【丑寅は静かに嗤う~談笑】
文字数 3,827文字
「そうだったんですね、何か意外です」
燃え上がる焚き火を見つめながら淡々としゃべるお雉に、桃川が感嘆するようにいう。
「意外?」驚いたようにお雉。
「えぇ。語弊があるかもしれませんが、村での勇ましい姿を見て、お雉さんにそんな過去があったとは、思ってもいなかったんでそう思ったんです。もしかしたら、わたしもお雉さんのような過去を背負っているのかもしれませんね」
「……そうだね」お雉の目が深く沈殿した水のように沈み込む。「そうかもしれないね……」
「で、それからどうなったんですか?」
「……え?」
「いやぁ、こんなことをいうのは恐縮なんですが、お雉さんの話が上手いこともあって、どんどん話に引き込まれてしまって、先が気になってしまいまして」
「……そういうことね。聴きたい?」桃川は好奇心を滲ませつつ神妙に頷く。「わかった。河原を後にすると、あたしたちはーー」
猿田とお雉が河原を後にした少し後のこと。江戸は深川にある料亭『上総屋』のとある一室に不穏な四つの影があった。
ひとりは町奉行の大原釼持、ひとりは出会い茶屋の主人である宗方清兵衛、ひとりはヤクザ『忘八助六組』の親分である助六、そしてもうひとりは女衒の三平という顔ぶれだった。
「しかし、あの女に逃げられて、大丈夫なのですかね?」宗方がいった。「何でも、奇妙な浪人者と一緒だと聴きましたが」
「なぁに、うちの手練を六人も送り込んだんだ。その浪人者とやらも助からんだろうよ」助六は口を大きく開けて笑った。「まぁ、今回はダメだったが、しかし、こんなうめぇ話もねぇモンだーー」
助六が口を滑らせた。その内容によると、女衒の三平が目ぼしい女を見つけると、その女と時間を掛けて懇意になり、頃合いになったところで清兵衛の出会い茶屋へと行く、そこで女を気絶させて人形と共に川辺へ放置する。そこへ更に助六の配下の者が第一発見者となり相対死を主張。奉行が両者相対死により晒し者の末、女は助六の手で岡場所へ売られーーということだった。
ちなみに、山分けする銭は三平が女から貢がせている分も含まれ、かつ奉行の目溢しのお陰で助六も清兵衛も何ひとつ気を掛けることなく稼業が営め、奉行も清兵衛も助六の一家の人間を使って邪魔者や競合他者の始末をしたりと利害関係を利用してやりたい放題にやっていた。
「余りそういうことをベラベラとしゃべるものではない」釼持は顔をしかめていった。
「へぇ、これはご無礼を」そういう助六には非礼を侘びる素振りなどまったくなかった。
室内に緊迫した空気が広がった。そんな窮屈な雰囲気を緩和させようとするように清兵衛、
「まぁ、そうお気になさらずとも。今日はパァーっと行きましょう!」そういって清兵衛は手を叩き、「これ、誰かおらぬか?」
と店の女中を呼びつけようとした。が、女中はなかなか現れない。が、少ししたところで障子の向こうにふらっと揺れる影が現れた。
「やっと来たか」立ち上がり障子のほうへゆく清兵衛。「遅いじゃないか、呼んだらすぐにーー」
清兵衛の目が見開かれた。釼持の清兵衛を呼ぶ声。が、清兵衛は振り返るとそのまま倒れてしまった。障子には真っ赤な血が染み込んでおり、その真ん中には鋭い刃が鎮座していた。
その場にいた助六、三平は息を飲み、
「だ、誰でぇ!」
と助六は声を裏返しながらいった。釼持は腰の据わった重い視線を障子に向けている。
刀の刃が障子を引き開けた。
猿田源之助ーー肩が落ちきっていて、まるで死神のようにその影が揺れていた。
「な、何でぇオメェは!」三平が精一杯のドスを利かせていった。
