【明日、白夜になる前に~漆拾玖~】
文字数 1,329文字
店から出ると、空は白み始めていた。
「すっかり夜明けだいね」男がいった。
「そうですねぇ」
ぼくと彼は、あれから互いのキズを舐め合うようにして意気投合し、バーが閉店したあとも店を変えてふたりで飲み、食事をした。
最後に出たのは牛丼のチェーン店。結構食べて飲んでを繰り返したというのに、彼は体内に無尽蔵の胃袋を持つようにネギとタマゴの載った牛丼の特盛を一瞬で完食し、水を7杯ほど飲んだ。
対するぼくはミニ牛丼に水一杯。とんでもない食欲である。
「なぁ」白む空のもと、おもむろに彼は口を開き、こう訊いて来た。「ここぞという時、っていうかさ。この人だけは失いたくないって人に会ったことある?」
彼はややトーンを落としてそういった。目は弱々しいが真剣そのもの。ぼくは思わず、えっといって止まってしまった。彼はまるで補足説明かいいワケをするようにこう付け加えた。
「いや。何ていうか、さ。人間、恋なんてモノをすると、どうにも盲目的になるっていうか。どんな取るに足らない、どうしようもないヤツに対してですら、まるで神だか女神を見たような気分になって、ウカレてしまう。そんなのは所詮個人の主観に過ぎない。でもさ、仮にそれが、個人のただの主観、思い込みだったとしても、本気で信じれば、すべては運命になるというか。だから、それほどまでに身もこころも捧げられるような人に会ったことはあるかな、ってさ」
ぼくは彼のことばに相槌を打って少し考えた。本当に自分が失いたくない相手。そんなのは極論いってしまえばいっぱいいる。家族だってそうだ。友達だってそうだ。そして、付き合っている相手だって。だがーー
ぼくは狂えなかった。
狂い切れなかった。
頭がおかしくなるくらいに、人のことを愛せなかった。
それは過去の経験から、自然と他人との距離を計り、そこから嫌われずに何とかやっていけるだけの間隔を保とうというクセがついてしまったから。
だが、それではダメなのだ。
そんなのは所詮「いい人」止まり。そんな距離感を保たせようとする壁を打ち破れるような決意、覚悟はいつだって必要なのだ。そのためには、相手に嫌われる覚悟で向かって行かなければならないことある。
人付き合いというのは、互いのハートにキズをつけ合うことだ。
キズをつけるといっても、相手に暴言を吐いたり、恐怖で支配したりするワケではない。要は互いが互いのハートに爪痕を残し合い続けるということなのだ。ぼくはこれが出来なかった。だから、相手のこころに深く入り込めなかったし、人の横にポジションを取ることも出来なかったのだ。
「えぇ、います」ぼくは答えた。
「へぇ、どんな人よ?」
ぼくは少しだけ沈黙してから、口を開いた。
「その人と一緒なら、どんな暗い夜でも、明るくて美しい白夜のように見える。そんな人、ですね」
ぼくは真剣な眼差しを彼に送った。彼はそれを聴いてぼくの顔を覗き込んだ。それから朗らかな笑みを浮かべると、
「なるほど、な。いいじゃんか。なら......」彼は空を仰ぎ見た。「明日、白夜になる前に、その大切な人を迎えられるよう、しっかりと覚悟を決めなきゃな......、ありがとう」
彼の目にうっすらと涙が光ったように見えた。
【続く】
「すっかり夜明けだいね」男がいった。
「そうですねぇ」
ぼくと彼は、あれから互いのキズを舐め合うようにして意気投合し、バーが閉店したあとも店を変えてふたりで飲み、食事をした。
最後に出たのは牛丼のチェーン店。結構食べて飲んでを繰り返したというのに、彼は体内に無尽蔵の胃袋を持つようにネギとタマゴの載った牛丼の特盛を一瞬で完食し、水を7杯ほど飲んだ。
対するぼくはミニ牛丼に水一杯。とんでもない食欲である。
「なぁ」白む空のもと、おもむろに彼は口を開き、こう訊いて来た。「ここぞという時、っていうかさ。この人だけは失いたくないって人に会ったことある?」
彼はややトーンを落としてそういった。目は弱々しいが真剣そのもの。ぼくは思わず、えっといって止まってしまった。彼はまるで補足説明かいいワケをするようにこう付け加えた。
「いや。何ていうか、さ。人間、恋なんてモノをすると、どうにも盲目的になるっていうか。どんな取るに足らない、どうしようもないヤツに対してですら、まるで神だか女神を見たような気分になって、ウカレてしまう。そんなのは所詮個人の主観に過ぎない。でもさ、仮にそれが、個人のただの主観、思い込みだったとしても、本気で信じれば、すべては運命になるというか。だから、それほどまでに身もこころも捧げられるような人に会ったことはあるかな、ってさ」
ぼくは彼のことばに相槌を打って少し考えた。本当に自分が失いたくない相手。そんなのは極論いってしまえばいっぱいいる。家族だってそうだ。友達だってそうだ。そして、付き合っている相手だって。だがーー
ぼくは狂えなかった。
狂い切れなかった。
頭がおかしくなるくらいに、人のことを愛せなかった。
それは過去の経験から、自然と他人との距離を計り、そこから嫌われずに何とかやっていけるだけの間隔を保とうというクセがついてしまったから。
だが、それではダメなのだ。
そんなのは所詮「いい人」止まり。そんな距離感を保たせようとする壁を打ち破れるような決意、覚悟はいつだって必要なのだ。そのためには、相手に嫌われる覚悟で向かって行かなければならないことある。
人付き合いというのは、互いのハートにキズをつけ合うことだ。
キズをつけるといっても、相手に暴言を吐いたり、恐怖で支配したりするワケではない。要は互いが互いのハートに爪痕を残し合い続けるということなのだ。ぼくはこれが出来なかった。だから、相手のこころに深く入り込めなかったし、人の横にポジションを取ることも出来なかったのだ。
「えぇ、います」ぼくは答えた。
「へぇ、どんな人よ?」
ぼくは少しだけ沈黙してから、口を開いた。
「その人と一緒なら、どんな暗い夜でも、明るくて美しい白夜のように見える。そんな人、ですね」
ぼくは真剣な眼差しを彼に送った。彼はそれを聴いてぼくの顔を覗き込んだ。それから朗らかな笑みを浮かべると、
「なるほど、な。いいじゃんか。なら......」彼は空を仰ぎ見た。「明日、白夜になる前に、その大切な人を迎えられるよう、しっかりと覚悟を決めなきゃな......、ありがとう」
彼の目にうっすらと涙が光ったように見えた。
【続く】