【明日、白夜になる前に~拾捌~】
文字数 2,302文字
真っ白な世界がぼくの目の前に広がる。
もう何度見たかわからない光景だ。もしかしたら、ぼくは夢を見ていたのかもしれない。
夢であって欲しい。あんな恐ろしいバカげた話なんて現実であっていいはずがない。
だからお願いだ。こんなバカげたーー
「気がついたかい?」
聞き覚えのある声に、ぼくはハッとする。これも夢だろうか。だとしたら最悪な夢だ。ぼくはつい反射的にいうーー
「あ、すいません。ボーッとしてました」
身を起こすーー少し起きづらい。多分、身体のダルさと、疲労のせいだろう。
「いいんだよボーッとしてて。大変だったね」
聞き覚えのある声がいう。ボーッとしてていいとは。やはり、これは夢ではないというのだろうか。だとしたらーー
「ってことは、もしかしてーークビですか?」
ぼくは恐る恐る訊ねる。だが、その声の主は朗らかに笑いながらいうーー
「はじめはそうなるかもしれなかったけど、色々と事情があったようだし、何とかなるんじゃないかな」
「あのぉ……」ぼくは訊ねる。「ここはどこなんですか?」
シンプルだが、今のぼくにとっては非常に大事な質問。まぁ、何となくはわかるが。その予想通り、小林さんはぼくの実家から近いところにある病院の名前をいう。病院での目覚めーーこの短期間で二回目。ウンザリする。
「あの、一体、何があったんですか?」
「覚えてないの?」ぼくは頷く。「まぁ、無理もないか。事情は後で詳しく聴くことになると思う。取り敢えず今はゆっくり休むといいよ」
霞む視界の真ん中に歪んだタヌキのような親父がいる。いや、タヌキのような親父は失礼か。小林さんがぼくの視界に映る。
「いやぁ、でも……」ぼくは不意にハッとする。「今日は何月何日の何曜日ですか?」
小林さんがぼくの質問に答える。その答えによると、ぼくがたまきと公園で話をして以来一週間が経っているとわかる。
「驚いたよ。マジメなキミが数日も無断欠勤するんだもん。家に電話しても、そもそも帰ってないっていうし、おれも何かあるんじゃないかと思ったけど、まさかねぇ」
ぼくがマジメかどうかは別として、無断欠勤か。それも仕方ないだろう。だがーー
「あの、小林さん。たまき……、いや、ぼくの彼女なんですが……」
「あぁ、そのことは気にしなくていい。何れにせよ、あんなことをしたんだ。きっと罪は重くなると思う」
「罪……?」
「何も覚えてないの?」
そう訊かれてぼくは少し考える。だが、やはり何も覚えていない。小林さんは考え込むぼくを見て、慌てた様子で、
「いや、いいんだ。変なことを考えさせてしまって申し訳ない。今は取り敢えずゆっくり休んで。話はそれからでも遅くはないから」
話は後からでも遅くはない。よっぽど複雑な話なのだろう。だが、多分だがぼくの見たたまきの姿は本当のモノだったのだろう。
たまきーー彼女は今何をしているのだろう。
彼女のことを知ってしまって以降、ぼくは大変なことになった。その結果あんな感じになり、気づけば今、ここにいる。
にしても白い天井はどこまでも白い。白色電灯がついているからこそ余計にそう感じるのだろうーー電灯がついているということは時間は夜か。まぁ、小林さんもスーツ姿だし、きっと仕事終わりにぼくの元へ駆けつけてくれたのだろう。何だかんだいって、やはりいい上司だ。
「それはさておき、そろそろかな」
小林さんはそういいながら腕時計に視線を落とす。それから入り口のほうへと目をやる。
「そろそろって、何が、ですか?」
「ふふ、まぁ、ちょっとね」
小林さんは勿体ぶってそういう。面会時間の終了時間というには、やけにウキウキしている。多分、そういうことではないのだろう。
