【ナチュラル・ボーン・クラック】
文字数 2,644文字
骨の鳴る音は気持ちいい。
これは鳴らさない人にとってはまったく理解のできないことだと思うのだけど、やはり骨がパキパキ鳴る音には麻薬のような中毒性があると思う。
そもそも、骨が鳴るのは、所謂「クラッキング音」と呼ばれ、関節内に溜まった気泡が弾ける音だといわれている。
そして、その気泡が弾けて音が鳴る瞬間は、トンレベルの圧力が掛かっているため、関節にとてつもない負担を掛ける行為とし、基本的に骨を鳴らすという行為は推奨されていない。
とはいえ、わかっていてもやってしまうのが人間のサガだ。
話は変わるが、その昔、『池袋ウエストゲートパーク』という小説シリーズの一篇に『骨音』という話があった。
まぁ、ネタバレではあるのだけど、その話では、とあるバンドがサウンドエフェクトとして骨が砕ける音を使っており、観客たちは人骨が砕ける音に快感を感じていたと自覚する。
フィクションであるのはいうまでもないのだけど、骨が鳴る音に人が快感を覚えるのは、あながちウソではないとおれは思っている。
インターネット上で検索を掛ければ、「骨を鳴らすのがやめられない」という人がごまんといるとわかる。そう、骨を鳴らすという行為はクセになってしまうのだ。
かくいうおれも小学校高学年くらいから指をバキバキ鳴らすのがクセになっており、受験期の中学三年からは腰、そこから大学二年くらいまでは首もバキバキ鳴らしていた。
とはいえ、最近は腰を鳴らすことは殆どなくなり、首に至っては肉体的に疲れている時に首を回した際、事故的に鳴るといったぐらいに留まっている。まぁ、指に関しては今でも常習的に鳴らし続けているのだけど。
ただ、この骨鳴らし、人体にはいい影響を与えていないと自分でもわかるのだ。
というのも、首や腰を鳴らし続けていた時の身体の不調というのが、自分でも手に取るようにわかったからだ。
これはどっちをやったからそうというのもないのかもしれないが、首と腰を鳴らし続けた結果、どうにも身体全体が重く、ダルく感じられて仕方なかったのだ。
まぁ、音の正体が関節内の気泡が弾ける音で、その際にトンもの衝撃が発生しているというのが本当であれば、それも頷ける。
何故なら首や腰などという人体における最も大切なパーツにそれほどの衝撃が掛かれば、神経系にもダメージを与えかねないのだから。
個人的な感覚からすれば、音を鳴らすことだけでなく、音を鳴らそうと過度にストレッチをしている影響でか、筋肉自体に炎症が起きているように思えるのだ。そしてその炎症が蓄積すればーー後は説明不要だろう。
ということで、今日はちょっと地に足の着いたイヤな話をしようと思う。まぁ、エログロはないんで、読むに耐える内容ではあるかと。
ちなみにもこみちの話ではありません。あれも骸骨男だけどな。では、やってくーー
あれは三年前のことだ。当時のおれはまだ居合を初めてまだ半年程度で、ちょうどブラストから身を退いていた時期だった。
いってしまえば、この時はある種の暗黒期というか、ちょっとした修練期間だったと思う。
ひとついえるのは、今とこの時では全然違うということだ。というのも知識量は当たり前だけど、やはり身体の造りが全然違ったのだ。
まぁ、今は年取ったからな、衰えたんだろーーそう思ったアンタは甘い。むしろ、今はその当時と違って肉体的に随分と鍛えられたのだ。
それはシンプルにトレーニングで身体が大きくなったのもあるし、何よりもよく作用したのは、居合を修練したことで体捌きがしっかりできるようになり、肉体のバランスとパフォーマンス能力が上がったことだろう。
これに加えて姿勢もよくなったこともあって、ケガもしづらくなったし、肉体的なコンディションも基本的にはよくなったのだ。
さて、前置きがやたらと長くなってしまったけれど、つまり何がいいたかったかというと、
この当時は肉体的に雑魚だったというワケだ。
肉体的に雑魚ってどういうことだって感じだけど、まぁ、肉体的に弱かったンよ。
で、この時、自分的に最悪なスパイラルに陥っており、腰の骨を鳴らすクセがぶり返していたのだ。そんなこともあって、何かとてもダルいし、ちょっとした行動をするにしてもアンニュイになっていた。
