【いろは歌地獄旅~徒然なるまま~】
文字数 3,811文字
まるで人生を何処かそこら辺の道端に落っことしてしまったような、そんな虚無感に陥ることはないだろうか。
多分、常に順風満帆な人生を歩んでいれば、そんな虚無的な時間にぶち当たることはないのだろう。だが、この世の中に、常に順風満帆な人生を歩んでいる人など存在しない。
みな何処かで躓き、その躓きの帳尻を何処かで何とか合わせて生きている。
一見すると何ともない、むしろ好調に見える人生でも、その裏には幾多の苦悩と失敗があるのはいうまでもない。
だが、そういうことがわからない人というのも一定数は存在する。
それは年を取っても負けグセが染み付き、他人のことを羨んでばかりいる人や、或いはまだ年若く、狭い世界でもがいている若年層なんかがそうだろう。
前者はまったくもって救いようがないが、後者であればまだまだ救いようがある。
新しい世界を見つければ、そこには新風が吹く。新風が吹けば、新たな視点が見つかる。新たな視点が見つかれば、それが何かの解決になり得るかもしれない。
逆にいえば、流れに逆らい続ければ、泳ぐのに必死になって頭は回らないし、回りも見えなくなる。余裕なんてモノはなくなってしまう。
だからこそ大切なのは、辛いときこそ余裕を持つことなのだろうーー
日野健太は浪人生である。といっても、現役生だったのはもう二年前の話で、気づけば二浪目、そしてこの度、三度目の浪人生活に突入することが決まってしまった。
だが、不思議と悲しさや焦りはなかった。
あるのはただの虚無感だけだった。
浪人一回目は流石に悲しく、世間の流れから取り残されてしまうのではないかという焦りと恐怖があった。二回目に突入した時もまだそういった感情は存在した。
だが、三回目ともなると感覚が麻痺してしまい、「今年もダメだった」くらいの軽い感じにしか思えなくなっていたのだ。
浪人三回目ともなると、当たり前ではあるが完全に世間から取り残されることとなる。
健太の昔の同級生たちで、現役で大学に合格し入学した者たちは、みな三回生ーー順調に行けば大学三年生になっている年だ。
にも関わらず、健太はまた浪人生として勉強しなければならない。
焦りはあるはずだった。だが、健太はもはやどうでも良くなっていたのか、無気力にベッドに寝転がっては、自室の真っ白な天井を見上げるばかりだった。
大きくため息をつく。そのため息は室内だというのに、白く濁って見えるようだった。
浪人三回目となったのは、健太がシンプルに頭の出来が悪いからだった。
これが医師薬系を目指しているというのなら、まだわかる。だが、健太が目指していたのは、そのどちらでもない文学部だったーーしかも、文学部に行きたいとはいえ、文学に精通しているワケでもなければ、特に理由もない。
最初は法学を目指していたのだが、二浪目が始まってから、文学部ならチョロイだろうと学部変更をしたのだ。だが、そのチョロイと思っていた文学部も敢えなく撃沈、気づけば三浪目に突入しようとしている。
健太は身の程知らずだった。ずっと国立を狙い続け、保険で私立を受験しようとしない。一度は受験しようともしたが、そのチョイスはどれも難関私立で、結局受けたところで合格する可能性など限りなく低いといえるモノばかりだった。
人間、浪人が重なればその分、学力は上積みになるから有利になるはず、と考えられるかもしれないが、受験のジンクスに「浪人を重ねれば重ねるほど、学力は落ち、志望校も落ちていく」というモノがある。
これは、浪人は重ねれば重ねるほどに勉強と受験へのモチベーションが下がり、結局はランクが下がって行くということだ。
だが、健太はそんなこと考えていない。もはや受験はルーティンと化し、また一年、受験に向けて机にかじりつくことになるーーその程度の考えしか持っていないのだ。
だが、健太の頭にあるのは虚無感のみ。何でダメなのだろうという漠然とした疑問と通りすぎた悲しみの果てにある無気力が、健太から完全にやる気を奪っていたのだ。
予備校はとっくに辞めた。これ以上、受験に予算を使うわけにもいかなかった。そう、健太の財布にはもはや金など全然なかった。
実家暮らしとはいえ、もはや小遣いを貰える年でもない。バイトはしていなかったが、三浪目ともなればバイトして、自分で資金を工面しなければならなくなるだろう。当たり前のように、親も金を出してくれなくなるだろうから。
健太はふと立ち上がった。かと思うと、今度はバッグに参考書にノート、筆記用具を入れると適当な服に着替えて家の外に出た。
