【明日、白夜になる前に~伍拾漆~】
文字数 2,047文字
明日の朝になったらすべてがリセットされるーーそうだったらどんなにいいか。
だが、現実は常に地続きで、今日が終わったからといって明日がベターになるかといえばそうではない。悪夢は引き継がれる。都合の悪いことをなかったことにすることなど出来ない。
ぼくは大きく息を吐く。仕事終わりに里村さんと会う約束をしていたのだ。緊張。別の意味での緊張感がぼくの中で募っている。
本当に彼女は来るのだろうか、以前もそんなことを考えていたが、今もやはり同じことを考えている。ただ、その意味合いは昔のモノとは結構違ったモノになっている。
正直、看護士の予定は不定期だ。先月、あるいは先週のここが休みだったのだから、ここなら大丈夫といった保証はまったくない。すべては組まれたシフト次第、だ。
だが、里村さんはぼくの考えに反して、日程を提示しても、何処でも大丈夫と答えた。いや、そんなはずはない。変な話だった。予定を組んでくれないで不信感を抱くならまだしも、予定が何処でも大丈夫といわれてそうなるなんて、一時のぼくからは考えられない。
夜勤とかは大丈夫なの?と訊ねてみても大丈夫と返ってきた。こればかりはワケがわからなかった。大丈夫、とは仕事を辞めたということだろうか。結婚して退職した?ーーだとしたら、ぼくに付き合ってる暇なんかないだろうし、そもそも友人として結婚したという報告くらいはあってもいいはずだ。
だが、それがないということは、そういうことにはなっていないということだろう。思い過ごしだろうか。確かにぼくは里村さんを友人だと思っている。だけど、向こうはそうは思っていなくて、結婚の報告などする必要はないと考えているのかもしれない。それならそれで寂しいけど、でもそれならまだ納得は出来る。
色々考えても仕方がない。答えはあと少しでぼくの前に現れる。
場所は会社のある地域のいつもの駅。別にぼくが楽をするためにそこを選んだワケではない。ただ、向こうがそれを提示して来たのだ。大丈夫なのかと訊ねはしたが、彼女は大丈夫といって聴かなかった。
これは果たしてどうか。
今までの彼女は、当たり前ながら自分の予定と照らし合わせてぼくとの予定を組んでいた。だが、今の彼女はまるで忠実な犬のようにノーをいうことを知らない。下手したら、ぼくがとんでもない要求をしても彼女は応じてしまうのではないか、とも思ってしまった。
駅の改札付近の柱にもたれて、ぼくは待つ。時間潰しにスマホをいじりながら。メッセージが一件。宗方さんからだ。
「お疲れ様です。……これから里村さんに会うんですね。何事もなく、わたしと斎藤さんの不安が杞憂に終わることを祈ってます。でも、もし何かあったら、連絡下さい。ご無事を祈ってます。また、ゴハンに連れてって下さいね」
どんなに餓えていようと、ちょっとした乾パンがあれば、空腹も少しは紛れる。砂漠の上で干からびそうになっていても、コップ一杯の水があれば、多少の潤いを得ることが出来る。ぼくは今、不安と恐怖という熱砂の中で、冷たい水と日除けの傘にありついた気分だった。
ぼくは思わずふと笑ってしまった。今、ぼくに何かがあっても、きっと何も産み出さずに死ぬことはなくなるだろう。
そして、またメッセージが来る。
今度は中西さんからだ。
先ほどからちょいちょいやり取りを続けているのだが、よくよく考えたら、ぼくは彼女のことをろくに知りもしない。それはそうだ。まともに会話したのは、あの縁談の時が最後。その後も何となくはメッセージのやり取りをしていたが、そこから具体的な話に広がることはなかった。正直、彼女とは始まることもなく終わっていたと思っていたほどだった。
「そういえば、最近斎藤さんの会社の近くを通り掛かったんですよ! 改めて見ると立派な会社ですね! きっと斎藤さん、仕事出来る人なんだろうなぁとか思っちゃいました」
足取りの軽さがまったくないメッセージ。一見して相手との距離感が遠いとわかる。まぁ、大して会話もしたことないのだから当たり前といえば当たり前なのだが……。
「お待たせ!」
スマホを弄っていると聞き覚えのある声が聴こえ、顔を向ける。
里村さんの姿がそこにある。
ぼくはホッと息をつく。どうやら、杞憂だったようだ。でも、考えてみたらそれもそうだろう。というか、別に心配するほどのことでもなかったのかもしれない。
ほんと馬鹿バカしい。一体ぼくは何を勘繰っていたのだろう……。
でも、何かが可笑しかった。
彼女の表情は何処かくたびれ、やつれた印象だった。何だろう。仕事のストレスがピークなのだろうか。いや、この短期間でそこまで疲弊することなど余程のことがない限り、あるはずがない。それとも、以前から疲弊していて、それがピークを迎えた?ーーでもそれなら以前会った時点で兆候を見せていたはずだ。
「あぁ……」ぼくは力なく答える。「じゃあ、行こうか……?」
