【やれんのか】
文字数 2,795文字
称号というモノは役に立つ。
それはシンプルに、それがあるかないかでひとりの人間の見え方が変わってくるからだ。
まぁ、その称号というのが、早い話が武道や何かにおける「段」といったモノなのだけど、実際、その称号があるかないかで人の印象は大きく変わる。
例えば、目の前にひとりの一見ひ弱そうな男性がいるとする。その人に関して、何も伝えられていない場合と「空手の黒帯」といわれたら、間違いなくその扱いは変わってくる。
まぁ、これはシンプルに嘗められづらくなるというのもあるけど、そういった称号があるだけで、どこかできる人、すごい人なんじゃないかと思われるようになるということだ。
まぁ、いい大人になってストリートファイトみたいなケンカなんかするワケないし、武力的な強さを求めること自体ナンセンスなんだけど。とはいえ、人はこの称号には弱い嫌いがあるのはいうまでもないだろう。
変な話、野球やサッカーを何年頑張っても「段」といった称号は得られないし、「甲子園出場」や「ユース」、「プロ」等の肩書きや何かがないと、ただ長くやっている人という認識でしか生まれない。
逆に半年、一年程度でも「段」のような称号を取ると、何となくすごい感じがする、とわかりやすい反応が得られるのはいうまでもない。
まぁ、長くやっていることもある種の称号なのだけど、そこに実力がついてきているかといわれるとそれはまた別の話ーーこれは「段持ち」に関しても然りだけども。
さて、引き続き『居合篇』である。昨日は大会篇だったのだけど、今日は試験篇である。とりあえず、昨日のあらすじーー
『大会に出場した段外の五条氏は、初戦から同じ支部の臼田さんと当たってしまい、敗退。敗者復活戦にて三位決定戦まで進むが、そこで再び敗退。得られたモノは苦渋と頭痛だけだった』
何とも残念なあらすじだけど、ほんと、頭痛は空気読めって感じよな。人体の無能展があったら絶対頭痛は不要だと力説されるべきだわ。どうでもいいわな。
じゃ、やってくわーー
大会の翌週からも稽古は通常通り行われた。大会にて大敗を喫したおれは、やる気をーー
失ってなんかいなかった。
そりゃ、大会にはもう二度と出ないとは思っていたけれど、だからといって居合をやめようとは思ってもいなかった。
ただ、昇段試験には実技だけでなく、筆記試験も必要となる。連盟によってその形態は変わるのだろうけど、自分の所属している連盟では、予めその内容も公表されており、解答をシンプルに暗記すればいいだけだった。
まぁ、暗記は面倒だとはいえ、三流国立を出たおれだ。暗記に関しては大した苦労はいらなかった。サンキュー三流。それはさておきーー
筆記試験の勉強は当然だが、あとは実技だ。実技に関しては、シンプルにその段位に相応しいだけの技量が備わっているかが重要になってくる。とはいえ、おれが受験する「初段」に関してはそこまで厳しい条件ではないのだけど。
そうはいいつつも、相変わらず稽古はハードだった。これまで、塩谷さんにつけて頂いていた稽古も、坂久保先生直々の稽古となることが殆どとなっていた。
大変だったのはいうまでもない。ただ、やはり大会での敗退という現実が自分のマインドに強く訴え掛けたのだろう。手を抜くことはしなかった。
試験前最後の稽古。この日は確か試験前日で、高段者試験のため坂久保先生は不在だった。それもあって久しぶりに向山さんに稽古をつけて頂いていたのだけど、他の段外のメンバーと共に、
「キミたちなら充分合格するよ」
といって頂けた。やはり、最初の最初にお世話になった先生にそういって頂けたのは自分としても大きかった。お陰で大会にて打ち砕かれた自信も新たな形を以て再形成され、最高の状態で試験に臨めるようになったのだ。
さて、試験当日である。
会場は大会が催された場所よりも圧倒的に近く、開始が午後からということもあって、随分と余裕を持って会場に向かうことができた。
会場に着き、川澄居合会のメンバーと合流し、着替え等の準備を済ませると、試験の行われるホールへと向かった。
会場にて各種挨拶を済ませると、まずは高段者による審判検定の各種注意が始まる。その間、おれのような関係ない人は別会場にて筆記試験を受けることとなる。
別会場へいき、筆記用具の準備を済ませ、回答用紙が配られるのを待った。緊張はまったくなかった。多分、ガキの頃から散々試験を受けてきたせいで慣れてしまっていたのだと思う。
