【西陽の当たる地獄花~拾壱~】
文字数 2,636文字
悲鳴が轟く。
見物人の中には顔と目を叛ける者もいれば、目の前の光景に狂喜乱舞する者もいる。
極楽の中級役人や閻魔の遣いたちはみな一様に悲愴感漂う表情を浮かべ、中には目を瞑って目の前の光景を見ないようにしている者もいる。だが、上級役人たち及び神は、目の前の光景を見て、指を差しながら喜んでいる。
見物人たちは太い木の柵によって保護されている。震える瞳と昂る視線、その奥に見えるのは地獄のような光景ーー
茶色い土を赤く染める血液の沼、垂れる鮮血。先ほどまで聴こえていた悲鳴も今では微かに聴こえる程度の呻き声になっている。そして、その呻き声を掻き消すかのような咀嚼音。
巨大な犬ーー目が飛び出し、毛並みはボサボサで、舌は何尺もあるほどに長い。全長は十尺ほどだろうか、兎に角大きい。口許には人の血が滴っている。そしてーー、
手には肉塊と化した人だったモノの姿。
この肉塊は、先ほどまでは極楽の中級役人だった者だが、快楽部屋にて嘔吐したことにより神によって、ここーー極楽武道場に連れてこられ、神の愛犬であり番犬である『コロ』と対決することとなってしまったのだ。
本来ならば、快楽部屋にてすべての指と性器を切り落とされて人間畜生となるところだったが、 牛馬の『申し出』に合わせて、中級役人もコロの餌食となってしまったのだ。
その牛馬といえば、立て膝座りにて咀嚼される中級役人の姿を死んだような目で眺めている。牛馬に震えはない。ただ、目の前の現実に対して真っ向から向かっている。
牛馬の『申し出』ーーそれは快楽部屋にて、牛馬が神に対して無礼を働いたところまで遡る。
「貴様も畜生になりたいのか!?」
神の怒号が快楽部屋に響いた。顔を真っ青にする中級役人たちと閻魔の遣いたち。だが、牛馬はーー、
「畜生はどっちだか。不細工な面に品性に欠ける振る舞い、人格、服装。おれはテメェの畜生になる気はない。まさか、極楽とあっちの世を統治している神様とやらが穢多や非人なんかより穢らわしい野郎だとは思わなかった」
この牛馬のいいぶりに対して神は顔を真っ赤にして牛馬に詰め寄り、
「貴様ッ……! いわせておけば……! このウツケ者を捕らえろ、今すぐ畜生にするのだ!」
激昂する神に対し牛馬ーー
「待てよ。ここまでの無礼を働いた者を畜生なんかにしてどうするんだ?」
「そんなことはわかっておろう。二度と朕に逆らえず、朕の元で無様にーー」
余りにも突然に、牛馬は神の股間を蹴り上げた。神は悶絶し、その場に膝を付き、股間を押さえる。牛馬は直ぐ様神の顔を膝で蹴り飛ばし、倒れた神の側頭に更なる蹴りを加えた。
「牛馬殿、止めて下さい!」
鬼水が牛馬を抑えつける。が、牛馬はーー
「テメェは許せるのか? このクズのせいで、あっちの世とこっちの世、あらゆるヤツラが苦しみ、泣きわめいているんだ。こんなゴミ、死んで当然だとは思わねぇか?」
そういう牛馬の口許は笑っていたが、目許はまったく笑っていなかった。鬼水は思わず牛馬を離し、うしろじさった。
牛馬の目は復讐鬼のようだった。
そのまま何度も神を蹴り飛ばす。唖然とする中級役人と閻魔の遣いたち。だが、すぐに正気に戻り、数人で牛馬をうしろから羽交い締めにし、神から引き剥がした。
神はその場にぶっ倒れ、数人の中級役人の手で運び出されようとしていた。が、神の意識はまだ残っていたらしく、自分を担ぎ上げようとする役人の手を払うと何とか立ち上がり、牛馬の前までゆっくりと歩み寄った。
そして、神は手の甲で牛馬の横面に思い切り張り手を食らわした。
鈍い音。牛馬の口許から血が滲んだ。だが、牛馬の目にはまったくの感情がない。対する神の目にはこの世の怒りをかき集めたような憎悪が滲み出していた。
「朕を誰だと思っている……。神ぞ! 朕は全知全能の神なるぞ! 貴様ごとき薄汚い人間もどきに何が出来るとーー」
突然、牛馬は血が混じった唾を神の顔に吐きつけた。神の顔にベッタリとつく牛馬の唾は、粘りけを持ってゆっくりと垂れていく。
「貴様ッ! 朕の顔に傷をつけおって!」