猿田のうしろから覗く顔がひとつーーお雉。お雉の顔を見て、三平は顔を引き吊らせた。
「お、お雉……! 生きてたのか……?」
お雉は何もいわなかった。猿田はお雉に、
「コイツか?」と訊ねると、お雉は静かに恨み辛みを目に滲ませつつ頷いた。「そうか……」
「貴様、何者だ」
釼持が低い声でそう訊ねると、猿田はニヤリと笑って見せ、
「この女の心中相手さ」
と狂犬を片手に部屋の中に踏み込む。
「ふざけおって……! 狼藉者だ! 者共! 出会え! 出会え!」
が、足音は聴こえない。猿田は剱持を嘲笑うように乾いた笑い声を上げた。
「みんな地獄で待ってるよ。ヤクザの若い衆もな。テメェらはみんな仲良く地獄へ行くんだ。身分関係なくな。……死んで貰うぜ」
助六が立ち上がりざま刀を抜くが、猿田のほうが圧倒的に早かった。助六が立ち上がった次の瞬間には、左肩から右脇腹に掛けて、ぱっくりと割られていたのだ。
助六はことばもなしに死んだ。
三平は小さく悲鳴を上げた。脚が震え、立ち上がれないようだ。
猿田はそんな三平を一瞥したかと思うと、すぐに剱持のほうへ意識を向け、ゆっくりと近づいていった。釼持はそこで漸く自分が不利な状況にいることに気づいたらしく、尻餅をついたまま猿田を制するように右手を掲げて、
「ま、待ってくれ! いい腕だな。よし、わかった! わしが貴殿の出世のお膳立てをしてやろう! 貴殿も粗末な浪人暮らしなどこれ以上したくはなかろう! 当然、罪咎も全部、不問にしてやる! 何しろわたしは町奉行だ。大抵のことならどうにでもなる。どうだ? わたしなら、どんなところにでも取り合ってーー」
猿田はことばもなく釼持を切り捨てた。その死んだような目の奥に、父を殺した仇の姿がうっすらと見えるようだった。
猿田は力を抑え隙のない血振りをし、三平のほうを振り返った。
三平の股間がじわりと濡れていく。
猿田はそんな三平の情けない様を冷ややかな目で見つめていたかと思うと、お雉のほうに目を向けて、
「どうする? やろうか?」
が、お雉は、
「いい。……自分でやる」
と三平のほうへとにじり寄っていく。
「ま、待ってくれ! あれは、ウソだったんだ。コイツらに脅されて仕方なかったんだよ。本当はおめぇのことが好きで堪らなかったんだよ。本当だ! おれは今でもおめぇが好きで好きで堪らねぇんだ! だから、許してくれ。な、お雉! この通りだ、許してくれぇ!」
涙ながらに踞り土下座をする三平。そんな三平の首筋に、お雉は容赦なく髪から抜き取った簪を突き立てた。鋭利な簪が首筋に刺さる感触は、包丁が豆腐を切るように柔らかかった。
三平は「グッ……!」と低く鈍い悲鳴を上げ、そのまま絶命した。
お雉は力一杯に握った簪を三平の首筋に突き刺したまま動かなかった。猿田はため息をついて納刀し、お雉の手を握ってゆっくりと三平の首筋から簪を抜いた。
お雉は茫然自失となっていた。髪は乱れ、息は荒い。簪を握った手は力み過ぎて依然として震えていた。猿田はお雉の手を優しく包み、ゆっくりと手のひらを開いてやると、血にまみれた簪を手から抜いてやった。
「……二度目の殺しは、案外楽なモンだね」ふと自嘲気味に笑って見せ、お雉はいった。
「……それより、さっさとここを出よう。追っ手が来る前に江戸を出ないと」
猿田とお雉のふたりはそのまま料亭を後にした。空は雲に包まれ、今にもひと雨来そうだったーー
「と、こんな感じさ。でも、その後すぐに、大雨が来て、どさくさに紛れてあたしと猿ちゃんははぐれてしまった。あたしは行く当てがなくてね。夜鷹と泥棒をやりながら、川越に向かったんだ」
「川越、ですか?」