ぼくが不思議そうにして小林さんの姿を眺めていると、病室の入り口に誰かが現れる。
スレンダーで凛とした雰囲気。スキニーデニムにカーキ色のコートを着こんでいる。髪は長めで茶色。マスクをしていることもあって顔の全体像を捉えることはできないが、ぼくはその顔に間違いなく見覚えがある。
「里村、さん……?」ぼくは唖然とする。「久しぶり、だね」
里村さんはコクりと頷く。
「うん、久しぶり……」
里村さんの口調によそよそしさは感じられない。かといって親しみも見えない。とても半端な距離感。関係がないとはいわないが、関係があるというには遠すぎるーーそんな感じ。
「よし、じゃあ、おれは帰るかな」そういって小林さんは帰り支度を始める。
「え?」
ぼくは自分でもわかるほどに狼狽える。が、小林さんはさも当然といわんばかりに、
「まぁ、おれの家もここからだと遠いからね。また来るよ。取り敢えず今は仕事のことは気にしないで、ゆっくりと休みなさい」
そういって小林さんは里村さんに軽く会釈をしてそそくさと病室を後にしてしまう。
小林さんが去った後も、里村さんは病室の入り口のところで佇むばかり。まるでそこに結界が張ってあってこちらまで来れないようだ。
いや、こういう時はぼくのほうからーー
「中に入って、下さいよ」
我ながらギコチナイものいいに吐き気がする。まったく、ぼくは何だってこんなーー
そこでぼくは気づいてしまった。
やはり何かが可笑しい。
何かが足りない気がしてならないのだ。
そう。起き上がろうとした時、寝返りを打とうとした時、ぼくは何かとんでもない現実に気づいていないことに、たった今気づいたのだ。
恐る恐る掛け布団を捲ろうとして、ぼくは絶句する。そもそも掛け布団を捲ろうとして、スムーズに行かないワケだ。というのもーー
ぼくの右腕、その肘から先がなくなっていたのだ。
夢であることを祈ったーー夢じゃなかった。
【続く】
もう何度見たかわからない光景だ。もしかしたら、ぼくは夢を見ていたのかもしれない。
夢であって欲しい。あんな恐ろしいバカげた話なんて現実であっていいはずがない。
だからお願いだ。こんなバカげたーー
「気がついたかい?」
聞き覚えのある声に、ぼくはハッとする。これも夢だろうか。だとしたら最悪な夢だ。ぼくはつい反射的にいうーー
「あ、すいません。ボーッとしてました」
身を起こすーー少し起きづらい。多分、身体のダルさと、疲労のせいだろう。
「いいんだよボーッとしてて。大変だったね」
聞き覚えのある声がいう。ボーッとしてていいとは。やはり、これは夢ではないというのだろうか。だとしたらーー
「ってことは、もしかしてーークビですか?」
ぼくは恐る恐る訊ねる。だが、その声の主は朗らかに笑いながらいうーー
「はじめはそうなるかもしれなかったけど、色々と事情があったようだし、何とかなるんじゃないかな」
「あのぉ……」ぼくは訊ねる。「ここはどこなんですか?」
シンプルだが、今のぼくにとっては非常に大事な質問。まぁ、何となくはわかるが。その予想通り、小林さんはぼくの実家から近いところにある病院の名前をいう。病院での目覚めーーこの短期間で二回目。ウンザリする。
「あの、一体、何があったんですか?」
「覚えてないの?」ぼくは頷く。「まぁ、無理もないか。事情は後で詳しく聴くことになると思う。取り敢えず今はゆっくり休むといいよ」
霞む視界の真ん中に歪んだタヌキのような親父がいる。いや、タヌキのような親父は失礼か。小林さんがぼくの視界に映る。
「いやぁ、でも……」ぼくは不意にハッとする。「今日は何月何日の何曜日ですか?」
小林さんがぼくの質問に答える。その答えによると、ぼくがたまきと公園で話をして以来一週間が経っているとわかる。
