【丑寅は静かに嗤う~心中】
文字数 3,540文字
「驚いたな、どうしたよ、その格好」
猿田が目を向けると、開いた戸の向こうには慎ましくキレイな着物を着たお雉の姿がある。
お雉が晒されていた場所から少し行ったところで、お雉は少し用があるからと、猿田にとある出会い茶屋で待っていて欲しいといった。それから少しして猿田は茶屋に入り、部屋で待つこと半時ほど。お雉が現れたのだ。
お雉ーーまるで人形のようにちょこんと上品に部屋の真ん中に敷いてある布団の上に正座したかと思うと、猿田を見るなり床に手をついて慎ましやかに礼をする。
「お待たせ致しました」
そういうお雉は気品に溢れている。まるで、何処かで教えを受けたようだ。首から肩、胸元に掛けて白粉を塗り、どこか芸者のような気風を見せてはいるが、その気質は生まれながらにして持ったものと形容しても大袈裟ではない。
「……あぁ、いや。こちらこそ」猿田の顔がほんのりと赤くなる。「……じゃなくて、どこでそんな着物を仕入れてきた」
「どこでもいいでしょ?」とお雉。
「盗んだのか?」
「じゃなきゃ、こんな着物手に入らないよ」
「下手なことするなよ。そんなーー」
「じゃあ、ずっと襦袢のままでいろってこと?
冗談じゃないね。そうじゃなくてもこっちは寒くて仕方なかったんだ。それに、石をぶつけられて顔から足までアザだらけ。化粧しないでいたら逆に怪しくて仕方ないでしょ?」
「わかった。わかったから。しかし、よくもまぁ、良くもそんな御大層な着物を。大名屋敷にでも潜り込んできたのか?」不敵な笑みを浮かべるお雉ーー「……そうなのか」
お雉は鼻で笑い、
「そのくらい何てことないよ。どうせ死んだような人生だ。捕まってなぶりものにされたくらいでどうってことはないさ」
「バカ!」猿田の罵倒が響き渡る。「テメェの命はおれと共に、だ。勝手なことするな! テメェが捕まればーー」
「自分の身が危ない。そうでしょ?」
猿田はパタッと口を閉ざす。
「そんなこといって、アンタは自分の身が可愛いんだ。あたしがどうなろうと、アンタには関係ないもんね。でもね、あたしは人のモノを盗むくらいどうってことない。どうせ落ちるところまで落ちたんだ。穢多も非人も同然で、これ以上どうってことはない。それに……。それに大名屋敷のことなら知らないワケじゃない」
それを聴いて猿田は静かにお雉の前に寄り、袴の裾を払って座り直す。
「アンタ、生まれは下総の香取だとかいってたな」頷くお雉。「もう二十年も前か。とある大名が下総の屋敷にいた家来諸とも殺されたって話があった。だが、その大名の子供の亡骸は見つからなかったそうだ。確かその時のーー」
「見つからなかった子供が年端も行かない女の子だって、そういいたいの? 仮にそうだとして、そんな行方の知れない子供がろくな人生を歩めるワケがない。野垂れ死ぬか、泥棒になるか、岡場所か河原で体を売るぐらいしか、生きる術なんてないんだよ」
それを聴いて、猿田は最初の内は視線を外したまま黙っていたが、突然お雉に目を向けたかと思うと今度は着物の袈裟に手を掛け、お雉をグッと自分のほうに引き寄せたかと思うと、彼女の身体を乱暴に押し倒す。
「ちょっと、何すんの……ッ?」
お雉の細い腕が猿田の身体を押し退けようとするが、猿田はお構い無しにお雉を押さえつけ、耳許に口を近づけると、
「ここは出会い茶屋だ。こうしたところで可笑しくはないだろう。それに、こんなところでそんな話をするんじゃない。いっただろう。おれとアンタは相対死の関係にあると。アンタが死ねば、おれだって死ぬんだ。そのままでいろ、そして大人しく話を聴いてくれ」
お雉の腕から力が抜けていく。が、その眼光は逆に一層鋭くなり、
「……どうしたの?」
「隠し部屋から誰かに覗かれてる」
お雉の目が大きく見開かれる。
「そんな……」
「顔を動かすな。ひとつ聴きたいことがある。どうしてこの出会い茶屋を選んだんだ?」
「それは……、ここしかふたりになれる場所を知らないから……」
「それは出会い茶屋のことをいってるのか? それとも、この茶屋しか知らないという意味か、どっちだ?」
お雉の身体をまさぐる猿田の手に反するように、部屋に緊迫した空気が流れる。
「江戸には他にもいくらだって出会い茶屋があるはずだ。探せばいくらでも、な。だが、アンタはこの店を選んだ。前にこの店に入ったことがあるな?」
まるで空気が揺れ動いているよう。お雉は瞬きを二度三度重ねて、
「うん……」
「もしかして、相対死の前にアンタがいたのは、この出会い茶屋なんじゃないか?」
猿田の問いに対して、お雉は猿田の肩に顎を当てて肯定の意を表す。
「アンタのいう通りだよ。あたしはこの店で気を失い、あぁなった。でも、それが何だって……」
「そして、人形と繋がれた状態を町奉行に相対死と裁かれ、晒し者。そして、後はどうなるか、わかるよな」
