【墓場からゴミ箱へ】
文字数 4,816文字
敗北した記憶はどこまでも人を追い立てる。
勝利の美酒に酔うのは所詮一時の快楽でしかなく、敗北の泥水は一生の苦痛となる。これには本当に困ったモノである。
この泥水を吐き出すには、それを上書きするほどの勝利を得なければならない。だが、それを得るのはひと筋縄にはいかないのが現実だ。
そもそも、人間の脳が敗北という苦い現実をいつまでも忘れさせないのは、来るかわからない次のチャンスに備えるためなのだけど、だからといって、その苦渋をいつまでも、いつまでも残しておく必要などないと思うのだ。
やはり、人間の脳というのはどうしようもなく無能だ。人体の無能展があったら、間違いなく脳の無能部門でグランドスラムだろう。
まぁ、かくいうおれは、勝利の経験など殆どなく、むしろ敗北という苦い現実とお友達状態なので、脳のゴミ溜めには、ウンザリするほど廃棄物のようなクサイ過去が蓄積されている。
いい加減、忘却という形でゴミ処理しろよと何度となく思っているのだけど、如何せん人の脳ーーことにおれの脳はそこらへんの処理能力が他人よりも低いような気がしてならない。
まぁ、失敗の経験が多くなり、それに対策していこうとすればするほど、脳は活発化し、記憶力は高まっていくものだけど、こんな記憶力は正直いらないというのが本音だったりする。
イヤな記憶なんて思い出すだけでストレスになるんだからな。脳ってほんとバカだよ。
とまぁ、こんなんじゃいつまでも経っても終わらないんで、さっさと本題にいこう。
ということで、今日は『居合篇』の特別篇其の壱だ。というのも、今日はおれが初段の時の大会について書いていこうと思う。
本来なら、段外の時のことだけにフォーカスして書こうと思っていたのだけど、段外の大会のことを文章にしたら思った以上に酷かったんで、これは初段、弐段の大会も書かないと報われないなと思い、番外編として、初段、弐段の大会に関しても書こうと思ったワケだ。
そんな感じで、あらすじーー
『初の昇段試験は思った以上に楽だった。筆記試験も苦労はしなかったし、実技のほうもさほど大変ではなかった。難なく初段を手にした五条氏ではあったが、五条氏には段位よりもまだ見ぬ技術や能力値のほうが大事だったのだ』
とまぁ、こんな感じか。じゃ、やってくーー
初段になって約一年、再び大会の日がやって来た。が、正直、待ち望んではいなかった。
前年同様、朝の四時半に起き、十五分後には家を出る。それから二時間半ほど電車に揺られて会場へと向かう。
因縁の場所。電車を降り、改札を出ると一年ぶりの景色が目の前に広がる。天気の悪さは相変わらずだった。とはいえ、前年が台風気味で、この年は単なる雨天ではあったが。
会場に入ると、前年同様、川澄居合会のメンバーを探した。坂久保先生と臼田さんが話していたので、おれはふたりに挨拶しにいった。
「手の調子はどう?」坂久保先生がいった。
「……最悪ですね」おれは答えた。
「ちょっと見せて下さい」
臼田さんにそういわれ、おれは右手を差し出した。整体師である臼田さんは、おれの右手を触りつつ、確認を取る。
「……やはり、腱鞘炎ですね。今日は仕方ないとして、大会が終わったら接骨院なりにいって治療を受けないと、痛みはずっと続くでしょうーー坂久保先生、大会には、テーピングを巻いて出場して大丈夫でしょうか?」
臼田さんに確認を求められ、坂久保先生は近くにいた長田先生に確認を取った。どうやら、テーピングを巻いての出場は可能らしい。
おれは、臼田さんにテーピングを巻いて貰い、右手を動かした。
「……どうですか?」
臼田さんに訊ねられ、おれは右手を握って開いてを繰り返し、軽く手を振ってみた。
「……大丈夫、ですかね」
確かに痛みはなかった。だが、八百グラムほどある居合刀を振るって痛みがないかはわからない。そうーー
