【オリジンからの刺客】
文字数 2,522文字
何事においても原点にいた人というのは敬われる傾向にある。これはいってしまえば、当たり前の話だ。
それは何も大きな組織や団体に限った話ではなく、小さなコミュニティにも当てはまる。それなりの歴史があれば、どんなコミュニティであっても自然とそういう流れになるのは、当たり前のことに過ぎないのだ。
とはいえ、何も原点にいた人、創立メンバーのひとりというのが、後世に活躍するメンバーの害悪にならないというワケでもない。
二千年代初頭の新日本プロレスなんかがそうだった。アントニオ猪木が偉大なプロレスラーであることはいうまでもないし、新日本プロレスを創立したという意味でも猪木が偉大であることには違いない。
だが、二千年初頭は酷かった。というのも、猪木が新日本のプロレスラーを大量に総合格闘技のリングへと送り込んだからだ。それも、まったくトレーニングする猶予も与えずに、だ。
これに関しては、興味のない人からしたら、
「プロレスと総合格闘技って何が違うの?」
といわれるかもしれないが、実際のところ、プロレスと総合格闘技は全然違う。
それはいってしまえば、「バドミントンのトッププレイヤーって、ラケットを扱う競技やってるんだから、テニスでもトッププレイヤーなんでしょ?」といっているようなものだ。
端的にいってしまえば、何の練習もしていないプロレスラーを総合格闘技のリングに送り込むということは、テニスの練習をまったくしていないバドミントン選手をウィンブルドンに出場させるようなモノなのだ。
当たり前だが、そんなことになればプロレスラーは当たり前のように敗北し、結果、新日本プロレスのみならず、プロレスというスポーツ全体の評判が傷つくこととなる。
では、何故何の練習もしていないプロレスラーが総合格闘技のリングに立つこととなったか、それはひとえに猪木の意向だ。
猪木というプロレス界のレジェンド、ひいては新日本プロレスの神がいけといったならいくしかない。だが、結果として、その試みは失敗し、新日本プロレスは長きに渡って冬の時代となったワケだ。
こんな感じに、創立者、創立メンバーといった権威的な存在が自分の立ち上げた団体を意図せず貶めてしまうことも全然あるワケだ。
ちなみにこんな風にいいつつもおれは猪木のファンなんよね。ファイナルカウントダウン5の対ベイダー戦とか今見てもワクワクするし。
とまぁ、前置きはこのくらいにして、始めていきましょうかね。一応、あらすじーー
『久しぶりのブラストの稽古に訪れた五条氏は、さとちん、タケシさん、ヤマムー、名人と共に名人執筆の台本を読み、ブラストに復帰することを決めたのだった』
こんな感じだな。さて、書くかーー
ブラストに復帰し、おれは翌週から以前のように、稽古場に通うこととなった。
復帰した翌週の稽古場は、前回とは異なっていた。というのも、人がたくさんいたのだ。
前回はスタート時で三人。だが、この時はおれが来た時点で七人ほどいた。その内訳は、タケシさん、さとちん、名人、わたちゃん、正さん、よっしー、そして見たことのない女性。
おれが稽古場に現れると、一斉に挨拶が飛び、わたちゃんがおれのもとへ飛んで来る。
「復団したんですね!」
目を輝かせてわたちゃんがいう。優秀な医師の卵がわしのようなチンピラになつくワケないだろって話なんだけどさ、これが案外仲いいのよね。
年齢がふたつ、三つ離れてる程度で、年齢でマウントを取るなんてナンセンスなんよ。下らんよ。優秀な年下もいれば、無能な年上だっているんだしね。変に気を使う上下関係なんて、価値ないよ、マジで。
とまぁ、それはさておき、わたちゃんと挨拶を終えると、
「実は、今日は後輩を連れてきたんすよ」
そういって初対面の女の人をこちらに呼ぶ。
「五条さん、こちら、自分の後輩で、持田さんです。ゆなち、ブラストの先輩で五条さん」
とわたちゃんはおれに持田さんを紹介し、
「持田です。みんなからは『ゆなち』って呼ばれてます」
