【敵か味方か、宿敵か協力者か】
文字数 1,984文字
孤独は人を賢者にするという。
自分が覚えている限りこれをいったのは、美輪明宏だったと思うのだけど、これはそうであると共に完全にそうともいい切れないジレンマがある気がしてならない。
確かに何の考えもなく、ただ相手に忖度するばかりの何のメリットもないような関係性の中に自分を置くくらいなら、ひとりで本を読んだり、映画を観たりするほうがずっと生産的だ。
だが、それは非生産的なグループに属している場合の話であって、同じ方向を向き、目標に向かって知識や技術を向上できる仲間と一緒ならば、ひとりで能力向上に励むよりも得るモノは圧倒的に大きくなるだろう。
何より、孤独であることで危険なのは、自分が「井の中の蛙」になる可能性があることだ。
人間は所詮人間でしかない。誰だって落ち込むこともあれば、思い上がることもある。だが、周りに誰かがいればそれも気づきやすくもなるだろうが、ひとりだとそれに気づくのは難しくなる。
だからこそ、同じ方向を向いている仲間というのは大事にすべきなのだと思うのだ。
さて、新年一発目の『居合篇』である。多分、今回を合わせてあと三回で終わると思う。そんな感じで、あらすじーー
『どうも相容れない先生がいた。技術とかは正しいのかもしれないが、どうもその方針や考え方に同調できなかった五条氏は、その先生との稽古の中で、必要なことと余り重要視すべきでないことを取捨選択するのだった』
もはやあらすじでも何でもないな。でも、前回は具体的な話の流れがなかったからな。まぁ、そんな感じで。やってくわーー
「わたしもこの前入ったばかりなので……」
体験初日、武道館入り口でお会いした方はそういった。
その方は名前を『臼田さん』といい、川澄居合会には二週間前に見学に来たのが最初で、この日が二回目の稽古とのことだった。
更衣室へ向かう最中に聞いた話だと、臼田さんは合気道四段で、通っていた中学はおれと同じーーつまりおれの先輩にあたる存在だった。
体験初日は楽しかった反面、できないことが多くて苦い経験もしたと過去に書いたと思う。だが、それは同時期に入門した臼田さんがかなりの実力者だったことも大きかったと思う。
合気道四段、とはいえ居合は初めてなのだから実力的にはイーブンだろうと思われるかもしれない。だが、物事は案外そうでもないのだ。
これは自分が沖縄空手を初めて体験した時に思ったのだけど、別の武道においてしっかりとした体捌きを身につけておくと、その技量は確実に他の武道でも役に立つのだ。
況してや、合気と居合は親和性が高く、片方の体捌きを覚えれば、そちらをベースにもう片方でも高いパフォーマンスを実現できるのだ。
臼田さんは初めから上手だった。稽古する中で、おれは向山さんや塩谷さんから随分とお褒めのことばを頂けるようになったが、おふた方とも、一番最初に誉めたのは臼田さんだった。
やはり、ベースがある人は強かった。反面、おれにはベースがなかった。
今でこそ、殺陣の経験がベースとなったと人からいって頂けるようにはなったとはいえ、この当時の自分にとっては殺陣の経験など搾りカスのようなモノであってないようなモノでしかなかった。
だからこそ、おれは臼田さんと一緒に稽古しながら、自分にできることをやっていくしかなかった。とはいえ、それが上手く作用したのか、後々いい感じの結果に繋がったのだろうけど。
ただ、同じ段位ということで、臼田さんとは交流を持つことが多かった。当然、業のことや、その日の反省点を話し合ったり、大会や試験のことについて考察したりしたワケだ。
大会と試験についてはーー次回だな。
段位がひとつ上がり、初段となってからは、おれの中で臼田さんは打倒すべき相手ではなく、切磋琢磨し合う仲間となっていた。
そこから更に段位が上がり、弐段になると、今度は組太刀にて、業の理合や所作を研究し詰めていく協力者となった。