おれの右手は腱鞘炎になっていたのだ。
原因は、当時やっていた芝居でそれなりにハードなアクションをこなさなければならず、右手で受け身を取る機会が多く、その衝撃でダメージが積み重なっていたからだった。
ちなみに大会の前日も居合の稽古があったのだが、その日も刀がまともに振るえず、大会前日にも関わらず、絶望的な状況だった。
「出場できそうですか?」坂久保先生が訊ねた。
「……まぁ、こんな状態なんで、負けて当たり前とでも思って、軽い気持ちでやることにします」
本当はこんなことをいうべきではないのだが、右手の調子が余りにも悪く、殆ど勝利から見放されていたような状態だったので、そういうしかなかった。坂久保先生も、
「そうですね。無理せずに、出来る限りでいいので頑張って下さいね」
「……わかりました」
右手の応急措置が終わると個人戦の抽選のアナウンスがあり、おれと臼田さんは初段の列に並び、クジを引いた。
それから会場へと向かい、前年同様所定の位置に荷物を置くと、会場に下りて右手の調子を見るのも兼ねて、練習することにした。
……やはり、右手は痛んだ。
確かに固定している分、痛みは軽減されていたが、それも刀を振るい続けていればどうなるかわからない。
兎に角、勝ちなんか捨てて、やれることをやるしかない。そう決め、おれは練習を続けた。
時間となり、開会の儀が始まり、ひと通りの流れが終わると、そのまま試合に移った。
会場へ行き、臼田さんと共に試合のオーダーを確認した。が、初戦の相手はーー
臼田さんだった。
前年と同じくである。これには臼田さんもおれも思わず声を上げ、
「抗議に行きますか」
ということになった。とりあえず、このことを坂久保先生に相談するとーー
「抽選が決まってしまった以上、それを覆すことは不可能です。残念ですが、どちらかが勝ち、どちらかが負けることになりますね。でも、初戦での負けなら、敗者復活から三位決定戦にも行けるので、力の限り頑張って下さい」
抽選には不服だったが、むしろ相手が臼田さんなら諦めもつくし、よかったのかもしれない。そう思いおれと臼田さんは初戦を迎えた。
前年の大会で注意された点を意識しつつ、おれは軽い気持ちで勝負に向かった。
前回も話したが、大会にて演舞する業は刀法から二本、古流と呼ばれる英信流特有の業から一本の計三本と決まっている。
この日のおれは、刀法からは前年同様二本目と三本目、古流からは中伝の『岩浪』という業をやるつもりでいた。
『岩浪』は中伝の大業四つの内のひとつで、自分の左にいる敵が、自分の刀を押さえようとするのを防ぎつつ、刀を抜き敵を刺して引き倒し、真っ向切り下ろしにて勝負を制する業だ。
ただ中伝の大業のひとつとはいえ、業の順番と他の大業と比べると若干地味な上に難しい印象があるため、やる人は少なかった。
そんな中、おれが『岩浪』をやろうと思ったのは、他の人がやらないと思ったのとシンプルに一番の得意業がこれだったからだった。
話を戻そうーー
試合が始まると、おれは特に緊張することもなく自分のできることだけをやった。どうせ負けるのだから、やれることをやればいいと思っていたからだ。結果はーー
おれの勝ちだった。
これには思わず、声が出た。どういうワケか、臼田さんに勝ってしまったのだ。
正直、裁定ミスだと思った。だが、おれの勝利は現実だったのだ。
「負けてしまいましたね」臼田さんはサラッといった。「右手はキツイかもしれないですが、頑張って下さい。わたしは、敗者復活から三位を狙います」
おれは臼田さんに礼をいい、次の試合に意識を向けた。とはいえ、こんな状況での勝利など、所詮はまぐれでしかないだろう。そう思い、おれは次の試合も軽い気持ちで臨むことにした。が、どういうワケかーー
おれは準決勝まで勝ち進んでしまったのだ。
