【奴らに縄を掛けろ!】
文字数 2,336文字
後悔が先に立たないとはよくいう。
これはまさにその通りだ。どんな状況、シチュエーションになったとしても、それが不慮のものでない限りは自分の意思や決定に対して責任を持たなければならない。
だからこそ、自分の行く末や意思決定に対して後悔してはならないと思うのだ。
自分のケツは自分で拭くーーそれこそが大人がすべき責任の取り方だと思うのだ。
では、これが子供の場合はどうなのか。
まぁ、子供ーーいってしまえば、未成年の場合はまだ親の扶養に入っていることが殆どなので、責任の多くは親にあるだろう。
だが、個人で起こした行動の責任は、大人子供関係なく、そこはやはり個人で取るべきだと思うのだ。
人に痛みを与えた者は、自分も痛みを知るべきであり、何かを破壊した者は、自分の所有する何かを破壊されて然るべきなのだ。
その責任は親が取るべきモノではない。
自分の行動によって発生した責任は、子供であろうと取るべきなのだ。そして、それが重大であればあるほど、悪質であればあるほどそうあるべきだと思うのだ。
かくいうおれはというと、少年時代は比較的責任を負わされるような立場から逃げまくっていた。まぁ、逃げ続けていたにも関わらず、体育祭の応援団長のような責任を負わざるを得ない立場に立たされてしまい、やらざるを得なくなるといったシチュエーションもあるにはあったけれど、基本的にはそういった責任を負わずに生きようとしてきたワケだ。
そんな感じで責任を避けるような生き方をしてきた結果どうなったかというと、怠惰に怠惰を重ねたような自堕落な人間になったというワケだ。こればかりは本当に救いようがない。
とはいえ、何度もいうように、やはり人間はその年齢に関わらず、自分で起こした行動の責任は取るべきなのだ。例え傷つき、逃げたくなったとしてもーー
さて、『音楽祭篇』の第三回である。また長くなりそうな気配ではあるけど、多分、あと二回くらいで終われると思う。あらすじーー
「校内音楽祭に向けての合唱の練習が始まった。とはいえ、音楽の時間以外はクラスのホームルームでラジカセを使っての練習が主となり、指揮の練習は出来なかった。そして、いざ音楽の時間となり指揮をしてみたが、これが全然ダメ、話にならなかった。そして、もうひとつ。自由曲の合唱であるが、五条氏は何をトチ狂ったか、低い声に分不相応なアルトパートを選択してしまったのだったーー」
とまぁ、こんな感じ。今日も短めに終わらせる予定。じゃ、やってくーー
結論からいえば、かなり後悔していた。
何をといわれたら、いうまでもないだろう。そう、指揮者をやると立候補してしまったことを、だ。正直なことをいえば、もっと簡単なモンだと思っていたが、それはあくまでイメージの上での話。現実はそう甘くはない。
アレからというもの、何度か音楽の授業をやったのだが、まぁ、指揮というものが上手くいかないのだ。
これがおれ単体が迷惑を被るのならまだ良かったのだが、おれのミスがそのままクラスに迷惑を掛けるとなると、これは頂けない。
お陰で数人の男子から、
「お前、それ違うよ!」
といわれる始末。うるせぇ、ボケといいたいところではあったけど、出来ていないのはおれなので、文句をいう権利はおれにはない。
おれはひとり自室のベッドの上で寝転がっていた。白い天井を見上げながら。
傍らに置いてあるMDウォークマンに繋がったイヤフォンからは、サイレントヒル2のサウンドトラックが流れている。受験期ということでゲームを自ら禁じていたこともあって、そのフラストレーションを解消するためにも、サウンドトラックを聴いてプレイしている気分に浸ろうとしていたのだ。
とはいえ、実際にプレイするのと、サウンドトラックを聴くのでは勝手が全然違う。
ゲームは一時的にストレスを忘れさせてくれるが、音楽はストレスを意識の外に放り出してはくれない。しかし、ゲームでストレスを一時的に忘れたとしても、根本的な解決にはならないことをおれは知っていた。
今のおれに必要なのは、ストレスの捌け口や解消法ではなく、現実に対してどう向き合うか、あるいはクリティカルな解決法、思考だった。
だが、それをわかっていても、家では指揮の練習など出来るワケがーー
いや、あるかもしれない。
というか、これなら練習になるかもしれない。
おれは唐突に閃いてしまったのだ。というのも、おれが考えたのはーー
今自分が聴いている音楽に合わせて指揮を振ってみればいいのではないかということだ。
確かに指揮は自分主導で曲のリズムやテンポ感、世界観を作り上げ、表現していくモノだ。そう考えると、この練習法は効果的ではないように思われるだろう。
だが、リズム感のトレーニングにはちょうどいいのではないかと思ったのだ。
まず、この時点のおれは拍やテンポの取り方をまったくといっていいほどわかっていなかった。なら、既存の音源を使って、そのトレーニングをすればいいのでは、と思ったのだ。
それに、何もやらないよりかは、どんな形であれ思いついたことを試してみないことには、現状維持どころか、どんどん退化していく。
ならば、ということで早速試してみる。
サイレントヒル2の世界観を作り出す音楽に合わせて指揮を取ってみる。
始めこそ戸惑いはあったものの、やってみると、そこにある音楽の拍やテンポというものを強く意識するようになった。
これなら行けるかもしれない。
おれは自分の考えと感覚を信じて、指揮の練習をひたすらにやり続けたーー
とまぁ、今回はここまで。本当にあと二回くらいで終わるのだろうか。まぁ、そこは臨機応変に。そういうことでまた次回ーー
