【明日、白夜になる前に~睦拾伍~】
文字数 2,886文字
金曜夜のストリートはやはり賑わいが違う。
これは土日休みの人が多いからということもあるだろうが、単にそういう人が目立ち、歩いているからとも考えられる。
そもそも翌日が仕事だと、そこまで飲み歩いてもいられないというか、比較的若い層はそういったことを避ける傾向にあるから余計なのかもしれない。
だが、ぼくには楽しいという気分はまったくない。何故なら……。
「お待たせ……」
力ない声がぼくにいう。その声の主はいうまでもなく里村さんだ。ぼくはギコチナク笑い、片手を上げて会釈する。多分、余程笑顔が固かったのだろう、里村さんは何処か不審そうにぼくのことを見る。
「何か……、感じ変わった?」
そういわれて地味にドキッとする。
「何が……?」ぼくは何もなかったかのように取り繕ったつもりで口を開く。
「だって……、ファッションがいつもの感じと違うから……」
この日、ぼくが着ていたのは、下は迷彩柄のストレッチパンツ、上は比較的スリムでありながら温かい黒のジャケットだった。インナーにはこれまた黒のシャツにパーカーを着ている。
確かに、チェックのシャツにジーンズがいつもの格好であるぼくとしては、随分と印象が変わったように思えるだろう。
「それに、髪も……」
髪は中途半端に長かったのをバッサリ切り落とし、動きやすく短くした。取り敢えず短くということでボウズでも良かったのだが、ボウズは逆にイメージに合わないだろうし、宗方さんに相談したところ、
「わたしはいいと思うけど、何ていうんだろう……、その……」とことばを選ぶようにして、「うん……、その長さから急にボウズは流石にみんな驚くと思う」
といわれたので、短めのビジネスショートの髪型を参考に切って貰った。一応、これはこれで評判は良かったのだが。
「うん、何となく気分でね」ぼくは可能な限りの自然さを装ってそう答える。
「そっか……、でも何か、斎藤くんは前のほうが似合ってた、かなぁ……」
消え入りそうなことばで里村さんはいう。そういわれると少しショックではあったが、こんなのは一時的な話でしかない。
そんなことより里村さんのことで着目すべき点は他にいくらでもあった。
まず、やはりにおいである。以前と比べてにおいが若干内臓に来るような感じになっている。それだけ強烈で深みのあるモノとなっているということ。すなわち、依然として風呂に入れていないということだ。
ことばの弱さから考えても、肉体的、精神的にかなり衰弱しているのはいうまでもない。今はアウターを着ているからわかりづらいが、そもそも見た目的にも前に会った時よりも明らかにやつれ、痩せ細ったような印象だ。更には風呂に入れていないことから、髪の毛もゴワゴワで艶もなく、オマケにまとまりがなくてまるでホームレスのように見えてしまう。
そんな里村さんが、ぼくには哀れで仕方なかった。これでしかも家族も拘束されているとなると、いつ限界が来ても可笑しくない。
ぼくは可能な限りさりげなく、彼女を適当な店へと誘い、無理なく話をする。可能な限り日常的な話題を振る。ただし、時事ネタはNG。仕事や何かの話なら彼女も彼女で誤魔化しはきくが、世間で何が起こっているかというトピックは今現在の彼女には仕入れることは難しいだろうと思い、意図的に避けた。
会話のキャッチボール。だが、彼女の話す内容がぼくの頭には入って来ない。ただ、彼女の話すことに対して、頭が無意識の内に「笑え」だとか「驚け」だとかいって信号を伝達させ、神経がそれに従っている、それだけ。それよりもやはり気になることはたくさんある。
そのひとつが、彼女から来るメッセージだ。
『やったぁ! 楽しみぃ!』
これは今日のデートが決まった時に彼女から送られて来たメッセージだ。明らかに解離している。今の彼女にはそんなキャピキャピした感じはまったくない。というか、元から姉御肌というか、あんなぶりっ子みたいなしゃべり方は一切しないこともあって、そんな急にメッセージの傾向が変わるなんてまず有り得ない。
そうなると、気になるのは、あのメッセージの送信者は一体何をもってああいった内容を送って来ているのか、ということである。その意図がどうしてもわからなかった。
大体、今の彼女の様子がわからないのならば、まだあのキャピキャピしたメッセージを送るというのはまだわかる。電波の向こう側にいる彼女に対して、ぼくは彼女の姿を知り得る方法はなく、ぼくに出来ることといえば、そのメッセージから推測することだけ。
