【渡り鳥、雲は深くも空は青い】
文字数 3,509文字
ひとつの場所に留まれない人がいる。
こういうと発達障害的な話なのかと思われるかもしれないけどーーとはいえ、ひとつの場所に留まれないというのは、もしかしたらそういうこともあるのかもしれない。
ただ、おれがいいたい「ひとつの場所に留まれない」というのは、椅子に座っていられないとかそういった類いのモノとはまた違う。というのも、おれがいいたいのは、
ひとつの環境に留まれないということだ。
おれには正直その気がある気がするのだけど、改めて考えると、断続的でありながらも同じ環境でひとつのモノを続けようとしてはいるので、ちょっも微妙なところではある。
というか、おれの場合における「ひとつの環境に留まれない」というのは、ちょっとした気まぐれや気の迷いというのもあるので、質が悪い。それで出戻ってくることも考えると更に悪質だと思う。
結局おれの場合は、「失って始めてそのモノに対する価値を認識する」ということを何度となくやってしまっているというワケだ。進歩がないといったらありゃしない。
ただ、中には本当にひとつの環境に留まれない人というのがいる。それは大きく分けると、「探求者タイプ」、「天真爛漫タイプ」、「追放者タイプ」に分かれると思う。
「追放者タイプ」に関しては一々説明するまでもないけど、素行や言動等に問題がありすぎて、コミュニティから追放されがちな人のことだ。これはシンプルに人間として問題がある。
次に「天真爛漫タイプ」だけど、これはシンプルに、気分でそこからいなくなってしまうタイプの人だ。まぁ、これも人によってはあまりよくは思われないけど、中にはそんな人のことを尊重してくれる人もいるかもしれない。というのも、この手のタイプは予想に反した結果を残すのも少なくないからだ。
最後に「探求者タイプ」だけど、これは自分のやっている分野において、新しい何かを求めてその場から去ろうとする者だ。一部の勘違いしたヤツラを除けばこの手の人は実力者が殆どで、人間的にも頑なな部分があるのだけど、一目置かれていることも多くて人材的にはとても尊かったりもする。
この三つの中からチョイスするとしたら、自分は「天真爛漫タイプ」だろう。とはいえ、いい年したヤツの天真爛漫ほど気持ち悪いものはないワケで。
とはいえ、中にはそれを気持ち悪いと思わずに認められてしまう人がいることも事実だ。おれはそういう人になりたかったーーまぁ、激情的な人柄もあってそれも無理だったけど。
さて、三日振りの『居合篇』である。二日間も休んで何してたんだよって感じなんだけど、何だろう、ウィークデーのほうが書く意欲がすごいんよな。まぁ、週末は楽したいとかそういうんじゃないんだけどさ。
とりあえず、すまんね。あらすじーー
『最初に認めてくれた人がいた。それが向山さんだった。五条氏は向山さんの指導のもと、居合の基礎を確立し、技術を磨き続けた。半年し、向山さんは五条氏や臼田さんの担当を外れることとなったのだった』
ちょっとあらすじとして機能しているかは微妙なところだけども、こんな感じだろう。最近、長文化が酷いんでできれば短く纏めたい。では、やってくわーー
向山さんの指導を離れ、おれや臼田さん、同期の人たちは塩谷さんの指導を受けることとなった。
これは色んな人から指導を受けることも大事だという坂久保さんの意向でもあり、新人が入ってくるようになって、向山さんはそちらの指導に当たらなければならなくなったからだった。
が、正直なところ、おれはこの指導者変更をあまり良くは思っていなかった。
というのも、塩谷さんの指導があまり自分に合っていない気がしたからだった。
まぁ、塩谷さんの稽古を受けたのは、体験二回目の時と向山さんがいなかった時ぐらいだったのだけど、どうにも塩谷さんの稽古が自分の身体に馴染んでいない気がしたし、何より最初に稽古を受けた時に自信をなくした経験もあって、あまりポジティブには考えられなかった。
さて、そんな中、塩谷さんとの稽古が開始された。メニューはやはり業の一つひとつを大まかにさらっていく感じだった。
一抹の不安を覚えた。塩谷さんの稽古の進行はとても早い。同時に業の展開の早さも早かった。だが、早さを求めたところでそこに正確さがなければ何の意味もない。
