【帝王霊~弐~】
文字数 2,903文字
聞き慣れてはいるが懐かしい声。
あたしは今、事務所にて電話を掛けている。相手は双子の姉である『長谷川八重』だ。
両親の他界しているあたしにとって、ヤエは残された最後の家族だ。
あたしの苗字が『武井』でヤエの苗字が『長谷川』なのは、どちらかが結婚したから、とかではまったくない。そもそも残念なことに双子の姉妹揃って未婚の彼氏なしである。
では、何故苗字が違うのかといえば、シンプルに両親が離婚した際にどちらに引き取られたか、ということである。
母に引き取られ、母の旧姓を名乗ることとなったヤエに対し、あたしは警察官だった父に引き取られ、引き続き『武井』という姓を名乗ることとなったーーそれだけの話だ。
あたしとヤエは、互いに真逆のタイプであるとはいえ、それなりには仲がいい。両親が離婚した後も度々会ってはいたし、会う度に近況を話しては盛り上がっていた。
だが、ここ数年は互いの仕事が忙しくて余り連絡を取ることもなくなっていたーー
はずだった。
だが、ある事件がそれを変えた。その事件というのが、あたしが『ヤーヌス・コーポレーション』の『成松蓮斗』にハメられ、暴行を受け、かつての上司を殺されて、その罪を擦り付けられるといったモノだった。
結局、その事件は成松の取り計らいと、あたしの警察官時代の先輩である『弓永龍』の奔走によって、あたしの無実は証明される形で幕を閉じた。だが、無実が証明されたとはいえ、一度あらぬ疑いを掛けられれば、いうまでもなくネームバリューにはキズがつく。
お陰で、しがない探偵業務も依頼人の数は激減し、暇な時間が増えてしまった。
命があるだけマシ、という考え方も出来なくはないが、とはいえ仕事で食い扶持を稼がなければ、命だって脱兎のように逃げていく。
とはいえ、生きていたのは本当に幸いだった。以降、あたしはヤエとコンスタントに連絡を取るようになった。
ヤエは一週間毎に電話するあたしに対し、イヤそうな素振りを見せることなく、毎回嬉々として一週間にあったことを教えてくれる。
とはいえ、反対にあたしはこれといって話すことはない。そもそも探偵という業務の性質上、守秘義務によって仕事のことをペラペラと喋れないというのもあるのだけど。
「で、最近はもう生徒たちが可愛くてさ」
嬉々としてヤエは話す。ヤエは埼玉県の川澄市にて公立中学の教員をしている。担当の教科は国語ーー昔からヤエが得意だった科目だ。
そんな彼女がどうして教員になったか、といえば、そのルーツは「あたしがどうして警察官になったのか」と同じところにあるのだけど、それはまた別の話ーー
「……そっか」
「アイは? 最近どうなの?」
「あたしは……、まぁ、普通にやれてるよ」
普通にやれている。これが如何に幸せなことか、それを知るのはあたしだけでいい。
「そっかぁ。でも、アレだね」
「……何?」
「最近、アイが良く連絡くれてすごく嬉しい。前まではそんなことなくて、何かあったのかな、とは思ったんだけど、電話とはいえ、こうやって話してると何か昔を思い出すなぁって」
それはあたしもそうだ。一度死に掛け、下手したら親族にも危機が及び兼ねないような状況になると、親族ーーそれもたったひとり生き残っている姉というのは、非常に大切な存在だと改めて確信するモノだ。
「……あたしも、だよ」
「ほんとに? 何か嬉しいなぁ。アイってわたしと違ってクールじゃない? だからーー」
その時、インターフォンも鳴らさずに事務所にズカズカと上がり込んで来る無作法な音を聴いた。あたしの神経は糸を張ったように緊張する。あたしはスマホを耳から離しつつ、やや椅子から腰を浮かせてーー
「どなた!?」
と少々キツイ言い方でいってやる。
「おれだよ」
あたしは大きくため息をつき、再び椅子に深く腰掛け、無作法な来訪者に向けて、
「少しは人間的な常識を覚えたらどう? 人の家や職場に部外者が無断で入るのは、マナーというか、常識的な意味でもどうかと思うよ」
「何いってやがる。おれとお前の関係じゃ、今さら常識だ何だなんていうことでもねぇだろ」
そういって姿を現したのは、弓永龍だった。
今更説明するほどでもないのかもしれないが、この薄汚くて、警察官といっても信じて貰えなさそうなボサボサの長髪の男こそが、あたしの警察官時代の先輩であり、『ヤーヌス事件』にてあたしを助けてくれた男、弓永龍だ。
まぁ、警察官としては優秀な部類に入るのだが、如何せん人間としては悪人と殆ど同類項のなかなかに問題のある人物でもある。
「知ってた? 仮に恋人同士でもプライベートってモノがあってね。況してや恋人ですらないあたしとアナタじゃそういった線引きはより深くなされるべきなんだけど」
