【明日、白夜になる前に~弐拾壱~】
文字数 2,352文字
何だかネガティブな気分だった。
どんなに自分の気持ちを騙そうとしたところで、その潜在的な意識の中で感じていることはどうあがいても表面に出てしまう。
会社の中でいくら明るく振る舞ったところで、その立ち回りが空回りしていることは何となく自分でもわかっていたし、それで人に気を遣わせていることもわかっていた。
いくら小林さんが回りに忠言していたとして、それで自然に振る舞おうとしても、やはり事情が事情なだけにそれにも限界がある。
ぼくは今、歯車の噛み合わないからくり屋敷にいるような違和感と気持ち悪さに苛まれている。いや、それともこれはぼくの勘違い、考え過ぎなのだろうか。
「どうかしたのかい?」
ラーメンを啜る手を止めた小林さんにそう訊かれ、ぼくはハッとしーー
「いえ! 何でも……、ないです」
と不自然な調子でそういってしまう。明らかに自分の中の不和というか、他者に対する疑いの念のようなモノが拭い去れないでいる。
ぼくと小林さんはいつも通り仕事の昼休みにラーメンを食べに来ている。このご時世で未だにリモートワークでないなんて、遅れた会社だなとも思いつつ、こういう形で人と関われるのはぼくにとって救いでもあり、苦痛の種でもあったのはいうまでもない。
「そう、ならいいんだけど」
小林さんはそういって、再びスープの濃厚な味噌ラーメンを口に運び出す。ぼくはその様子をただただ見詰めている。
何でこの人は他の人と違ってこんなにも自然体でいられるのだろう。
不思議でならなかった。これが小林さんのパーソナリティだといってしまえばそこまでなのだろうけど、小林さんは誰に対してもフラットで、決して他人を可笑しな偏見やイメージで語ろうとはしないーーぼくとは大違いだ。
ぼくを見てみろ。
今、目の前で脂まみれのラーメンのスープをグビグビと飲み干そうとしている五十代小太りのオッサンを見て、生活習慣病の原因になるだろうから止めておけばいいのに、とか余計なことを考えてしまっているぼくを見てみろ。
ラーメンのスープを飲み干そうが残そうが、そんなのは個人の自由ではないか。それで体調を悪くしようがどうかは、所詮は個人の責任であって、ぼくがどうこういうようなことではない。ただ、そう考えてしまうのは、ぼくの人間性というか考え方が浅ましいからだろう。
あぁ、またネガティブなことを考えてしまっている。何でこうもぼくは前向きになれないのだろう。確かに、自分の身体の一部を失ったばかりでポジティブになれというほうが難しいだろう。だが、自分がネガティブなのは、右腕があろうとなかろうと変わらなかった。
ぼくのこのネガティブな性質はもはや病気でしかなかった。
吐き気がする。
ぼくはこの自分の性質に吐き気がする。
昼食を終えて、ぼくと小林さんはオフィスに帰ってくる。ぼくは席について大きくため息をつく。ニンニクのにおいがマスクに返って自分の鼻孔を刺激する。
どうにも仕事をする気分になれない。まぁ、それは前からではあるけれど、やはり憂鬱で仕事に取り組む気分にはなれないのだ。
突然、デスクがコトリと音を立てる。
そこには湯飲みがひとつ置かれている。ぼくは疑問に思い、右うしろを振り返る。
「どうぞ」
そういってお盆を胸元で抱えていたのは、同じ部所の宗方あかりという女子社員だ。
宗方さんは、ぼくの数年後輩で、地味過ぎず派手過ぎない感じが非常に好感的な女性だった。メイクはナチュラルで目は垂れ目気味。髪は腰まで届きそうな長さで色は黒。
「あぁ、どうもありがとう……」
ぼくはあたふたとお礼をいい、彼女から視線を逸らしたまま頭を下げる。
「……大変でしたね」宗方さんはいう。
「え!?……あ、まぁ」
