【丑寅は静かに嗤う~地獄】
文字数 2,368文字
黒い筒が灰色の硝煙を吐き出す。
まるで魔物のようなその口は、小さくも、あらゆる人間の命を喰らい尽くしてしまいそうなほど強欲な様相を呈している。
黒い筒を持つ手がゆっくりと下ろされる。華奢で繊細な手に握られるは、とても似つかわしくない、回転式の単筒。それも、日本では見られないような特殊な形と型式を持っている。
猿田源之助は左胸と口から鮮血を吐き出して、動かなくなっていた。目は見開かれており、そこにある眼は生気を失い、肉体が完全な屍となってしまったことを物語っていた。
十二鬼面の本殿、その入り口から不作法な足音が聴こえて来る。一定せず、不定期な足音は、その主が手負いであると告げているよう。
「猿の旦那ッ!」
そういって本殿の入り口に現れたのは、犬蔵だった。外での戦いで傷ついた身体は、犬蔵から素早さと淀みない動きを奪っていた。
犬蔵は炎で照らされた本殿を見渡す。そして、見つけてしまう。面の外れた坤と猿田源之助の亡骸を。犬蔵の顔に絶望の色が浮かぶ。
「……猿の旦那?」
重く鈍い足取り。まるで悲哀が足音を立てて歩いているようだ。走ろうにも、傷ついた身体がそれを許さない。犬蔵は足を引き摺り、
「旦那ァッ!」
犬蔵は前のめりになって猿田のほうへと向かおうとした、その時だった。
突然、犬蔵は動きを止める。目を見開き、うっという呻き声を上げて。
犬蔵はカラクリ人形のようにギコチナイ動きで首を動かし、背後を見る。
犬蔵のうしろ脇腹に長い刀の刀身が突き立てられており、肉をえぐり、貫いている。その刀を握っているのは、毛だらけの手。
「……ッ!」
苦痛が口から漏れ出る。更にうしろを見る。と、そこには毛だらけの男の姿。
「やっと、捉えたわよ……。戌亥……!」
毛だらけの男。それは素顔の辰巳だ。
辰巳は混乱の最中、猿田に斬られて絶命したはずだった。だが、微かにその命の灯火は残っていた。切れ味の鈍った『狂犬』では、辰巳の面を割り、かつ肉体に致命的な一撃を喰らわすには不足だった。
一時は気を失って寝ていた辰巳は、目を覚ますと本殿へ走る犬蔵の姿を見つけると、最後の力を振り絞って犬蔵を追い掛けたのだった。
辰巳は握っている刀を思い切り捻る。
「……ッ!」犬蔵の呻き声が更に大きくなる。
「あたしを恨まないでよ……。悪いのは、全部アンタなんだから……。アンタがあたしの誘いを断ったのがいけない、のよ……!」
犬蔵は全身を強張らせながらも何とか右手を刀の柄まで持っていき、手を掛ける。
が、辰巳もそれを見逃さない。
辰巳は犬蔵の刀の鞘を左手で勢い良く持ち上げる。持ち上げられた鞘は犬蔵の身体までもを前に折り、犬蔵は両手を地面に付いて完全に身動きが出来なくなってしまう。
辰巳が犬蔵の身体に突き刺していた刀を思い切り抜く。悲鳴を上げる犬蔵。辰巳は抜いた刀を今度は犬蔵の背中に突き刺して、何度も何度も犬蔵の肉をえぐり、捻る。
「あ、あぁ……ッ!」
犬蔵の声から力が抜けて行く。そして、強張り、震えていた犬蔵の手が、ブランと力なく垂れる。辰巳が刀を抜き取ると、犬蔵の身体は何の抵抗もなく崩れ落ち、地面に血だまりを作って少し痙攣していたかと思うと、少ししてからその動きを止める。
そして、犬蔵から生の輝きが消えた。
「……ふふ、やったわ! やっと、やっとこの生意気な犬コロを殺ってやったわ! ざまぁ見なさい! あたしの恋心を踏みにじった罰よ」
バカ笑いする辰巳の声が炎の飛び散る本殿の中で響き渡る。
が、それも再びの炸裂音に阻まれる。まるで何かが爆発するような凄まじい音が響く。
一発、二発、三発。
一発目は辰巳の右膝に、二発目は左膝を破裂させ、辰巳は身体を崩し、両手で何とか四つん這いになって体を支える。が、三発目が聴こえると同時に右腕の肘関節が炸裂し、辰巳は潰れるようにしてその場に這いつくばる。
