【明日、白夜になる前に~漆拾参~】
文字数 2,292文字
目が覚めると、そこは白い世界だった。
雪か。そんなはずはない。そんなところに寝転がっているなんて、そんなこと。だとしたら、今まで見ていたのは、すべて夢?
「起きたか」男の低い声が聴こえる。「あの世へようこそ」
ぼくは絶句する。すぐさま声のしたほうへと視線をやる。と、そこにはボサボサの長髪にややくたびれたようなグレーのスーツを着た男がひとり。顔は整っているが、何処かこちらをバカにしているようなうっすらとした笑みを浮かべているのが、どうにも不気味だった。
にわかには信じられなかった。ぼくは辺りを確認する。白いシーツに掛け布団のパイプベッドの上。病院、か? そうであればいいと思った。自分が死んだなんて。ぼくは薄汚い天使ーー或いは悪魔だろうかーーに「……え?」っと問い掛ける。
沈黙が流れる。何もない時間。ただシーンという音だけが内耳にこだまする。
突然、薄汚い天使は笑い出す。
「悪いな、ウソだよ」
まったくもって悪趣味なジョークだ。ぼくはワケもわからずに、笑う天使ーーもとい笑う男を目の前に呆然としている。
「あのぉ……、じゃあここは……?」
「病院だよ。もしかして、何があったのか覚えてないのか?」
ぼくは思案する。ホテルの一室、そこでぼくは里村さん、いやカスミと一緒だった。カスミはぼくに対して威圧的な態度を取っていた。だが、ぼくは彼女ーー或いは彼だろうかーーに同情のことばを寄せた。結果……。
「里村さんは……ッ?」
ぼくが訊ねると男はやや暗い表情を見せる。
「実は……」
ぼくは男の表情に不安を覚えた。彼女に何かあったのか。まさかそんな……。と思いきや、男はまたプッと笑い出す。
「何でもないよ。マジにすんなよな」
ぼくは初めて彼のそういった態度に不快感を覚える。この男は一体誰なんだ。
「あの、失礼ですけど、アナタ誰ですか?」
ややムッとした声色でいってやる。が、男にはぼくのそんな努力は何の効果を示していないといわんばかりに薄ら笑いを浮かべていう。
「あぁーー」そういって懐から何かを取り出してこちらに提示して来る。「こういうモンだ」
そういって男は提示した何かをパカリと開いてこちらへ見せる。その開いた中身は男のムスッとした顔写真と何やら感じだらけの文が羅列されていた。ぼくは薄ぼんやりとする視界を何度かパチクリさせて焦点を合わせると、そこに書いてある内容を確かめる。
「五村警察署……、刑事組織犯罪対策課強行係警部補……、弓永龍……。警察?」
弓永は相槌を打って自分のIDの記載されている手帳を懐へしまう。ぼくはボンヤリと弓永のことを見詰める。と、弓永がいう。
「……何だよ?」
「いや、別に……」
こんな薄汚い刑事がいるものか、と思った。確かに外仕事で汚れることだってあるだろう。だが、弓永はそういうのとはまったく無関係に汚れて見える。というか、何処か胡散臭さの抜けない男だった。
「おれのこと、警官じゃないと思ってるだろ」
直感かはわからないが、弓永はずばりぼくの考えていることをいい当てた。ぼくは思わずギョッとしてしまった。にも関わらず、ぼくはいいワケがましく、そんなことはないと答える。
「ウソなんかつかなくていい。顔に書いてある。でも、確かに可笑しく思うのも無理はない。そもそも、警官なら普通ふたり組で行動する。でも、おれはひとり。それが不思議でならないんだろ?」
まぁ、それもそうだ。というか、警官が単独で何かをするというのを、まず聴いたことがない。それに規律の厳しい警察機構の中で、こんなにも身だしなみが乱れている時点で警官ですといわれて信じろというほうが無理という話だった。それを予測したように弓永は、
