。男は、身長は多分170センチ程度で、髪をうしろに撫で付けた掘りの深いイケメンだった。水色のシャツにジーンズが聡明でクールな印象を与えていたが、いざ話してみると変な口調でメチャクチャなことを話す変な人だった。
彼はボンドマティーニを飲んでいた。わざわざそんなメニューにないモノを頼むことを考えると、結構な常連であり、結構な007のファンなのかもしれない。
彼と話し出したキッカケは、ぼくが沈んだ顔でうつ向きながらチビチビとカクテルを飲んでいたからだった。そんなぼくが余りにも弱々しく見えたのか、どうしたんだい、とフレンドリーに話し掛けてきたのだ。
バーで飲むのも殆ど初めてだったし、そんな風に知らない人に話し掛けられたことも珍しいことだったせいで、一瞬かなり戸惑った。だが、所詮は見知らぬ他人。都合が悪い、怪しい頼みごとか何かをされたらすぐに消えればいいし、逃げればいい。それに自分の身の上をまともに知らない相手のほうが、プライベートのしがらみがない分、逆に深刻な話もしやすいと思ったのだ。
「失恋?」
ぼくが考えを巡らせていると、彼はふといった。ぼくはーー
「まぁ......、そんな感じですね」
「そうかぃ......。フラれたん?」
ぼくは色々あったとだけ答えた。すると彼は、
「ということは振ったってなりそうだけど、でも何か色々とワケありだね」
ワケありということばに間違いはなかった。好きだった女性が二重人格で、自分を殺そうとした、そう答えて信じてくれるもんだろうか。もちろん、里村さんのためにもそんなことはいわないが。もちろんカスミのためにも。
だが、ぼくは試しにーー
「変なこと訊きますけど、好きな相手に殺されそうになったとしたらどう思います?」
そう訊ねると彼は驚いていた。それから案の定、殺されそうになったのかと訊かれたので、ぼくはそれを否定して話を促した。彼は少し考えたかと思うと、突然寂しそうな表情で正面にあるジョニーウォーカーのボトルを見詰めた。
「......殺されるほうが幸せだったこともあるかもしれないな」
予想外の答えにぼくはギョッとした。ぼくはその理由を訊ねた。と、彼は、
「殺されるってことは少なくともふたりの間に何かしらのやり取りがあって、気持ちや感情を交換し合った結果としてそうなったってことだ。気持ちや感情が昂っても、それが相手もそうなのか、盛り上がってるのは自分だけではないかと不安になってしまう。でも、そんなことをしていると、いつしかデッドラインはやってくる。何もできずに気づけば、その人は遠くに行ってしまっている。そうなるくらいなら、好きな人に殺されて、その人の姿を自分の人生のラストに網膜に焼きつけて死んだほうがまだ幸せなのかもしれない......」
彼はそういってマティーニをひと口呷った。狂ってる、そう思えなくもないが、何処か納得出来る気がする。
人は生きる中で必ず恋をする。だが、その恋が必ず成就するとは限らない。いや、むしろ逆、実らないことのほうが圧倒的に多い。遠目で好きな人を見詰め、思い、会話も交わすこともなく別れたり、相手が恋人を作ったり結婚したりして、結局は何も出来ずに終わってしまうことなんかザラにある。
そんな風に何のコミュニケーションもなく終わるのなら、何かしらの理由で相手に殺されたほうがいい。もちろん、自分から彼女をどうするとかではない。それは論外だ。好きな相手を傷つけてまで接点なんか持ちたくない。それなら端から彼女を見詰めているだけのほうがいい。でも、もし彼女からーー
「人生ってのは、どうにもならないことが多いモンやねぇ......」
その時、彼は寂しげにそう呟いた。
【続く】