アスタラ。
これはまさにその通りだ。どんな状況、シチュエーションになったとしても、それが不慮のものでない限りは自分の意思や決定に対して責任を持たなければならない。
だからこそ、自分の行く末や意思決定に対して後悔してはならないと思うのだ。
自分のケツは自分で拭くーーそれこそが大人がすべき責任の取り方だと思うのだ。
では、これが子供の場合はどうなのか。
まぁ、子供ーーいってしまえば、未成年の場合はまだ親の扶養に入っていることが殆どなので、責任の多くは親にあるだろう。
だが、個人で起こした行動の責任は、大人子供関係なく、そこはやはり個人で取るべきだと思うのだ。
人に痛みを与えた者は、自分も痛みを知るべきであり、何かを破壊した者は、自分の所有する何かを破壊されて然るべきなのだ。
その責任は親が取るべきモノではない。
自分の行動によって発生した責任は、子供であろうと取るべきなのだ。そして、それが重大であればあるほど、悪質であればあるほどそうあるべきだと思うのだ。
かくいうおれはというと、少年時代は比較的責任を負わされるような立場から逃げまくっていた。まぁ、逃げ続けていたにも関わらず、体育祭の応援団長のような責任を負わざるを得ない立場に立たされてしまい、やらざるを得なくなるといったシチュエーションもあるにはあったけれど、基本的にはそういった責任を負わずに生きようとしてきたワケだ。
そんな感じで責任を避けるような生き方をしてきた結果どうなったかというと、怠惰に怠惰を重ねたような自堕落な人間になったというワケだ。こればかりは本当に救いようがない。
とはいえ、何度もいうように、やはり人間はその年齢に関わらず、自分で起こした行動の責任は取るべきなのだ。例え傷つき、逃げたくなったとしてもーー
さて、『音楽祭篇』の第三回である。また長くなりそうな気配ではあるけど、多分、あと二回くらいで終われると思う。あらすじーー
「校内音楽祭に向けての合唱の練習が始まった。とはいえ、音楽の時間以外はクラスのホームルームでラジカセを使っての練習が主となり、指揮の練習は出来なかった。そして、いざ音楽の時間となり指揮をしてみたが、これが全然ダメ、話にならなかった。そして、もうひとつ。自由曲の合唱であるが、五条氏は何をトチ狂ったか、低い声に分不相応なアルトパートを選択してしまったのだったーー」
とまぁ、こんな感じ。今日も短めに終わらせる予定。じゃ、やってくーー
結論からいえば、かなり後悔していた。
何をといわれたら、いうまでもないだろう。そう、指揮者をやると立候補してしまったことを、だ。正直なことをいえば、もっと簡単なモンだと思っていたが、それはあくまでイメージの上での話。現実はそう甘くはない。
アレからというもの、何度か音楽の授業をやったのだが、まぁ、指揮というものが上手くいかないのだ。
これがおれ単体が迷惑を被るのならまだ良かったのだが、おれのミスがそのままクラスに迷惑を掛けるとなると、これは頂けない。
お陰で数人の男子から、
「お前、それ違うよ!」
といわれる始末。うるせぇ、ボケといいたいところではあったけど、出来ていないのはおれなので、文句をいう権利はおれにはない。
おれはひとり自室のベッドの上で寝転がっていた。白い天井を見上げながら。
傍らに置いてあるMDウォークマンに繋がったイヤフォンからは、サイレントヒル2のサウンドトラックが流れている。受験期ということでゲームを自ら禁じていたこともあって、そのフラストレーションを解消するためにも、サウンドトラックを聴いてプレイしている気分に浸ろうとしていたのだ。
とはいえ、実際にプレイするのと、サウンドトラックを聴くのでは勝手が全然違う。
ゲームは一時的にストレスを忘れさせてくれるが、音楽はストレスを意識の外に放り出してはくれない。しかし、ゲームでストレスを一時的に忘れたとしても、根本的な解決にはならないことをおれは知っていた。
今のおれに必要なのは、ストレスの捌け口や解消法ではなく、現実に対してどう向き合うか、あるいはクリティカルな解決法、思考だった。
だが、それをわかっていても、家では指揮の練習など出来るワケがーー
いや、あるかもしれない。
というか、これなら練習になるかもしれない。
おれは唐突に閃いてしまったのだ。というのも、おれが考えたのはーー
今自分が聴いている音楽に合わせて指揮を振ってみればいいのではないかということだ。
確かに指揮は自分主導で曲のリズムやテンポ感、世界観を作り上げ、表現していくモノだ。そう考えると、この練習法は効果的ではないように思われるだろう。
だが、リズム感のトレーニングにはちょうどいいのではないかと思ったのだ。
まず、この時点のおれは拍やテンポの取り方をまったくといっていいほどわかっていなかった。なら、既存の音源を使って、そのトレーニングをすればいいのでは、と思ったのだ。
それに、何もやらないよりかは、どんな形であれ思いついたことを試してみないことには、現状維持どころか、どんどん退化していく。
ならば、ということで早速試してみる。
サイレントヒル2の世界観を作り出す音楽に合わせて指揮を取ってみる。
始めこそ戸惑いはあったものの、やってみると、そこにある音楽の拍やテンポというものを強く意識するようになった。
これなら行けるかもしれない。
おれは自分の考えと感覚を信じて、指揮の練習をひたすらにやり続けたーー
とまぁ、今回はここまで。本当にあと二回くらいで終わるのだろうか。まぁ、そこは臨機応変に。そういうことでまた次回ーー
アスタラ。