確かに右手は負傷していた。だが、それもあってか無駄な力が抜け、いつもよりもスムーズに動けた気がした。
準決勝。相手は連盟の理事長が治める江田支部の松本さんという人だった。
松本さんは、身体がブルブル震えていた。随分と緊張しているらしい。勝てるか。おれは息を飲んだ。
準決勝、審判に向き合い演舞をやった。
が、結果は敗北だった。
まぁ、仕方ないだろう。素直に諦められた。むしろ、右手を負傷している中、よくやったモノだ。だが、おれの試合はまだ終わらない。
三位決定戦があるのだ。
三位決定戦は、準決勝の敗者二名と敗者復活戦を勝ち上がった一名の計三名によるリーグ戦で行われることとなった。
敗者復活で勝ち上がって来たのが誰かは、いうまでもなかった。
臼田さんだ。
やはり、三位は難しいかもーーいや、変なことは考えずにやれることをやるだけだ。おれは気を楽にしてやることにした。
三位決定戦、おれも臼田さんも、もうひとりの準決敗者に勝利した。そして、最終戦。いうまでもなく、おれと臼田さんの試合だ。この試合の勝者が三位入賞となる。
アナウンスがあり、臼田さんと共に最終戦に向かう。
最終戦の審判長は、前年の初戦の審判長で、おれに注意のことばを掛けた長田先生だった。
前年の初戦のメンツが三人も揃った三位決定戦。これは運命か、はたまた偶然か。おれはそんなことを考えながら試合の開始を待った。
試合開始。気を楽にして刀法二本を終え、最後の一本に移る。得意の『岩浪』だ。がーー
抜刀をミスったのだ。
本来、『岩浪』の抜刀は刀の切っ先の部分だけを残しさなければならないのだが、この時点でおれは完全に刀を抜ききってしまっていた。
しまった。
だが、おれは動揺を可能な限り見せずに、業をやりきった。すべての業を終え、刀から手を外し、最後の審判を待った。結果はーー
おれの勝ちだった。
三位入賞が決定したのだ。
はじめはワケがわからなかった。だが、喜びはジワジワと込み上げて来、現実がマインドに浸透していった。何より嬉しかったのは、前年に臼田さんに旗を揚げていた長田先生が、おれに旗を揚げていたことだった。
勝ったーー勝ったのだ。前年の敗北の借りを返した気分だった。
大会の全プログラムが終了し、閉会の儀になった。そこでおれは三位の証である銅のメダルを手にした。
自分の人生で初めての、自分の力で手にした賞だった。
満足感を胸に、おれは銅のメダルと共に帰路に着いたのだ。
だが、喜びは長続きしなかった。
年を跨いだ年始の稽古始めに、別の支部の人が出稽古に来たのだが、そこで、こんな話を聴かされたのだーー
「初段の三位決定戦、明らかに臼田くんが勝ってたのに、どうしてああなったのかってみんないってたよ」
その出稽古に来た人は、臼田さんにそういった。恐らく、その三位決定戦の最終戦で臼田さんと試合したのがおれだと気づいていなかったのだろう。
プラス、他の支部のお偉いさんがおれの居合を批判し、それをわざわざその人に注意させるよういっていたという話まで聴かされた。
この瞬間、おれの銅メダルはゴミになった。
やはり、大会なんか出るもんじゃない。おれは、次こそは大会になんか出ないと固く誓ったのだったーー
とまぁ、こんな感じだな。入賞したはいいけど、酷いもんよね。
まぁ、おれの居合を否定したお偉いさんの名前なんか覚えてないーーてか、面と向かっていえないで、人にそれをいわせるようなビビりが偉そうにすんなって話よな。
え、この駄文集でそれをいうお前もお前?ーーまぁ、それもそうなんだけど、マジでそれをいったお偉いさんの名前も覚えてないし、顔も知らないんよね。だから、相対しての反論もできないというかーーまぁ、高段者のクセして低段者に対して面と向かってモノもいえないようじゃ、所詮その程度なんでしょうよ。
そんな感じで、次は『大会、弐段篇』な。『居合篇』は次とその次で終わらせる予定。何だかんだいって長いな。