お雉はハッとし、猿田へ目を向ける。
「そういうことだ。アンタはハメられたんだ。ーー銭はあるか?」
「大名屋敷から盗んで来たのがあるよ。五十両」
「天正小判じゃないよな?」
「そんなヘマはしないよ。それより、これからどうするの?」
「それなんだが、武器は持ってるか?」
「え……?」室内に響き渡るけたたましいほどの静けさ。「いや、簪ぐらいしか……。でもどうして?」
「抜け!」
猿田はお雉の手を掴み、立ち上がりざまお雉を勢いよく立たせる。
それと同時に打ち合わせたようにして刀を持った男が数人で流れ込んでくる。
お雉を壁際に突き飛ばす猿田ーー勢い良く転がり、刀を掴んで立ち上がる。
真っ向に切り下ろされる侵入者の刀。
猿田は刀を上に抜き上げて侵入者の切り下ろしを受け流すと、そのまま侵入者の首筋を斬撃する。
吹き出る血。
次の刺客は猿田を突きに刀を出す。
猿田は首筋を切られた刺客を突き飛ばす。
首筋を切られた刺客の体に、別の刺客が突き出した刀の刀身が突き刺さる。
慌てふためくふたり目の刺客。が、それも長くは続かない。猿田によってひとり目の刺客諸とも狂犬の牙に突き刺され光が消える。
三人目、四人目。猿田はその間を掻い潜るように通りざま、左から、右からふたりの男の胴を切りつける。
三人目と四人目の刺客が倒れる。
五人目は猿田の背後から切りつけようとするも、その刀は低くなった襖の天井を叩いてしまい、木の枠に刃をめり込ませてしまう。
身動きの取れなくなった五人目の腹を、猿田は容赦なく刀で突き刺し、絶命させる。
倒れる五人目の刺客。そして、茶屋の一室は血の海に染まる。
「……大丈夫か?」
猿田が訊ねるが、お雉は呆然としたまま血の海を眺めている。猿田はお雉に手を掛け、
「大丈夫なのか?」
お雉は我に戻り、二度三度頷いてみせる。が、猿田のうしろに鈍い輝き。
「危ない!」
お雉は猿田を横に突き飛ばす。猿田の背後には六人目の刺客の姿。が、押し退けられた猿田に気を取られ、六人目は一瞬大きな隙を見せるが、気を取り戻した時にはもう遅い。
六人目の首筋に突き刺さった一本の簪。その簪を握るは、お雉のか弱く細い腕。目に涙を溜め、唇をわななかせる。六人目の刺客が倒れる。それによってきつく握られていた簪も刺客の首筋から抜ける。後に残るのは静寂だけ。
猿田は大きくため息をつき、
「助かったぜ」そういって死体の着物で刀の血を拭うと、「逃げるぞ」
といって狂犬を鞘に納める。が、お雉は身体を震わせたままその場に膝をついて今にも泣き出さんといわんばかり。
「殺しちゃった……ッ! あたしが……、この手で……、人を……殺しちゃったッ!」
お雉の手は赤く染まり震えている。が、そんなことはお構い無しといわんばかりに猿田は、
「行くぞ」
が、お雉は動かない。それどころか、
「どうしよう……! どうしよう……!」
と乱心するばかり。猿田はため息をついたかと思うと、お雉の前で膝をつき、尚も身体を震わせるお雉を優しく抱き寄せ、
「震えは止まる。仕方なかったんだ。じゃなきゃ、おれは死んでいたんだ。助けてくれてありがとう。心配すんな。大丈夫だ。さぁ、手を貸すからゆっくりと立ちな」
猿田はお雉を抱いたまま、ゆっくりと立ち上がらせる。やっとのことで立ち上がったお雉は何もいわない。そんなお雉に猿田は、場違いなほど朗らかな笑みを浮かべていう。
お雉の手は緊張し、強張って簪を握ったまま震えている。猿田はお雉の手を優しく包み、ゆっくりとゆっくりと彼女の手を開いて簪を取ると、強張った手をさする。
「怖かったな。でもゆっくりとはしてられないんだーーさぁ、行こうか」
依然として震えの残るお雉の手を、猿田は優しく手に取り、ゆっくりと引く。
【続く】
猿田が目を向けると、開いた戸の向こうには慎ましくキレイな着物を着たお雉の姿がある。
お雉が晒されていた場所から少し行ったところで、お雉は少し用があるからと、猿田にとある出会い茶屋で待っていて欲しいといった。それから少しして猿田は茶屋に入り、部屋で待つこと半時ほど。お雉が現れたのだ。
お雉ーーまるで人形のようにちょこんと上品に部屋の真ん中に敷いてある布団の上に正座したかと思うと、猿田を見るなり床に手をついて慎ましやかに礼をする。
「お待たせ致しました」
そういうお雉は気品に溢れている。まるで、何処かで教えを受けたようだ。首から肩、胸元に掛けて白粉を塗り、どこか芸者のような気風を見せてはいるが、その気質は生まれながらにして持ったものと形容しても大袈裟ではない。
「……あぁ、いや。こちらこそ」猿田の顔がほんのりと赤くなる。「……じゃなくて、どこでそんな着物を仕入れてきた」
「どこでもいいでしょ?」とお雉。
「盗んだのか?」
「じゃなきゃ、こんな着物手に入らないよ」
「下手なことするなよ。そんなーー」
「じゃあ、ずっと襦袢のままでいろってこと?
