【苦難の味は蜜の味】
文字数 3,556文字
四ヶ月連続更新を達成してしまったな。
まるで罪でも犯してしまったようなものいいだけど、正直ここまで続ける予定もなかったんよな。
まぁ、でも、そんな風に更新していると、毎日コンスタントにビューは付くようになっていて、こんなゴミを読んで下さって本当にありがたいと思うのだ。
これは別に媚びているワケでも何でもなく、シンプルにこんなクオリティの低い文章を読んで下さるだけでも充分嬉しいのだ。
そもそも書いている内容に中身がまったくない上に、ブラストのメンバーをディスりまくったりと、罵詈雑言も平気である中、いつも読んで下さる人にはほんと、感謝である。
そんなヤツいない?ーーいると思ってやってねえわ。
まぁ、仮にそういう人がいるとしたら、改めてお礼をいわせて頂きたい。いつも読んで下さり、本当にありがとう。もしよければこれからもよろしくお願い致します。
それから、初めて読んだ人に関していえるのは、何もないし悪意と罵詈雑言に満ちた駄文集だけど、ちょっとでも気に入ったって思えて頂けたら、毎回読むのでなくてもそれだけで嬉しいし、もっと読んでみたいーー仕方ねぇ、付き合ってやるかって思って下さった人がいたらこんなに幸いなことはない。
まぁ、柄にもなく謝辞を述べてしまったのだけど、これも四ヶ月間毎日更新をして個々の記事がそれなりに読まれているという事実を考えれば当たり前のことだと思うのだ。
改めていうわーー本当にありがとう。
こうやって思えるのも、波があるとはいえ、四ヶ月間、このゴミのような文章の更新を続けてきたからだ。
そう思い返してみると、おれという人間は案外何かひとつのことを続けられるタイプの人間なのだろうなと思うのだ。
慢心か?と思われるかもしれないけど、現実に自分という人間は色々なモノを継続してやれている。
この駄文集では一度も話題に挙げたことがなかったが、実をいえば、歌のレッスンに通って七年になるし、筋トレも断続的ではあるけれど、二〇年近く続けられているし、ブラストも何だかんだ六年続いているし、殺陣も試行錯誤を重ねながら六年続けている。
どれも例のアレによる休止期間や、ブラストに関しては、外部からサポートしていたとはいえ、辞めていた期間が一年あるから実質の所属は五年、活動期間としては四年半になるし、殺陣も休止期間が長かったこともあって実質三年くらいしかやっていないことになるけれど、とはいえ、それでもよく続いているものだろう。
そしてもうひとつーー居合に関してだ。
居合も気づけば始めて四年以上が経っていた。正直、自分でもよく続いているモノだと思う。四年間、考えてみれば色々なことがあった。
初段の時は大会にて三位入賞、弐段の時には優勝を経験しているーーちなみに、今年は大会自体なかったんで、参段になって一年目は無冠なのは仕方ない。
しかし、段も参段、師匠である坂久保先生からは道場の双璧のひとりといって頂けるほどの実力を得ることができた。やはり、これもただダラダラと続けたのでなく、向上心を持ち、前進することを継続できたからだと思うのだ。
怠惰で、何かを向上させることも知らなかった少年期の自分からはまったく想像できなかった程に向上心を持てたのも、居合の影響が大きかったと思う。
とまぁ、そんな風に過去を振り返るのもいいのだけど、肝心の本題のほうにもいかなきゃな。そう、『居合篇』の続きである。あらすじーー
『初めての居合、それは自分が考えていた以上に過酷なモノだった。鞘から刀は抜けないし、体捌きもできない。先行きは不安定な中、坂久保さんに「続けますか?」と訊ねられたおれは、首を縦に振ってしまったのだった』
とこんな感じだな。今日から少しペースアップしていくか。んじゃ、やってくーー
初めての居合を終えて、おれはどうするか考えていた。
確かに続けるとはいったーーいってしまった。だが、本当に続けられるかは疑わしかった。
というのも、正直、あそこまで刀が抜けないとは思わなかったからだ。オマケに体捌きは難しいし、できる気がしなかった。
加えて、もし仮に続けられたとしても、上達できるイメージはまったくなかった。それくらいにおれは迷っていた。
そもそも、たった一回の稽古体験にも関わらず、自分にとってはある種のカルチャーショックが起きていた。
ここで問題である。
刀を抜くのは身体のどこの部分だろうか?
