【いろは歌地獄旅~蛇の鱗~】
文字数 3,099文字
蛇の鱗は細胞の死んだものが硬化したモノだといわれている。
そして、生きた細胞は死んだ細胞の下にあるということだ。いってしまえば、死んだ細胞である蛇の鱗は一種の鎧であり、蛇の生命を左右するライフラインのひとつといっていい。
死んだ細胞に覆われた生命体ーーそう聞くと、何処か不気味というか、変な感じもするが、これも事実なのだから仕方がない。
だが、仮にそれが逆だとしたらどうだろうーー
男はただ一点を見つめていた。キリッとした目付きで、睨み付けるようにして何かをジーッと眺めていた。歯軋り。こめかみからは汗が流れ、手元には力が入っていた。
爆発ーーダメだった。
男は飲み込まれていく『銀色の命』を見て喚いた。騒がしい程の電子音がビカビカ響く。パチンコーー今日だけで数万の負け。これで明日からまた節約の日々に戻らなければならない。
男は失意の中、店を後にする。手痛い敗北に財布の中にはカスしか残っていない。
男は大きくため息をつくーーまったく、自分は一体何のために生まれて来たのだ。
この男、実は人間ではない。いや、かつては人間だったというべきか。というのもーー
男はサイボーグなのだ。
2163年、政府は止まることの知らない少子化の歯止めを食い止めるため水面下にて、『死傷者サイボーグ化計画』を推し進めた。
この計画は所謂死傷者をサイボーグとして復活させ、これまでその人が持っていたIDやその記憶を剥奪して、新しいIDと記憶を植え付けて別の場所で生活させ、高齢化の水準を可能な限り下げようという目的のもと行われる。
とはいえ、倫理的に問題がありすぎる計画ということで、当たり前だが政府は一般庶民にはこの計画のことを伏せている。
それに、このような騙し騙しやっていく方法でしか、対策が出来なかったというレッテルを張られるのも政府としては心外だろうが、多少コストは掛かっても、それっぽく数字が回復すればそれでいいーーそれでいいのだ。
だが、これは当然サイボーグ化される本人の人権は完全に無視され、非常に問題のある行為であるため、いずれは表沙汰になるだろうーーというのはまた別の話だ。
さて、このサイボーグ計画にて生み出されたサイボーグではあるが、死んだばかりの人間の表面細胞と脳を使って、施工される。
皮膚と脳以外はすべて特殊変化合金で、時間の経過と共に伸縮したり、成長衰退したりするという、見た目だけならもはや人間とは何の変わりもないモノとなっている。
サイボーグ本人の意識も同様である。人間としての脳が残っているだけに、考えることは人間そのもの。パチンコに行きたいとも思えば、金が欲しいとも思うし、性的な快感を得たいとも思う。つまり、このサイボーグは機械という無機質な中身以外は紛れもない人間なのだ。
だが、故に自分の存在に思い悩み、自殺を考えることもーーおっと、ちょうどいいだろう。
先程の男が自室に帰って来たのだ。男の手には何処かで拾って来たようなロープが一本。
築何十年ものボロアパートの室内はそこら中の塗装が剥げ、室内の清掃はしっかりと為されたはずなのに、もはやそれだけではどうにもならなかったほどに壁や天井、フローリングにはタバコのにおいが染み付いてしまっている。
リビングのフローリングは西陽の影響でテーブルの陰状に色褪せてしまっている。
男は土足のまま自室に上がり、そのままちょうど良さげな梁にロープを通して、その先を丸めて輪っかを作る。そして、その輪の中に自分の首をーー入れようとしたその時だ。
男は唐突に頭を抱えながら呻き声を上げてその場にうずくまる。そう、これが死者をサイボーグ化するにあたっての安全装置である『ASDP』ーー『Anti-Self-Distract Program』ーー所謂「対自己破壊プログラム」だった。
このプログラムは、いうまでもなく改造されたサイボーグの自己破壊を食い止めるためにある。その構造としては、脳が自殺を考えることで出る多量のネガティブなホルモンを脊髄にあたる特殊感知装置が計測すると、脳に擬似的な頭痛を起こして、自己破壊を防ぐモノだった。
この装置のお陰でサイボーグ化された者の自殺件数はゼロ。また、体内に埋め込まれたメカニックも、レントゲンを撮れば普通の内臓同様にしか映らず、自然死と共に一見すると普通の内臓にしか見えないような構造へと変化する。
つまり、科学を結集させた発明をこのようなネガティブなモノに集約させてしまったのだ。
だが、個人の意識や能力までもを変えられないのが、このサイボーグ化計画の限界だった。機械の特殊感知装置も、個人の生活リズムや傾向、思考パターンまでもを矯正は出来ない。
結局は人間であって人間ではないという矛盾が生まれ、サイボーグとなった人は、その狭間で頭を悩まして生き続けなければならなくなるというワケだ。
漸く頭痛が治まったのか、男は頭を上げる。だが、そこにはもはや悔しさしか残っていない。男は自死も選べない不甲斐ない現実に涙を流す。うずくまり、小さくなって。