「うん。だって、猿ちゃんの故郷がそうだから。きっと川越に行けば、また猿ちゃんに会えると思ったんだ。そしたら、本当にそうなった。でも、まさか、川越を後にした後でもこんな形で会えるとは思わなかったけどね」
そういって笑うお雉には、どこか強がりのような涙を我慢しているような趣が見える。
「ひとつ、訊いていいですか?」
「……何?」
「その、三平とやらを殺す時、躊躇いはしなかったんですか? 自分を売った男とはいえ、一度は好きになった人だったんでしょう?」
桃川の質問に対し、お雉は鼻で笑って見せ、
「女の気持ちは秋空よりも移ろいやすいの。その時には、別で好きな男がいたからねーー」
お雉はそういって暗い夜の森の奥を見詰める。
「好きな男が、ですか」桃川も森の奥を見詰める。「こういっては難ですが、その人も随分と不器用な方なのではと思えるのですが、そんな不器用さにウンザリしたりして、気持ちが移ろうことはなかったんですか?」
あたかもそれが答えであるかのように、お雉は口許を弛ませーー
それを木々の間から眺めていた猿田は過去を懐かしみつつもどこか寂しげなむ表情を浮かべている。
「よぉ、エテ公」不躾な男の声ーー犬蔵。「縄をほどいてくれねぇか。取引しようぜ」
「エテ公ってのは、おれのことか?」猿田。
「他に誰がいるんだよ、猿田さん」
「学がない貴殿に教えてやるとな、取引っていうのは、それに見合う代物がなきゃ成立しないんだ。おれは貴殿の縄を解く。貴殿はおれに何をしてくれるっていうんだ?」
「十二鬼面の隠れ家まで案内する」
「ダメだ。それは貴殿の命の代償でしかない。案内する代わりに生かしているんだからな」
「そっか。なら仕方ないな。じゃあ、面白いことをひとつ教えてやるよ」
「面白いこと……?」
犬蔵はニヤリと笑い、喋り出す。
話の途中で猿田は急に振り返り、談笑する桃川とお雉へと視線を向ける。口をぽっかりと開け、呆然としたようにーー
【続く】
燃え上がる焚き火を見つめながら淡々としゃべるお雉に、桃川が感嘆するようにいう。
「意外?」驚いたようにお雉。
「えぇ。語弊があるかもしれませんが、村での勇ましい姿を見て、お雉さんにそんな過去があったとは、思ってもいなかったんでそう思ったんです。もしかしたら、わたしもお雉さんのような過去を背負っているのかもしれませんね」
「……そうだね」お雉の目が深く沈殿した水のように沈み込む。「そうかもしれないね……」
「で、それからどうなったんですか?」
「……え?」
「いやぁ、こんなことをいうのは恐縮なんですが、お雉さんの話が上手いこともあって、どんどん話に引き込まれてしまって、先が気になってしまいまして」
「……そういうことね。聴きたい?」桃川は好奇心を滲ませつつ神妙に頷く。「わかった。河原を後にすると、あたしたちはーー」
猿田とお雉が河原を後にした少し後のこと。江戸は深川にある料亭『上総屋』のとある一室に不穏な四つの影があった。
ひとりは町奉行の大原釼持、ひとりは出会い茶屋の主人である宗方清兵衛、ひとりはヤクザ『忘八助六組』の親分である助六、そしてもうひとりは女衒の三平という顔ぶれだった。
「しかし、あの女に逃げられて、大丈夫なのですかね?」宗方がいった。「何でも、奇妙な浪人者と一緒だと聴きましたが」
「なぁに、うちの手練を六人も送り込んだんだ。その浪人者とやらも助からんだろうよ」助六は口を大きく開けて笑った。「まぁ、今回はダメだったが、しかし、こんなうめぇ話もねぇモンだーー」
助六が口を滑らせた。その内容によると、女衒の三平が目ぼしい女を見つけると、その女と時間を掛けて懇意になり、頃合いになったところで清兵衛の出会い茶屋へと行く、そこで女を気絶させて人形と共に川辺へ放置する。そこへ更に助六の配下の者が第一発見者となり相対死を主張。奉行が両者相対死により晒し者の末、女は助六の手で岡場所へ売られーーということだった。
