【西陽の当たる地獄花~拾捌~】

文字数 2,278文字

 小便を漏らしそうになった。

 何とも恥ずかしい話だが、わたしはこの短期間で二度目の小便を垂らしそうになっていた。それもそのはずーー

 鬼神と呼べるような存在を目の前で見て、小便を漏らさない者などいないだろうから。

 最初に垂らしたのは、ヤツが閻魔様の元にて腕試しをしている最中だった。閻魔様の侍者である四天王の内の三人が意図も簡単に、まるで小枝をボキボキと折るように殺されていった。

 そして、わたしは腰を抜かして小便を垂らした。更にそれを見たヤツはひとこと、

「よぉ、小便垂らし」

 といった。その顔は快楽と愉悦に満ち満ちているように見えた。つり上がった目は上弦を描くように歪み、普段はキツク結ばれている口許は開かれたガマ口のように開いていた。

 わたしは、自分が四天王のひとりであることも忘れて震えた。

 怖い。

 この世に、地獄をも食いつくしてしまうような恐ろしい男が存在してもいいのだろうか。それは、死後の世界も生前の世界もそうだ。

 どれほどの業を背負えば、この男のように禍々しい暗黒の後光のような闇を背負って生きていられるというのだろうか。

 わたしは格子をグッと握り締めた。格子を握り締めた両の手はブルブルと震えていた。当然、脚も震えていた。力を入れすぎているーーそれはもちろんだが、やはりわたしは今目の前で起きている惨劇が非常に恐ろしかったのだ。

 格子の向こうでは極楽人が真っ二つになっている。散り散りになっている。渇いた地面には赤い血溜まりが出来、欠片となった人が最後の力を振り絞って蠢いているーーまるで、虫けらのように。

 上手と下手、ふたつの際で起きている惨劇。上手では目の飛び出た神の番犬ーーだったーー獣が人をまるで果実でも食べるように貪っていた。悲鳴、絶命、絶叫。死がそこにはあった。

 血で桟敷が出来ていた。そして、その回りには食い散らかした「かつて人だったモノ」の欠片がいくつも散らばっていた。そして、獣は不細工なネズミのような顔を晒して、まだ絶命していない人間の肉を貪っている。

 喰われながら呻く極楽人の声。

 わたしは下だけではなく、口から胃の中のモノを吐き出してしまいそうになっていた。

 それはわたしの傍でこの惨劇を観覧していた極楽の中級役人や、わたしと同様に付き人として極楽に来た者たちも同様ーーいや、何人かは既に嘔吐し、何人かは既に小便を垂らしていた。

 わたしは何とか恐怖に堪え忍んだ。

 涙が溢れだしてくる。悲しくなんかない。だが、何故か涙が止まらないのだ。

 わたしは血の桟敷の上に君臨する獣から目を逸らした。だが、それも間違いだった。

 下手には、ヤツがいた。

 牛と馬の名を冠にした鬼神。現世を追放され、今は彼岸にてその猛威を奮っている鬼。

 牛馬ーーまるで子供が紙を千切って遊ぶように『神殺』と呼ばれる刀で人の身体を切断していく。その顔は、わたしには笑っているように見える。快楽に溺れ、愉悦に満ちた笑み。

 波のように押し寄せてくる神の侍者たち。だが、その流れも四人目で早くも止まってしまう。そして、牛馬もーー

 神の侍者の残りは四人ーーだが、みな一様に恐怖に震え、刀の切先も定まらずにいる。

 対する牛馬は、というと、肩をダラリと落とし、天を仰ぎながら不気味に笑っている。何か物思いに耽っているようにも見えるが、快楽を噛み締めているようにも見える。

 突然、牛馬がケタケタと笑い出す。

 違う……、あの男は鬼ではない。

 鬼よりももっと恐ろしい、魑魅魍魎。何といい表していいかはわからない。だが、人間のこころを食い散らかして生きる魔そのモノといっても大袈裟ではないような、そんな感じ。

 地獄にはあのような者はいなかった。そして、極楽とも地獄ともつかない餓鬼道に堕ちた者にもあのような魍魎は存在しなかった。

 わたしは自分の存在が急激に小さく思えた。閻魔様の侍者であるとはいえ、所詮は役人のひとりでしかない。

 確かに、地獄流剣術と柔術を師範相当の腕まで極めはしたが、あの男はその上を行く。

 そもそも、彼岸にて役職に就ける者は、大きく分けて三種類しかいない。

 ひとつは、現世にて徳を積み、その生涯をまっとうした者である。この手の者は基本的に極楽にて役職を頂くことが多い。だが、それも中級役人がいい所で、基本的に上級役人であるのは、そもそもが天に生を受けた純粋な極楽人である。つまり、神の、神による、神のための侍者として造られたのが、今、対面にて顔を青ざめさせている上級役人ということだ。

 またひとつは、幼くして現世にて死した者である。幼くして、というのもまた曖昧ではあるが、大体は物心がつく辺りまで、とされている。

 最後のひとつは、現世にて産まれ落ちることのなかった水子である。水子は彼岸に来ると、閻魔様の采配によって配属先を決められ、そこで育てられ、様々な教えを受ける。

 わたしは水子として彼岸に来た者だった。そして、閻魔様に、自分の配下に入るよういわれ、「鬼水」という名を与えられ、幼くして様々な勉学に励むこととなった。

 それからというもの、わたしは上級地獄役人として、閻魔様の配下につくこととなった。

 ちなみに地獄にて囚人の監視をするのは、下級の役人であり、中級の役人は地獄の入り口や、閻魔様の裁定に纏わる人員整理の仕事等を請け負うこととなる。

 これらの位を決めるのは単純明快。如何に努力し、如何に結果を出したか、による。つまり、地獄は完全なる実力主義、ということだ。

 ……また、懐かしい記憶が蘇って来る。こんなにも現実は凄惨だというのにーー

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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