【冷たい墓石で鬼は泣く~玖~】

文字数 2,500文字

 夕陽の美しい、日だった。

 まるで夕陽は馬乃助の感情を逆撫でしているかのように静かに佇んでいた。そして、熱で焼きつくさんとするように木に縛りつけられた馬乃助の顔を、敗残者を晒すかのようにして、しっかりと照らしていた。

 結論からいうと、馬乃助は父上に敗北した。

 当たり前だ。まだ子供なんだから。とはいえ、父上も武士。自分の小さい子供が相手とはいえ、勝負を挑まれたら受けるしかない。普通ならそう思う。だが、ことはそう簡単ではなかった。父上は女中に木刀を二本持ってこさせ、一本を受け取り、一本を馬乃助へ投げた。

 木刀が悲鳴を殺しながら足許で弾んだ。馬乃助はワケがわからないとでもいったように木刀を見、それから父上のほうを見た。

「何ですか、これは」

 馬乃助は理解できないといわんばかりにいった。その声色は硬く、感情を圧し殺しているかのようだった。馬乃助のひとことに父上は、

「わたしと勝負がしたいのだろう。だから、これを持って……」父上は木刀を拾い上げ、その切っ先を馬乃助に向ける。「掛かって来い」

 だが、馬乃助は父の提言を冷ややかな目付きで見詰めるばかりだった。だらりと肩を落とし、完全に力が抜けているようだった。

「何故ですか?」馬乃助はいった。

 だが、その場に馬乃助の疑問の理由がわかった者はいなかった。わたしもわからなかった。一体何が不満なのだ。すべては御膳立てされたではないか。そう思った。だが、馬乃助は、

「いえ、こんな棒切れでなく、どうして真剣でやらないのですか?」

 そのことばにその場にいた者たちは凍りついた。そして、呆然としていた。

「……は?」

 父上は破裂し、空気が抜けたようにことばを放った。わたしはそれすら出来なかった。だが、馬乃助はまったくその姿勢を崩さなかった。

「やるならば真剣でやりましょう。棒切れでの叩き合いなど、勝負の内に入りませんよ」

 その時、弟はまるで獲物を睨みつけた蛇のようにニヤリと笑って見せた。その笑みは沼の底の泥のようにネットリとし、不気味だった。わたしはこの時、初めて馬乃助に恐怖を抱いた。これがあの馬乃助なのか。

 確かに、その当時は弟に対して酷いことをいってしまったし、そのキッカケを作ってしまったのが自分であったことから、馬乃助に対する理解がなかったといえばそれまでになるが、だとしても馬乃助は異常だった。

 実の父と真剣で決闘したい。そう思う感覚がまず信じられなかった。理解できなかった。異常だと思った。それは確かにわたしだって何度も折檻され、説教され、その度に悲しさと憎しみを抱いたモノだったが、それにしても父を殺してやろう、決闘しようとは思わなかった。

 だが、馬乃助は違った。馬乃助は、正々堂々と自分の父上を殺めようとしていたのだ。

 その原動力が何なのかはまったくわからなかった。恐らく、それがわたしの想像を絶するほどの怒りと憎しみ、そして悲しみなのだろうとは思ったのだが、それは大海の底の底のように、わたしには理解が及ばないモノだった。

「何をいっているんだ」わたしは思わず口を開いていた。「そんなことをして何の意味がある。そもそも、父上が決闘を受けると木刀を持ち出しただけでも充分だろうに、貴様は実の父に本身の切っ先を向けようというのか?」

「あ?」その時の馬乃助の冷ややかな目付きと相槌は、後に見ることとなる馬乃助の断片だったと、今になってみると思える。「決まってるでないか。殺すためだよ」

 殺す。そのことばに身体を震わさなかった者は、そこには誰もいなかった。それは当然、父上自身もそうだった。そもそも人に対して殺すと宣言するというのは、余程荒んだ場所にでも暮らしていなければ、まずないだろう。それに父上もそんなことは初めていわれたに違いない。目を見開き、口をポッカリと開けて動揺という動揺を飲み込んでいる。

 それから、父上は何とか自身の威厳を誇示せんとばかりにいつもの態度を取ったが、それはハリボテにすぎないとわたしもわかっていた。人間、追い詰められると、まるで自身に余裕があるかを演出するように上からモノをいう性質があるモノだと、その時初めて知った。

 それからは結局、父上や女中、そしてわたしの必死の説得に折れたーーというより、半ば強引にそうさせて、木刀での決闘を認めさせた。

 結果は父上の勝ちだった。

 とはいえ、それは圧勝とはいいがたかった。

 というのも、真剣での勝負でないとなった瞬間に、馬乃助はそれまでの殺気や意欲をすべて失ってしまったかのように虚無的な目付きとなり、切っ先は確かに父上に向けているが、その意識は刀にないといわんばかりだった。

 が、父上の切り込みの多くは幼い馬乃助に捌かれていた。思えば、父上の厳しさも自分にはないモノをわたしに何とか手にして欲しいとのことだったのだろう。

 そう、父上もわたし同様、大した剣の腕を持っていなかったということだ。

 結局、父上は馬乃助の小手を打って勝負は決した。だが、わたしからしたら、それは馬乃助がわざと勝ちを譲ったようにしか見えなかった。多分、退屈で仕方なかったのだろう。道場ではすっかり相手もいなくなり、先生と打ち合うことが常となっていた馬乃助には、父上が大した腕の持ち主でないと一瞬でわかってしまい、ーーこれはあくまで想像だがーー殺すまでもないと悟ってしまったのだろう。

 敗北した馬乃助は中庭の木に縛り付けられ、そのまま夜を過ごすこととなった。夕陽の中で木に括られた馬乃助の顔は印象的で、何も感じていない泥人形のようになっていた。

 夜中、わたしは、馬乃助の様子が気になり、こっそり起きて、様子を伺いに行った。

 すすり泣く声が聴こえた。

 それもそうだろう。馬乃助だって、痛ければ涙も出るし、自分が思っていた以上に父上が大した腕の持ち主でないとわかってしまったら、それは虚無もいいところだろう。

 だが、何かが可笑しかった。

 泣き声の中に、何処か小鳥が嘲笑するような趣があったのをわたしは感じた。わたしは限りなく馬乃助に近づいてみた。

 わたしはことばを失った。

 馬乃助は泣きながら笑っていた。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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