そうなれば、少なくともぼくは何となく印象が変わったと思いつつも、彼氏と上手く行っているんだろうな、と考えてメッセージを送ることを控えることになるだろう。
そう考えると、やはり犯人の意図がわからない。そもそも家族をも人質に取っているとはどういうことなのだ。
仮に里村さんに恨みがあったとして、家族を巻き込むほどの恨みとはどういうモノであろうか。里村さんに家族を皆殺しにされたとでもしない限り、そうそうなるモノではない。
第一、人質だって人間なのだ。そこには理性もあれば人格もあり、人間として起こり得る最低限の生理現象もある。それを家族分、すべての面倒を見なければならないなんて、犯人からしてもかなりの重労働になるのではないか。
加えていえば、犯人はグループでなければ成り立たないのでは、ということだ。
というのも、結構なスパンで里村さんの家族を監禁していることを考えると、犯人は少なくともふたり以上いなければ成り立たないのでは、ということだ。
働き手がいなければ、監禁中の犯人の食事を得る資金源も枯渇するのは間違いないし、そうなれば監禁していることが逆に重荷となって今度は自分の首を絞めることとなる。
それに、仮に監禁が長期化した場合、ライフラインの支払いという問題が持ち上がる。
これは何も犯人ーー或いは犯人たちーーのモノがどうこうというのではない。
問題は家族のほうだ。
水道は滞納したところで三ヶ月は待ってくれるからまだ大丈夫。電気ガスもせいぜい二ヶ月程度は余裕がある。だが、問題は携帯電話だ。口座引き落としになっていれば別としても、仮に滞納すれば、その場で携帯はストップする。そうなれば、家族全体で携帯が止まる。そんなことは普通有り得ない。ともすれば、確実に何かしらのアプローチが入るだろう。
……考え過ぎだろうか。
まぁ、でも家族の携帯料金は口座引き落としが一般的だろうし、月の携帯料金が払えないような枯渇した家族が携帯を持つワケがないだろう。それに、里村さん自身働いていることを考えれば、その線は考えづらい。
だが、それを抜きにして考えても、この『一家監禁』に関してはリスクが大きすぎる。
確かに、この手の事件が過去になかったかといわれるとウソになるが、それは犯人に秀でた能力があったからこそ成り立っていた。
その線で考えると、ぼくのメッセージの相手をしていたのは、相当なやり手となるが、果たしてそうだろうか。
思考が堂々巡りを続ける。
【続く】
これは土日休みの人が多いからということもあるだろうが、単にそういう人が目立ち、歩いているからとも考えられる。
そもそも翌日が仕事だと、そこまで飲み歩いてもいられないというか、比較的若い層はそういったことを避ける傾向にあるから余計なのかもしれない。
だが、ぼくには楽しいという気分はまったくない。何故なら……。
「お待たせ……」
力ない声がぼくにいう。その声の主はいうまでもなく里村さんだ。ぼくはギコチナク笑い、片手を上げて会釈する。多分、余程笑顔が固かったのだろう、里村さんは何処か不審そうにぼくのことを見る。
「何か……、感じ変わった?」
そういわれて地味にドキッとする。
「何が……?」ぼくは何もなかったかのように取り繕ったつもりで口を開く。
「だって……、ファッションがいつもの感じと違うから……」
この日、ぼくが着ていたのは、下は迷彩柄のストレッチパンツ、上は比較的スリムでありながら温かい黒のジャケットだった。インナーにはこれまた黒のシャツにパーカーを着ている。
確かに、チェックのシャツにジーンズがいつもの格好であるぼくとしては、随分と印象が変わったように思えるだろう。
「それに、髪も……」
髪は中途半端に長かったのをバッサリ切り落とし、動きやすく短くした。取り敢えず短くということでボウズでも良かったのだが、ボウズは逆にイメージに合わないだろうし、宗方さんに相談したところ、
「わたしはいいと思うけど、何ていうんだろう……、その……」とことばを選ぶようにして、「うん……、その長さから急にボウズは流石にみんな驚くと思う」
といわれたので、短めのビジネスショートの髪型を参考に切って貰った。一応、これはこれで評判は良かったのだが。
「うん、何となく気分でね」ぼくは可能な限りの自然さを装ってそう答える。
「そっか……、でも何か、斎藤くんは前のほうが似合ってた、かなぁ……」
消え入りそうなことばで里村さんはいう。そういわれると少しショックではあったが、こんなのは一時的な話でしかない。
そんなことより里村さんのことで着目すべき点は他にいくらでもあった。
まず、やはりにおいである。以前と比べてにおいが若干内臓に来るような感じになっている。それだけ強烈で深みのあるモノとなっているということ。すなわち、依然として風呂に入れていないということだ。