冗談じゃないね。そうじゃなくてもこっちは寒くて仕方なかったんだ。それに、石をぶつけられて顔から足までアザだらけ。化粧しないでいたら逆に怪しくて仕方ないでしょ?」
「わかった。わかったから。しかし、よくもまぁ、良くもそんな御大層な着物を。大名屋敷にでも潜り込んできたのか?」不敵な笑みを浮かべるお雉ーー「……そうなのか」
お雉は鼻で笑い、
「そのくらい何てことないよ。どうせ死んだような人生だ。捕まってなぶりものにされたくらいでどうってことはないさ」
「バカ!」猿田の罵倒が響き渡る。「テメェの命はおれと共に、だ。勝手なことするな! テメェが捕まればーー」
「自分の身が危ない。そうでしょ?」
猿田はパタッと口を閉ざす。
「そんなこといって、アンタは自分の身が可愛いんだ。あたしがどうなろうと、アンタには関係ないもんね。でもね、あたしは人のモノを盗むくらいどうってことない。どうせ落ちるところまで落ちたんだ。穢多も非人も同然で、これ以上どうってことはない。それに……。それに大名屋敷のことなら知らないワケじゃない」
それを聴いて猿田は静かにお雉の前に寄り、袴の裾を払って座り直す。
「アンタ、生まれは下総の香取だとかいってたな」頷くお雉。「もう二十年も前か。とある大名が下総の屋敷にいた家来諸とも殺されたって話があった。だが、その大名の子供の亡骸は見つからなかったそうだ。確かその時のーー」
「見つからなかった子供が年端も行かない女の子だって、そういいたいの? 仮にそうだとして、そんな行方の知れない子供がろくな人生を歩めるワケがない。野垂れ死ぬか、泥棒になるか、岡場所か河原で体を売るぐらいしか、生きる術なんてないんだよ」
それを聴いて、猿田は最初の内は視線を外したまま黙っていたが、突然お雉に目を向けたかと思うと今度は着物の袈裟に手を掛け、お雉をグッと自分のほうに引き寄せたかと思うと、彼女の身体を乱暴に押し倒す。
「ちょっと、何すんの……ッ?」
お雉の細い腕が猿田の身体を押し退けようとするが、猿田はお構い無しにお雉を押さえつけ、耳許に口を近づけると、
「ここは出会い茶屋だ。こうしたところで可笑しくはないだろう。それに、こんなところでそんな話をするんじゃない。いっただろう。おれとアンタは相対死の関係にあると。アンタが死ねば、おれだって死ぬんだ。そのままでいろ、そして大人しく話を聴いてくれ」
お雉の腕から力が抜けていく。が、その眼光は逆に一層鋭くなり、
「……どうしたの?」
「隠し部屋から誰かに覗かれてる」
お雉の目が大きく見開かれる。
「そんな……」
「顔を動かすな。ひとつ聴きたいことがある。どうしてこの出会い茶屋を選んだんだ?」
「それは……、ここしかふたりになれる場所を知らないから……」
「それは出会い茶屋のことをいってるのか? それとも、この茶屋しか知らないという意味か、どっちだ?」
お雉の身体をまさぐる猿田の手に反するように、部屋に緊迫した空気が流れる。
「江戸には他にもいくらだって出会い茶屋があるはずだ。探せばいくらでも、な。だが、アンタはこの店を選んだ。前にこの店に入ったことがあるな?」
まるで空気が揺れ動いているよう。お雉は瞬きを二度三度重ねて、
「うん……」
「もしかして、相対死の前にアンタがいたのは、この出会い茶屋なんじゃないか?」
猿田の問いに対して、お雉は猿田の肩に顎を当てて肯定の意を表す。
「アンタのいう通りだよ。あたしはこの店で気を失い、あぁなった。でも、それが何だって……」
「そして、人形と繋がれた状態を町奉行に相対死と裁かれ、晒し者。そして、後はどうなるか、わかるよな」
お雉はハッとし、猿田へ目を向ける。