アスタラビスタ。
勝利の美酒に酔うのは所詮一時の快楽でしかなく、敗北の泥水は一生の苦痛となる。これには本当に困ったモノである。
この泥水を吐き出すには、それを上書きするほどの勝利を得なければならない。だが、それを得るのはひと筋縄にはいかないのが現実だ。
そもそも、人間の脳が敗北という苦い現実をいつまでも忘れさせないのは、来るかわからない次のチャンスに備えるためなのだけど、だからといって、その苦渋をいつまでも、いつまでも残しておく必要などないと思うのだ。
やはり、人間の脳というのはどうしようもなく無能だ。人体の無能展があったら、間違いなく脳の無能部門でグランドスラムだろう。
まぁ、かくいうおれは、勝利の経験など殆どなく、むしろ敗北という苦い現実とお友達状態なので、脳のゴミ溜めには、ウンザリするほど廃棄物のようなクサイ過去が蓄積されている。
いい加減、忘却という形でゴミ処理しろよと何度となく思っているのだけど、如何せん人の脳ーーことにおれの脳はそこらへんの処理能力が他人よりも低いような気がしてならない。
まぁ、失敗の経験が多くなり、それに対策していこうとすればするほど、脳は活発化し、記憶力は高まっていくものだけど、こんな記憶力は正直いらないというのが本音だったりする。
イヤな記憶なんて思い出すだけでストレスになるんだからな。脳ってほんとバカだよ。
とまぁ、こんなんじゃいつまでも経っても終わらないんで、さっさと本題にいこう。
ということで、今日は『居合篇』の特別篇其の壱だ。というのも、今日はおれが初段の時の大会について書いていこうと思う。
本来なら、段外の時のことだけにフォーカスして書こうと思っていたのだけど、段外の大会のことを文章にしたら思った以上に酷かったんで、これは初段、弐段の大会も書かないと報われないなと思い、番外編として、初段、弐段の大会に関しても書こうと思ったワケだ。
そんな感じで、あらすじーー
『初の昇段試験は思った以上に楽だった。筆記試験も苦労はしなかったし、実技のほうもさほど大変ではなかった。難なく初段を手にした五条氏ではあったが、五条氏には段位よりもまだ見ぬ技術や能力値のほうが大事だったのだ』
とまぁ、こんな感じか。じゃ、やってくーー
初段になって約一年、再び大会の日がやって来た。が、正直、待ち望んではいなかった。
前年同様、朝の四時半に起き、十五分後には家を出る。それから二時間半ほど電車に揺られて会場へと向かう。
因縁の場所。電車を降り、改札を出ると一年ぶりの景色が目の前に広がる。天気の悪さは相変わらずだった。とはいえ、前年が台風気味で、この年は単なる雨天ではあったが。
会場に入ると、前年同様、川澄居合会のメンバーを探した。坂久保先生と臼田さんが話していたので、おれはふたりに挨拶しにいった。
「手の調子はどう?」坂久保先生がいった。
「……最悪ですね」おれは答えた。
「ちょっと見せて下さい」
臼田さんにそういわれ、おれは右手を差し出した。整体師である臼田さんは、おれの右手を触りつつ、確認を取る。
「……やはり、腱鞘炎ですね。今日は仕方ないとして、大会が終わったら接骨院なりにいって治療を受けないと、痛みはずっと続くでしょうーー坂久保先生、大会には、テーピングを巻いて出場して大丈夫でしょうか?」
臼田さんに確認を求められ、坂久保先生は近くにいた長田先生に確認を取った。どうやら、テーピングを巻いての出場は可能らしい。
おれは、臼田さんにテーピングを巻いて貰い、右手を動かした。
「……どうですか?」
臼田さんに訊ねられ、おれは右手を握って開いてを繰り返し、軽く手を振ってみた。
「……大丈夫、ですかね」
確かに痛みはなかった。だが、八百グラムほどある居合刀を振るって痛みがないかはわからない。そうーー
おれの右手は腱鞘炎になっていたのだ。