「色々と大変なことも多いでしょうし、何かあったら遠慮なくいってくださいね。わたしに出来ることなら何でもしますから……」
宗方さんはそういって顔を伏せる。
「あぁ、そう……、ありがとう……」
多分、厚意でそういってくれているのだろう。だが、女性のそういった厚意、というか優しさのようなモノはたまきの件でウンザリしていた。ありがたさの反面、何処か信用できないというノイズがぼくにはあった。
ぼくは右腕の義手で湯飲みを掴み、茶を飲もうとする。だがーー、
熱いーーメチャクチャ熱い。
ぼくは思わず、「熱ッ!」と湯飲みを口から遠ざける。義手のせいで茶の熱さを感じなかったようだ。オマケにぼくが湯飲みを口から遠ざけた勢いで茶が衣服に零れる。
「あっ! ごめんなさい、大丈夫ですか!?」
そういって宗方さんはハンカチを取り出してぼくの衣服を拭こうとする。だが、ぼくは思わずぼくはその手を払う。
急な恐怖。急なフラッシュバック。突然、たまきに触れられた時の記憶が甦る。そう、あのたまきの部屋での記憶だ。
「あっ……、ごめんなさい……、余計なことをして……」
宗方さんはそういって悲しげに俯く。それも仕方ないだろう。だが、ぼく自身としても、こんなにもたまきの一件がトラウマになっているとは思わなかった。
「あ、いや、別に宗方さんのせいじゃないよ。後は自分で何とかするから」
そういって、ぼくは自分の衣服を乾かすためにトイレへと向かうーー
会社からの帰り道、ぼくは呆然と歩く。何かを考えようとするとネガティブな想いが再びぼくを蝕みそうで、何も考えたくなかったのだ。
そんな中、突然ーー
「あの、落としましたよ」
そんな声が聴こえた気がしたが、気のせいだろうと思い、そのまま歩く。
だが突然肩を叩かれ、ぼくは手を振りほどくように勢いよく振り返るーーまたもや、たまきの記憶がフラッシュバックしたのだ。がーー、
そこには見知らぬ女性がキョトンとした様子で立っていたのだーー
【続く】
どんなに自分の気持ちを騙そうとしたところで、その潜在的な意識の中で感じていることはどうあがいても表面に出てしまう。
会社の中でいくら明るく振る舞ったところで、その立ち回りが空回りしていることは何となく自分でもわかっていたし、それで人に気を遣わせていることもわかっていた。
いくら小林さんが回りに忠言していたとして、それで自然に振る舞おうとしても、やはり事情が事情なだけにそれにも限界がある。
ぼくは今、歯車の噛み合わないからくり屋敷にいるような違和感と気持ち悪さに苛まれている。いや、それともこれはぼくの勘違い、考え過ぎなのだろうか。
「どうかしたのかい?」
ラーメンを啜る手を止めた小林さんにそう訊かれ、ぼくはハッとしーー
「いえ! 何でも……、ないです」
と不自然な調子でそういってしまう。明らかに自分の中の不和というか、他者に対する疑いの念のようなモノが拭い去れないでいる。
ぼくと小林さんはいつも通り仕事の昼休みにラーメンを食べに来ている。このご時世で未だにリモートワークでないなんて、遅れた会社だなとも思いつつ、こういう形で人と関われるのはぼくにとって救いでもあり、苦痛の種でもあったのはいうまでもない。
「そう、ならいいんだけど」
小林さんはそういって、再びスープの濃厚な味噌ラーメンを口に運び出す。ぼくはその様子をただただ見詰めている。
何でこの人は他の人と違ってこんなにも自然体でいられるのだろう。
不思議でならなかった。これが小林さんのパーソナリティだといってしまえばそこまでなのだろうけど、小林さんは誰に対してもフラットで、決して他人を可笑しな偏見やイメージで語ろうとはしないーーぼくとは大違いだ。
ぼくを見てみろ。