「……痛い。な、何な、の……」
辰巳の視線の先に何者かが現れる。黒い回転式の単筒を持った繊細な手の持ち主。その顔には丑寅の面があり、回転式の単筒は紛れもなく辰巳のほうへと向けられている。
「丑寅、様……。何故……」掠れゆく辰巳の声。
が、丑寅はそんなことにはお構いなしといった様子で単筒の口を再び辰巳へ向ける。
「酷いモンだな」
本殿の入り口からそんな声が聴こえると、丑寅は辰巳から意識を切って、入り口のほうへ注目する。炎が揺れる入り口から、陽炎のような人影がユラユラと現れる。
そこにいるのは、桃川だった。
外での死闘の後で、着物や皮膚には返り血がベットリとへばりついている。その目付きは死んだように虚無的で、表情からはまったくといっていいほど温かみが感じられなかった。
桃川の視線が犬蔵、坤、そして猿田へと向く。
「……犬蔵さんに猿田さんーーいや、源之助殿もお亡くなりになられたのか」
丑寅はまるで亡霊のように佇み、桃川のことを見詰めている。
「……随分と、その猿田という浪人者に親しみを感じてらっしゃるようですね」
「源之助殿には申し訳ないことをした。いくら死に場所を探していたとはいえ、彼は死ぬ必要などなかった。あの村でひっそりと暮らしているだけで良かったんだ」
「とはいえ、こヤツは『天誅屋』の……」
「殺し屋稼業が何だというんだ。ただ悪党をたくさん殺しただけではないのか」
「丑寅様……、早く、その男を……ッ!」最後の力を振り絞って辰巳はいう。
丑寅は虫の息の辰巳を見、それから桃川を見る。桃川の表情は硬い。
「……どうされましょう?」丑寅が訊ねる。
「何が、だ」桃川。
「この者をどうするか、です。丑寅様」丑寅は鈍く光る銃口で辰巳を指す。
丑寅様。丑寅が放ったそのことばは間違いなく、桃川へと向けられていた。
驚きと絶望が、辰巳の表情に浮かんでいた。
【続く】
まるで魔物のようなその口は、小さくも、あらゆる人間の命を喰らい尽くしてしまいそうなほど強欲な様相を呈している。
黒い筒を持つ手がゆっくりと下ろされる。華奢で繊細な手に握られるは、とても似つかわしくない、回転式の単筒。それも、日本では見られないような特殊な形と型式を持っている。
猿田源之助は左胸と口から鮮血を吐き出して、動かなくなっていた。目は見開かれており、そこにある眼は生気を失い、肉体が完全な屍となってしまったことを物語っていた。
十二鬼面の本殿、その入り口から不作法な足音が聴こえて来る。一定せず、不定期な足音は、その主が手負いであると告げているよう。
「猿の旦那ッ!」
そういって本殿の入り口に現れたのは、犬蔵だった。外での戦いで傷ついた身体は、犬蔵から素早さと淀みない動きを奪っていた。
犬蔵は炎で照らされた本殿を見渡す。そして、見つけてしまう。面の外れた坤と猿田源之助の亡骸を。犬蔵の顔に絶望の色が浮かぶ。
「……猿の旦那?」
重く鈍い足取り。まるで悲哀が足音を立てて歩いているようだ。走ろうにも、傷ついた身体がそれを許さない。犬蔵は足を引き摺り、
「旦那ァッ!」
犬蔵は前のめりになって猿田のほうへと向かおうとした、その時だった。
突然、犬蔵は動きを止める。目を見開き、うっという呻き声を上げて。
犬蔵はカラクリ人形のようにギコチナイ動きで首を動かし、背後を見る。
犬蔵のうしろ脇腹に長い刀の刀身が突き立てられており、肉をえぐり、貫いている。その刀を握っているのは、毛だらけの手。
「……ッ!」
苦痛が口から漏れ出る。更にうしろを見る。と、そこには毛だらけの男の姿。
「やっと、捉えたわよ……。戌亥……!」
毛だらけの男。それは素顔の辰巳だ。