「心配すんな。おれは単独でも、身だしなみに気を使ってなくても警官は警官だ。何なら五村署の刑組対に電話で確認するか?」
「あ、いえ……」
そんなことはむしろどうでもよかった。そんなことより、気になるのはーー
「あの、里村さんは……?」
「あぁ……」弓永はちょっといいづらそうにいう。「あの女、な」
またぼくをからかうつもりだろうか。だが、今度はそんな軽々しい感じより、何処か重々しいイヤな感じ、印象を受ける。そう思っていると、弓永は口を開く。
「あの女は、今取り調べを受けてる。でも、おれの見たところでいえば、あの女の行き先は刑務所じゃなくて精神病院だろうな」
ぼくはことばを失った。
「精神病院?」
コクりと頷く弓永。
「お前も見たはずだ。あの女は普通じゃない。身体の中に可笑しなモンを飼ってる」
可笑しなモン。それはつまり、カスミのこと。ぼくはうち震える。そんなぼくに弓永は、
「どうした?」
「変なモノ、って……、もうひとつの人格だって立派な人間には違いないでしょう……?」
ぼくがそういうと弓永は呆気に取られたようになりながらも、すぐにフッと笑って見せ、
「お前も変なことをいうな。まるで、身体に乗り移った幽霊のことを認めるみたいだ」
「そんなバカげた話じゃないですよ……」
「いや、そうでもないぜ。幽霊だって元はといえば人間なんだからな。突然変異で生まれた人格と何ら変わりはねえよ」
案外柔軟なところがあるらしい。それにしても、幽霊がどうのとは。一見してそういったオカルト、ホラー系の話なんて信じなさそうに見えるというのに、人は見掛けによらない。
「それはそうと……」ぼくはいう。「ぼくはどうしてここに?」
「お前のために通報してくれたヤツがいたんだよ。お前の同僚だったか。宗方あかりだっけ。今は署で取り調べを受けてるよ」
宗方さん。ぼくは視線が遠ざかるような錯覚を覚えた。
【続く】
雪か。そんなはずはない。そんなところに寝転がっているなんて、そんなこと。だとしたら、今まで見ていたのは、すべて夢?
「起きたか」男の低い声が聴こえる。「あの世へようこそ」
ぼくは絶句する。すぐさま声のしたほうへと視線をやる。と、そこにはボサボサの長髪にややくたびれたようなグレーのスーツを着た男がひとり。顔は整っているが、何処かこちらをバカにしているようなうっすらとした笑みを浮かべているのが、どうにも不気味だった。
にわかには信じられなかった。ぼくは辺りを確認する。白いシーツに掛け布団のパイプベッドの上。病院、か? そうであればいいと思った。自分が死んだなんて。ぼくは薄汚い天使ーー或いは悪魔だろうかーーに「……え?」っと問い掛ける。
沈黙が流れる。何もない時間。ただシーンという音だけが内耳にこだまする。
突然、薄汚い天使は笑い出す。
「悪いな、ウソだよ」
まったくもって悪趣味なジョークだ。ぼくはワケもわからずに、笑う天使ーーもとい笑う男を目の前に呆然としている。
「あのぉ……、じゃあここは……?」
「病院だよ。もしかして、何があったのか覚えてないのか?」
ぼくは思案する。ホテルの一室、そこでぼくは里村さん、いやカスミと一緒だった。カスミはぼくに対して威圧的な態度を取っていた。だが、ぼくは彼女ーー或いは彼だろうかーーに同情のことばを寄せた。結果……。
「里村さんは……ッ?」
ぼくが訊ねると男はやや暗い表情を見せる。
「実は……」
ぼくは男の表情に不安を覚えた。彼女に何かあったのか。まさかそんな……。と思いきや、男はまたプッと笑い出す。
「何でもないよ。マジにすんなよな」
ぼくは初めて彼のそういった態度に不快感を覚える。この男は一体誰なんだ。
「あの、失礼ですけど、アナタ誰ですか?」