とゆなちはペコリと頭を下げた。そんな中、おれは特に畏まることもなく、よろしくとフランクにいったワケだ。
ゆなちはブラストにはいなかったタイプの女性だった。身長が高くーー確か、167センチだったかなーー、スレンダーでクールで聡明な印象が強く、かつ優等生な感じが滲み出ていた。ついでにいうと、容姿は綺麗とかわいいが同居した感じで、五条氏が最初に付き合った女の子にそっくりだった。最後のはどうでもいいか。
とまぁ、そんな感じでゆなちと話していると、
「お疲れ様でーす」
というマイルドな声が聴こえてきた。
宗方さんだった。
宗方さんは、『ブラスト』の創立メンバーのひとりで、ヒロキさんの高校時代の友人だった。
実をいえば、ヒロキさんを演劇の世界に誘ったのは、宗方さんだったりする。
切っ掛けは、当時サラリーマンとして働いていたヒロキさんに、
「劇団立ち上げるんだけど、役者足りないから出てよ」
と誘ったことだった。ヒロキさんも演劇になどまったく興味がなかったのだが、友人の頼みということもあって、舞台に立ったのだ。
結果としてヒロキさんは演劇の魅力に取り憑かれ、サラリーマンを廃業してプロの舞台屋の道に進むこととなったのだ。
ちなみにいえば、おれと宗方さんは、一応初舞台の時点で面識はあったのだが、本格的に存在を意識されたのは、多分、おれがブラストにゲスト出演した時だったと思う。
というのも、宗方さんの中で、最初の通し稽古の時に及第点が着いた役者がおれだけだったらしいからな。それはさておきーー
思いがけない来客におれも驚いたのだが、宗方さんに来訪理由を訊ねると、
「あれ? 聞いてない? 今回の芝居の演出、おれがやるんだよ」
驚きだった。宗方さんといえば、ブラスト立ち上げから数年に渡ってずっと演出を務めてきた、いわばブラストの父であり、神のような存在だったからだ。
そんな人の演出を受けられるとは思ってもおらず、おれは胸を踊らせた。これから起こることについて、何も知らないでーー
とまぁ、今日はこんな感じで。次回は、稽古篇です。
アスタラビスタ。
それは何も大きな組織や団体に限った話ではなく、小さなコミュニティにも当てはまる。それなりの歴史があれば、どんなコミュニティであっても自然とそういう流れになるのは、当たり前のことに過ぎないのだ。
とはいえ、何も原点にいた人、創立メンバーのひとりというのが、後世に活躍するメンバーの害悪にならないというワケでもない。
二千年代初頭の新日本プロレスなんかがそうだった。アントニオ猪木が偉大なプロレスラーであることはいうまでもないし、新日本プロレスを創立したという意味でも猪木が偉大であることには違いない。
だが、二千年初頭は酷かった。というのも、猪木が新日本のプロレスラーを大量に総合格闘技のリングへと送り込んだからだ。それも、まったくトレーニングする猶予も与えずに、だ。
これに関しては、興味のない人からしたら、
「プロレスと総合格闘技って何が違うの?」
といわれるかもしれないが、実際のところ、プロレスと総合格闘技は全然違う。
それはいってしまえば、「バドミントンのトッププレイヤーって、ラケットを扱う競技やってるんだから、テニスでもトッププレイヤーなんでしょ?」といっているようなものだ。
端的にいってしまえば、何の練習もしていないプロレスラーを総合格闘技のリングに送り込むということは、テニスの練習をまったくしていないバドミントン選手をウィンブルドンに出場させるようなモノなのだ。
当たり前だが、そんなことになればプロレスラーは当たり前のように敗北し、結果、新日本プロレスのみならず、プロレスというスポーツ全体の評判が傷つくこととなる。
では、何故何の練習もしていないプロレスラーが総合格闘技のリングに立つこととなったか、それはひとえに猪木の意向だ。
猪木というプロレス界のレジェンド、ひいては新日本プロレスの神がいけといったならいくしかない。だが、結果として、その試みは失敗し、新日本プロレスは長きに渡って冬の時代となったワケだ。