ちなみに、山分けする銭は三平が女から貢がせている分も含まれ、かつ奉行の目溢しのお陰で助六も清兵衛も何ひとつ気を掛けることなく稼業が営め、奉行も清兵衛も助六の一家の人間を使って邪魔者や競合他者の始末をしたりと利害関係を利用してやりたい放題にやっていた。
「余りそういうことをベラベラとしゃべるものではない」釼持は顔をしかめていった。
「へぇ、これはご無礼を」そういう助六には非礼を侘びる素振りなどまったくなかった。
室内に緊迫した空気が広がった。そんな窮屈な雰囲気を緩和させようとするように清兵衛、
「まぁ、そうお気になさらずとも。今日はパァーっと行きましょう!」そういって清兵衛は手を叩き、「これ、誰かおらぬか?」
と店の女中を呼びつけようとした。が、女中はなかなか現れない。が、少ししたところで障子の向こうにふらっと揺れる影が現れた。
「やっと来たか」立ち上がり障子のほうへゆく清兵衛。「遅いじゃないか、呼んだらすぐにーー」
清兵衛の目が見開かれた。釼持の清兵衛を呼ぶ声。が、清兵衛は振り返るとそのまま倒れてしまった。障子には真っ赤な血が染み込んでおり、その真ん中には鋭い刃が鎮座していた。
その場にいた助六、三平は息を飲み、
「だ、誰でぇ!」
と助六は声を裏返しながらいった。釼持は腰の据わった重い視線を障子に向けている。
刀の刃が障子を引き開けた。
猿田源之助ーー肩が落ちきっていて、まるで死神のようにその影が揺れていた。
「な、何でぇオメェは!」三平が精一杯のドスを利かせていった。
猿田のうしろから覗く顔がひとつーーお雉。お雉の顔を見て、三平は顔を引き吊らせた。
「お、お雉……! 生きてたのか……?」
お雉は何もいわなかった。猿田はお雉に、
「コイツか?」と訊ねると、お雉は静かに恨み辛みを目に滲ませつつ頷いた。「そうか……」
「貴様、何者だ」
釼持が低い声でそう訊ねると、猿田はニヤリと笑って見せ、
「この女の心中相手さ」
と狂犬を片手に部屋の中に踏み込む。
「ふざけおって……! 狼藉者だ! 者共! 出会え! 出会え!」
が、足音は聴こえない。猿田は剱持を嘲笑うように乾いた笑い声を上げた。
「みんな地獄で待ってるよ。ヤクザの若い衆もな。テメェらはみんな仲良く地獄へ行くんだ。身分関係なくな。……死んで貰うぜ」
助六が立ち上がりざま刀を抜くが、猿田のほうが圧倒的に早かった。助六が立ち上がった次の瞬間には、左肩から右脇腹に掛けて、ぱっくりと割られていたのだ。
助六はことばもなしに死んだ。
三平は小さく悲鳴を上げた。脚が震え、立ち上がれないようだ。
猿田はそんな三平を一瞥したかと思うと、すぐに剱持のほうへ意識を向け、ゆっくりと近づいていった。釼持はそこで漸く自分が不利な状況にいることに気づいたらしく、尻餅をついたまま猿田を制するように右手を掲げて、
「ま、待ってくれ! いい腕だな。よし、わかった! わしが貴殿の出世のお膳立てをしてやろう! 貴殿も粗末な浪人暮らしなどこれ以上したくはなかろう! 当然、罪咎も全部、不問にしてやる! 何しろわたしは町奉行だ。大抵のことならどうにでもなる。どうだ? わたしなら、どんなところにでも取り合ってーー」
猿田はことばもなく釼持を切り捨てた。その死んだような目の奥に、父を殺した仇の姿がうっすらと見えるようだった。
猿田は力を抑え隙のない血振りをし、三平のほうを振り返った。
三平の股間がじわりと濡れていく。