で、そんなある日のことである。
おれはその日いつも通り働いていたワケだ。
おれのいる作業場は日によって忙しさがまちまちで、基本的に忙しいのだが、酷い時はまさに読んで字の如く「忙殺」されることになる。
その日はまさに「忙殺」された日だった。リミットに迫られ、部所の人間も時間に間に合わせるために全身の神経をフルに活用するようにてきぱき動いていた。
それはおれも同様で、作業を最適化するためにその場でできることはまとめて始末していたのだ。
で、だ。おれは部所の片隅にあるダンボールの箱を持ち上げようとしたのだ。そしたら、
目の前で火花が散ったのだ。
かと思いきや、失禁しそうになりーー
腰に電流が走ったのだ。
おれは思わずダンボールを取り落とし、身体をピンッと伸ばした。
最初は何が起こったのかわからなかった。だが、ひとつわかったのはーー
身体が動かないことだった。
ちょっとでも動こうとすると腰が痺れ、痛みが全身に駆け回る。ちょっとでも姿勢を変えようとすると、それだけで痛みが走る。そこでようやくおれは理解したのだーー
これが、ギックリ腰か……。
そう、おれはこの時、人生初のギックリ腰になってしまったのだ。それも一番忙しい時間に。結果、おれは究極に忙しい中、木偶の坊みたいにただ立ち尽くすしかなくなったのだ。
とはいえ、驚いたのは周りの反応だ。
というのも、ギックリ腰で戦力外となったにも関わらず、周りがとてつもなく優しかったのだ。何でもーー「腰がダメになった時は仕方ない」ということだった。やはり、腰の痛みは老若男女共通の悩みごとらしい。
結局、その日は仕事がひと段落するまで座ってパソコン仕事をし、仕事的に落ち着いた時点で帰ることとなりました。マジ、腰を軟弱に設計した製造主をぶちのめしてやる。クレーム入れるついでに罵詈雑言を吐き散らしてやる!
無理よな。相手神だし。
まぁ、ひとついえることは、腰には気を付けようってことだな。
しかし、使い物にならない腰なんだけど、今使ってるのをジャンク品でいいからハードオフで売って、新品に取り替えたいんよ。
無理?ーー知ってる。
アスタラビスタ。
これは鳴らさない人にとってはまったく理解のできないことだと思うのだけど、やはり骨がパキパキ鳴る音には麻薬のような中毒性があると思う。
そもそも、骨が鳴るのは、所謂「クラッキング音」と呼ばれ、関節内に溜まった気泡が弾ける音だといわれている。
そして、その気泡が弾けて音が鳴る瞬間は、トンレベルの圧力が掛かっているため、関節にとてつもない負担を掛ける行為とし、基本的に骨を鳴らすという行為は推奨されていない。
とはいえ、わかっていてもやってしまうのが人間のサガだ。
話は変わるが、その昔、『池袋ウエストゲートパーク』という小説シリーズの一篇に『骨音』という話があった。
まぁ、ネタバレではあるのだけど、その話では、とあるバンドがサウンドエフェクトとして骨が砕ける音を使っており、観客たちは人骨が砕ける音に快感を感じていたと自覚する。
フィクションであるのはいうまでもないのだけど、骨が鳴る音に人が快感を覚えるのは、あながちウソではないとおれは思っている。
インターネット上で検索を掛ければ、「骨を鳴らすのがやめられない」という人がごまんといるとわかる。そう、骨を鳴らすという行為はクセになってしまうのだ。
かくいうおれも小学校高学年くらいから指をバキバキ鳴らすのがクセになっており、受験期の中学三年からは腰、そこから大学二年くらいまでは首もバキバキ鳴らしていた。
とはいえ、最近は腰を鳴らすことは殆どなくなり、首に至っては肉体的に疲れている時に首を回した際、事故的に鳴るといったぐらいに留まっている。まぁ、指に関しては今でも常習的に鳴らし続けているのだけど。
ただ、この骨鳴らし、人体にはいい影響を与えていないと自分でもわかるのだ。
というのも、首や腰を鳴らし続けていた時の身体の不調というのが、自分でも手に取るようにわかったからだ。
これはどっちをやったからそうというのもないのかもしれないが、首と腰を鳴らし続けた結果、どうにも身体全体が重く、ダルく感じられて仕方なかったのだ。