部屋で勉強出来ないなら外なら出来るんじゃないか、ふとそう考えたのだ。
外に出る時、両親が頭を抱えているのが見えたが、健太はそれから目を背けるようにしてそそくさと家から出た。
とはいえ、すぐに勉強する気にはならなかったこともあって、健太は何となく街へ出て、行き付けだったゲーセンへ入ってみた。
が、かつての同級生がワイワイしているのを見つけ、会って何か訊かれでもしたらバツが悪いからとそそくさとゲーセンを後にした。
ダメだ、こんなことをしていたら。今度こそは何処かに入って勉強しよう。
健太は次にフランチャイズのカフェに入って勉強しようと考え、店舗の入り口に立った。が、やはり同級生がいて、しかもまともにコーヒーを飲めるほどの金も持っていないことに気づき、健太は再び街をさ迷うこととなった。
結局、健太が行き着いたのは、街の外れにある少し規模のある公園だった。
ここならば同級生も来ないだろうし、自分がただ座っていても問題はないだろうーーそう思ったのだ。
公園のベンチに腰を落ち着け、健太は青い空のもとで平和に咲き乱れる平穏な街並みをただ呆然と眺めた。
何もない時間ーー何の意味もない時間。
自分を見詰めるにしては、もはや時間は掛けすぎていた。気づくのが遅かった。
健太の視界の端で、薄汚いホームレスがゴミ箱を漁っている光景が映る。
今はまだ健太でもそんなみすぼらしいホームレスを見下せる立場にいるかもしれないが、見下せなくなるのはもはや時間の問題ーーというのは健太自身もわかっていた。
ふとした瞬間に浮かぶマイナスなイマジネーション。だが、不安や恐怖は、今の健太の原動力にはなり得なかった。というか、今の健太には原動力となり得るモノがない。
ただ怖い。何もせず、何もできずに、このまま自分が無様に朽ち果てて行くと考えると、今にも涙が零れ落ちそうになる。
なのに動けない。
努力出来ない。
もはや八方塞がりの状態だった。
いや、このままではダメだ。そう思った健太はバッグから筆記用具を取り出してベンチに広げた。ノートを腿の上に置き、参考書は傍らに。だが、そんな不安定な状態じゃ、まともに勉強出来るワケがなく、健太はまたすぐにやる気を失ってしまった。
もはや何をやっても上手くいかない。健太は自分が呪われているのではないかと嘆いた。
やはり、自分はこのまま何も出来ず、何者にもなれずに朽ち果てて行くのだろうか。
恐ろしい考えが頭を過る。
何でもいい。頭からこのネガティブな考えを追い出してくれる何かはないモノか。集中出来るモノーーそれなら何でもいい。
と、健太は近くでカンバスに何かを描いている画家らしき女性を見つけた。
絵、か。
健太は別に絵を描くのは好きでもないし、絵が上手いワケでもなかった。だが、そんなことはどうでも良かった。
勉強しようとして汚したノートの一辺を破り捨て、健太は新しい白紙のページにシャーペンで静かに目の前の光景を描き出していった。
上手くはいかなかった。形がイビツでズレが生じるのはしょっちゅうだった。
だが、何度も消しゴムで消して描き直していると、何となくだが目の前の景色がそれなりの形を以て真っ白だったページに表れだした。
難しいーーだが、楽しかった。
余計なことなど何も考えずに済んだ。シャーペンの芯が折れては出しを繰り返し、目の前の光景を模写していく。
すべてが完成した時には、気づけば陽は落ち掛けていた。カンバスに絵を描いていた女の人ももういない。残っているのは、下手くそな風景をノートに描き殴っていた自分ひとり。
何とも下手くそな絵だった。
イビツな線にグチャグチャな花壇、草木はまるでパンチパーマのようになっている。ほんと、絵心なんて欠片もない絵だった。
だが、不思議と劣等感は抱かなかった。
あるのは、形容しがたい解放感だけだった。
健太はただ気持ちがよくなっていた。また、時間を作ってでも絵を描いてみようか。そんなことを考えるようになっていた。もっと上手くなりたいーーそうも考え始めていた。
別にプロになりたいワケじゃない。でも、もっと絵を描いてみたい気になっていた。今は下手でも描き続けていれば、それなりにはなるかもしれない。何故かそんな気がしていた。
健太は立ち上がった。
帰ろう。
健太はバッグに筆記用具とノートを詰めると満足げに公園を後にした。
徒然なる様というのは、人間誰にだってあるだろう。そんな時は無理に何かをしようとするのではなく、ただやりたいと思ったことをするのが一番いいのかもしれない。