ここで「右手」と答えたアナタは見事不正解、刀の扱いを知らない普通の人である。
これは別にディスっているワケでも何でもなく、刀を扱ったことのない人の共通認識みたいなものだ。
では、どこで抜くか。
これは、人に依ってどちらかに意見が分かれるかと思うのだけど、正解は「左手、あるいは腰」である。
いやいや、鞘を持つ左手や、鞘や刀と関係のない腰でどうやって刀を抜くんだよと思われるかもしれないが、残念ながらこれが事実だ。
では、右手は何をするかーー答えは「ただ振るうだけ、構えるだけ」だ。それ以上のことはしない。
ちなみに、右手で刀を抜くと、牛蒡抜きになり、抜く速さも落ち、効果的な斬撃もできなくなるためやってはいけないのだ。
では、左手や腰での抜刀なのだけど、これは後で説明する。ここで説明すると、長くなるんでね。
そんな感じでしっかりと続けていけるかという不安を持ちつつ、翌週になっておれは再び稽古に訪れたのだ。
坂久保さんから刀をお借りし、臼田さんと別の新人と三人で稽古を受けることとなった。
この日は向山さんはおらず、「塩谷さん」という様々な流派や道場を転々として修行していた方に稽古をつけて頂くこととなった。
塩谷さんは七〇代の男性なのだが、向山さん同様ーーいや、下手したら向山さんより若く見えた。正直、初めてお会いした時は五〇代の前半だと思っていたのだ。それはさておきーー
塩谷さんの稽古は向山さんのモノとはまた異なっていた。
向山さんの稽古は、ひとつの業を理を以てしっかりと説明しつつ、じっくりと突き詰めていくやり方だった。
が、塩谷さんの稽古は、理を簡単に説明しつつ、流すように業をやっていくのが特徴的だった。というのも、「一度に覚えるのは無理なのだから、まずは表面に触れる必要がある」ということだった。これはこれで理に叶っている。
が、表面をザッとさらう稽古スタイルとなると、展開も早いため、ついていくのもひと苦労だった。とてもじゃないが、体捌きは追い付かないし、業すら曖昧で上手く体現できない。
オマケに、手首関節が硬いという弱点をずばり指摘されてしまい、おれの中にあった体験に来る前の自信は完全に死滅していた。
稽古開始から二時間が経とうとする頃、塩谷さんはお帰りになり、坂久保さんが自分らの指導に当たることとなった。
が、坂久保さんの指導は向山さんや塩谷さん以上に厳しかった。とにかく、体捌きに拘る坂久保さんの稽古スタイルは、身体の使い方が下手なおれにはとてもハードルが高かった。
そりゃ、今は坂久保先生に「こういう抜き方と体捌きでやって下さい」といわれたら、瞬時にこなせるが、この当時はまったく無理。刀は抜けないし、体捌きもついていかない。
「違います。体捌きと刀の動きが合ってない。体捌きが狂ってしまっている」
そんな風にいわれる有り様である。これには自分の中の全自信も首を吊るだろう。
とはいえ、坂久保さんが何より優れていたのは、できないことには厳しいが、できたこと、素晴らしい部分はしっかりと取り上げて誉めて下さることだった。
とはいえ、当時のおれはそんなことを意識する余裕はなく、稽古が終わった頃には殆ど自信を失い掛けていたのだ。
「どうでした? もう少し続けてみます?」
稽古後、坂久保さんに再度そう訊ねられた。辞めますーーそういおうかとも思った。が、折角始めてみたのだから、とおれは、
「はい。来週もよろしくお願い致します」
と答えていた。自信はなかった。稽古は厳しいし、身体の運用がどうにも上手くいかない。とはいえ、楽しかったのも事実だった。
もう少し、やってみよう。ダメだったら、連絡を絶ってそのままバックレればいいだけだ。ただ、ほんの少しの「楽しさ」に、今はすがってみよう。そう思い、おれはもう少し居合をやってみることにしたのだーー
と、今日はこんな感じ。思い返してみると、今じゃあり得ないことばかりだな。今は稽古が楽しくて仕方ないしさ。
それだけ成長したってことか。
同様に、文章書くのも成長していければいいと思う。とりあえず、ここまで読んでくれたアナタに改めてお礼をいうわ。ありがとう。よければ、明日以降もよろしくお願い致します。
アスタラビスタ。
まるで罪でも犯してしまったようなものいいだけど、正直ここまで続ける予定もなかったんよな。