「そういうことだ。アンタはハメられたんだ。ーー銭はあるか?」
「大名屋敷から盗んで来たのがあるよ。五十両」
「天正小判じゃないよな?」
「そんなヘマはしないよ。それより、これからどうするの?」
「それなんだが、武器は持ってるか?」
「え……?」室内に響き渡るけたたましいほどの静けさ。「いや、簪ぐらいしか……。でもどうして?」
「抜け!」
猿田はお雉の手を掴み、立ち上がりざまお雉を勢いよく立たせる。
それと同時に打ち合わせたようにして刀を持った男が数人で流れ込んでくる。
お雉を壁際に突き飛ばす猿田ーー勢い良く転がり、刀を掴んで立ち上がる。
真っ向に切り下ろされる侵入者の刀。
猿田は刀を上に抜き上げて侵入者の切り下ろしを受け流すと、そのまま侵入者の首筋を斬撃する。
吹き出る血。
次の刺客は猿田を突きに刀を出す。
猿田は首筋を切られた刺客を突き飛ばす。
首筋を切られた刺客の体に、別の刺客が突き出した刀の刀身が突き刺さる。
慌てふためくふたり目の刺客。が、それも長くは続かない。猿田によってひとり目の刺客諸とも狂犬の牙に突き刺され光が消える。
三人目、四人目。猿田はその間を掻い潜るように通りざま、左から、右からふたりの男の胴を切りつける。
三人目と四人目の刺客が倒れる。
五人目は猿田の背後から切りつけようとするも、その刀は低くなった襖の天井を叩いてしまい、木の枠に刃をめり込ませてしまう。
身動きの取れなくなった五人目の腹を、猿田は容赦なく刀で突き刺し、絶命させる。
倒れる五人目の刺客。そして、茶屋の一室は血の海に染まる。
「……大丈夫か?」
猿田が訊ねるが、お雉は呆然としたまま血の海を眺めている。猿田はお雉に手を掛け、
「大丈夫なのか?」
お雉は我に戻り、二度三度頷いてみせる。が、猿田のうしろに鈍い輝き。
「危ない!」
お雉は猿田を横に突き飛ばす。猿田の背後には六人目の刺客の姿。が、押し退けられた猿田に気を取られ、六人目は一瞬大きな隙を見せるが、気を取り戻した時にはもう遅い。
六人目の首筋に突き刺さった一本の簪。その簪を握るは、お雉のか弱く細い腕。目に涙を溜め、唇をわななかせる。六人目の刺客が倒れる。それによってきつく握られていた簪も刺客の首筋から抜ける。後に残るのは静寂だけ。
猿田は大きくため息をつき、
「助かったぜ」そういって死体の着物で刀の血を拭うと、「逃げるぞ」
といって狂犬を鞘に納める。が、お雉は身体を震わせたままその場に膝をついて今にも泣き出さんといわんばかり。
「殺しちゃった……ッ! あたしが……、この手で……、人を……殺しちゃったッ!」
お雉の手は赤く染まり震えている。が、そんなことはお構い無しといわんばかりに猿田は、
「行くぞ」
が、お雉は動かない。それどころか、
「どうしよう……! どうしよう……!」
と乱心するばかり。猿田はため息をついたかと思うと、お雉の前で膝をつき、尚も身体を震わせるお雉を優しく抱き寄せ、
「震えは止まる。仕方なかったんだ。じゃなきゃ、おれは死んでいたんだ。助けてくれてありがとう。心配すんな。大丈夫だ。さぁ、手を貸すからゆっくりと立ちな」
猿田はお雉を抱いたまま、ゆっくりと立ち上がらせる。やっとのことで立ち上がったお雉は何もいわない。そんなお雉に猿田は、場違いなほど朗らかな笑みを浮かべていう。
お雉の手は緊張し、強張って簪を握ったまま震えている。猿田はお雉の手を優しく包み、ゆっくりとゆっくりと彼女の手を開いて簪を取ると、強張った手をさする。
「怖かったな。でもゆっくりとはしてられないんだーーさぁ、行こうか」
依然として震えの残るお雉の手を、猿田は優しく手に取り、ゆっくりと引く。
【続く】