オマケに、覚えたことをただそのまま書けばいいだけなので、不安もなかったしな。
筆記試験開始。テスト用紙を捲るとそのまま回答を用紙に書き込んでいった。ひとつだけ不安な回答があったが、それでも充分合格範囲内だと確信できるだけの出来ではあった。
筆記試験が終わるとそのまま本会場へ向かった。 とはいえ、本会場は審判検定が始まる前で、まだ自分の試験は先のようだった。
このままでは身体が冷える一方だ、と少し不安もあったが、審判検定のため、審査材料として呼ばれた人が、検定受験者の前で演舞する時間があったので、これは何とかなった。
審判検定も終わり、今度こそ審査の時間となった。各段位受験者ごとにエリア分けされ、ふたりずつ試験を行う。
おれは臼田さんとペアになっての受験となった。大会の時とは違い、実技試験は刀法三本、古流二本の計五本の業によって審査される。
といっても、刀法三本に関しては初段受験者はここまでと指定されている範囲の業三本で、散々稽古済みであり、古流に関しても、一本はオーソドックスな「正座の前」、後は少し大業となる「受流」で、どれも稽古に稽古を重ねた業ばかりだった。
待機中の正座で足が痺れていたとはいえ、試験は無事終わった。不安要素は足の痺れがどう影響していたかということ以外は特になく、そこを除けば充分できたという実感があった。
すべてのプログラムが終わり、閉会の儀となると、そこで合否の判定が述べられた。結果はーー
普通に合格でしたね。
大会篇と比べて淡白すぎるだろうとも思えるのだけど、実際こんなモンだった。
それよりも、おれは早く次の段階にいきたかった。初段を取ったからといって威張れるモノでもない。必要なのは、称号に見合った技術と技量だ。おれは称号よりも技量と技術が欲しかった。おれにとっての称号はその副産物的なモノでしかなかったのだ。
まぁ、随分なことをいいはしたけど、嬉しいは嬉しかった。一年やってこういう形でひとつの結果が出て、達成感もあったし、やってよかったと思えたしな。ただ、まだ先は長いーー
と、今日はこんな感じ。尻切れな感じがする? そりゃ、初段取得ぐらいだとな。次回は初段の大会の話でもしようかね。むしろ、そっちが本番なのかもしれんよな。じゃ、
アスタラビスタ。
それはシンプルに、それがあるかないかでひとりの人間の見え方が変わってくるからだ。
まぁ、その称号というのが、早い話が武道や何かにおける「段」といったモノなのだけど、実際、その称号があるかないかで人の印象は大きく変わる。
例えば、目の前にひとりの一見ひ弱そうな男性がいるとする。その人に関して、何も伝えられていない場合と「空手の黒帯」といわれたら、間違いなくその扱いは変わってくる。
まぁ、これはシンプルに嘗められづらくなるというのもあるけど、そういった称号があるだけで、どこかできる人、すごい人なんじゃないかと思われるようになるということだ。
まぁ、いい大人になってストリートファイトみたいなケンカなんかするワケないし、武力的な強さを求めること自体ナンセンスなんだけど。とはいえ、人はこの称号には弱い嫌いがあるのはいうまでもないだろう。
変な話、野球やサッカーを何年頑張っても「段」といった称号は得られないし、「甲子園出場」や「ユース」、「プロ」等の肩書きや何かがないと、ただ長くやっている人という認識でしか生まれない。
逆に半年、一年程度でも「段」のような称号を取ると、何となくすごい感じがする、とわかりやすい反応が得られるのはいうまでもない。
まぁ、長くやっていることもある種の称号なのだけど、そこに実力がついてきているかといわれるとそれはまた別の話ーーこれは「段持ち」に関しても然りだけども。
さて、引き続き『居合篇』である。昨日は大会篇だったのだけど、今日は試験篇である。とりあえず、昨日のあらすじーー
『大会に出場した段外の五条氏は、初戦から同じ支部の臼田さんと当たってしまい、敗退。敗者復活戦にて三位決定戦まで進むが、そこで再び敗退。得られたモノは苦渋と頭痛だけだった』
何とも残念なあらすじだけど、ほんと、頭痛は空気読めって感じよな。人体の無能展があったら絶対頭痛は不要だと力説されるべきだわ。どうでもいいわな。
じゃ、やってくわーー
大会の翌週からも稽古は通常通り行われた。大会にて大敗を喫したおれは、やる気をーー
失ってなんかいなかった。
そりゃ、大会にはもう二度と出ないとは思っていたけれど、だからといって居合をやめようとは思ってもいなかった。
