【藪医者放浪記~百弐~】

文字数 726文字

 夜の海は比較的穏やかだった。

 波はあるとはいえ、そこまで大きなモノはなく、むしろ岩を撫でているようにも見えた。濡れた岩場は夜になるとその黒さをより濃くし、きらびやかに妖しく光る。風は温かく優しかった。まるで、赤子を撫でる母親のようだった。だが、そんな中に異物が混ざった。

 源之助の表情は固かった。目は大きく見開かれ、口許はキュッと結ばれながらも左の頬が歪むほどに強く噛み締められていた。この場には来慣れているというのがよくわかる足取りだった。目的地は既に定まっていて、かつ濡れた岩場を踏み締めながらも足を滑らせることなく、だが勢いのある歩調で歩いていた。

 辺りを照らす提灯が不気味に源之助の姿を浮かび上がらせる。源之助はもはや亡霊のようだった。ボウッと蜃気楼のように居合わせる源之助の姿は闇の中をユラユラと揺れていた。

「何をしている」

 低くて少し掠れた、年の行った男性の声がした。源之助は声のしたほうを向き、提灯の灯りをそちらに向けた。

 男が立っていた。小柄とはいえないが大きくもなく、中ぐらいというには少し無理のある背の高さだった。だが、その腕は、胸は、脚はしっかりと鍛えられているのがわかるほどに肥大し、筋肉の凹凸が陰影を作っていた。目は大きく、鼻も高め、長い髪は髷は結わずに、うしろで結んでいた。

「先生......」と源之助。

「何だ、怖い顔をして。殺気が消し切れていない。それじゃわたしを殺すことなどーー」

「そんなことはしません」

 源之助はそういったまま、ことばをつぐんでしまった。先生と呼ばれた男は大きく息をついたーー

「......思いの外、早かったな」

「え......?」源之助は呆気に取られた。「何が、ですか?」

「別れが、だよ」

 【続く】

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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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