無理せずら流れに身を任すーーそれが一番なのかもしれない。だって、人間、ダメな時は何をやってもダメなのだからーー。
多分、常に順風満帆な人生を歩んでいれば、そんな虚無的な時間にぶち当たることはないのだろう。だが、この世の中に、常に順風満帆な人生を歩んでいる人など存在しない。
みな何処かで躓き、その躓きの帳尻を何処かで何とか合わせて生きている。
一見すると何ともない、むしろ好調に見える人生でも、その裏には幾多の苦悩と失敗があるのはいうまでもない。
だが、そういうことがわからない人というのも一定数は存在する。
それは年を取っても負けグセが染み付き、他人のことを羨んでばかりいる人や、或いはまだ年若く、狭い世界でもがいている若年層なんかがそうだろう。
前者はまったくもって救いようがないが、後者であればまだまだ救いようがある。
新しい世界を見つければ、そこには新風が吹く。新風が吹けば、新たな視点が見つかる。新たな視点が見つかれば、それが何かの解決になり得るかもしれない。
逆にいえば、流れに逆らい続ければ、泳ぐのに必死になって頭は回らないし、回りも見えなくなる。余裕なんてモノはなくなってしまう。
だからこそ大切なのは、辛いときこそ余裕を持つことなのだろうーー
日野健太は浪人生である。といっても、現役生だったのはもう二年前の話で、気づけば二浪目、そしてこの度、三度目の浪人生活に突入することが決まってしまった。
だが、不思議と悲しさや焦りはなかった。
あるのはただの虚無感だけだった。
浪人一回目は流石に悲しく、世間の流れから取り残されてしまうのではないかという焦りと恐怖があった。二回目に突入した時もまだそういった感情は存在した。
だが、三回目ともなると感覚が麻痺してしまい、「今年もダメだった」くらいの軽い感じにしか思えなくなっていたのだ。
浪人三回目ともなると、当たり前ではあるが完全に世間から取り残されることとなる。
健太の昔の同級生たちで、現役で大学に合格し入学した者たちは、みな三回生ーー順調に行けば大学三年生になっている年だ。
にも関わらず、健太はまた浪人生として勉強しなければならない。
焦りはあるはずだった。だが、健太はもはやどうでも良くなっていたのか、無気力にベッドに寝転がっては、自室の真っ白な天井を見上げるばかりだった。
大きくため息をつく。そのため息は室内だというのに、白く濁って見えるようだった。
浪人三回目となったのは、健太がシンプルに頭の出来が悪いからだった。
これが医師薬系を目指しているというのなら、まだわかる。だが、健太が目指していたのは、そのどちらでもない文学部だったーーしかも、文学部に行きたいとはいえ、文学に精通しているワケでもなければ、特に理由もない。
最初は法学を目指していたのだが、二浪目が始まってから、文学部ならチョロイだろうと学部変更をしたのだ。だが、そのチョロイと思っていた文学部も敢えなく撃沈、気づけば三浪目に突入しようとしている。
健太は身の程知らずだった。ずっと国立を狙い続け、保険で私立を受験しようとしない。一度は受験しようともしたが、そのチョイスはどれも難関私立で、結局受けたところで合格する可能性など限りなく低いといえるモノばかりだった。
人間、浪人が重なればその分、学力は上積みになるから有利になるはず、と考えられるかもしれないが、受験のジンクスに「浪人を重ねれば重ねるほど、学力は落ち、志望校も落ちていく」というモノがある。
これは、浪人は重ねれば重ねるほどに勉強と受験へのモチベーションが下がり、結局はランクが下がって行くということだ。
だが、健太はそんなこと考えていない。もはや受験はルーティンと化し、また一年、受験に向けて机にかじりつくことになるーーその程度の考えしか持っていないのだ。
だが、健太の頭にあるのは虚無感のみ。何でダメなのだろうという漠然とした疑問と通りすぎた悲しみの果てにある無気力が、健太から完全にやる気を奪っていたのだ。
予備校はとっくに辞めた。これ以上、受験に予算を使うわけにもいかなかった。そう、健太の財布にはもはや金など全然なかった。
実家暮らしとはいえ、もはや小遣いを貰える年でもない。バイトはしていなかったが、三浪目ともなればバイトして、自分で資金を工面しなければならなくなるだろう。当たり前のように、親も金を出してくれなくなるだろうから。
健太はふと立ち上がった。かと思うと、今度はバッグに参考書にノート、筆記用具を入れると適当な服に着替えて家の外に出た。
部屋で勉強出来ないなら外なら出来るんじゃないか、ふとそう考えたのだ。