まぁ、音の正体が関節内の気泡が弾ける音で、その際にトンもの衝撃が発生しているというのが本当であれば、それも頷ける。
何故なら首や腰などという人体における最も大切なパーツにそれほどの衝撃が掛かれば、神経系にもダメージを与えかねないのだから。
個人的な感覚からすれば、音を鳴らすことだけでなく、音を鳴らそうと過度にストレッチをしている影響でか、筋肉自体に炎症が起きているように思えるのだ。そしてその炎症が蓄積すればーー後は説明不要だろう。
ということで、今日はちょっと地に足の着いたイヤな話をしようと思う。まぁ、エログロはないんで、読むに耐える内容ではあるかと。
ちなみにもこみちの話ではありません。あれも骸骨男だけどな。では、やってくーー
あれは三年前のことだ。当時のおれはまだ居合を初めてまだ半年程度で、ちょうどブラストから身を退いていた時期だった。
いってしまえば、この時はある種の暗黒期というか、ちょっとした修練期間だったと思う。
ひとついえるのは、今とこの時では全然違うということだ。というのも知識量は当たり前だけど、やはり身体の造りが全然違ったのだ。
まぁ、今は年取ったからな、衰えたんだろーーそう思ったアンタは甘い。むしろ、今はその当時と違って肉体的に随分と鍛えられたのだ。
それはシンプルにトレーニングで身体が大きくなったのもあるし、何よりもよく作用したのは、居合を修練したことで体捌きがしっかりできるようになり、肉体のバランスとパフォーマンス能力が上がったことだろう。
これに加えて姿勢もよくなったこともあって、ケガもしづらくなったし、肉体的なコンディションも基本的にはよくなったのだ。
さて、前置きがやたらと長くなってしまったけれど、つまり何がいいたかったかというと、
この当時は肉体的に雑魚だったというワケだ。
肉体的に雑魚ってどういうことだって感じだけど、まぁ、肉体的に弱かったンよ。
で、この時、自分的に最悪なスパイラルに陥っており、腰の骨を鳴らすクセがぶり返していたのだ。そんなこともあって、何かとてもダルいし、ちょっとした行動をするにしてもアンニュイになっていた。
で、そんなある日のことである。
おれはその日いつも通り働いていたワケだ。
おれのいる作業場は日によって忙しさがまちまちで、基本的に忙しいのだが、酷い時はまさに読んで字の如く「忙殺」されることになる。
その日はまさに「忙殺」された日だった。リミットに迫られ、部所の人間も時間に間に合わせるために全身の神経をフルに活用するようにてきぱき動いていた。
それはおれも同様で、作業を最適化するためにその場でできることはまとめて始末していたのだ。
で、だ。おれは部所の片隅にあるダンボールの箱を持ち上げようとしたのだ。そしたら、
目の前で火花が散ったのだ。
かと思いきや、失禁しそうになりーー
腰に電流が走ったのだ。
おれは思わずダンボールを取り落とし、身体をピンッと伸ばした。
最初は何が起こったのかわからなかった。だが、ひとつわかったのはーー
身体が動かないことだった。
ちょっとでも動こうとすると腰が痺れ、痛みが全身に駆け回る。ちょっとでも姿勢を変えようとすると、それだけで痛みが走る。そこでようやくおれは理解したのだーー
これが、ギックリ腰か……。
そう、おれはこの時、人生初のギックリ腰になってしまったのだ。それも一番忙しい時間に。結果、おれは究極に忙しい中、木偶の坊みたいにただ立ち尽くすしかなくなったのだ。
とはいえ、驚いたのは周りの反応だ。
というのも、ギックリ腰で戦力外となったにも関わらず、周りがとてつもなく優しかったのだ。何でもーー「腰がダメになった時は仕方ない」ということだった。やはり、腰の痛みは老若男女共通の悩みごとらしい。
結局、その日は仕事がひと段落するまで座ってパソコン仕事をし、仕事的に落ち着いた時点で帰ることとなりました。マジ、腰を軟弱に設計した製造主をぶちのめしてやる。クレーム入れるついでに罵詈雑言を吐き散らしてやる!
無理よな。相手神だし。
まぁ、ひとついえることは、腰には気を付けようってことだな。
しかし、使い物にならない腰なんだけど、今使ってるのをジャンク品でいいからハードオフで売って、新品に取り替えたいんよ。
無理?ーー知ってる。
アスタラビスタ。