【冷たい墓石で鬼は泣く~睦拾壱~】
文字数 1,148文字
まるで空気が軋んでいるようだった。
藤乃助様の前に来るとどうにも緊張して、まともでいられなくなる。まるで全身を大きな縄で縛り付けられているようだった。動くことすらまともに出来なかった。
「寅三郎」
藤乃助様が口を開いた。これまで静寂の守られていた空気が微かに震え出したよう。わたしは返事をしたが、その声は僅かながら裏返ってしまったように思えた。だが、藤乃助様はそれに対して何もいうことはなかった。それどころか、随分と神妙な表情を浮かべてわたしに目を合わせず、うつむいていた。
わたしは話を促すことが出来なかった。きっと自分にとってよろしくない話であろうというのが手を取るようにわかったからだった。と、突然に藤乃助様は口を開いた。
「済まないが、主とは今日限りだ」
そういわれて心の臓が跳ね上がらん思いだった。今日限りーーつまりはわたしは用済み、ということだ。そこで真っ先に思いついたのが、藤十郎様がわたしの稽古の際の言動を告げ口し、結果としてわたしは暇を頂くこととなるということだった。
正直、藤乃助様から仰せつかって藤十郎様の剣術の師範をすることとなったが、もしこれでわたしが暇を頂くこととなるならば、それまで。わたしと武田家はその程度の縁でしかなかったということだろう、と不思議と諦める準備は出来ていた。わたしは畳に両手を付き、頭を下げた。
「短い間ではありましたが、お世話になりました」
正直、不甲斐なさはあったが、仕方のないことでもあった。わたしは頭を下げたまま畳の目と目の間を眺め続けていた。
と、突然に藤乃助様の笑い声がした。わたしは呆気に取られて思わず頭を上げた。藤乃助様は豪快に笑っておられた。わたしはそんな藤乃助様を見て呆然とした。
「いやぁ、これは失敬」藤乃助様は微かに笑いを引きながらいった。「冗談だよ」
これは流石に冗談では済まないだろうとは思ったが、ことばは出なかった。感情を表に出すことも出来なかった。
「まぁ、とはいえ、藤十郎から色々と聞いておる」藤乃助様がいった。「頑張っているみたいだな」
わたしは再び頭を下げて自分の所業を詫びた。だが、藤乃助様は慌てて、
「いや、お主を悪くいうつもりはまったくないんだ。それよりも良くやってくれているようで感謝するばかりだ」
「左様でございますか」
「あぁ。で、藤十郎はどうだ。剣術のほうはどうにかなりそうか?」
わたしは黙り込んでしまった。正直いってあそこまで努力が嫌いな人間も珍しいと思った。しかし、それでもわたしの稽古を受ける藤十郎様のことがどうもわからなかった。
「......そうか」そういうと藤乃助様はわたしの肩にポンと手を置いた。「期待しておる」
期待ーーそれは一体どういうことなのだろうか。わたしにはわからなかった。
【続く】
藤乃助様の前に来るとどうにも緊張して、まともでいられなくなる。まるで全身を大きな縄で縛り付けられているようだった。動くことすらまともに出来なかった。
「寅三郎」
藤乃助様が口を開いた。これまで静寂の守られていた空気が微かに震え出したよう。わたしは返事をしたが、その声は僅かながら裏返ってしまったように思えた。だが、藤乃助様はそれに対して何もいうことはなかった。それどころか、随分と神妙な表情を浮かべてわたしに目を合わせず、うつむいていた。
わたしは話を促すことが出来なかった。きっと自分にとってよろしくない話であろうというのが手を取るようにわかったからだった。と、突然に藤乃助様は口を開いた。
「済まないが、主とは今日限りだ」
そういわれて心の臓が跳ね上がらん思いだった。今日限りーーつまりはわたしは用済み、ということだ。そこで真っ先に思いついたのが、藤十郎様がわたしの稽古の際の言動を告げ口し、結果としてわたしは暇を頂くこととなるということだった。
正直、藤乃助様から仰せつかって藤十郎様の剣術の師範をすることとなったが、もしこれでわたしが暇を頂くこととなるならば、それまで。わたしと武田家はその程度の縁でしかなかったということだろう、と不思議と諦める準備は出来ていた。わたしは畳に両手を付き、頭を下げた。
「短い間ではありましたが、お世話になりました」
正直、不甲斐なさはあったが、仕方のないことでもあった。わたしは頭を下げたまま畳の目と目の間を眺め続けていた。
と、突然に藤乃助様の笑い声がした。わたしは呆気に取られて思わず頭を上げた。藤乃助様は豪快に笑っておられた。わたしはそんな藤乃助様を見て呆然とした。
「いやぁ、これは失敬」藤乃助様は微かに笑いを引きながらいった。「冗談だよ」
これは流石に冗談では済まないだろうとは思ったが、ことばは出なかった。感情を表に出すことも出来なかった。
「まぁ、とはいえ、藤十郎から色々と聞いておる」藤乃助様がいった。「頑張っているみたいだな」
わたしは再び頭を下げて自分の所業を詫びた。だが、藤乃助様は慌てて、
「いや、お主を悪くいうつもりはまったくないんだ。それよりも良くやってくれているようで感謝するばかりだ」
「左様でございますか」
「あぁ。で、藤十郎はどうだ。剣術のほうはどうにかなりそうか?」
わたしは黙り込んでしまった。正直いってあそこまで努力が嫌いな人間も珍しいと思った。しかし、それでもわたしの稽古を受ける藤十郎様のことがどうもわからなかった。
「......そうか」そういうと藤乃助様はわたしの肩にポンと手を置いた。「期待しておる」
期待ーーそれは一体どういうことなのだろうか。わたしにはわからなかった。
【続く】