神は牛馬の顔を張った。何度も、何度もーー。が、それも神を起こそうとした中級役人によって止められた。役人たちは神を羽交い締めにし、これ以上のご乱心はお止め下さいと必死の説得を受け、神は牛馬を打つのを止める。
荒く息を吐く神ーーだが、牛馬は顔を血に染められてはいるが、赤く染まった顔に、感情のない無機質な青白い目は不気味といわざるを得ないほどだった。
「許さぬ……、許さぬーー許さぬ!!」
神は唾を飛ばしながら牛馬に対して呪詛のことばを吐き散らした。だが、牛馬は血まみれの顔で極楽院全体に響き渡るほどの高笑いをし、
「無様だな! これがあの世とこの世を創生した神様だなんて! ひとりの浪人相手に感情を露にしちまって。テメェなんかより江戸にいたインチキ宗教家のほうがまだ神々しかったぜ。テメェみてぇな無能なムダ飯喰らいのクソジジイはさっさと死んで、若いヤツにその席を明け渡してやったらどうなんだ?」
「き、貴ッ様ー!」
神は再び牛馬を何度も叩く、叩くーー叩く。だが、牛馬は叩かれれば叩かれるほど声を上げて笑う、笑うーー笑う。
この場はもはや地獄だった。
中級役人たちが怒り狂う神を止める。ふと、牛馬は高笑いするのを止め、口許だけでニヤリと笑ってみせた。
「そんなにおれが許せねぇか。なら、いい方法があるぜーー」
牛馬の提案は、極楽における最高の刺客と自分を決闘させることだった。自分なら神の飼っている刺客どもを殺すことが出来るーーそう付け加えて。神はそれに対し漸く笑みを浮かべ、
「良かろう! 貴様のような頭の狂った人間風情は身体をバラバラにしても足らぬ。願わくば、その狂暴さを飼い慣らすことで手にしたいとも思ったが、もう許さぬ。貴様には惨たらしく消えてもらうことにする。直ぐ様戦いの場を用意しよう。ついでに、そこの役人も一緒に戦ってもらうぞ。有無はいわさぬーー」
ーー中級役人は既に絶命し、その肉塊はすべてコロの胃袋の中に納まっていた。コロは場が揺らぐほど大きなゲップをし、その場に座る。
バカ笑いする神ーー
「流石は我が番犬!」神は牛馬を差し、「これ、下郎。次は貴様の番じゃ。じっくりとコロの餌となられい!」
唸るコロ。牛馬は『神殺』の鍔に左親指を掛けて、ゆっくりと立ち上がるーー
【続く】
見物人の中には顔と目を叛ける者もいれば、目の前の光景に狂喜乱舞する者もいる。
極楽の中級役人や閻魔の遣いたちはみな一様に悲愴感漂う表情を浮かべ、中には目を瞑って目の前の光景を見ないようにしている者もいる。だが、上級役人たち及び神は、目の前の光景を見て、指を差しながら喜んでいる。
見物人たちは太い木の柵によって保護されている。震える瞳と昂る視線、その奥に見えるのは地獄のような光景ーー
茶色い土を赤く染める血液の沼、垂れる鮮血。先ほどまで聴こえていた悲鳴も今では微かに聴こえる程度の呻き声になっている。そして、その呻き声を掻き消すかのような咀嚼音。
巨大な犬ーー目が飛び出し、毛並みはボサボサで、舌は何尺もあるほどに長い。全長は十尺ほどだろうか、兎に角大きい。口許には人の血が滴っている。そしてーー、
手には肉塊と化した人だったモノの姿。
この肉塊は、先ほどまでは極楽の中級役人だった者だが、快楽部屋にて嘔吐したことにより神によって、ここーー極楽武道場に連れてこられ、神の愛犬であり番犬である『コロ』と対決することとなってしまったのだ。
本来ならば、快楽部屋にてすべての指と性器を切り落とされて人間畜生となるところだったが、 牛馬の『申し出』に合わせて、中級役人もコロの餌食となってしまったのだ。
その牛馬といえば、立て膝座りにて咀嚼される中級役人の姿を死んだような目で眺めている。牛馬に震えはない。ただ、目の前の現実に対して真っ向から向かっている。
牛馬の『申し出』ーーそれは快楽部屋にて、牛馬が神に対して無礼を働いたところまで遡る。
「貴様も畜生になりたいのか!?」
神の怒号が快楽部屋に響いた。顔を真っ青にする中級役人たちと閻魔の遣いたち。だが、牛馬はーー、
「畜生はどっちだか。不細工な面に品性に欠ける振る舞い、人格、服装。おれはテメェの畜生になる気はない。まさか、極楽とあっちの世を統治している神様とやらが穢多や非人なんかより穢らわしい野郎だとは思わなかった」
この牛馬のいいぶりに対して神は顔を真っ赤にして牛馬に詰め寄り、