辰巳は混乱の最中、猿田に斬られて絶命したはずだった。だが、微かにその命の灯火は残っていた。切れ味の鈍った『狂犬』では、辰巳の面を割り、かつ肉体に致命的な一撃を喰らわすには不足だった。
一時は気を失って寝ていた辰巳は、目を覚ますと本殿へ走る犬蔵の姿を見つけると、最後の力を振り絞って犬蔵を追い掛けたのだった。
辰巳は握っている刀を思い切り捻る。
「……ッ!」犬蔵の呻き声が更に大きくなる。
「あたしを恨まないでよ……。悪いのは、全部アンタなんだから……。アンタがあたしの誘いを断ったのがいけない、のよ……!」
犬蔵は全身を強張らせながらも何とか右手を刀の柄まで持っていき、手を掛ける。
が、辰巳もそれを見逃さない。
辰巳は犬蔵の刀の鞘を左手で勢い良く持ち上げる。持ち上げられた鞘は犬蔵の身体までもを前に折り、犬蔵は両手を地面に付いて完全に身動きが出来なくなってしまう。
辰巳が犬蔵の身体に突き刺していた刀を思い切り抜く。悲鳴を上げる犬蔵。辰巳は抜いた刀を今度は犬蔵の背中に突き刺して、何度も何度も犬蔵の肉をえぐり、捻る。
「あ、あぁ……ッ!」
犬蔵の声から力が抜けて行く。そして、強張り、震えていた犬蔵の手が、ブランと力なく垂れる。辰巳が刀を抜き取ると、犬蔵の身体は何の抵抗もなく崩れ落ち、地面に血だまりを作って少し痙攣していたかと思うと、少ししてからその動きを止める。
そして、犬蔵から生の輝きが消えた。
「……ふふ、やったわ! やっと、やっとこの生意気な犬コロを殺ってやったわ! ざまぁ見なさい! あたしの恋心を踏みにじった罰よ」
バカ笑いする辰巳の声が炎の飛び散る本殿の中で響き渡る。
が、それも再びの炸裂音に阻まれる。まるで何かが爆発するような凄まじい音が響く。
一発、二発、三発。
一発目は辰巳の右膝に、二発目は左膝を破裂させ、辰巳は身体を崩し、両手で何とか四つん這いになって体を支える。が、三発目が聴こえると同時に右腕の肘関節が炸裂し、辰巳は潰れるようにしてその場に這いつくばる。
「……痛い。な、何な、の……」
辰巳の視線の先に何者かが現れる。黒い回転式の単筒を持った繊細な手の持ち主。その顔には丑寅の面があり、回転式の単筒は紛れもなく辰巳のほうへと向けられている。
「丑寅、様……。何故……」掠れゆく辰巳の声。
が、丑寅はそんなことにはお構いなしといった様子で単筒の口を再び辰巳へ向ける。
「酷いモンだな」
本殿の入り口からそんな声が聴こえると、丑寅は辰巳から意識を切って、入り口のほうへ注目する。炎が揺れる入り口から、陽炎のような人影がユラユラと現れる。
そこにいるのは、桃川だった。
外での死闘の後で、着物や皮膚には返り血がベットリとへばりついている。その目付きは死んだように虚無的で、表情からはまったくといっていいほど温かみが感じられなかった。
桃川の視線が犬蔵、坤、そして猿田へと向く。
「……犬蔵さんに猿田さんーーいや、源之助殿もお亡くなりになられたのか」
丑寅はまるで亡霊のように佇み、桃川のことを見詰めている。
「……随分と、その猿田という浪人者に親しみを感じてらっしゃるようですね」
「源之助殿には申し訳ないことをした。いくら死に場所を探していたとはいえ、彼は死ぬ必要などなかった。あの村でひっそりと暮らしているだけで良かったんだ」
「とはいえ、こヤツは『天誅屋』の……」
「殺し屋稼業が何だというんだ。ただ悪党をたくさん殺しただけではないのか」
「丑寅様……、早く、その男を……ッ!」最後の力を振り絞って辰巳はいう。
丑寅は虫の息の辰巳を見、それから桃川を見る。桃川の表情は硬い。
「……どうされましょう?」丑寅が訊ねる。
「何が、だ」桃川。
「この者をどうするか、です。丑寅様」丑寅は鈍く光る銃口で辰巳を指す。
丑寅様。丑寅が放ったそのことばは間違いなく、桃川へと向けられていた。
驚きと絶望が、辰巳の表情に浮かんでいた。
【続く】