ただ、昇段試験には実技だけでなく、筆記試験も必要となる。連盟によってその形態は変わるのだろうけど、自分の所属している連盟では、予めその内容も公表されており、解答をシンプルに暗記すればいいだけだった。
まぁ、暗記は面倒だとはいえ、三流国立を出たおれだ。暗記に関しては大した苦労はいらなかった。サンキュー三流。それはさておきーー
筆記試験の勉強は当然だが、あとは実技だ。実技に関しては、シンプルにその段位に相応しいだけの技量が備わっているかが重要になってくる。とはいえ、おれが受験する「初段」に関してはそこまで厳しい条件ではないのだけど。
そうはいいつつも、相変わらず稽古はハードだった。これまで、塩谷さんにつけて頂いていた稽古も、坂久保先生直々の稽古となることが殆どとなっていた。
大変だったのはいうまでもない。ただ、やはり大会での敗退という現実が自分のマインドに強く訴え掛けたのだろう。手を抜くことはしなかった。
試験前最後の稽古。この日は確か試験前日で、高段者試験のため坂久保先生は不在だった。それもあって久しぶりに向山さんに稽古をつけて頂いていたのだけど、他の段外のメンバーと共に、
「キミたちなら充分合格するよ」
といって頂けた。やはり、最初の最初にお世話になった先生にそういって頂けたのは自分としても大きかった。お陰で大会にて打ち砕かれた自信も新たな形を以て再形成され、最高の状態で試験に臨めるようになったのだ。
さて、試験当日である。
会場は大会が催された場所よりも圧倒的に近く、開始が午後からということもあって、随分と余裕を持って会場に向かうことができた。
会場に着き、川澄居合会のメンバーと合流し、着替え等の準備を済ませると、試験の行われるホールへと向かった。
会場にて各種挨拶を済ませると、まずは高段者による審判検定の各種注意が始まる。その間、おれのような関係ない人は別会場にて筆記試験を受けることとなる。
別会場へいき、筆記用具の準備を済ませ、回答用紙が配られるのを待った。緊張はまったくなかった。多分、ガキの頃から散々試験を受けてきたせいで慣れてしまっていたのだと思う。
オマケに、覚えたことをただそのまま書けばいいだけなので、不安もなかったしな。
筆記試験開始。テスト用紙を捲るとそのまま回答を用紙に書き込んでいった。ひとつだけ不安な回答があったが、それでも充分合格範囲内だと確信できるだけの出来ではあった。
筆記試験が終わるとそのまま本会場へ向かった。 とはいえ、本会場は審判検定が始まる前で、まだ自分の試験は先のようだった。
このままでは身体が冷える一方だ、と少し不安もあったが、審判検定のため、審査材料として呼ばれた人が、検定受験者の前で演舞する時間があったので、これは何とかなった。
審判検定も終わり、今度こそ審査の時間となった。各段位受験者ごとにエリア分けされ、ふたりずつ試験を行う。
おれは臼田さんとペアになっての受験となった。大会の時とは違い、実技試験は刀法三本、古流二本の計五本の業によって審査される。
といっても、刀法三本に関しては初段受験者はここまでと指定されている範囲の業三本で、散々稽古済みであり、古流に関しても、一本はオーソドックスな「正座の前」、後は少し大業となる「受流」で、どれも稽古に稽古を重ねた業ばかりだった。
待機中の正座で足が痺れていたとはいえ、試験は無事終わった。不安要素は足の痺れがどう影響していたかということ以外は特になく、そこを除けば充分できたという実感があった。
すべてのプログラムが終わり、閉会の儀となると、そこで合否の判定が述べられた。結果はーー
普通に合格でしたね。
大会篇と比べて淡白すぎるだろうとも思えるのだけど、実際こんなモンだった。
それよりも、おれは早く次の段階にいきたかった。初段を取ったからといって威張れるモノでもない。必要なのは、称号に見合った技術と技量だ。おれは称号よりも技量と技術が欲しかった。おれにとっての称号はその副産物的なモノでしかなかったのだ。
まぁ、随分なことをいいはしたけど、嬉しいは嬉しかった。一年やってこういう形でひとつの結果が出て、達成感もあったし、やってよかったと思えたしな。ただ、まだ先は長いーー
と、今日はこんな感じ。尻切れな感じがする? そりゃ、初段取得ぐらいだとな。次回は初段の大会の話でもしようかね。むしろ、そっちが本番なのかもしれんよな。じゃ、
アスタラビスタ。