「うん……」
やはり、何かが可笑しい。
【続く】
だが、現実は常に地続きで、今日が終わったからといって明日がベターになるかといえばそうではない。悪夢は引き継がれる。都合の悪いことをなかったことにすることなど出来ない。
ぼくは大きく息を吐く。仕事終わりに里村さんと会う約束をしていたのだ。緊張。別の意味での緊張感がぼくの中で募っている。
本当に彼女は来るのだろうか、以前もそんなことを考えていたが、今もやはり同じことを考えている。ただ、その意味合いは昔のモノとは結構違ったモノになっている。
正直、看護士の予定は不定期だ。先月、あるいは先週のここが休みだったのだから、ここなら大丈夫といった保証はまったくない。すべては組まれたシフト次第、だ。
だが、里村さんはぼくの考えに反して、日程を提示しても、何処でも大丈夫と答えた。いや、そんなはずはない。変な話だった。予定を組んでくれないで不信感を抱くならまだしも、予定が何処でも大丈夫といわれてそうなるなんて、一時のぼくからは考えられない。
夜勤とかは大丈夫なの?と訊ねてみても大丈夫と返ってきた。こればかりはワケがわからなかった。大丈夫、とは仕事を辞めたということだろうか。結婚して退職した?ーーだとしたら、ぼくに付き合ってる暇なんかないだろうし、そもそも友人として結婚したという報告くらいはあってもいいはずだ。
だが、それがないということは、そういうことにはなっていないということだろう。思い過ごしだろうか。確かにぼくは里村さんを友人だと思っている。だけど、向こうはそうは思っていなくて、結婚の報告などする必要はないと考えているのかもしれない。それならそれで寂しいけど、でもそれならまだ納得は出来る。
色々考えても仕方がない。答えはあと少しでぼくの前に現れる。
場所は会社のある地域のいつもの駅。別にぼくが楽をするためにそこを選んだワケではない。ただ、向こうがそれを提示して来たのだ。大丈夫なのかと訊ねはしたが、彼女は大丈夫といって聴かなかった。
これは果たしてどうか。
今までの彼女は、当たり前ながら自分の予定と照らし合わせてぼくとの予定を組んでいた。だが、今の彼女はまるで忠実な犬のようにノーをいうことを知らない。下手したら、ぼくがとんでもない要求をしても彼女は応じてしまうのではないか、とも思ってしまった。
駅の改札付近の柱にもたれて、ぼくは待つ。時間潰しにスマホをいじりながら。メッセージが一件。宗方さんからだ。
「お疲れ様です。……これから里村さんに会うんですね。何事もなく、わたしと斎藤さんの不安が杞憂に終わることを祈ってます。でも、もし何かあったら、連絡下さい。ご無事を祈ってます。また、ゴハンに連れてって下さいね」
どんなに餓えていようと、ちょっとした乾パンがあれば、空腹も少しは紛れる。砂漠の上で干からびそうになっていても、コップ一杯の水があれば、多少の潤いを得ることが出来る。ぼくは今、不安と恐怖という熱砂の中で、冷たい水と日除けの傘にありついた気分だった。
ぼくは思わずふと笑ってしまった。今、ぼくに何かがあっても、きっと何も産み出さずに死ぬことはなくなるだろう。
そして、またメッセージが来る。
今度は中西さんからだ。
先ほどからちょいちょいやり取りを続けているのだが、よくよく考えたら、ぼくは彼女のことをろくに知りもしない。それはそうだ。まともに会話したのは、あの縁談の時が最後。その後も何となくはメッセージのやり取りをしていたが、そこから具体的な話に広がることはなかった。正直、彼女とは始まることもなく終わっていたと思っていたほどだった。
「そういえば、最近斎藤さんの会社の近くを通り掛かったんですよ! 改めて見ると立派な会社ですね! きっと斎藤さん、仕事出来る人なんだろうなぁとか思っちゃいました」
足取りの軽さがまったくないメッセージ。一見して相手との距離感が遠いとわかる。まぁ、大して会話もしたことないのだから当たり前といえば当たり前なのだが……。
「お待たせ!」
スマホを弄っていると聞き覚えのある声が聴こえ、顔を向ける。
里村さんの姿がそこにある。
ぼくはホッと息をつく。どうやら、杞憂だったようだ。でも、考えてみたらそれもそうだろう。というか、別に心配するほどのことでもなかったのかもしれない。
ほんと馬鹿バカしい。一体ぼくは何を勘繰っていたのだろう……。
でも、何かが可笑しかった。
彼女の表情は何処かくたびれ、やつれた印象だった。何だろう。仕事のストレスがピークなのだろうか。いや、この短期間でそこまで疲弊することなど余程のことがない限り、あるはずがない。それとも、以前から疲弊していて、それがピークを迎えた?ーーでもそれなら以前会った時点で兆候を見せていたはずだ。
「あぁ……」ぼくは力なく答える。「じゃあ、行こうか……?」
「うん……」
やはり、何かが可笑しい。
【続く】