嗚咽が小さなアパートの中に響き渡る。自分が悪いのはいうまでもないだろう。
だが、この男の場合はーーというより、サイボーグ化された者に関してはーー少々可哀想な部分もなくはない。
というのも、それはこれまでの記憶が消去され、自分がどういう人間かというアイデンティティと習慣を突然失い、赤ん坊でない成人した大人状態でありながら、何も持たないまっさらな状態で社会に放り出されてしまったのだ。
そうなれば、あるのは裸一貫。これまでの経験もない、知識もない状態で出来ることは身体を張ることしかない。
男は泣くーーただひたすらに。
孤独に苛まれ、何も持たぬ空虚な状態を嘆き続ける。何故自分がこんな目に遭わなければならないのだ。自分で死を選ぶことも出来ず、ただ自分の肉体と精神が朽ちていくのを待つ。そんな人生の何がいいのだろうか。
そんな時、突然インターフォンが鳴る。
男はドアを一瞥し、その場に留まろうとするが、もう二度、三度、インターフォンが鳴ったところで思わず、
「はいッ!」
と返事をしてしまう。返事をして男はハッとし、渋々立ち上がり玄関のほうへと向かう。
ドアを開ける。するとそこには、初々しい若い女性がひとりモジモジしている。
「あ、どちら様でしょうか……?」男。
「あぁ、あの、わたし……! 今日、隣に引っ越して来たーー」
女性は恥ずかしげに自己紹介をする。男はそれを腰低く聴いては、自分の名前をいうーーサイボーグ化し、無理矢理与えられたIDに記載された名前を。
男は、女性の初々しくあどけない笑顔に、思わず笑みを浮かべる。何とも希望とエネルギーに満ちた女性の姿は非常に魅力的だった。
女性が去り、玄関の扉を閉めると、男はリビングに戻る。そこには真っ赤に輝く夕陽。
この美しい夕陽も数時間後には地の果てに沈み、闇が訪れる。だが、闇が訪れれば、星が輝く。月も輝く。そして、闇は次第に晴れていき、真っ黒だった空は群青色に。群青色は白みを帯びて、また水色の空が来る。
悲しみに微笑み、喜びに頷き、倒れたらまた立ち上がる。人間は生きるためには苦しみを越えるしかないのだーーそれが例え、自分が何者かを忘れてしまったサイボーグであっても。
男の目は夕陽に輝く。まるで涙が反射しているようではあったが、そこには先ほどはなかった生命の力が宿っているようだった。
立ち上がるしかない。例え蛇の鱗のような身体を持っていようと、己が人間であることには変わりないのだから。
そして、生きた細胞は死んだ細胞の下にあるということだ。いってしまえば、死んだ細胞である蛇の鱗は一種の鎧であり、蛇の生命を左右するライフラインのひとつといっていい。
死んだ細胞に覆われた生命体ーーそう聞くと、何処か不気味というか、変な感じもするが、これも事実なのだから仕方がない。
だが、仮にそれが逆だとしたらどうだろうーー
男はただ一点を見つめていた。キリッとした目付きで、睨み付けるようにして何かをジーッと眺めていた。歯軋り。こめかみからは汗が流れ、手元には力が入っていた。
爆発ーーダメだった。
男は飲み込まれていく『銀色の命』を見て喚いた。騒がしい程の電子音がビカビカ響く。パチンコーー今日だけで数万の負け。これで明日からまた節約の日々に戻らなければならない。
男は失意の中、店を後にする。手痛い敗北に財布の中にはカスしか残っていない。
男は大きくため息をつくーーまったく、自分は一体何のために生まれて来たのだ。
この男、実は人間ではない。いや、かつては人間だったというべきか。というのもーー
男はサイボーグなのだ。
2163年、政府は止まることの知らない少子化の歯止めを食い止めるため水面下にて、『死傷者サイボーグ化計画』を推し進めた。
この計画は所謂死傷者をサイボーグとして復活させ、これまでその人が持っていたIDやその記憶を剥奪して、新しいIDと記憶を植え付けて別の場所で生活させ、高齢化の水準を可能な限り下げようという目的のもと行われる。
とはいえ、倫理的に問題がありすぎる計画ということで、当たり前だが政府は一般庶民にはこの計画のことを伏せている。
それに、このような騙し騙しやっていく方法でしか、対策が出来なかったというレッテルを張られるのも政府としては心外だろうが、多少コストは掛かっても、それっぽく数字が回復すればそれでいいーーそれでいいのだ。
だが、これは当然サイボーグ化される本人の人権は完全に無視され、非常に問題のある行為であるため、いずれは表沙汰になるだろうーーというのはまた別の話だ。
さて、このサイボーグ計画にて生み出されたサイボーグではあるが、死んだばかりの人間の表面細胞と脳を使って、施工される。
皮膚と脳以外はすべて特殊変化合金で、時間の経過と共に伸縮したり、成長衰退したりするという、見た目だけならもはや人間とは何の変わりもないモノとなっている。
