【西陽の当たる地獄花~拾睦~】
文字数 2,548文字
残るは三人ーーだが、みな萎縮し戦意を喪失しているのは明らかだ。
神の怒号が飛ぶ。当たり前に戦意を喪失し震えている『被害者』三人に対して、だ。三人はハッとして動き出す。
ヤツラは戦うしかない。何故なら、ヤツラは神が操る将棋のコマ、成ることを知らぬ歩のひとつでしかないのだから。
だが、二歩なんていうのは反則でしかない。
反則業を使えば、ソイツは負ける。問答無用におれが勝つ。況してや二歩が三歩ともなれば目も当てられない。三人が縦に重なる状況など、殺してくれといっているようなモノだ。
三人重なって突撃すれば、前衛と中衛を犠牲にしても後衛が敵を殺れる可能性は充分に出てくるだろう。だが、おれには通用しない。
突撃してくる神風三人。構えは前衛から上段、脇、八相。なるほど、と納得する。一手目は囮で、早くても二手目、三手目では確実に仕留めるとそういった腹だろう。
おれは走ってくる三人に対して、ゆっくりと歩いて寄っていく。
ひとり目が上段から刀を振り下ろす。
見えるーー見えすぎている。
そのたった一瞬、敵が刀を振り下ろすその瞬間がよく見える。身体も緊張せずよく動く。
敵の右側に入り身をしながら、おれは敵が刀を持つ右手に自分の左手を掛ける。
思い切り引く。
敵は前へよろめく。
後は身体を振り回し、自分も一回転して敵の身体をおれの前に置いてやる。
衝撃が来る。
鈍い悲鳴が聴こえる。
ふたり目の胴斬りが盾にしているひとり目の腹を裂いたのだ。ふたり目の顔を伺ってみると、やってしまったといわんばかりの顔。
すぐさま盾となったひとり目を突き飛ばす。
ひとり目はふたり目に力なくもたれ掛かる。ふたり目もどうすればいいかわからないのか、あたふたするばかり。
それが命取りだった。
三人目は止まらない。あっ、という顔をしつつも力任せの刀の振りは止まることを知らない。気づけばふたり目の背中を袈裟斬りし、ひとり目もろともふたり目も倒れてしまう。
やってしまったという三人目の顔。
「おい」
おれがいうと、三人目は顔を上げる。が、次の瞬間には顔に風穴が開く。おれの投げた『神殺』が顔面に突き刺さっている。
三人目は壊れた人形のように崩れ落ちる。
おれは三人目の亡骸に近寄り、顔面に突き刺さった『神殺』を抜き取る。
刀身にベットリとついたドス黒い血が垂れ、切先から地面にポタポタ落ちて、鮮血の水溜まりを作る。
おれは佇む、ただひとり。
また殺した。生き残った。当然のことだ。だが、今、おれは「あの世」にいる。
何故、あの時、あの男に勝てなかった。
これまで何度となく自問した。だが、答えは出なかった。ヤツのほうが腕が上だったか、いや、どっこいどっこいといったところだろう。ヤツもおれと同じくらいの腕を持っていた。なのに、何故おれは負けたのだーー
おれがまだ人間として生きていた時のことだ。当時、川越宿に拠点を置いていた盗賊の一味の用心棒として、おれは雇われていた。
みな、大した腕の持ち主ではなかった。まともな剣術の使い手などひとりもいないし、どいつもこいつも刀は腕で振るうモノだと本気で信じていたボンクラどもだった。
ただ、強面で多勢というだけだった。
つまらない。こんなクソつまらないヤツラのお守りをするより、もっとゾクゾクするような勝負がしてみたい。
やはり、おれは狂っていたのかもしれない。
用心棒の職だって、金のためであり、盗賊を狙うヤツであれば、それなりの腕の持ち主が現れるのでは、という理由で続けていただけだった。そして、ヤツは現れた。
盗賊の連中はみな殺され、おれは敵を追って走った、走ったーー走り続けた。
行き着いた先は墓場だった。
ヤツは墓場の真ん中でおれに背を向けて立っていた。見た感じ、筋骨は隆々、立ち姿に隙は一辺もない。髷を結わずに総髪を何かでうしろに撫で付けているという不思議な風体をしていたが、そんなことはどうでもよかった。
「墓場とは気が利くじゃねぇか」
おれがいうと、ヤツはこちらを振り返った。
「そうだろう? 貴殿にはピッタリだ」