「驚いたよ。マジメなキミが数日も無断欠勤するんだもん。家に電話しても、そもそも帰ってないっていうし、おれも何かあるんじゃないかと思ったけど、まさかねぇ」
ぼくがマジメかどうかは別として、無断欠勤か。それも仕方ないだろう。だがーー
「あの、小林さん。たまき……、いや、ぼくの彼女なんですが……」
「あぁ、そのことは気にしなくていい。何れにせよ、あんなことをしたんだ。きっと罪は重くなると思う」
「罪……?」
「何も覚えてないの?」
そう訊かれてぼくは少し考える。だが、やはり何も覚えていない。小林さんは考え込むぼくを見て、慌てた様子で、
「いや、いいんだ。変なことを考えさせてしまって申し訳ない。今は取り敢えずゆっくり休んで。話はそれからでも遅くはないから」
話は後からでも遅くはない。よっぽど複雑な話なのだろう。だが、多分だがぼくの見たたまきの姿は本当のモノだったのだろう。
たまきーー彼女は今何をしているのだろう。
彼女のことを知ってしまって以降、ぼくは大変なことになった。その結果あんな感じになり、気づけば今、ここにいる。
にしても白い天井はどこまでも白い。白色電灯がついているからこそ余計にそう感じるのだろうーー電灯がついているということは時間は夜か。まぁ、小林さんもスーツ姿だし、きっと仕事終わりにぼくの元へ駆けつけてくれたのだろう。何だかんだいって、やはりいい上司だ。
「それはさておき、そろそろかな」
小林さんはそういいながら腕時計に視線を落とす。それから入り口のほうへと目をやる。
「そろそろって、何が、ですか?」
「ふふ、まぁ、ちょっとね」
小林さんは勿体ぶってそういう。面会時間の終了時間というには、やけにウキウキしている。多分、そういうことではないのだろう。
ぼくが不思議そうにして小林さんの姿を眺めていると、病室の入り口に誰かが現れる。
スレンダーで凛とした雰囲気。スキニーデニムにカーキ色のコートを着こんでいる。髪は長めで茶色。マスクをしていることもあって顔の全体像を捉えることはできないが、ぼくはその顔に間違いなく見覚えがある。
「里村、さん……?」ぼくは唖然とする。「久しぶり、だね」
里村さんはコクりと頷く。
「うん、久しぶり……」
里村さんの口調によそよそしさは感じられない。かといって親しみも見えない。とても半端な距離感。関係がないとはいわないが、関係があるというには遠すぎるーーそんな感じ。
「よし、じゃあ、おれは帰るかな」そういって小林さんは帰り支度を始める。
「え?」
ぼくは自分でもわかるほどに狼狽える。が、小林さんはさも当然といわんばかりに、
「まぁ、おれの家もここからだと遠いからね。また来るよ。取り敢えず今は仕事のことは気にしないで、ゆっくりと休みなさい」
そういって小林さんは里村さんに軽く会釈をしてそそくさと病室を後にしてしまう。
小林さんが去った後も、里村さんは病室の入り口のところで佇むばかり。まるでそこに結界が張ってあってこちらまで来れないようだ。
いや、こういう時はぼくのほうからーー
「中に入って、下さいよ」
我ながらギコチナイものいいに吐き気がする。まったく、ぼくは何だってこんなーー
そこでぼくは気づいてしまった。
やはり何かが可笑しい。
何かが足りない気がしてならないのだ。
そう。起き上がろうとした時、寝返りを打とうとした時、ぼくは何かとんでもない現実に気づいていないことに、たった今気づいたのだ。
恐る恐る掛け布団を捲ろうとして、ぼくは絶句する。そもそも掛け布団を捲ろうとして、スムーズに行かないワケだ。というのもーー
ぼくの右腕、その肘から先がなくなっていたのだ。
夢であることを祈ったーー夢じゃなかった。
【続く】