猿田はそんな三平の情けない様を冷ややかな目で見つめていたかと思うと、お雉のほうに目を向けて、
「どうする? やろうか?」
が、お雉は、
「いい。……自分でやる」
と三平のほうへとにじり寄っていく。
「ま、待ってくれ! あれは、ウソだったんだ。コイツらに脅されて仕方なかったんだよ。本当はおめぇのことが好きで堪らなかったんだよ。本当だ! おれは今でもおめぇが好きで好きで堪らねぇんだ! だから、許してくれ。な、お雉! この通りだ、許してくれぇ!」
涙ながらに踞り土下座をする三平。そんな三平の首筋に、お雉は容赦なく髪から抜き取った簪を突き立てた。鋭利な簪が首筋に刺さる感触は、包丁が豆腐を切るように柔らかかった。
三平は「グッ……!」と低く鈍い悲鳴を上げ、そのまま絶命した。
お雉は力一杯に握った簪を三平の首筋に突き刺したまま動かなかった。猿田はため息をついて納刀し、お雉の手を握ってゆっくりと三平の首筋から簪を抜いた。
お雉は茫然自失となっていた。髪は乱れ、息は荒い。簪を握った手は力み過ぎて依然として震えていた。猿田はお雉の手を優しく包み、ゆっくりと手のひらを開いてやると、血にまみれた簪を手から抜いてやった。
「……二度目の殺しは、案外楽なモンだね」ふと自嘲気味に笑って見せ、お雉はいった。
「……それより、さっさとここを出よう。追っ手が来る前に江戸を出ないと」
猿田とお雉のふたりはそのまま料亭を後にした。空は雲に包まれ、今にもひと雨来そうだったーー
「と、こんな感じさ。でも、その後すぐに、大雨が来て、どさくさに紛れてあたしと猿ちゃんははぐれてしまった。あたしは行く当てがなくてね。夜鷹と泥棒をやりながら、川越に向かったんだ」
「川越、ですか?」
「うん。だって、猿ちゃんの故郷がそうだから。きっと川越に行けば、また猿ちゃんに会えると思ったんだ。そしたら、本当にそうなった。でも、まさか、川越を後にした後でもこんな形で会えるとは思わなかったけどね」
そういって笑うお雉には、どこか強がりのような涙を我慢しているような趣が見える。
「ひとつ、訊いていいですか?」
「……何?」
「その、三平とやらを殺す時、躊躇いはしなかったんですか? 自分を売った男とはいえ、一度は好きになった人だったんでしょう?」
桃川の質問に対し、お雉は鼻で笑って見せ、
「女の気持ちは秋空よりも移ろいやすいの。その時には、別で好きな男がいたからねーー」
お雉はそういって暗い夜の森の奥を見詰める。
「好きな男が、ですか」桃川も森の奥を見詰める。「こういっては難ですが、その人も随分と不器用な方なのではと思えるのですが、そんな不器用さにウンザリしたりして、気持ちが移ろうことはなかったんですか?」
あたかもそれが答えであるかのように、お雉は口許を弛ませーー
それを木々の間から眺めていた猿田は過去を懐かしみつつもどこか寂しげなむ表情を浮かべている。
「よぉ、エテ公」不躾な男の声ーー犬蔵。「縄をほどいてくれねぇか。取引しようぜ」
「エテ公ってのは、おれのことか?」猿田。
「他に誰がいるんだよ、猿田さん」
「学がない貴殿に教えてやるとな、取引っていうのは、それに見合う代物がなきゃ成立しないんだ。おれは貴殿の縄を解く。貴殿はおれに何をしてくれるっていうんだ?」
「十二鬼面の隠れ家まで案内する」
「ダメだ。それは貴殿の命の代償でしかない。案内する代わりに生かしているんだからな」
「そっか。なら仕方ないな。じゃあ、面白いことをひとつ教えてやるよ」
「面白いこと……?」
犬蔵はニヤリと笑い、喋り出す。
話の途中で猿田は急に振り返り、談笑する桃川とお雉へと視線を向ける。口をぽっかりと開け、呆然としたようにーー
【続く】