ややムッとした声色でいってやる。が、男にはぼくのそんな努力は何の効果を示していないといわんばかりに薄ら笑いを浮かべていう。
「あぁーー」そういって懐から何かを取り出してこちらに提示して来る。「こういうモンだ」
そういって男は提示した何かをパカリと開いてこちらへ見せる。その開いた中身は男のムスッとした顔写真と何やら感じだらけの文が羅列されていた。ぼくは薄ぼんやりとする視界を何度かパチクリさせて焦点を合わせると、そこに書いてある内容を確かめる。
「五村警察署……、刑事組織犯罪対策課強行係警部補……、弓永龍……。警察?」
弓永は相槌を打って自分のIDの記載されている手帳を懐へしまう。ぼくはボンヤリと弓永のことを見詰める。と、弓永がいう。
「……何だよ?」
「いや、別に……」
こんな薄汚い刑事がいるものか、と思った。確かに外仕事で汚れることだってあるだろう。だが、弓永はそういうのとはまったく無関係に汚れて見える。というか、何処か胡散臭さの抜けない男だった。
「おれのこと、警官じゃないと思ってるだろ」
直感かはわからないが、弓永はずばりぼくの考えていることをいい当てた。ぼくは思わずギョッとしてしまった。にも関わらず、ぼくはいいワケがましく、そんなことはないと答える。
「ウソなんかつかなくていい。顔に書いてある。でも、確かに可笑しく思うのも無理はない。そもそも、警官なら普通ふたり組で行動する。でも、おれはひとり。それが不思議でならないんだろ?」
まぁ、それもそうだ。というか、警官が単独で何かをするというのを、まず聴いたことがない。それに規律の厳しい警察機構の中で、こんなにも身だしなみが乱れている時点で警官ですといわれて信じろというほうが無理という話だった。それを予測したように弓永は、
「心配すんな。おれは単独でも、身だしなみに気を使ってなくても警官は警官だ。何なら五村署の刑組対に電話で確認するか?」
「あ、いえ……」
そんなことはむしろどうでもよかった。そんなことより、気になるのはーー
「あの、里村さんは……?」
「あぁ……」弓永はちょっといいづらそうにいう。「あの女、な」
またぼくをからかうつもりだろうか。だが、今度はそんな軽々しい感じより、何処か重々しいイヤな感じ、印象を受ける。そう思っていると、弓永は口を開く。
「あの女は、今取り調べを受けてる。でも、おれの見たところでいえば、あの女の行き先は刑務所じゃなくて精神病院だろうな」
ぼくはことばを失った。
「精神病院?」
コクりと頷く弓永。
「お前も見たはずだ。あの女は普通じゃない。身体の中に可笑しなモンを飼ってる」
可笑しなモン。それはつまり、カスミのこと。ぼくはうち震える。そんなぼくに弓永は、
「どうした?」
「変なモノ、って……、もうひとつの人格だって立派な人間には違いないでしょう……?」
ぼくがそういうと弓永は呆気に取られたようになりながらも、すぐにフッと笑って見せ、
「お前も変なことをいうな。まるで、身体に乗り移った幽霊のことを認めるみたいだ」
「そんなバカげた話じゃないですよ……」
「いや、そうでもないぜ。幽霊だって元はといえば人間なんだからな。突然変異で生まれた人格と何ら変わりはねえよ」
案外柔軟なところがあるらしい。それにしても、幽霊がどうのとは。一見してそういったオカルト、ホラー系の話なんて信じなさそうに見えるというのに、人は見掛けによらない。
「それはそうと……」ぼくはいう。「ぼくはどうしてここに?」
「お前のために通報してくれたヤツがいたんだよ。お前の同僚だったか。宗方あかりだっけ。今は署で取り調べを受けてるよ」
宗方さん。ぼくは視線が遠ざかるような錯覚を覚えた。
【続く】