こんな感じに、創立者、創立メンバーといった権威的な存在が自分の立ち上げた団体を意図せず貶めてしまうことも全然あるワケだ。
ちなみにこんな風にいいつつもおれは猪木のファンなんよね。ファイナルカウントダウン5の対ベイダー戦とか今見てもワクワクするし。
とまぁ、前置きはこのくらいにして、始めていきましょうかね。一応、あらすじーー
『久しぶりのブラストの稽古に訪れた五条氏は、さとちん、タケシさん、ヤマムー、名人と共に名人執筆の台本を読み、ブラストに復帰することを決めたのだった』
こんな感じだな。さて、書くかーー
ブラストに復帰し、おれは翌週から以前のように、稽古場に通うこととなった。
復帰した翌週の稽古場は、前回とは異なっていた。というのも、人がたくさんいたのだ。
前回はスタート時で三人。だが、この時はおれが来た時点で七人ほどいた。その内訳は、タケシさん、さとちん、名人、わたちゃん、正さん、よっしー、そして見たことのない女性。
おれが稽古場に現れると、一斉に挨拶が飛び、わたちゃんがおれのもとへ飛んで来る。
「復団したんですね!」
目を輝かせてわたちゃんがいう。優秀な医師の卵がわしのようなチンピラになつくワケないだろって話なんだけどさ、これが案外仲いいのよね。
年齢がふたつ、三つ離れてる程度で、年齢でマウントを取るなんてナンセンスなんよ。下らんよ。優秀な年下もいれば、無能な年上だっているんだしね。変に気を使う上下関係なんて、価値ないよ、マジで。
とまぁ、それはさておき、わたちゃんと挨拶を終えると、
「実は、今日は後輩を連れてきたんすよ」
そういって初対面の女の人をこちらに呼ぶ。
「五条さん、こちら、自分の後輩で、持田さんです。ゆなち、ブラストの先輩で五条さん」
とわたちゃんはおれに持田さんを紹介し、
「持田です。みんなからは『ゆなち』って呼ばれてます」
とゆなちはペコリと頭を下げた。そんな中、おれは特に畏まることもなく、よろしくとフランクにいったワケだ。
ゆなちはブラストにはいなかったタイプの女性だった。身長が高くーー確か、167センチだったかなーー、スレンダーでクールで聡明な印象が強く、かつ優等生な感じが滲み出ていた。ついでにいうと、容姿は綺麗とかわいいが同居した感じで、五条氏が最初に付き合った女の子にそっくりだった。最後のはどうでもいいか。
とまぁ、そんな感じでゆなちと話していると、
「お疲れ様でーす」
というマイルドな声が聴こえてきた。
宗方さんだった。
宗方さんは、『ブラスト』の創立メンバーのひとりで、ヒロキさんの高校時代の友人だった。
実をいえば、ヒロキさんを演劇の世界に誘ったのは、宗方さんだったりする。
切っ掛けは、当時サラリーマンとして働いていたヒロキさんに、
「劇団立ち上げるんだけど、役者足りないから出てよ」
と誘ったことだった。ヒロキさんも演劇になどまったく興味がなかったのだが、友人の頼みということもあって、舞台に立ったのだ。
結果としてヒロキさんは演劇の魅力に取り憑かれ、サラリーマンを廃業してプロの舞台屋の道に進むこととなったのだ。
ちなみにいえば、おれと宗方さんは、一応初舞台の時点で面識はあったのだが、本格的に存在を意識されたのは、多分、おれがブラストにゲスト出演した時だったと思う。
というのも、宗方さんの中で、最初の通し稽古の時に及第点が着いた役者がおれだけだったらしいからな。それはさておきーー
思いがけない来客におれも驚いたのだが、宗方さんに来訪理由を訊ねると、
「あれ? 聞いてない? 今回の芝居の演出、おれがやるんだよ」
驚きだった。宗方さんといえば、ブラスト立ち上げから数年に渡ってずっと演出を務めてきた、いわばブラストの父であり、神のような存在だったからだ。
そんな人の演出を受けられるとは思ってもおらず、おれは胸を踊らせた。これから起こることについて、何も知らないでーー
とまぁ、今日はこんな感じで。次回は、稽古篇です。
アスタラビスタ。