サイボーグ本人の意識も同様である。人間としての脳が残っているだけに、考えることは人間そのもの。パチンコに行きたいとも思えば、金が欲しいとも思うし、性的な快感を得たいとも思う。つまり、このサイボーグは機械という無機質な中身以外は紛れもない人間なのだ。
だが、故に自分の存在に思い悩み、自殺を考えることもーーおっと、ちょうどいいだろう。
先程の男が自室に帰って来たのだ。男の手には何処かで拾って来たようなロープが一本。
築何十年ものボロアパートの室内はそこら中の塗装が剥げ、室内の清掃はしっかりと為されたはずなのに、もはやそれだけではどうにもならなかったほどに壁や天井、フローリングにはタバコのにおいが染み付いてしまっている。
リビングのフローリングは西陽の影響でテーブルの陰状に色褪せてしまっている。
男は土足のまま自室に上がり、そのままちょうど良さげな梁にロープを通して、その先を丸めて輪っかを作る。そして、その輪の中に自分の首をーー入れようとしたその時だ。
男は唐突に頭を抱えながら呻き声を上げてその場にうずくまる。そう、これが死者をサイボーグ化するにあたっての安全装置である『ASDP』ーー『Anti-Self-Distract Program』ーー所謂「対自己破壊プログラム」だった。
このプログラムは、いうまでもなく改造されたサイボーグの自己破壊を食い止めるためにある。その構造としては、脳が自殺を考えることで出る多量のネガティブなホルモンを脊髄にあたる特殊感知装置が計測すると、脳に擬似的な頭痛を起こして、自己破壊を防ぐモノだった。
この装置のお陰でサイボーグ化された者の自殺件数はゼロ。また、体内に埋め込まれたメカニックも、レントゲンを撮れば普通の内臓同様にしか映らず、自然死と共に一見すると普通の内臓にしか見えないような構造へと変化する。
つまり、科学を結集させた発明をこのようなネガティブなモノに集約させてしまったのだ。
だが、個人の意識や能力までもを変えられないのが、このサイボーグ化計画の限界だった。機械の特殊感知装置も、個人の生活リズムや傾向、思考パターンまでもを矯正は出来ない。
結局は人間であって人間ではないという矛盾が生まれ、サイボーグとなった人は、その狭間で頭を悩まして生き続けなければならなくなるというワケだ。
漸く頭痛が治まったのか、男は頭を上げる。だが、そこにはもはや悔しさしか残っていない。男は自死も選べない不甲斐ない現実に涙を流す。うずくまり、小さくなって。
嗚咽が小さなアパートの中に響き渡る。自分が悪いのはいうまでもないだろう。
だが、この男の場合はーーというより、サイボーグ化された者に関してはーー少々可哀想な部分もなくはない。
というのも、それはこれまでの記憶が消去され、自分がどういう人間かというアイデンティティと習慣を突然失い、赤ん坊でない成人した大人状態でありながら、何も持たないまっさらな状態で社会に放り出されてしまったのだ。
そうなれば、あるのは裸一貫。これまでの経験もない、知識もない状態で出来ることは身体を張ることしかない。
男は泣くーーただひたすらに。
孤独に苛まれ、何も持たぬ空虚な状態を嘆き続ける。何故自分がこんな目に遭わなければならないのだ。自分で死を選ぶことも出来ず、ただ自分の肉体と精神が朽ちていくのを待つ。そんな人生の何がいいのだろうか。
そんな時、突然インターフォンが鳴る。
男はドアを一瞥し、その場に留まろうとするが、もう二度、三度、インターフォンが鳴ったところで思わず、
「はいッ!」
と返事をしてしまう。返事をして男はハッとし、渋々立ち上がり玄関のほうへと向かう。
ドアを開ける。するとそこには、初々しい若い女性がひとりモジモジしている。
「あ、どちら様でしょうか……?」男。
「あぁ、あの、わたし……! 今日、隣に引っ越して来たーー」
女性は恥ずかしげに自己紹介をする。男はそれを腰低く聴いては、自分の名前をいうーーサイボーグ化し、無理矢理与えられたIDに記載された名前を。
男は、女性の初々しくあどけない笑顔に、思わず笑みを浮かべる。何とも希望とエネルギーに満ちた女性の姿は非常に魅力的だった。
女性が去り、玄関の扉を閉めると、男はリビングに戻る。そこには真っ赤に輝く夕陽。
この美しい夕陽も数時間後には地の果てに沈み、闇が訪れる。だが、闇が訪れれば、星が輝く。月も輝く。そして、闇は次第に晴れていき、真っ黒だった空は群青色に。群青色は白みを帯びて、また水色の空が来る。
悲しみに微笑み、喜びに頷き、倒れたらまた立ち上がる。人間は生きるためには苦しみを越えるしかないのだーーそれが例え、自分が何者かを忘れてしまったサイボーグであっても。
男の目は夕陽に輝く。まるで涙が反射しているようではあったが、そこには先ほどはなかった生命の力が宿っているようだった。
立ち上がるしかない。例え蛇の鱗のような身体を持っていようと、己が人間であることには変わりないのだから。