「……どういう意味だ」
「ーー、ここが貴殿の墓場ってことだ」
ヤツはおれの名前をいったが、今のおれにはその名前が思い出せない。ただ、生け簀かない無表情を携えて、ヤツはおれを見ていた。
「貴殿の、だと。勿体振りやがって。もしかしたらテメェの墓場かもしれねぇぜ?」
ヤツはうっすらと笑って見せた。だが、その手が微かに震えているのを、おれは見逃さなかった。おれもうっすらと笑って見せ、いった。
「大層なこといってるけどな、手を見てみろ。震えてるじゃねぇか」
ヤツは笑みを浮かべつつも口許を震わしながら返答したーー
「……そういう貴殿も、震えてるぜ」
おれは一層笑みを浮かべて見せた。正直なところ、おれは怖かった。この男の佇まい、雰囲気、そのすべてがこれまで会った惣兵衛以下、自称剣豪どもとはまったく異なっていた。
間違いない、ヤツは本物だ。
そう感じ、おれは大きく息を吐いていった。
「こんなにも怖くなったのは久しぶりだぜ。テメェ、ただの剣の使いじゃねぇだろ」
「それは貴殿だって同じことだろう」ヤツのことばに、おれは微笑した。「今頃はお仲間も死んでいることだろう」
「あんなのは仲間じゃない。おれはただ、テメェみたいなヤツを待っていたんだーー抜きな。生涯に一度だけのひりつく勝負をしようぜ」
おれはゆっくりと刀を抜いた。やはりその手は震えていた。武者震い。初めての殺しの時とは比べモノにならないような緊張感と恐怖。
ヤツも刀を抜いた。そして、刀を正眼に構えると、ゆっくりと柄を握り込んだ。その手はおれと同様、武者震いしていた。
「名乗りはしないのか?」
おれは何故かそんなことをいっていた。自分でも何故そういったのかはわからない。ただ、ヤツの名前を知りたかったのかもしれない。この世に生まれた鬼のような存在の名を自分のこころに刻み込んで置くために。
「ならば、自分から名乗ることだぜ。そしたら、教えてやる」
おれはヤツの申し出に従った。
「無外流、ーー」
名前のところだけは相変わらず抜け落ちていた。だが、ヤツはうっすらと鼻で笑って、
「土佐英信流、猿田源之助」
【続く】
神の怒号が飛ぶ。当たり前に戦意を喪失し震えている『被害者』三人に対して、だ。三人はハッとして動き出す。
ヤツラは戦うしかない。何故なら、ヤツラは神が操る将棋のコマ、成ることを知らぬ歩のひとつでしかないのだから。
だが、二歩なんていうのは反則でしかない。
反則業を使えば、ソイツは負ける。問答無用におれが勝つ。況してや二歩が三歩ともなれば目も当てられない。三人が縦に重なる状況など、殺してくれといっているようなモノだ。
三人重なって突撃すれば、前衛と中衛を犠牲にしても後衛が敵を殺れる可能性は充分に出てくるだろう。だが、おれには通用しない。
突撃してくる神風三人。構えは前衛から上段、脇、八相。なるほど、と納得する。一手目は囮で、早くても二手目、三手目では確実に仕留めるとそういった腹だろう。
おれは走ってくる三人に対して、ゆっくりと歩いて寄っていく。
ひとり目が上段から刀を振り下ろす。
見えるーー見えすぎている。
そのたった一瞬、敵が刀を振り下ろすその瞬間がよく見える。身体も緊張せずよく動く。
敵の右側に入り身をしながら、おれは敵が刀を持つ右手に自分の左手を掛ける。
思い切り引く。
敵は前へよろめく。
後は身体を振り回し、自分も一回転して敵の身体をおれの前に置いてやる。
衝撃が来る。
鈍い悲鳴が聴こえる。
ふたり目の胴斬りが盾にしているひとり目の腹を裂いたのだ。ふたり目の顔を伺ってみると、やってしまったといわんばかりの顔。
すぐさま盾となったひとり目を突き飛ばす。
ひとり目はふたり目に力なくもたれ掛かる。ふたり目もどうすればいいかわからないのか、あたふたするばかり。
それが命取りだった。
三人目は止まらない。あっ、という顔をしつつも力任せの刀の振りは止まることを知らない。気づけばふたり目の背中を袈裟斬りし、ひとり目もろともふたり目も倒れてしまう。
やってしまったという三人目の顔。
「おい」