正座し、元太刀の塩谷さんに合わせて刀を抜いていく。が、
これが思いの外ついていけるのだ。
予想外だった。まぁ、向山さんと半年間みっちりと稽古したのだ。その中で基礎と技術をしっかりと磨いていたこともあって、まったくついていけないということはなかった。
いや、むしろ全然ついていけた。
塩谷さんはそんなおれや臼田さんを見て、「うん、いいね」と認めて下さった。まぁ、この時はまだその「いいね」も、「最初の頃と比べたら」という意味なんだろうなと訝ってしまってはいたけど、だとしても嬉しかったことには変わりはなかった。
やはり、半年経験を積むだけでも人は変わる。思考や実践、経験を一分、一秒と次第に積み上げていくだけで、人は大きな変化を遂げていく。おれは半年前の自分とは変わっていた。
その日もやはり、塩谷さんは稽古を早上がりしたのだが、最初に稽古を受けた時とは違い、おれのマインドは満たされていた。そして、もっと精進しようとこころに決めた。
それからというものも、おれは塩谷さんとの稽古を続けた。
塩谷さんはこれまでたくさんの道場や流派にて修行をしていた所謂『渡り鳥』で、その経験を活かし、英信流だけでは知り得ないような技術や知識をたくさん教えて下さった。
プラス、理合の変化や応用に関して想定した稽古も多数行った。これはかなり為になった稽古のひとつで、あらゆる想定をすることで、業に説得力や奥行きを持たすことができる。
更にいってしまえば、応用の利かない人間は、ひとつの概念に縛られ続け、自我という海にて溺れ死ぬ運命にある。泳ぐ方法を知っていても、状況次第で泳ぎ方を変えていかなければ、大海を泳ぎきることはできないのだ。
塩谷さんは、業の理合や状況、技術について深い考察をする方だった。稽古の中で塩谷さんなりの考察を聴くだけでもかなり為になったし、その考察を元に塩谷さんと稽古を重ねるだけでも技術を向上させるには充分過ぎるほどだった。
「もうキミには、ぼくが変に指導する必要もないかもしれないね」
昇段試験を二ヶ月前に控えた辺りになると、塩谷さんはおれにそういった。そしてーー、
「ちょっと早いかもしれないけど、キミならいいか。初段になったらやる業を予習しておこうか」
そういって塩谷さんは、おれに初段になったらやることとなる『立膝の部』の業を教えて下さった。座り方が特殊とはいえ、最初の数本は正座の技術で何とかカバーができた。
というか、この時点でかなり応用の利いた稽古をしていたこともあって、ちょっとの業の変容くらいじゃ動じなくなっていたのだと思う。
「正直、ぼくは人に教えるつもりはなかったんだよね。坂久保先生にも『端のほうで適当にやってますから』っていって了解を得ていたし。でも、キミや臼田さんを教えていたら面白くて仕方なくてね。キミたちなら初段は余裕だよ」
試験まで一ヶ月を切ったある日、塩谷さんはそういった。そういって貰えると、やはり嬉しかった。マンガとかに有りがちな展開ではあるけれど、指導する気があまりない実力者をその気にさせるというのは、中々熱いモノがある。
ファーストコンタクトこそあまりよろしくはなかったが、試験後に、「結果はどうだったか」と最初に連絡を下さったのも塩谷さんだったし、塩谷さんはおれにとって最高の恩師のひとりになっていた。
そんな塩谷さんも、おれが初段になって少ししてまでは相変わらず稽古をつけて頂いていたのだけど、とある先生と揉めてしまい、道場を去ってしまった。
坂久保先生もおれに事情を訊ね、塩谷さんに連絡を取ったのだが、渡り鳥は既に飛び去った後だった。
やはり、塩谷さんが去って最初は寂しさでいっぱいだった。正直、今でもどうされているか気になるし、参段になった今も再び稽古をつけて頂きたいと思っている。そして、
「ぼくがキミに教えられることはもうないよ」
といわれる程上達することを目標に、おれは今でも稽古を続けているワケだ。渡り鳥の探求心を受け継いで、な。
さて、今日はここまで。次はーー多分、塩谷さんと揉めた先生のことを書くかな。ただ、明日からクリスマス関連のショートシナリオを書いてくわ。どうせ長くなるんだし。ま、そんな感じで。