「でも、元はといえば職場の先輩後輩だろ?」
「あのね、そういうのをパワハラっていうんだよ。アナタには難し過ぎたかな?」
「ハッ! 何がパワハラだ。ここまで来ると社会全体がアレルギーに掛かったようなもんだな。蕁麻疹が出そうだぜ」
「それはお互い様。相変わらず中生白亜期に取り残されたティラノサウルスみたいな考え方で何より」
「ーーあぁ、例の警察の先輩?」
スマホのスピーカーから微かにそう聴こえる。しまった、ヤエとの電話の最中だった。あたしはすぐさま電話に戻るとーー
「うん、ごめんね、躾のなってない先輩で」
「ううん、いいコンビじゃん」
「何処が」
「色んなところが、だよ」何だか納得がいかなかった。「忙しそうだし、今日はここまでにしておこうか。また話そうよ」
「うん、そうだね」
また次の機会にーー本当にその機会が訪れてくれることをこころから祈って。
「そうだ、今度紹介したい人がいるんだ。良かったら会って貰えないかな?」
突然のヤエの申し出に、あたしは驚く。
「え、誰? 彼氏?」
ヤエに彼氏なんて珍しいにもほどがある。ヤエも男と付き合った経験はあるにはあるが、大抵の場合はあのマイペースさで長くは続かない。ヤエは「ふふ」っと微笑して、
「それは、お、た、の、し、み。じゃあ、またねッ!」
「うん……、身体には気をつけてね」
「ありがとう。アイも、ね!」
電話が静かに切れる。
「姉貴か」
そういう弓永くんは、いつの間にか事務所のソファに深く腰掛けてくつろいでいる。
「普通こちらが薦めるまでは立って待つもんだと思うけど」
「そんな堅苦しい段取りはなしでいいだろ。それより、面白い話があるんだけどな」
「何? プレミア価格のついたレトロゲームが保存の良い状態で中古市場に出回ってるのを見つけたくれた、とか?」
「ゲームよりももっと面白い話だ。『ヤーヌス』についてなんだがな」
あたしはガタッと音を立てて、思わず立ち上がる。頭は湯だったように白濁となる。
「今、『ヤーヌス』っていった……?」
「あぁ。でも、そうなると当然『あの女』も関わって来るかもしれねぇな」
あの女ーー人を食ったようなコケティッシュな雰囲気を持った鼻持ちならないあの女。あたしの口許が思わず緩む。
「話、聴こうか……」
武者震いが止まらなかった。
【続く】
あたしは今、事務所にて電話を掛けている。相手は双子の姉である『長谷川八重』だ。
両親の他界しているあたしにとって、ヤエは残された最後の家族だ。
あたしの苗字が『武井』でヤエの苗字が『長谷川』なのは、どちらかが結婚したから、とかではまったくない。そもそも残念なことに双子の姉妹揃って未婚の彼氏なしである。
では、何故苗字が違うのかといえば、シンプルに両親が離婚した際にどちらに引き取られたか、ということである。
母に引き取られ、母の旧姓を名乗ることとなったヤエに対し、あたしは警察官だった父に引き取られ、引き続き『武井』という姓を名乗ることとなったーーそれだけの話だ。
あたしとヤエは、互いに真逆のタイプであるとはいえ、それなりには仲がいい。両親が離婚した後も度々会ってはいたし、会う度に近況を話しては盛り上がっていた。
だが、ここ数年は互いの仕事が忙しくて余り連絡を取ることもなくなっていたーー
はずだった。
だが、ある事件がそれを変えた。その事件というのが、あたしが『ヤーヌス・コーポレーション』の『成松蓮斗』にハメられ、暴行を受け、かつての上司を殺されて、その罪を擦り付けられるといったモノだった。
結局、その事件は成松の取り計らいと、あたしの警察官時代の先輩である『弓永龍』の奔走によって、あたしの無実は証明される形で幕を閉じた。だが、無実が証明されたとはいえ、一度あらぬ疑いを掛けられれば、いうまでもなくネームバリューにはキズがつく。
お陰で、しがない探偵業務も依頼人の数は激減し、暇な時間が増えてしまった。
命があるだけマシ、という考え方も出来なくはないが、とはいえ仕事で食い扶持を稼がなければ、命だって脱兎のように逃げていく。
とはいえ、生きていたのは本当に幸いだった。以降、あたしはヤエとコンスタントに連絡を取るようになった。
ヤエは一週間毎に電話するあたしに対し、イヤそうな素振りを見せることなく、毎回嬉々として一週間にあったことを教えてくれる。
とはいえ、反対にあたしはこれといって話すことはない。そもそも探偵という業務の性質上、守秘義務によって仕事のことをペラペラと喋れないというのもあるのだけど。
「で、最近はもう生徒たちが可愛くてさ」
