【丑寅は静かに嗤う~平穏~】

文字数 2,919文字

 甲子寺の縁側は日向で暖かい。

 空は青く、水は清い。スズメの鳴き声はまるで平和の象徴のよう。そんな中、何かが空を切る「ビュン」という音が鳴り響く。

 刀の樋が空を切る。桃川はひとり刀を手に気を集中している。斬撃、血振るいからの納刀。その動きにはメリハリ。序破急の利いた非常に引き締まった動き。そこに無駄は一切ない。

 記憶を失っていながらも、桃川の刀捌きは美しくも気迫がこもっており、過去に経験として積み重ねた技術の片鱗が表れている。

 刀を鞘に納めたら小さく息を吐き、目に微かな光を宿す。再び柄に手を掛ける。黒目がくすんだような闇を纏い、次の瞬間には閃光のような太刀の一閃が、空を切る音とともに轟く。

 集中。深く重々。仮にそこに敵がいなくとも、意識が仮想の敵を水晶体に浮かばせる。揺らめく亡霊のような幻を斬り殺すと、桃川は再び大きく息を吐きながら刀を鞘に納める。

 桃川が刀を鞘に納め、柄頭をしっかり締めると、陽光のように暖かい拍手の音が響き渡る。

 桃川が振り返った先には、お京の姿。春の木漏れ日のように朗らかで暖かい笑顔を浮かべて桃川に向かって手を叩く。

「すごい、すごいだ桃川さん!」

 桃川は照れ臭そうに頭を掻く。

「いやぁ、そんなことは……」

「そんなことあるだ! 記憶はなくなっていようとも、身体で覚えた刀の業は忘れることはない。やっぱり桃川さんはスゴイ人だ!」

 桃川は如何にも恥ずかしそう。だが、そのはにかんだ笑顔の目元は、どこか影が差したように暗さを帯びているように見える。

「そんなこと、ないですよ」

「いいや! オラがスゴイっていってるんだから、スゴイだ!」

 興奮するお京に桃川もタジタジだ。どうにも女性に慣れていないような嫌いがある桃川。だが、その表情にはどことなく無邪気さが宿っているようにも見える。

「でも、桃川さん。無理はしちゃダメだ。少し休んだらどうだ?」

「あ、はい、そうですね」

「うん。じゃあ、そこに座って休むといいだ」

 そういってお京は縁側を指す。礼をいっておことばに甘える桃川。が、お京はどこか居心地悪そうにもじもじしている。

「どうしたんですか?」桃川が訊ねる。

「……いや、その」お京の態度は煮え切らない。「……となり、座っていいだか?」

「え、あぁ、いいですよ」

「やった……ッ!」お京は小さく呟く。

「どうしたんですか?」

「いやッ。こっちの話、だ。じゃ、失礼するだ」

 お京は慌ただしく桃川のとなりに腰掛ける。その距離感は何とも微妙で近くもなければ遠くもない。親密でもなければ、不仲なワケでもない。ただ、ギコチナイ。

「お腹、空いてないだか?」

「あ、いえ」

 桃川の答えとは裏腹に、桃川の腹はぐぅと大きな唸り声を上げる。一瞬の沈黙。そのすぐ後にお京の顔に沸沸と笑みが込み上げて来る。そして、その笑みは大きな笑いへ昇華する。