アスタラビスタ。
こういうと発達障害的な話なのかと思われるかもしれないけどーーとはいえ、ひとつの場所に留まれないというのは、もしかしたらそういうこともあるのかもしれない。
ただ、おれがいいたい「ひとつの場所に留まれない」というのは、椅子に座っていられないとかそういった類いのモノとはまた違う。というのも、おれがいいたいのは、
ひとつの環境に留まれないということだ。
おれには正直その気がある気がするのだけど、改めて考えると、断続的でありながらも同じ環境でひとつのモノを続けようとしてはいるので、ちょっも微妙なところではある。
というか、おれの場合における「ひとつの環境に留まれない」というのは、ちょっとした気まぐれや気の迷いというのもあるので、質が悪い。それで出戻ってくることも考えると更に悪質だと思う。
結局おれの場合は、「失って始めてそのモノに対する価値を認識する」ということを何度となくやってしまっているというワケだ。進歩がないといったらありゃしない。
ただ、中には本当にひとつの環境に留まれない人というのがいる。それは大きく分けると、「探求者タイプ」、「天真爛漫タイプ」、「追放者タイプ」に分かれると思う。
「追放者タイプ」に関しては一々説明するまでもないけど、素行や言動等に問題がありすぎて、コミュニティから追放されがちな人のことだ。これはシンプルに人間として問題がある。
次に「天真爛漫タイプ」だけど、これはシンプルに、気分でそこからいなくなってしまうタイプの人だ。まぁ、これも人によってはあまりよくは思われないけど、中にはそんな人のことを尊重してくれる人もいるかもしれない。というのも、この手のタイプは予想に反した結果を残すのも少なくないからだ。
最後に「探求者タイプ」だけど、これは自分のやっている分野において、新しい何かを求めてその場から去ろうとする者だ。一部の勘違いしたヤツラを除けばこの手の人は実力者が殆どで、人間的にも頑なな部分があるのだけど、一目置かれていることも多くて人材的にはとても尊かったりもする。
この三つの中からチョイスするとしたら、自分は「天真爛漫タイプ」だろう。とはいえ、いい年したヤツの天真爛漫ほど気持ち悪いものはないワケで。
とはいえ、中にはそれを気持ち悪いと思わずに認められてしまう人がいることも事実だ。おれはそういう人になりたかったーーまぁ、激情的な人柄もあってそれも無理だったけど。
さて、三日振りの『居合篇』である。二日間も休んで何してたんだよって感じなんだけど、何だろう、ウィークデーのほうが書く意欲がすごいんよな。まぁ、週末は楽したいとかそういうんじゃないんだけどさ。
とりあえず、すまんね。あらすじーー
『最初に認めてくれた人がいた。それが向山さんだった。五条氏は向山さんの指導のもと、居合の基礎を確立し、技術を磨き続けた。半年し、向山さんは五条氏や臼田さんの担当を外れることとなったのだった』
ちょっとあらすじとして機能しているかは微妙なところだけども、こんな感じだろう。最近、長文化が酷いんでできれば短く纏めたい。では、やってくわーー
向山さんの指導を離れ、おれや臼田さん、同期の人たちは塩谷さんの指導を受けることとなった。
これは色んな人から指導を受けることも大事だという坂久保さんの意向でもあり、新人が入ってくるようになって、向山さんはそちらの指導に当たらなければならなくなったからだった。
が、正直なところ、おれはこの指導者変更をあまり良くは思っていなかった。
というのも、塩谷さんの指導があまり自分に合っていない気がしたからだった。
まぁ、塩谷さんの稽古を受けたのは、体験二回目の時と向山さんがいなかった時ぐらいだったのだけど、どうにも塩谷さんの稽古が自分の身体に馴染んでいない気がしたし、何より最初に稽古を受けた時に自信をなくした経験もあって、あまりポジティブには考えられなかった。
さて、そんな中、塩谷さんとの稽古が開始された。メニューはやはり業の一つひとつを大まかにさらっていく感じだった。
一抹の不安を覚えた。塩谷さんの稽古の進行はとても早い。同時に業の展開の早さも早かった。だが、早さを求めたところでそこに正確さがなければ何の意味もない。