ことばの弱さから考えても、肉体的、精神的にかなり衰弱しているのはいうまでもない。今はアウターを着ているからわかりづらいが、そもそも見た目的にも前に会った時よりも明らかにやつれ、痩せ細ったような印象だ。更には風呂に入れていないことから、髪の毛もゴワゴワで艶もなく、オマケにまとまりがなくてまるでホームレスのように見えてしまう。
そんな里村さんが、ぼくには哀れで仕方なかった。これでしかも家族も拘束されているとなると、いつ限界が来ても可笑しくない。
ぼくは可能な限りさりげなく、彼女を適当な店へと誘い、無理なく話をする。可能な限り日常的な話題を振る。ただし、時事ネタはNG。仕事や何かの話なら彼女も彼女で誤魔化しはきくが、世間で何が起こっているかというトピックは今現在の彼女には仕入れることは難しいだろうと思い、意図的に避けた。
会話のキャッチボール。だが、彼女の話す内容がぼくの頭には入って来ない。ただ、彼女の話すことに対して、頭が無意識の内に「笑え」だとか「驚け」だとかいって信号を伝達させ、神経がそれに従っている、それだけ。それよりもやはり気になることはたくさんある。
そのひとつが、彼女から来るメッセージだ。
『やったぁ! 楽しみぃ!』
これは今日のデートが決まった時に彼女から送られて来たメッセージだ。明らかに解離している。今の彼女にはそんなキャピキャピした感じはまったくない。というか、元から姉御肌というか、あんなぶりっ子みたいなしゃべり方は一切しないこともあって、そんな急にメッセージの傾向が変わるなんてまず有り得ない。
そうなると、気になるのは、あのメッセージの送信者は一体何をもってああいった内容を送って来ているのか、ということである。その意図がどうしてもわからなかった。
大体、今の彼女の様子がわからないのならば、まだあのキャピキャピしたメッセージを送るというのはまだわかる。電波の向こう側にいる彼女に対して、ぼくは彼女の姿を知り得る方法はなく、ぼくに出来ることといえば、そのメッセージから推測することだけ。
そうなれば、少なくともぼくは何となく印象が変わったと思いつつも、彼氏と上手く行っているんだろうな、と考えてメッセージを送ることを控えることになるだろう。
そう考えると、やはり犯人の意図がわからない。そもそも家族をも人質に取っているとはどういうことなのだ。
仮に里村さんに恨みがあったとして、家族を巻き込むほどの恨みとはどういうモノであろうか。里村さんに家族を皆殺しにされたとでもしない限り、そうそうなるモノではない。
第一、人質だって人間なのだ。そこには理性もあれば人格もあり、人間として起こり得る最低限の生理現象もある。それを家族分、すべての面倒を見なければならないなんて、犯人からしてもかなりの重労働になるのではないか。
加えていえば、犯人はグループでなければ成り立たないのでは、ということだ。
というのも、結構なスパンで里村さんの家族を監禁していることを考えると、犯人は少なくともふたり以上いなければ成り立たないのでは、ということだ。
働き手がいなければ、監禁中の犯人の食事を得る資金源も枯渇するのは間違いないし、そうなれば監禁していることが逆に重荷となって今度は自分の首を絞めることとなる。
それに、仮に監禁が長期化した場合、ライフラインの支払いという問題が持ち上がる。
これは何も犯人ーー或いは犯人たちーーのモノがどうこうというのではない。
問題は家族のほうだ。
水道は滞納したところで三ヶ月は待ってくれるからまだ大丈夫。電気ガスもせいぜい二ヶ月程度は余裕がある。だが、問題は携帯電話だ。口座引き落としになっていれば別としても、仮に滞納すれば、その場で携帯はストップする。そうなれば、家族全体で携帯が止まる。そんなことは普通有り得ない。ともすれば、確実に何かしらのアプローチが入るだろう。
……考え過ぎだろうか。
まぁ、でも家族の携帯料金は口座引き落としが一般的だろうし、月の携帯料金が払えないような枯渇した家族が携帯を持つワケがないだろう。それに、里村さん自身働いていることを考えれば、その線は考えづらい。
だが、それを抜きにして考えても、この『一家監禁』に関してはリスクが大きすぎる。
確かに、この手の事件が過去になかったかといわれるとウソになるが、それは犯人に秀でた能力があったからこそ成り立っていた。
その線で考えると、ぼくのメッセージの相手をしていたのは、相当なやり手となるが、果たしてそうだろうか。
思考が堂々巡りを続ける。
【続く】