「桃川さん、お腹ペコペコでねぇか」

「あ、いや、これは……!」

「お腹減ったなら減ったっていってくれていいのに。無理することないだ」

「ですが……」

「はい」お京は懐から葉で包んだ何かを取り出し、桃川に渡す。「開けてみるだ」

 お京に促され、桃川は葉の包みを開く。中には陽の光を受けて銀色に光る握り飯が三つ。

「よ、良かったら食べて欲しいだ!」

 お京の顔はいつの間にか真っ赤になっている。桃川のほうへは視線も寄越さず、地面に穴が空くほど目線を下に落としている。桃川はそんな彼女の横顔を見て微笑する。

「ありがとう、お京さん」

 桃川がそういうとお京の顔がより赤く染まる。肩は強ばり、拳はグッと握られている。

「お京、でいいだ……」

 お京がそういうと、桃川は少し間を開けてから彼女の名前を改めてーー

「ありがとう、お京」

 視線をあちこちへ散らすお京。肩の強ばりはより一層強くなり、顔は今にも噴火しそうな火山のよう。そうかと思いきや、お京は立ち上がり、その場から立ち去ろうとする。

「何か、お気に障ることでもいいましたか?」

 狼狽える桃川。お京は立ち止まると、桃川のほうを振り返らずにいう。

「な、何でもない、だ。食べ終わったら、包みは捨てといてくれ。それと……」

 お京は一旦ことばを切ったかと思いきや、そのままことばを飲み込んでしまう。

「それと……?」桃川が訊ねる。

「……いや、何でも、ないだ!」沈黙が薄い膜のように流れる。「……桃川さん」お京の息使いが静寂の中で微かに響く。「ずっと、ずっと、ここにいてもいいんだからな」

 桃川は少し間を置き、

「まだ身体も本調子じゃないですから、しばらくはお世話になろうかと思っています」

「……そうか! ゆっくりしていくといいだ」

 そういうと、お京はさっさと歩いて去る。その背中は小柄な彼女の背中をより小さく見せる。去り行く彼女の背中を、桃川は見つめる。その目はどこか寂しげ。

 お京から貰ったおむすび。細い腕で握ったモノとは思えないほどにしっかりとした握り。桃川はおむすびを嬉しそうに見つめると、その内の一個を手に取りひとかじり。

「美味しいかい?」

 吉備の声。桃川が振り返ると障子が開き、吉備の姿が現れる。その気配は霞のようにうっすらとし、静かに桃川の横に立つ。

「聞いて、らしたんですか」桃川は急いでおむすびを頬張ると、手を袴で拭い、正座になって吉備に向かう。が、急いで食べたものだから、桃川はむせて咳き込む。

「ほら、急いで食べるから」

「いえ、何だか、申し訳なくて」

「畏まらなくてもよい。こちらこそ盗み聞きして申し訳ない。でも何だかワシも嬉しくてな」吉備の目、お京が去っていったほうへと向いている。「……あの子も可哀想な子でね。お転婆で落ち着きのない子だが、仲良くしてくれ」

「もちろんです。それとこの刀、ありがとうございました」

「なぁに。無縁仏の使っていた刀なら、寺にいくつも眠っている。その内の一本を人に授けたところで、仏さんも怒りはせんだろう」

 桃川が振っていた刀は寺に運ばれ亡くなった無縁仏のモノだった。それをお京が勝手に桃川に贈ったのだが、吉備も満更でもないよう。

「ここに来てもうひと月が経つか」

「はい」

「そろそろ、ここの生活にも慣れたかな?」

「はい。始めは戸惑うことも多かったですが、今では薪割りも、仏間の掃除にも慣れて来ました」

「そうか」そういう吉備はどこか遠い目で景色を眺める。「とはいえ、働きづめじゃ心身共に疲れるだろう」吉備は懐から数文の銭を取り出し、「これで、酒でも飲んで来るといい」

 吉備のことばに、桃川は驚きを隠せない。

「いや、そんな、悪いですよ。わたしも居候の身、このぐらいのことは当たり前です。それにーー」桃川は口をつぐむ。

「それに、何だ? 僧であるワシが禁酒しなければならない身である故に、うしろめたいとでも?」

 桃川は静かに頷く。が、吉備は静かに笑い、

「遠慮することはない。ワシは僧でも、主は違う。若いモンなら少しは遊んだほうがいい」

「ですが……」

「人の好意を無下にするモノではないぞ」

 そのひとことがこころを動かしたのか、桃川は、

「……わかりました。では、ありがたく」

 桃川の手のひらに落ちる数文の銭が、享楽の音を鳴らして静かに響く。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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