「貴様ッ……! いわせておけば……! このウツケ者を捕らえろ、今すぐ畜生にするのだ!」
激昂する神に対し牛馬ーー
「待てよ。ここまでの無礼を働いた者を畜生なんかにしてどうするんだ?」
「そんなことはわかっておろう。二度と朕に逆らえず、朕の元で無様にーー」
余りにも突然に、牛馬は神の股間を蹴り上げた。神は悶絶し、その場に膝を付き、股間を押さえる。牛馬は直ぐ様神の顔を膝で蹴り飛ばし、倒れた神の側頭に更なる蹴りを加えた。
「牛馬殿、止めて下さい!」
鬼水が牛馬を抑えつける。が、牛馬はーー
「テメェは許せるのか? このクズのせいで、あっちの世とこっちの世、あらゆるヤツラが苦しみ、泣きわめいているんだ。こんなゴミ、死んで当然だとは思わねぇか?」
そういう牛馬の口許は笑っていたが、目許はまったく笑っていなかった。鬼水は思わず牛馬を離し、うしろじさった。
牛馬の目は復讐鬼のようだった。
そのまま何度も神を蹴り飛ばす。唖然とする中級役人と閻魔の遣いたち。だが、すぐに正気に戻り、数人で牛馬をうしろから羽交い締めにし、神から引き剥がした。
神はその場にぶっ倒れ、数人の中級役人の手で運び出されようとしていた。が、神の意識はまだ残っていたらしく、自分を担ぎ上げようとする役人の手を払うと何とか立ち上がり、牛馬の前までゆっくりと歩み寄った。
そして、神は手の甲で牛馬の横面に思い切り張り手を食らわした。
鈍い音。牛馬の口許から血が滲んだ。だが、牛馬の目にはまったくの感情がない。対する神の目にはこの世の怒りをかき集めたような憎悪が滲み出していた。
「朕を誰だと思っている……。神ぞ! 朕は全知全能の神なるぞ! 貴様ごとき薄汚い人間もどきに何が出来るとーー」
突然、牛馬は血が混じった唾を神の顔に吐きつけた。神の顔にベッタリとつく牛馬の唾は、粘りけを持ってゆっくりと垂れていく。
「貴様ッ! 朕の顔に傷をつけおって!」
神は牛馬の顔を張った。何度も、何度もーー。が、それも神を起こそうとした中級役人によって止められた。役人たちは神を羽交い締めにし、これ以上のご乱心はお止め下さいと必死の説得を受け、神は牛馬を打つのを止める。
荒く息を吐く神ーーだが、牛馬は顔を血に染められてはいるが、赤く染まった顔に、感情のない無機質な青白い目は不気味といわざるを得ないほどだった。
「許さぬ……、許さぬーー許さぬ!!」
神は唾を飛ばしながら牛馬に対して呪詛のことばを吐き散らした。だが、牛馬は血まみれの顔で極楽院全体に響き渡るほどの高笑いをし、
「無様だな! これがあの世とこの世を創生した神様だなんて! ひとりの浪人相手に感情を露にしちまって。テメェなんかより江戸にいたインチキ宗教家のほうがまだ神々しかったぜ。テメェみてぇな無能なムダ飯喰らいのクソジジイはさっさと死んで、若いヤツにその席を明け渡してやったらどうなんだ?」
「き、貴ッ様ー!」
神は再び牛馬を何度も叩く、叩くーー叩く。だが、牛馬は叩かれれば叩かれるほど声を上げて笑う、笑うーー笑う。
この場はもはや地獄だった。
中級役人たちが怒り狂う神を止める。ふと、牛馬は高笑いするのを止め、口許だけでニヤリと笑ってみせた。
「そんなにおれが許せねぇか。なら、いい方法があるぜーー」
牛馬の提案は、極楽における最高の刺客と自分を決闘させることだった。自分なら神の飼っている刺客どもを殺すことが出来るーーそう付け加えて。神はそれに対し漸く笑みを浮かべ、
「良かろう! 貴様のような頭の狂った人間風情は身体をバラバラにしても足らぬ。願わくば、その狂暴さを飼い慣らすことで手にしたいとも思ったが、もう許さぬ。貴様には惨たらしく消えてもらうことにする。直ぐ様戦いの場を用意しよう。ついでに、そこの役人も一緒に戦ってもらうぞ。有無はいわさぬーー」
ーー中級役人は既に絶命し、その肉塊はすべてコロの胃袋の中に納まっていた。コロは場が揺らぐほど大きなゲップをし、その場に座る。
バカ笑いする神ーー
「流石は我が番犬!」神は牛馬を差し、「これ、下郎。次は貴様の番じゃ。じっくりとコロの餌となられい!」
唸るコロ。牛馬は『神殺』の鍔に左親指を掛けて、ゆっくりと立ち上がるーー
【続く】