おれがいうと、三人目は顔を上げる。が、次の瞬間には顔に風穴が開く。おれの投げた『神殺』が顔面に突き刺さっている。
三人目は壊れた人形のように崩れ落ちる。
おれは三人目の亡骸に近寄り、顔面に突き刺さった『神殺』を抜き取る。
刀身にベットリとついたドス黒い血が垂れ、切先から地面にポタポタ落ちて、鮮血の水溜まりを作る。
おれは佇む、ただひとり。
また殺した。生き残った。当然のことだ。だが、今、おれは「あの世」にいる。
何故、あの時、あの男に勝てなかった。
これまで何度となく自問した。だが、答えは出なかった。ヤツのほうが腕が上だったか、いや、どっこいどっこいといったところだろう。ヤツもおれと同じくらいの腕を持っていた。なのに、何故おれは負けたのだーー
おれがまだ人間として生きていた時のことだ。当時、川越宿に拠点を置いていた盗賊の一味の用心棒として、おれは雇われていた。
みな、大した腕の持ち主ではなかった。まともな剣術の使い手などひとりもいないし、どいつもこいつも刀は腕で振るうモノだと本気で信じていたボンクラどもだった。
ただ、強面で多勢というだけだった。
つまらない。こんなクソつまらないヤツラのお守りをするより、もっとゾクゾクするような勝負がしてみたい。
やはり、おれは狂っていたのかもしれない。
用心棒の職だって、金のためであり、盗賊を狙うヤツであれば、それなりの腕の持ち主が現れるのでは、という理由で続けていただけだった。そして、ヤツは現れた。
盗賊の連中はみな殺され、おれは敵を追って走った、走ったーー走り続けた。
行き着いた先は墓場だった。
ヤツは墓場の真ん中でおれに背を向けて立っていた。見た感じ、筋骨は隆々、立ち姿に隙は一辺もない。髷を結わずに総髪を何かでうしろに撫で付けているという不思議な風体をしていたが、そんなことはどうでもよかった。
「墓場とは気が利くじゃねぇか」
おれがいうと、ヤツはこちらを振り返った。
「そうだろう? 貴殿にはピッタリだ」
「……どういう意味だ」
「ーー、ここが貴殿の墓場ってことだ」
ヤツはおれの名前をいったが、今のおれにはその名前が思い出せない。ただ、生け簀かない無表情を携えて、ヤツはおれを見ていた。
「貴殿の、だと。勿体振りやがって。もしかしたらテメェの墓場かもしれねぇぜ?」
ヤツはうっすらと笑って見せた。だが、その手が微かに震えているのを、おれは見逃さなかった。おれもうっすらと笑って見せ、いった。
「大層なこといってるけどな、手を見てみろ。震えてるじゃねぇか」
ヤツは笑みを浮かべつつも口許を震わしながら返答したーー
「……そういう貴殿も、震えてるぜ」
おれは一層笑みを浮かべて見せた。正直なところ、おれは怖かった。この男の佇まい、雰囲気、そのすべてがこれまで会った惣兵衛以下、自称剣豪どもとはまったく異なっていた。
間違いない、ヤツは本物だ。
そう感じ、おれは大きく息を吐いていった。
「こんなにも怖くなったのは久しぶりだぜ。テメェ、ただの剣の使いじゃねぇだろ」
「それは貴殿だって同じことだろう」ヤツのことばに、おれは微笑した。「今頃はお仲間も死んでいることだろう」
「あんなのは仲間じゃない。おれはただ、テメェみたいなヤツを待っていたんだーー抜きな。生涯に一度だけのひりつく勝負をしようぜ」
おれはゆっくりと刀を抜いた。やはりその手は震えていた。武者震い。初めての殺しの時とは比べモノにならないような緊張感と恐怖。
ヤツも刀を抜いた。そして、刀を正眼に構えると、ゆっくりと柄を握り込んだ。その手はおれと同様、武者震いしていた。
「名乗りはしないのか?」
おれは何故かそんなことをいっていた。自分でも何故そういったのかはわからない。ただ、ヤツの名前を知りたかったのかもしれない。この世に生まれた鬼のような存在の名を自分のこころに刻み込んで置くために。
「ならば、自分から名乗ることだぜ。そしたら、教えてやる」
おれはヤツの申し出に従った。
「無外流、ーー」
名前のところだけは相変わらず抜け落ちていた。だが、ヤツはうっすらと鼻で笑って、
「土佐英信流、猿田源之助」
【続く】