【藪医者放浪記~拾参~】

文字数 2,075文字

 人生、何が起こるかわからない。

 だからこそ面白いという人もいるが、正直いって今の茂作にとって面白いと思えることなど何ひとつとしてなかった。

 女房とはるばる川越まで旅行に来てみれば、火消しの職を失ったことを咎められ、それに何の間違いか額に「犬」と書かれた大男にワケのわからない武家屋敷まで連れて来られ、挙げ句の果てには医者に間違われて喋しゃべれなくなった姫君をしゃべれるようにして欲しいとお願いされるなど、普通に考えてワケがわからない。

 大体、何だってこんな目に遭わなければならないのか。茂作は何度となく自問していた。ただ職を失って、博打で得た銭で旅行に来ただけではないか。それで何だってこんなことに。茂作は川越の地が嫌いになり掛けていた。

 そして、今、茂作は表情を引き吊らせながら、肩身の狭い思いで正座をしている。場所はいうまでもなく松平邸の客間。目の前には困惑しきった当主の松平天馬とその娘君であるお咲の君、そして女中であるお羊という女の三人がまるで三人官女のように慎ましく座っている。

 何とかして次の手を考えなければ。でないと、あの気が違った初老の侍に切り捨てられかねない。しかし、これを乗り切れば旗本の当主から褒美を貰える。極楽か地獄か。最初こそ極楽の味を想像した茂作ではあったが、時が経つにつれ、自分が今置かれている状況のマズさを実感し、何もいえなくなっている。

「まだかのぉ……」天馬はぼやく。

「まだ、じゃないですかねぇ……」と茂作。「あの女も薄情ですからねぇ。きっと川越から出てしまったのかもしれませんな。でも、そうなってしまったら治療はいささか厳しくなってきますねぇ……」

 何とかしてこの状況を退けたい。茂作はどうにかして天馬の申し出を断る体のいい言いワケを探し、それっぽいことばを吐き出す。

「そんなぁ……」と天馬。「何とか……、なりませんかねぇ……」

 茂作にすがるように、天馬は懇願する。だが、茂作は茂作で何とかしてでも断りたい。

「実をいえば、西洋の医術的にいえば、しゃべれなくなる病気というのは治療のすべがないといわれているんですよぉ」

 と医術の「い」の字も持ち合わせていないような博打打ちが口から出任せをいって凌ぐ。そうなると天馬も困ったモノで、いつしかシュンとして黙り込んでしまった。お羊も同様。

 これは何とかなりそうだぞ。そう思って茂作は僅かにほくそ笑む。が、ふと顔を上げると、思いも掛けないモノが目に入る。

 お咲の君が笑っているのだ。

 病によって喋れなくなった張本人が、心配する当主や女中のことを差し置いて、何かをほくそ笑んでいるような、そんな不敵な笑みを浮かべているではないか。これには茂作も困惑せざるを得なかった。

『な……、何なんだこのガキんちょは! テメェはしゃべれなくなって困っているってぇのに、何がそんなに面白ぇってんだ……!』

 不敬にもほどがある独白ではあったが、茂作の思ったことも一理あった。というのも、やはり病に掛かった張本人が何故か一番余裕があるようなのだから、不審に思うのも仕方はない。

 が、そうこうしている内に、

「ただいま戻りやしたー!」

 あの大男、犬吉の声が聴こえる。と、天馬もそれに希望の光を見出だしたのか、すぐさま表のほうへと向かおうとしたが、お羊が自分が行って参りますと制し、部屋を後にする。

 が、これには茂作の心臓も跳ね上がりそうになる。もし犬吉がお涼を連れて来てしまえば、自分は今すぐお咲の君を治療しなければならなくなる。しかし、そんなことは困難。加えて、このお咲の君、どうも掴み所がない。こんな状況だというのに薄ら笑いを浮かべる余裕を、茂作は理解出来るはずがなかった。

 と、そうこうしている内に犬吉が乱暴に襖を開けて入って来る。お羊とお涼を連れて。

「おめぇ……!」お涼の登場に絶句する茂作。

「あんた……!」お涼も同様。

「おぉ、犬吉ご苦労だったね」と天馬。「あれ、源之助はどこだい?」

「用事があるとかで先帰っててくれってさ」

「んー、源之助にも困ったモンだねぇ。いや、今はそんなことよりも順庵先生」

「はいぃッ!」裏返る茂作の声。

「順庵せんせぇ?」

 お涼はワケがわからないといった様子。自分が茂作を大藪順庵という医師だといったにも関わらず、まったく無責任なモノだが、お涼はそんなことすっかり忘れていた。

 が、今の茂作にとってそんなことはいっていられるワケもなく。人差し指を口の前で縦にかざして沈黙を促すと、

「いいから、隣に座りなさい」

 とさも威厳があるかのようにしゃべって見せる。だが、お涼からしたら旦那が急にカッコつけた話し振りをするモンだから、

「何、カッコつけちゃって」

「いいから座りなさい」

 そのことばの強さに押されてか、お涼は茂作の隣に正座をし、

「一体何だっていうんだい?」

 と訊ねる。が、その疑問に答えたのは、茂作ではなく、松平天馬のほうだった。

「いやぁ、奥方様。この度はよく来て下さった。実はーー」

 松平天馬の説明とお願いを聴いて、お涼が絶句したのはいうまでもない。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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