【藪医者放浪記~睦拾漆~】
文字数 1,151文字
すべては一瞬の出来事だった。
猿田源之助は刀を上段に構えたまま駆けた。牛馬は更に下段に深く構え、微かに刀を寝かせると、ニヤリと笑って見せた。
が、均衡は突如崩された。
猿田は刀を振り下ろすことなく一瞬で中段に引き付けた。牛馬は明らかに動揺を見せた。刀を引き付ける動きに合わせて既に刀を振り上げてしまっていた。だが、それも完全なカラ振りで、もはや牛馬の右手には行き場を失った刀があるだけだった。
そして次の瞬間、猿田の刀は牛馬の首元を捉えていた。見事に突き刺さり、もはや絶命まで大した時間も掛からないと思われていた。
が、牛馬もただではやられていなかった。
猿田の右腕の二の腕に、牛馬の刀がメリ込んでいた。衣服を破り、皮膚を裂き、群青色の着物にドス黒い血の色が混じって行った。
最後の最後、牛馬は笑っていた。まるで裏をかかれたことが嬉しくて仕方がないとでもいうように。対する猿田はまったく笑っていなかった。緊張の糸が顔中に張り付いて取れないような。息も、さっきまで止めていたのもあるが、それ以上にいつもよりも余計に疲れを見せていたようだった。
牛馬がバタリと倒れると最後にひとこといった。それは猿田には何といったか聞き取れなかった。だが、牛馬は最後の最後まで満足そうだった。牛馬が絶命したのを確認すると、右腕に食い込んだ刀の刃を抜き、首元に刺さった刀を抜いて袴で血を拭うと、刀を鞘に納めようとした。
が、右腕は思った以上に痛んでいた。納刀すらもまともに出来なかった。手が震え、右腕全体が石にでもなったように重く感じられたようだった。何とか『狂犬』を鞘に納めると、猿田は着物の裾を破り、血が流れる右腕の傷痕を覆い、しっかりと縛り付けた。これでおそらく血は止まりはするだろう。
「それで、破った着物はどうしたんだ?」
茂作に訊ねられると、猿田は答えた。
着物の新調は仲間ーーお雉に任せたといった。そして、簡単な応急手当ての為に寄ったのが、まさかの番屋だった。番屋では同心でありながら猿田の友人でもある斎藤がソバを食べていた。が、ただならぬ様子の猿田が入って来たのを見て、流石にそれどころではなくなってしまった。
「どうしたんですか、源之助さん?」
目をまん丸くして斎藤は訊ねた。猿田は九十九街道にてヤクザとの殺し合いに巻き込まれてしまいこうなったといった。
「......また、あの仕事かい?」斎藤は神妙に訊ねた。「やはり辞めたほうがいい。あのような仕事をしていればいずれは身を滅ぼすよ。わたしは、アナタには悲惨な最期を迎えて欲しくはーー」
猿田は手で斎藤がしゃべるのを制した。その息づかいは非常に荒かった。
「その前に、手当てしなければ。でないとこれで最期になってしまいそうです」
斎藤は呆れていた。
【続く】
猿田源之助は刀を上段に構えたまま駆けた。牛馬は更に下段に深く構え、微かに刀を寝かせると、ニヤリと笑って見せた。
が、均衡は突如崩された。
猿田は刀を振り下ろすことなく一瞬で中段に引き付けた。牛馬は明らかに動揺を見せた。刀を引き付ける動きに合わせて既に刀を振り上げてしまっていた。だが、それも完全なカラ振りで、もはや牛馬の右手には行き場を失った刀があるだけだった。
そして次の瞬間、猿田の刀は牛馬の首元を捉えていた。見事に突き刺さり、もはや絶命まで大した時間も掛からないと思われていた。
が、牛馬もただではやられていなかった。
猿田の右腕の二の腕に、牛馬の刀がメリ込んでいた。衣服を破り、皮膚を裂き、群青色の着物にドス黒い血の色が混じって行った。
最後の最後、牛馬は笑っていた。まるで裏をかかれたことが嬉しくて仕方がないとでもいうように。対する猿田はまったく笑っていなかった。緊張の糸が顔中に張り付いて取れないような。息も、さっきまで止めていたのもあるが、それ以上にいつもよりも余計に疲れを見せていたようだった。
牛馬がバタリと倒れると最後にひとこといった。それは猿田には何といったか聞き取れなかった。だが、牛馬は最後の最後まで満足そうだった。牛馬が絶命したのを確認すると、右腕に食い込んだ刀の刃を抜き、首元に刺さった刀を抜いて袴で血を拭うと、刀を鞘に納めようとした。
が、右腕は思った以上に痛んでいた。納刀すらもまともに出来なかった。手が震え、右腕全体が石にでもなったように重く感じられたようだった。何とか『狂犬』を鞘に納めると、猿田は着物の裾を破り、血が流れる右腕の傷痕を覆い、しっかりと縛り付けた。これでおそらく血は止まりはするだろう。
「それで、破った着物はどうしたんだ?」
茂作に訊ねられると、猿田は答えた。
着物の新調は仲間ーーお雉に任せたといった。そして、簡単な応急手当ての為に寄ったのが、まさかの番屋だった。番屋では同心でありながら猿田の友人でもある斎藤がソバを食べていた。が、ただならぬ様子の猿田が入って来たのを見て、流石にそれどころではなくなってしまった。
「どうしたんですか、源之助さん?」
目をまん丸くして斎藤は訊ねた。猿田は九十九街道にてヤクザとの殺し合いに巻き込まれてしまいこうなったといった。
「......また、あの仕事かい?」斎藤は神妙に訊ねた。「やはり辞めたほうがいい。あのような仕事をしていればいずれは身を滅ぼすよ。わたしは、アナタには悲惨な最期を迎えて欲しくはーー」
猿田は手で斎藤がしゃべるのを制した。その息づかいは非常に荒かった。
「その前に、手当てしなければ。でないとこれで最期になってしまいそうです」
斎藤は呆れていた。
【続く】