【男は地獄の底から甦る】
文字数 1,800文字
どん底から這い上がったヤツのことばは重いーー土曜日、春樹からいわれたことばだ。
そう、土曜日は月に一度開かれる、中学時代の友人たちとのリモート飲みの日だったのだ。
メンツはおれと春樹に加え、外山、健太郎くん、麻生、勝明、グッチョンの七人。このヘヴィなご時世に、友人たちの無事な様子を確認できるのは、嬉しい限りだ。
特に規模の大きめな地震があったばかりだったこともあって、その安堵はより一層だった。
そもそも、この月一のリモート飲みも、年末の同窓会的なノリから、この不安定な世の中に対して、一種のこころの糧になれば、と始めたものだったのだけど、これがあるとないとでは、気の持ちようが全然違う。
そんな中、普段の生活や仕事の中でのストレスや精神的な疲弊に関する話になったワケだ。その時、おれがいったのがーー
「まぁ、キツかったら無理しなくてもいいんよな。生きてれば、どうにでもなる」
ということだった。まぁ、これは誰かに対する慰めでも何でもなく、本気でそう思っていることで、自然とそう口から出たワケだ。
とはいえ、このリモート飲みのメンバーはみな、おれのパニック事情を知っている。発症から、症状のキツさにうちひしがれての引きこもり生活、働こうにも遊ぼうにもマインドがそれを許してはくれないという事実。
断片的ではあるけれど、そんなおれの事情を友人たちは知っている。
まぁ、中には外山のように、最近のおれが普通に立ち回っているせいで、そんな過去があったことを忘れているのもいるけど、むしろ、地の底に落ちた過去の自分の存在など意識させないように立ち回れているくらいのほうが良い。
とはいえ、やはりかつてのおれが地の底を這いずり回る蛆虫であったことを覚えている人はいるもんで、先のおれのセリフに対して、春樹が冒頭のセリフを口にしたワケだ。
正直、パニック障害なんて殆ど過去の話になり掛けていて、最近ではむしろ首の痛みーー金曜にまた痛めたーーのほうがネックになっている、首だけに。くだらねぇー!
まぁ、そんなんなんで、最初はおれがいったことに対するセリフだとは思わなかったのだけど、改めて確認してみると、やはりおれの過去の悪夢の話から遡ってのセリフだったようだ。
そして、その春樹のセリフに合わせて、神妙な顔つきになる友人たち。やはり、おれのパニックのことが今でも頭に残っているのだろう。
そう考えると案外、人は別の誰かのことを気に掛けて生きているもんなのかもしれない。
その後も、今はもう大丈夫なのかといった感じの質問があったのだけど、何の問題もない。そう答えると、ピンと張るピアノ線のような緊張感も和らいで、再び和やかな空気が流れ始めた。それからおれが次いだことばは、
「無理だなと思ったら休んだほうがいい。死ぬよりマシだしな。一、二年くらい休んだところで大した問題じゃない。ただ、大切なのは自分の糧になる何かを持つことだよな」
マインドが崩壊し掛けているのに無理する必要はない。働くも、学校へ通うも、自分の中のマストにする必要はない。
働かなければ生活できないといって崩れかけの精神に鞭を打つ人もいるだろうけど、その果てに屍になる位なら、恥を掻いても、肩書きを失っても、休息を取って生き続けたほうがずっといい。
精神に異常をきたした状態で仕事をするのは、両腕を骨折した状態でボクシングの試合に出るようなモンだ。それじゃ、まず勝ち目はないし、ガードも出来ないせいで更なるダメージを負う危険もある。
勝ち目のない戦いから逃げるのは恥ずかしいことじゃない。それもひとつの戦略だ。
だから、余り逃げに対してマイナスな思いを持つのは良くないと思うのだ。
勝ち目のない戦いの果てに死ねば道は途切れるが、逃げてしまえばそこには別の道ができる。もし、逃げたくなって、その思いにうしろめたさを感じたら、それもひとつの戦略だと自分にいい聞かせるのがいいかもしれない。命はひとつしかないんだからな。
ウイルスに地震と、いくつもの驚異が次々と立ちはだかるけれど、無理なんかしなくていい。勝てないものには勝てないんだし。
それより、自分が生き残れる道を歩くほうがずっと大事だと思う。
ちょうど十年前、おれは自分の中にパニックという悪魔を飼うこととなり、地獄の沼に沈んでいった。でも、まだ生きてる。
