【明日、白夜になる前に~漆拾弐~】
文字数 2,114文字
ネオンが肌を紫に染める。
その光景は何処か挑戦的でありながら、なまめかしくも感じさせる。彼女の肌からじわりと流れる汗が妙に艶っぽい。神経が過敏になっているのか、あるいは恐怖を少しでも紛らわせるためか、それとも心底そう感じてしまっているからかはまったくわからない。
わかっているのは、自分が今置かれている状況に関してだ。まるで危機感がないーー
正直可笑しいと思われても仕方がない。でも、ぼくは思わず、彼女の中に入っている『誰か』に同情してしまっていた。理由はわからない。ただ、自分が何処となく排斥されているというか、時々疎外感のようなモノを強く感じる。それが一番の理由だったのかもしれない。
もしかしたら、里村さんの身体に宿っていることもあり、ある種、ぼく自身、その人格を彼女の別の一面として錯覚しているからなのかもしれない。が、多分そんなオチをつけたところで、何にもならないだろう。
彼女は絶句している。ぼくの同情が意外だったのだろうか、呆気に取られた様子でぼくのことを眺めている。
「お前、何のつもりだ」
彼女は警戒心をまる裸にしていう。ぼくは何も答えない。ぼくに出来ることは、ただ口許をきゅっと締めて彼女のことを見詰めることだけ。締めた口許からは緊張が見えたことだろう。無論だ。情はあったとはいえ、怖いものは怖い。
でも、わかったのだ。
どうせ死ぬなら気丈に生きて死にたいと。
命乞いなんか真っ平だった。そういった情けなさを人間味と呼ぶなら、ぼくは自分の人間味を捨ててでも、気丈に振る舞ってやろうと思った。時間稼ぎなどではなかったーーそう信じたい。ただ、ぼくは今度こそ現実と対峙して、対等に振る舞ってやりたかった。
「何のつもりなんだよ!」
彼女の中の誰かが声を荒げる。よほど動揺しているらしい。これもある意味で滑稽な話だった。半ば強引に監禁したぼくにカウンターの一撃を食らわしたはずの彼女が、どういうワケか更なるカウンターを浴びてグロッキーになっている。もはや何がどうなっているのかわからない。この終着駅がどちらにあるのか、も。
「いってみろ!」
彼女はぼくの頭を強くひっぱたく。結構な衝撃だったとは思うが、勢いで目から涙の欠片が飛び出して来そうだったとはいえ、痛さは殆どなく、ぼくは余裕を持ったフリをした。
「どういうことって」ぼくはとうとう口を開く。「そのまんまの意味だよ」
「あ……?」
「キミはかわいそうだと思う。誰からも望まれず生まれて、誰かに認知されることもなく、彼女の中で孤独にひっそりと朽ち果てて行く。ぼくはちっぽけでろくでなし。だけど、そんなぼくでも会社の人間や昔の同級生、そして家族たちがぼくを認知し、何かしらの声を掛けてくれる。でも、キミにはそれがない」
彼女はうるさいといって、今度はぼくの横面を蹴り飛ばす。流石に意識が吹き飛びそうな痛みと衝撃がある。当たり前だ。女子とはいえ、その体重の多くが彼女の片足に載り、飛んで来るのだから、来世まで連れて行かれそうになるくらいの痛みと衝撃は当たり前のことだった。
そうかと思いきや彼女はそれだけに飽きたらず、何度もぼくの顔を蹴り飛ばしてくる。頭がねじ切れそうになる。首がもげて、すべてが使いモノにならなくなるんじゃないかと思えるくらいに思えてくる。
彼女がその動きを止める。肩で息を切っている。彼女としてはまったく予想外の展開だったことだろう。流石に頭を何回も蹴られて、ぼくの頭の回転は鈍っていた。正直、痛みに限界を感じていた。死ぬ。このままではきっと死ぬだろう。脳挫傷、その他諸々……。
でも、怖くなかった。というより、もはや怖さを感じる余裕すらなくなっていたのかもしれない。ぼくの最後の維持は、彼女の攻撃に屈することなく、ただ耐えて倒れずにいること、それだけだった。
ふと、たまきの姿がよぎる。あの時は恐怖で何も出来なかった。というよりは、彼女を信じようとするあまり、何の行動も起こさずにされるがままになっていたというべきか。
「……『カスミ』」
ポロッとそんなことばが飛び出す。彼女はそれに対して恫喝気味に返事をしてくる。ぼくはそんなことにはお構いなしに続ける。
「キミの名前だよ」
そういってやると、彼女の顔は怒りと動揺で今にも割れそうな能面のようになる。
「……は?」
「名前がないと不便だからね。まるで霞のようにそこにいる、だから『カスミ』」
が、彼女はその名前が気に入らなかったらしく、ぼくの顔面を再び一撃張り、ふざけるなと一喝してくる。だが、ぼくはこれを皮肉や何かでいったワケでは決してなかった。
霞のような存在、それは何処にいても自然にその場に溶け込める存在であるということだ。
確かに彼女は人の肉体の中で生まれて来てしまった、まったく関係のない人格だ。とはいえ、その人格が人間ではないかというとそんなことはない。だってーー、
「キミだって人間だから……」
ぼくは力なくいう。ふと頭がぐらりとする。意識が揺らぐ。世界が崩壊して落ちていくよう。と、その時、何かとてつもない勢いを感じさせる音が聴こえて来た。