嬉々としてヤエは話す。ヤエは埼玉県の川澄市にて公立中学の教員をしている。担当の教科は国語ーー昔からヤエが得意だった科目だ。
そんな彼女がどうして教員になったか、といえば、そのルーツは「あたしがどうして警察官になったのか」と同じところにあるのだけど、それはまた別の話ーー
「……そっか」
「アイは? 最近どうなの?」
「あたしは……、まぁ、普通にやれてるよ」
普通にやれている。これが如何に幸せなことか、それを知るのはあたしだけでいい。
「そっかぁ。でも、アレだね」
「……何?」
「最近、アイが良く連絡くれてすごく嬉しい。前まではそんなことなくて、何かあったのかな、とは思ったんだけど、電話とはいえ、こうやって話してると何か昔を思い出すなぁって」
それはあたしもそうだ。一度死に掛け、下手したら親族にも危機が及び兼ねないような状況になると、親族ーーそれもたったひとり生き残っている姉というのは、非常に大切な存在だと改めて確信するモノだ。
「……あたしも、だよ」
「ほんとに? 何か嬉しいなぁ。アイってわたしと違ってクールじゃない? だからーー」
その時、インターフォンも鳴らさずに事務所にズカズカと上がり込んで来る無作法な音を聴いた。あたしの神経は糸を張ったように緊張する。あたしはスマホを耳から離しつつ、やや椅子から腰を浮かせてーー
「どなた!?」
と少々キツイ言い方でいってやる。
「おれだよ」
あたしは大きくため息をつき、再び椅子に深く腰掛け、無作法な来訪者に向けて、
「少しは人間的な常識を覚えたらどう? 人の家や職場に部外者が無断で入るのは、マナーというか、常識的な意味でもどうかと思うよ」
「何いってやがる。おれとお前の関係じゃ、今さら常識だ何だなんていうことでもねぇだろ」
そういって姿を現したのは、弓永龍だった。
今更説明するほどでもないのかもしれないが、この薄汚くて、警察官といっても信じて貰えなさそうなボサボサの長髪の男こそが、あたしの警察官時代の先輩であり、『ヤーヌス事件』にてあたしを助けてくれた男、弓永龍だ。
まぁ、警察官としては優秀な部類に入るのだが、如何せん人間としては悪人と殆ど同類項のなかなかに問題のある人物でもある。
「知ってた? 仮に恋人同士でもプライベートってモノがあってね。況してや恋人ですらないあたしとアナタじゃそういった線引きはより深くなされるべきなんだけど」
「でも、元はといえば職場の先輩後輩だろ?」
「あのね、そういうのをパワハラっていうんだよ。アナタには難し過ぎたかな?」
「ハッ! 何がパワハラだ。ここまで来ると社会全体がアレルギーに掛かったようなもんだな。蕁麻疹が出そうだぜ」
「それはお互い様。相変わらず中生白亜期に取り残されたティラノサウルスみたいな考え方で何より」
「ーーあぁ、例の警察の先輩?」
スマホのスピーカーから微かにそう聴こえる。しまった、ヤエとの電話の最中だった。あたしはすぐさま電話に戻るとーー
「うん、ごめんね、躾のなってない先輩で」
「ううん、いいコンビじゃん」
「何処が」
「色んなところが、だよ」何だか納得がいかなかった。「忙しそうだし、今日はここまでにしておこうか。また話そうよ」
「うん、そうだね」
また次の機会にーー本当にその機会が訪れてくれることをこころから祈って。
「そうだ、今度紹介したい人がいるんだ。良かったら会って貰えないかな?」
突然のヤエの申し出に、あたしは驚く。
「え、誰? 彼氏?」
ヤエに彼氏なんて珍しいにもほどがある。ヤエも男と付き合った経験はあるにはあるが、大抵の場合はあのマイペースさで長くは続かない。ヤエは「ふふ」っと微笑して、
「それは、お、た、の、し、み。じゃあ、またねッ!」
「うん……、身体には気をつけてね」
「ありがとう。アイも、ね!」
電話が静かに切れる。
「姉貴か」
そういう弓永くんは、いつの間にか事務所のソファに深く腰掛けてくつろいでいる。
「普通こちらが薦めるまでは立って待つもんだと思うけど」
「そんな堅苦しい段取りはなしでいいだろ。それより、面白い話があるんだけどな」
「何? プレミア価格のついたレトロゲームが保存の良い状態で中古市場に出回ってるのを見つけたくれた、とか?」
「ゲームよりももっと面白い話だ。『ヤーヌス』についてなんだがな」
あたしはガタッと音を立てて、思わず立ち上がる。頭は湯だったように白濁となる。
「今、『ヤーヌス』っていった……?」
「あぁ。でも、そうなると当然『あの女』も関わって来るかもしれねぇな」
あの女ーー人を食ったようなコケティッシュな雰囲気を持った鼻持ちならないあの女。あたしの口許が思わず緩む。
「話、聴こうか……」
武者震いが止まらなかった。
【続く】