まぁ、でも、そんな風に更新していると、毎日コンスタントにビューは付くようになっていて、こんなゴミを読んで下さって本当にありがたいと思うのだ。
これは別に媚びているワケでも何でもなく、シンプルにこんなクオリティの低い文章を読んで下さるだけでも充分嬉しいのだ。
そもそも書いている内容に中身がまったくない上に、ブラストのメンバーをディスりまくったりと、罵詈雑言も平気である中、いつも読んで下さる人にはほんと、感謝である。
そんなヤツいない?ーーいると思ってやってねえわ。
まぁ、仮にそういう人がいるとしたら、改めてお礼をいわせて頂きたい。いつも読んで下さり、本当にありがとう。もしよければこれからもよろしくお願い致します。
それから、初めて読んだ人に関していえるのは、何もないし悪意と罵詈雑言に満ちた駄文集だけど、ちょっとでも気に入ったって思えて頂けたら、毎回読むのでなくてもそれだけで嬉しいし、もっと読んでみたいーー仕方ねぇ、付き合ってやるかって思って下さった人がいたらこんなに幸いなことはない。
まぁ、柄にもなく謝辞を述べてしまったのだけど、これも四ヶ月間毎日更新をして個々の記事がそれなりに読まれているという事実を考えれば当たり前のことだと思うのだ。
改めていうわーー本当にありがとう。
こうやって思えるのも、波があるとはいえ、四ヶ月間、このゴミのような文章の更新を続けてきたからだ。
そう思い返してみると、おれという人間は案外何かひとつのことを続けられるタイプの人間なのだろうなと思うのだ。
慢心か?と思われるかもしれないけど、現実に自分という人間は色々なモノを継続してやれている。
この駄文集では一度も話題に挙げたことがなかったが、実をいえば、歌のレッスンに通って七年になるし、筋トレも断続的ではあるけれど、二〇年近く続けられているし、ブラストも何だかんだ六年続いているし、殺陣も試行錯誤を重ねながら六年続けている。
どれも例のアレによる休止期間や、ブラストに関しては、外部からサポートしていたとはいえ、辞めていた期間が一年あるから実質の所属は五年、活動期間としては四年半になるし、殺陣も休止期間が長かったこともあって実質三年くらいしかやっていないことになるけれど、とはいえ、それでもよく続いているものだろう。
そしてもうひとつーー居合に関してだ。
居合も気づけば始めて四年以上が経っていた。正直、自分でもよく続いているモノだと思う。四年間、考えてみれば色々なことがあった。
初段の時は大会にて三位入賞、弐段の時には優勝を経験しているーーちなみに、今年は大会自体なかったんで、参段になって一年目は無冠なのは仕方ない。
しかし、段も参段、師匠である坂久保先生からは道場の双璧のひとりといって頂けるほどの実力を得ることができた。やはり、これもただダラダラと続けたのでなく、向上心を持ち、前進することを継続できたからだと思うのだ。
怠惰で、何かを向上させることも知らなかった少年期の自分からはまったく想像できなかった程に向上心を持てたのも、居合の影響が大きかったと思う。
とまぁ、そんな風に過去を振り返るのもいいのだけど、肝心の本題のほうにもいかなきゃな。そう、『居合篇』の続きである。あらすじーー
『初めての居合、それは自分が考えていた以上に過酷なモノだった。鞘から刀は抜けないし、体捌きもできない。先行きは不安定な中、坂久保さんに「続けますか?」と訊ねられたおれは、首を縦に振ってしまったのだった』
とこんな感じだな。今日から少しペースアップしていくか。んじゃ、やってくーー
初めての居合を終えて、おれはどうするか考えていた。
確かに続けるとはいったーーいってしまった。だが、本当に続けられるかは疑わしかった。
というのも、正直、あそこまで刀が抜けないとは思わなかったからだ。オマケに体捌きは難しいし、できる気がしなかった。
加えて、もし仮に続けられたとしても、上達できるイメージはまったくなかった。それくらいにおれは迷っていた。
そもそも、たった一回の稽古体験にも関わらず、自分にとってはある種のカルチャーショックが起きていた。
ここで問題である。
刀を抜くのは身体のどこの部分だろうか?