さて、反撃開始だ。
アスタラビスタ。
そう、土曜日は月に一度開かれる、中学時代の友人たちとのリモート飲みの日だったのだ。
メンツはおれと春樹に加え、外山、健太郎くん、麻生、勝明、グッチョンの七人。このヘヴィなご時世に、友人たちの無事な様子を確認できるのは、嬉しい限りだ。
特に規模の大きめな地震があったばかりだったこともあって、その安堵はより一層だった。
そもそも、この月一のリモート飲みも、年末の同窓会的なノリから、この不安定な世の中に対して、一種のこころの糧になれば、と始めたものだったのだけど、これがあるとないとでは、気の持ちようが全然違う。
そんな中、普段の生活や仕事の中でのストレスや精神的な疲弊に関する話になったワケだ。その時、おれがいったのがーー
「まぁ、キツかったら無理しなくてもいいんよな。生きてれば、どうにでもなる」
ということだった。まぁ、これは誰かに対する慰めでも何でもなく、本気でそう思っていることで、自然とそう口から出たワケだ。
とはいえ、このリモート飲みのメンバーはみな、おれのパニック事情を知っている。発症から、症状のキツさにうちひしがれての引きこもり生活、働こうにも遊ぼうにもマインドがそれを許してはくれないという事実。
断片的ではあるけれど、そんなおれの事情を友人たちは知っている。
まぁ、中には外山のように、最近のおれが普通に立ち回っているせいで、そんな過去があったことを忘れているのもいるけど、むしろ、地の底に落ちた過去の自分の存在など意識させないように立ち回れているくらいのほうが良い。
とはいえ、やはりかつてのおれが地の底を這いずり回る蛆虫であったことを覚えている人はいるもんで、先のおれのセリフに対して、春樹が冒頭のセリフを口にしたワケだ。
正直、パニック障害なんて殆ど過去の話になり掛けていて、最近ではむしろ首の痛みーー金曜にまた痛めたーーのほうがネックになっている、首だけに。くだらねぇー!
まぁ、そんなんなんで、最初はおれがいったことに対するセリフだとは思わなかったのだけど、改めて確認してみると、やはりおれの過去の悪夢の話から遡ってのセリフだったようだ。
そして、その春樹のセリフに合わせて、神妙な顔つきになる友人たち。やはり、おれのパニックのことが今でも頭に残っているのだろう。
そう考えると案外、人は別の誰かのことを気に掛けて生きているもんなのかもしれない。
その後も、今はもう大丈夫なのかといった感じの質問があったのだけど、何の問題もない。そう答えると、ピンと張るピアノ線のような緊張感も和らいで、再び和やかな空気が流れ始めた。それからおれが次いだことばは、
「無理だなと思ったら休んだほうがいい。死ぬよりマシだしな。一、二年くらい休んだところで大した問題じゃない。ただ、大切なのは自分の糧になる何かを持つことだよな」
マインドが崩壊し掛けているのに無理する必要はない。働くも、学校へ通うも、自分の中のマストにする必要はない。
働かなければ生活できないといって崩れかけの精神に鞭を打つ人もいるだろうけど、その果てに屍になる位なら、恥を掻いても、肩書きを失っても、休息を取って生き続けたほうがずっといい。
精神に異常をきたした状態で仕事をするのは、両腕を骨折した状態でボクシングの試合に出るようなモンだ。それじゃ、まず勝ち目はないし、ガードも出来ないせいで更なるダメージを負う危険もある。
勝ち目のない戦いから逃げるのは恥ずかしいことじゃない。それもひとつの戦略だ。
だから、余り逃げに対してマイナスな思いを持つのは良くないと思うのだ。
勝ち目のない戦いの果てに死ねば道は途切れるが、逃げてしまえばそこには別の道ができる。もし、逃げたくなって、その思いにうしろめたさを感じたら、それもひとつの戦略だと自分にいい聞かせるのがいいかもしれない。命はひとつしかないんだからな。
ウイルスに地震と、いくつもの驚異が次々と立ちはだかるけれど、無理なんかしなくていい。勝てないものには勝てないんだし。
それより、自分が生き残れる道を歩くほうがずっと大事だと思う。
ちょうど十年前、おれは自分の中にパニックという悪魔を飼うこととなり、地獄の沼に沈んでいった。でも、まだ生きてる。
さて、反撃開始だ。
アスタラビスタ。