外に出る時、両親が頭を抱えているのが見えたが、健太はそれから目を背けるようにしてそそくさと家から出た。
とはいえ、すぐに勉強する気にはならなかったこともあって、健太は何となく街へ出て、行き付けだったゲーセンへ入ってみた。
が、かつての同級生がワイワイしているのを見つけ、会って何か訊かれでもしたらバツが悪いからとそそくさとゲーセンを後にした。
ダメだ、こんなことをしていたら。今度こそは何処かに入って勉強しよう。
健太は次にフランチャイズのカフェに入って勉強しようと考え、店舗の入り口に立った。が、やはり同級生がいて、しかもまともにコーヒーを飲めるほどの金も持っていないことに気づき、健太は再び街をさ迷うこととなった。
結局、健太が行き着いたのは、街の外れにある少し規模のある公園だった。
ここならば同級生も来ないだろうし、自分がただ座っていても問題はないだろうーーそう思ったのだ。
公園のベンチに腰を落ち着け、健太は青い空のもとで平和に咲き乱れる平穏な街並みをただ呆然と眺めた。
何もない時間ーー何の意味もない時間。
自分を見詰めるにしては、もはや時間は掛けすぎていた。気づくのが遅かった。
健太の視界の端で、薄汚いホームレスがゴミ箱を漁っている光景が映る。
今はまだ健太でもそんなみすぼらしいホームレスを見下せる立場にいるかもしれないが、見下せなくなるのはもはや時間の問題ーーというのは健太自身もわかっていた。
ふとした瞬間に浮かぶマイナスなイマジネーション。だが、不安や恐怖は、今の健太の原動力にはなり得なかった。というか、今の健太には原動力となり得るモノがない。
ただ怖い。何もせず、何もできずに、このまま自分が無様に朽ち果てて行くと考えると、今にも涙が零れ落ちそうになる。
なのに動けない。
努力出来ない。
もはや八方塞がりの状態だった。
いや、このままではダメだ。そう思った健太はバッグから筆記用具を取り出してベンチに広げた。ノートを腿の上に置き、参考書は傍らに。だが、そんな不安定な状態じゃ、まともに勉強出来るワケがなく、健太はまたすぐにやる気を失ってしまった。
もはや何をやっても上手くいかない。健太は自分が呪われているのではないかと嘆いた。
やはり、自分はこのまま何も出来ず、何者にもなれずに朽ち果てて行くのだろうか。
恐ろしい考えが頭を過る。
何でもいい。頭からこのネガティブな考えを追い出してくれる何かはないモノか。集中出来るモノーーそれなら何でもいい。
と、健太は近くでカンバスに何かを描いている画家らしき女性を見つけた。
絵、か。
健太は別に絵を描くのは好きでもないし、絵が上手いワケでもなかった。だが、そんなことはどうでも良かった。
勉強しようとして汚したノートの一辺を破り捨て、健太は新しい白紙のページにシャーペンで静かに目の前の光景を描き出していった。
上手くはいかなかった。形がイビツでズレが生じるのはしょっちゅうだった。
だが、何度も消しゴムで消して描き直していると、何となくだが目の前の景色がそれなりの形を以て真っ白だったページに表れだした。
難しいーーだが、楽しかった。
余計なことなど何も考えずに済んだ。シャーペンの芯が折れては出しを繰り返し、目の前の光景を模写していく。
すべてが完成した時には、気づけば陽は落ち掛けていた。カンバスに絵を描いていた女の人ももういない。残っているのは、下手くそな風景をノートに描き殴っていた自分ひとり。
何とも下手くそな絵だった。
イビツな線にグチャグチャな花壇、草木はまるでパンチパーマのようになっている。ほんと、絵心なんて欠片もない絵だった。
だが、不思議と劣等感は抱かなかった。
あるのは、形容しがたい解放感だけだった。
健太はただ気持ちがよくなっていた。また、時間を作ってでも絵を描いてみようか。そんなことを考えるようになっていた。もっと上手くなりたいーーそうも考え始めていた。
別にプロになりたいワケじゃない。でも、もっと絵を描いてみたい気になっていた。今は下手でも描き続けていれば、それなりにはなるかもしれない。何故かそんな気がしていた。
健太は立ち上がった。
帰ろう。
健太はバッグに筆記用具とノートを詰めると満足げに公園を後にした。
徒然なる様というのは、人間誰にだってあるだろう。そんな時は無理に何かをしようとするのではなく、ただやりたいと思ったことをするのが一番いいのかもしれない。
無理せずら流れに身を任すーーそれが一番なのかもしれない。だって、人間、ダメな時は何をやってもダメなのだからーー。