原因は、当時やっていた芝居でそれなりにハードなアクションをこなさなければならず、右手で受け身を取る機会が多く、その衝撃でダメージが積み重なっていたからだった。
ちなみに大会の前日も居合の稽古があったのだが、その日も刀がまともに振るえず、大会前日にも関わらず、絶望的な状況だった。
「出場できそうですか?」坂久保先生が訊ねた。
「……まぁ、こんな状態なんで、負けて当たり前とでも思って、軽い気持ちでやることにします」
本当はこんなことをいうべきではないのだが、右手の調子が余りにも悪く、殆ど勝利から見放されていたような状態だったので、そういうしかなかった。坂久保先生も、
「そうですね。無理せずに、出来る限りでいいので頑張って下さいね」
「……わかりました」
右手の応急措置が終わると個人戦の抽選のアナウンスがあり、おれと臼田さんは初段の列に並び、クジを引いた。
それから会場へと向かい、前年同様所定の位置に荷物を置くと、会場に下りて右手の調子を見るのも兼ねて、練習することにした。
……やはり、右手は痛んだ。
確かに固定している分、痛みは軽減されていたが、それも刀を振るい続けていればどうなるかわからない。
兎に角、勝ちなんか捨てて、やれることをやるしかない。そう決め、おれは練習を続けた。
時間となり、開会の儀が始まり、ひと通りの流れが終わると、そのまま試合に移った。
会場へ行き、臼田さんと共に試合のオーダーを確認した。が、初戦の相手はーー
臼田さんだった。
前年と同じくである。これには臼田さんもおれも思わず声を上げ、
「抗議に行きますか」
ということになった。とりあえず、このことを坂久保先生に相談するとーー
「抽選が決まってしまった以上、それを覆すことは不可能です。残念ですが、どちらかが勝ち、どちらかが負けることになりますね。でも、初戦での負けなら、敗者復活から三位決定戦にも行けるので、力の限り頑張って下さい」
抽選には不服だったが、むしろ相手が臼田さんなら諦めもつくし、よかったのかもしれない。そう思いおれと臼田さんは初戦を迎えた。
前年の大会で注意された点を意識しつつ、おれは軽い気持ちで勝負に向かった。
前回も話したが、大会にて演舞する業は刀法から二本、古流と呼ばれる英信流特有の業から一本の計三本と決まっている。
この日のおれは、刀法からは前年同様二本目と三本目、古流からは中伝の『岩浪』という業をやるつもりでいた。
『岩浪』は中伝の大業四つの内のひとつで、自分の左にいる敵が、自分の刀を押さえようとするのを防ぎつつ、刀を抜き敵を刺して引き倒し、真っ向切り下ろしにて勝負を制する業だ。
ただ中伝の大業のひとつとはいえ、業の順番と他の大業と比べると若干地味な上に難しい印象があるため、やる人は少なかった。
そんな中、おれが『岩浪』をやろうと思ったのは、他の人がやらないと思ったのとシンプルに一番の得意業がこれだったからだった。
話を戻そうーー
試合が始まると、おれは特に緊張することもなく自分のできることだけをやった。どうせ負けるのだから、やれることをやればいいと思っていたからだ。結果はーー
おれの勝ちだった。
これには思わず、声が出た。どういうワケか、臼田さんに勝ってしまったのだ。
正直、裁定ミスだと思った。だが、おれの勝利は現実だったのだ。
「負けてしまいましたね」臼田さんはサラッといった。「右手はキツイかもしれないですが、頑張って下さい。わたしは、敗者復活から三位を狙います」
おれは臼田さんに礼をいい、次の試合に意識を向けた。とはいえ、こんな状況での勝利など、所詮はまぐれでしかないだろう。そう思い、おれは次の試合も軽い気持ちで臨むことにした。が、どういうワケかーー
おれは準決勝まで勝ち進んでしまったのだ。
確かに右手は負傷していた。だが、それもあってか無駄な力が抜け、いつもよりもスムーズに動けた気がした。