ここで「右手」と答えたアナタは見事不正解、刀の扱いを知らない普通の人である。
これは別にディスっているワケでも何でもなく、刀を扱ったことのない人の共通認識みたいなものだ。
では、どこで抜くか。
これは、人に依ってどちらかに意見が分かれるかと思うのだけど、正解は「左手、あるいは腰」である。
いやいや、鞘を持つ左手や、鞘や刀と関係のない腰でどうやって刀を抜くんだよと思われるかもしれないが、残念ながらこれが事実だ。
では、右手は何をするかーー答えは「ただ振るうだけ、構えるだけ」だ。それ以上のことはしない。
ちなみに、右手で刀を抜くと、牛蒡抜きになり、抜く速さも落ち、効果的な斬撃もできなくなるためやってはいけないのだ。
では、左手や腰での抜刀なのだけど、これは後で説明する。ここで説明すると、長くなるんでね。
そんな感じでしっかりと続けていけるかという不安を持ちつつ、翌週になっておれは再び稽古に訪れたのだ。
坂久保さんから刀をお借りし、臼田さんと別の新人と三人で稽古を受けることとなった。
この日は向山さんはおらず、「塩谷さん」という様々な流派や道場を転々として修行していた方に稽古をつけて頂くこととなった。
塩谷さんは七〇代の男性なのだが、向山さん同様ーーいや、下手したら向山さんより若く見えた。正直、初めてお会いした時は五〇代の前半だと思っていたのだ。それはさておきーー
塩谷さんの稽古は向山さんのモノとはまた異なっていた。
向山さんの稽古は、ひとつの業を理を以てしっかりと説明しつつ、じっくりと突き詰めていくやり方だった。
が、塩谷さんの稽古は、理を簡単に説明しつつ、流すように業をやっていくのが特徴的だった。というのも、「一度に覚えるのは無理なのだから、まずは表面に触れる必要がある」ということだった。これはこれで理に叶っている。
が、表面をザッとさらう稽古スタイルとなると、展開も早いため、ついていくのもひと苦労だった。とてもじゃないが、体捌きは追い付かないし、業すら曖昧で上手く体現できない。
オマケに、手首関節が硬いという弱点をずばり指摘されてしまい、おれの中にあった体験に来る前の自信は完全に死滅していた。
稽古開始から二時間が経とうとする頃、塩谷さんはお帰りになり、坂久保さんが自分らの指導に当たることとなった。
が、坂久保さんの指導は向山さんや塩谷さん以上に厳しかった。とにかく、体捌きに拘る坂久保さんの稽古スタイルは、身体の使い方が下手なおれにはとてもハードルが高かった。
そりゃ、今は坂久保先生に「こういう抜き方と体捌きでやって下さい」といわれたら、瞬時にこなせるが、この当時はまったく無理。刀は抜けないし、体捌きもついていかない。
「違います。体捌きと刀の動きが合ってない。体捌きが狂ってしまっている」
そんな風にいわれる有り様である。これには自分の中の全自信も首を吊るだろう。
とはいえ、坂久保さんが何より優れていたのは、できないことには厳しいが、できたこと、素晴らしい部分はしっかりと取り上げて誉めて下さることだった。
とはいえ、当時のおれはそんなことを意識する余裕はなく、稽古が終わった頃には殆ど自信を失い掛けていたのだ。
「どうでした? もう少し続けてみます?」
稽古後、坂久保さんに再度そう訊ねられた。辞めますーーそういおうかとも思った。が、折角始めてみたのだから、とおれは、
「はい。来週もよろしくお願い致します」
と答えていた。自信はなかった。稽古は厳しいし、身体の運用がどうにも上手くいかない。とはいえ、楽しかったのも事実だった。
もう少し、やってみよう。ダメだったら、連絡を絶ってそのままバックレればいいだけだ。ただ、ほんの少しの「楽しさ」に、今はすがってみよう。そう思い、おれはもう少し居合をやってみることにしたのだーー
と、今日はこんな感じ。思い返してみると、今じゃあり得ないことばかりだな。今は稽古が楽しくて仕方ないしさ。
それだけ成長したってことか。
同様に、文章書くのも成長していければいいと思う。とりあえず、ここまで読んでくれたアナタに改めてお礼をいうわ。ありがとう。よければ、明日以降もよろしくお願い致します。
アスタラビスタ。