ぼくは音に抱かれて闇の中へと落ちて行った。
【続く】
その光景は何処か挑戦的でありながら、なまめかしくも感じさせる。彼女の肌からじわりと流れる汗が妙に艶っぽい。神経が過敏になっているのか、あるいは恐怖を少しでも紛らわせるためか、それとも心底そう感じてしまっているからかはまったくわからない。
わかっているのは、自分が今置かれている状況に関してだ。まるで危機感がないーー
正直可笑しいと思われても仕方がない。でも、ぼくは思わず、彼女の中に入っている『誰か』に同情してしまっていた。理由はわからない。ただ、自分が何処となく排斥されているというか、時々疎外感のようなモノを強く感じる。それが一番の理由だったのかもしれない。
もしかしたら、里村さんの身体に宿っていることもあり、ある種、ぼく自身、その人格を彼女の別の一面として錯覚しているからなのかもしれない。が、多分そんなオチをつけたところで、何にもならないだろう。
彼女は絶句している。ぼくの同情が意外だったのだろうか、呆気に取られた様子でぼくのことを眺めている。
「お前、何のつもりだ」
彼女は警戒心をまる裸にしていう。ぼくは何も答えない。ぼくに出来ることは、ただ口許をきゅっと締めて彼女のことを見詰めることだけ。締めた口許からは緊張が見えたことだろう。無論だ。情はあったとはいえ、怖いものは怖い。
でも、わかったのだ。
どうせ死ぬなら気丈に生きて死にたいと。
命乞いなんか真っ平だった。そういった情けなさを人間味と呼ぶなら、ぼくは自分の人間味を捨ててでも、気丈に振る舞ってやろうと思った。時間稼ぎなどではなかったーーそう信じたい。ただ、ぼくは今度こそ現実と対峙して、対等に振る舞ってやりたかった。
「何のつもりなんだよ!」
彼女の中の誰かが声を荒げる。よほど動揺しているらしい。これもある意味で滑稽な話だった。半ば強引に監禁したぼくにカウンターの一撃を食らわしたはずの彼女が、どういうワケか更なるカウンターを浴びてグロッキーになっている。もはや何がどうなっているのかわからない。この終着駅がどちらにあるのか、も。
「いってみろ!」
彼女はぼくの頭を強くひっぱたく。結構な衝撃だったとは思うが、勢いで目から涙の欠片が飛び出して来そうだったとはいえ、痛さは殆どなく、ぼくは余裕を持ったフリをした。
「どういうことって」ぼくはとうとう口を開く。「そのまんまの意味だよ」
「あ……?」
「キミはかわいそうだと思う。誰からも望まれず生まれて、誰かに認知されることもなく、彼女の中で孤独にひっそりと朽ち果てて行く。ぼくはちっぽけでろくでなし。だけど、そんなぼくでも会社の人間や昔の同級生、そして家族たちがぼくを認知し、何かしらの声を掛けてくれる。でも、キミにはそれがない」
彼女はうるさいといって、今度はぼくの横面を蹴り飛ばす。流石に意識が吹き飛びそうな痛みと衝撃がある。当たり前だ。女子とはいえ、その体重の多くが彼女の片足に載り、飛んで来るのだから、来世まで連れて行かれそうになるくらいの痛みと衝撃は当たり前のことだった。
そうかと思いきや彼女はそれだけに飽きたらず、何度もぼくの顔を蹴り飛ばしてくる。頭がねじ切れそうになる。首がもげて、すべてが使いモノにならなくなるんじゃないかと思えるくらいに思えてくる。
彼女がその動きを止める。肩で息を切っている。彼女としてはまったく予想外の展開だったことだろう。流石に頭を何回も蹴られて、ぼくの頭の回転は鈍っていた。正直、痛みに限界を感じていた。死ぬ。このままではきっと死ぬだろう。脳挫傷、その他諸々……。
でも、怖くなかった。というより、もはや怖さを感じる余裕すらなくなっていたのかもしれない。ぼくの最後の維持は、彼女の攻撃に屈することなく、ただ耐えて倒れずにいること、それだけだった。
ふと、たまきの姿がよぎる。あの時は恐怖で何も出来なかった。というよりは、彼女を信じようとするあまり、何の行動も起こさずにされるがままになっていたというべきか。
「……『カスミ』」
ポロッとそんなことばが飛び出す。彼女はそれに対して恫喝気味に返事をしてくる。ぼくはそんなことにはお構いなしに続ける。
「キミの名前だよ」
そういってやると、彼女の顔は怒りと動揺で今にも割れそうな能面のようになる。
「……は?」
「名前がないと不便だからね。まるで霞のようにそこにいる、だから『カスミ』」
が、彼女はその名前が気に入らなかったらしく、ぼくの顔面を再び一撃張り、ふざけるなと一喝してくる。だが、ぼくはこれを皮肉や何かでいったワケでは決してなかった。
霞のような存在、それは何処にいても自然にその場に溶け込める存在であるということだ。
確かに彼女は人の肉体の中で生まれて来てしまった、まったく関係のない人格だ。とはいえ、その人格が人間ではないかというとそんなことはない。だってーー、
「キミだって人間だから……」
ぼくは力なくいう。ふと頭がぐらりとする。意識が揺らぐ。世界が崩壊して落ちていくよう。と、その時、何かとてつもない勢いを感じさせる音が聴こえて来た。
ぼくは音に抱かれて闇の中へと落ちて行った。
【続く】