準決勝。相手は連盟の理事長が治める江田支部の松本さんという人だった。
松本さんは、身体がブルブル震えていた。随分と緊張しているらしい。勝てるか。おれは息を飲んだ。
準決勝、審判に向き合い演舞をやった。
が、結果は敗北だった。
まぁ、仕方ないだろう。素直に諦められた。むしろ、右手を負傷している中、よくやったモノだ。だが、おれの試合はまだ終わらない。
三位決定戦があるのだ。
三位決定戦は、準決勝の敗者二名と敗者復活戦を勝ち上がった一名の計三名によるリーグ戦で行われることとなった。
敗者復活で勝ち上がって来たのが誰かは、いうまでもなかった。
臼田さんだ。
やはり、三位は難しいかもーーいや、変なことは考えずにやれることをやるだけだ。おれは気を楽にしてやることにした。
三位決定戦、おれも臼田さんも、もうひとりの準決敗者に勝利した。そして、最終戦。いうまでもなく、おれと臼田さんの試合だ。この試合の勝者が三位入賞となる。
アナウンスがあり、臼田さんと共に最終戦に向かう。
最終戦の審判長は、前年の初戦の審判長で、おれに注意のことばを掛けた長田先生だった。
前年の初戦のメンツが三人も揃った三位決定戦。これは運命か、はたまた偶然か。おれはそんなことを考えながら試合の開始を待った。
試合開始。気を楽にして刀法二本を終え、最後の一本に移る。得意の『岩浪』だ。がーー
抜刀をミスったのだ。
本来、『岩浪』の抜刀は刀の切っ先の部分だけを残しさなければならないのだが、この時点でおれは完全に刀を抜ききってしまっていた。
しまった。
だが、おれは動揺を可能な限り見せずに、業をやりきった。すべての業を終え、刀から手を外し、最後の審判を待った。結果はーー
おれの勝ちだった。
三位入賞が決定したのだ。
はじめはワケがわからなかった。だが、喜びはジワジワと込み上げて来、現実がマインドに浸透していった。何より嬉しかったのは、前年に臼田さんに旗を揚げていた長田先生が、おれに旗を揚げていたことだった。
勝ったーー勝ったのだ。前年の敗北の借りを返した気分だった。
大会の全プログラムが終了し、閉会の儀になった。そこでおれは三位の証である銅のメダルを手にした。
自分の人生で初めての、自分の力で手にした賞だった。
満足感を胸に、おれは銅のメダルと共に帰路に着いたのだ。
だが、喜びは長続きしなかった。
年を跨いだ年始の稽古始めに、別の支部の人が出稽古に来たのだが、そこで、こんな話を聴かされたのだーー
「初段の三位決定戦、明らかに臼田くんが勝ってたのに、どうしてああなったのかってみんないってたよ」
その出稽古に来た人は、臼田さんにそういった。恐らく、その三位決定戦の最終戦で臼田さんと試合したのがおれだと気づいていなかったのだろう。
プラス、他の支部のお偉いさんがおれの居合を批判し、それをわざわざその人に注意させるよういっていたという話まで聴かされた。
この瞬間、おれの銅メダルはゴミになった。
やはり、大会なんか出るもんじゃない。おれは、次こそは大会になんか出ないと固く誓ったのだったーー
とまぁ、こんな感じだな。入賞したはいいけど、酷いもんよね。
まぁ、おれの居合を否定したお偉いさんの名前なんか覚えてないーーてか、面と向かっていえないで、人にそれをいわせるようなビビりが偉そうにすんなって話よな。
え、この駄文集でそれをいうお前もお前?ーーまぁ、それもそうなんだけど、マジでそれをいったお偉いさんの名前も覚えてないし、顔も知らないんよね。だから、相対しての反論もできないというかーーまぁ、高段者のクセして低段者に対して面と向かってモノもいえないようじゃ、所詮その程度なんでしょうよ。
そんな感じで、次は『大会、弐段篇』な。『居合篇』は次とその次で終わらせる予定。何だかんだいって長いな。
アスタラビスタ。