正座し、元太刀の塩谷さんに合わせて刀を抜いていく。が、
これが思いの外ついていけるのだ。
予想外だった。まぁ、向山さんと半年間みっちりと稽古したのだ。その中で基礎と技術をしっかりと磨いていたこともあって、まったくついていけないということはなかった。
いや、むしろ全然ついていけた。
塩谷さんはそんなおれや臼田さんを見て、「うん、いいね」と認めて下さった。まぁ、この時はまだその「いいね」も、「最初の頃と比べたら」という意味なんだろうなと訝ってしまってはいたけど、だとしても嬉しかったことには変わりはなかった。
やはり、半年経験を積むだけでも人は変わる。思考や実践、経験を一分、一秒と次第に積み上げていくだけで、人は大きな変化を遂げていく。おれは半年前の自分とは変わっていた。
その日もやはり、塩谷さんは稽古を早上がりしたのだが、最初に稽古を受けた時とは違い、おれのマインドは満たされていた。そして、もっと精進しようとこころに決めた。
それからというものも、おれは塩谷さんとの稽古を続けた。
塩谷さんはこれまでたくさんの道場や流派にて修行をしていた所謂『渡り鳥』で、その経験を活かし、英信流だけでは知り得ないような技術や知識をたくさん教えて下さった。
プラス、理合の変化や応用に関して想定した稽古も多数行った。これはかなり為になった稽古のひとつで、あらゆる想定をすることで、業に説得力や奥行きを持たすことができる。
更にいってしまえば、応用の利かない人間は、ひとつの概念に縛られ続け、自我という海にて溺れ死ぬ運命にある。泳ぐ方法を知っていても、状況次第で泳ぎ方を変えていかなければ、大海を泳ぎきることはできないのだ。
塩谷さんは、業の理合や状況、技術について深い考察をする方だった。稽古の中で塩谷さんなりの考察を聴くだけでもかなり為になったし、その考察を元に塩谷さんと稽古を重ねるだけでも技術を向上させるには充分過ぎるほどだった。
「もうキミには、ぼくが変に指導する必要もないかもしれないね」
昇段試験を二ヶ月前に控えた辺りになると、塩谷さんはおれにそういった。そしてーー、
「ちょっと早いかもしれないけど、キミならいいか。初段になったらやる業を予習しておこうか」
そういって塩谷さんは、おれに初段になったらやることとなる『立膝の部』の業を教えて下さった。座り方が特殊とはいえ、最初の数本は正座の技術で何とかカバーができた。
というか、この時点でかなり応用の利いた稽古をしていたこともあって、ちょっとの業の変容くらいじゃ動じなくなっていたのだと思う。
「正直、ぼくは人に教えるつもりはなかったんだよね。坂久保先生にも『端のほうで適当にやってますから』っていって了解を得ていたし。でも、キミや臼田さんを教えていたら面白くて仕方なくてね。キミたちなら初段は余裕だよ」
試験まで一ヶ月を切ったある日、塩谷さんはそういった。そういって貰えると、やはり嬉しかった。マンガとかに有りがちな展開ではあるけれど、指導する気があまりない実力者をその気にさせるというのは、中々熱いモノがある。
ファーストコンタクトこそあまりよろしくはなかったが、試験後に、「結果はどうだったか」と最初に連絡を下さったのも塩谷さんだったし、塩谷さんはおれにとって最高の恩師のひとりになっていた。
そんな塩谷さんも、おれが初段になって少ししてまでは相変わらず稽古をつけて頂いていたのだけど、とある先生と揉めてしまい、道場を去ってしまった。
坂久保先生もおれに事情を訊ね、塩谷さんに連絡を取ったのだが、渡り鳥は既に飛び去った後だった。
やはり、塩谷さんが去って最初は寂しさでいっぱいだった。正直、今でもどうされているか気になるし、参段になった今も再び稽古をつけて頂きたいと思っている。そして、
「ぼくがキミに教えられることはもうないよ」
といわれる程上達することを目標に、おれは今でも稽古を続けているワケだ。渡り鳥の探求心を受け継いで、な。
さて、今日はここまで。次はーー多分、塩谷さんと揉めた先生のことを書くかな。ただ、明日からクリスマス関連のショートシナリオを書いてくわ。どうせ長くなるんだし。ま、そんな感じで。
アスタラビスタ。