今、目の前で脂まみれのラーメンのスープをグビグビと飲み干そうとしている五十代小太りのオッサンを見て、生活習慣病の原因になるだろうから止めておけばいいのに、とか余計なことを考えてしまっているぼくを見てみろ。
ラーメンのスープを飲み干そうが残そうが、そんなのは個人の自由ではないか。それで体調を悪くしようがどうかは、所詮は個人の責任であって、ぼくがどうこういうようなことではない。ただ、そう考えてしまうのは、ぼくの人間性というか考え方が浅ましいからだろう。
あぁ、またネガティブなことを考えてしまっている。何でこうもぼくは前向きになれないのだろう。確かに、自分の身体の一部を失ったばかりでポジティブになれというほうが難しいだろう。だが、自分がネガティブなのは、右腕があろうとなかろうと変わらなかった。
ぼくのこのネガティブな性質はもはや病気でしかなかった。
吐き気がする。
ぼくはこの自分の性質に吐き気がする。
昼食を終えて、ぼくと小林さんはオフィスに帰ってくる。ぼくは席について大きくため息をつく。ニンニクのにおいがマスクに返って自分の鼻孔を刺激する。
どうにも仕事をする気分になれない。まぁ、それは前からではあるけれど、やはり憂鬱で仕事に取り組む気分にはなれないのだ。
突然、デスクがコトリと音を立てる。
そこには湯飲みがひとつ置かれている。ぼくは疑問に思い、右うしろを振り返る。
「どうぞ」
そういってお盆を胸元で抱えていたのは、同じ部所の宗方あかりという女子社員だ。
宗方さんは、ぼくの数年後輩で、地味過ぎず派手過ぎない感じが非常に好感的な女性だった。メイクはナチュラルで目は垂れ目気味。髪は腰まで届きそうな長さで色は黒。
「あぁ、どうもありがとう……」
ぼくはあたふたとお礼をいい、彼女から視線を逸らしたまま頭を下げる。
「……大変でしたね」宗方さんはいう。
「え!?……あ、まぁ」
「色々と大変なことも多いでしょうし、何かあったら遠慮なくいってくださいね。わたしに出来ることなら何でもしますから……」
宗方さんはそういって顔を伏せる。
「あぁ、そう……、ありがとう……」
多分、厚意でそういってくれているのだろう。だが、女性のそういった厚意、というか優しさのようなモノはたまきの件でウンザリしていた。ありがたさの反面、何処か信用できないというノイズがぼくにはあった。
ぼくは右腕の義手で湯飲みを掴み、茶を飲もうとする。だがーー、
熱いーーメチャクチャ熱い。
ぼくは思わず、「熱ッ!」と湯飲みを口から遠ざける。義手のせいで茶の熱さを感じなかったようだ。オマケにぼくが湯飲みを口から遠ざけた勢いで茶が衣服に零れる。
「あっ! ごめんなさい、大丈夫ですか!?」
そういって宗方さんはハンカチを取り出してぼくの衣服を拭こうとする。だが、ぼくは思わずぼくはその手を払う。
急な恐怖。急なフラッシュバック。突然、たまきに触れられた時の記憶が甦る。そう、あのたまきの部屋での記憶だ。
「あっ……、ごめんなさい……、余計なことをして……」
宗方さんはそういって悲しげに俯く。それも仕方ないだろう。だが、ぼく自身としても、こんなにもたまきの一件がトラウマになっているとは思わなかった。
「あ、いや、別に宗方さんのせいじゃないよ。後は自分で何とかするから」
そういって、ぼくは自分の衣服を乾かすためにトイレへと向かうーー
会社からの帰り道、ぼくは呆然と歩く。何かを考えようとするとネガティブな想いが再びぼくを蝕みそうで、何も考えたくなかったのだ。
そんな中、突然ーー
「あの、落としましたよ」
そんな声が聴こえた気がしたが、気のせいだろうと思い、そのまま歩く。
だが突然肩を叩かれ、ぼくは手を振りほどくように勢いよく振り返るーーまたもや、たまきの記憶がフラッシュバックしたのだ。がーー、
そこには見知らぬ女性がキョトンとした様子で立っていたのだーー
【続く】