臼田さんは非常に勉強熱心な方だった。英信流の組太刀に関する古文書を探しだしてきては、その内容をじっくりと考察し、先生たちやおれと共にそれを実践しようとするその努力は並大抵のモノではなかった。
間違っても毎日どうしようもない文章を書きなぐっているおれよりもずっと生産的だし、そもそも格が違うのはいうまでもない。
そんな中でも毎年のように試験に大会と互いの技術を磨き、互いの勝負を見守っていると、やはりいい仲間を持ったモノだと思うのだ。
とはいえ、これから緊急事態宣言が出るワケで、恐らく稽古のほうも休止になってしまうことだろう。
だが、自分には同じ方向を向いている仲間がいる。それなら何も心配することもない。
まぁ、今日はここまで。次回は初の大会と昇段試験に関して。もしかしたらふたつ分けて話すかもしれんけど、それはその時次第。
アスタラビスタ。
自分が覚えている限りこれをいったのは、美輪明宏だったと思うのだけど、これはそうであると共に完全にそうともいい切れないジレンマがある気がしてならない。
確かに何の考えもなく、ただ相手に忖度するばかりの何のメリットもないような関係性の中に自分を置くくらいなら、ひとりで本を読んだり、映画を観たりするほうがずっと生産的だ。
だが、それは非生産的なグループに属している場合の話であって、同じ方向を向き、目標に向かって知識や技術を向上できる仲間と一緒ならば、ひとりで能力向上に励むよりも得るモノは圧倒的に大きくなるだろう。
何より、孤独であることで危険なのは、自分が「井の中の蛙」になる可能性があることだ。
人間は所詮人間でしかない。誰だって落ち込むこともあれば、思い上がることもある。だが、周りに誰かがいればそれも気づきやすくもなるだろうが、ひとりだとそれに気づくのは難しくなる。
だからこそ、同じ方向を向いている仲間というのは大事にすべきなのだと思うのだ。
さて、新年一発目の『居合篇』である。多分、今回を合わせてあと三回で終わると思う。そんな感じで、あらすじーー
『どうも相容れない先生がいた。技術とかは正しいのかもしれないが、どうもその方針や考え方に同調できなかった五条氏は、その先生との稽古の中で、必要なことと余り重要視すべきでないことを取捨選択するのだった』
もはやあらすじでも何でもないな。でも、前回は具体的な話の流れがなかったからな。まぁ、そんな感じで。やってくわーー
「わたしもこの前入ったばかりなので……」
体験初日、武道館入り口でお会いした方はそういった。
その方は名前を『臼田さん』といい、川澄居合会には二週間前に見学に来たのが最初で、この日が二回目の稽古とのことだった。
更衣室へ向かう最中に聞いた話だと、臼田さんは合気道四段で、通っていた中学はおれと同じーーつまりおれの先輩にあたる存在だった。
体験初日は楽しかった反面、できないことが多くて苦い経験もしたと過去に書いたと思う。だが、それは同時期に入門した臼田さんがかなりの実力者だったことも大きかったと思う。
合気道四段、とはいえ居合は初めてなのだから実力的にはイーブンだろうと思われるかもしれない。だが、物事は案外そうでもないのだ。
これは自分が沖縄空手を初めて体験した時に思ったのだけど、別の武道においてしっかりとした体捌きを身につけておくと、その技量は確実に他の武道でも役に立つのだ。
況してや、合気と居合は親和性が高く、片方の体捌きを覚えれば、そちらをベースにもう片方でも高いパフォーマンスを実現できるのだ。
臼田さんは初めから上手だった。稽古する中で、おれは向山さんや塩谷さんから随分とお褒めのことばを頂けるようになったが、おふた方とも、一番最初に誉めたのは臼田さんだった。
やはり、ベースがある人は強かった。反面、おれにはベースがなかった。
今でこそ、殺陣の経験がベースとなったと人からいって頂けるようにはなったとはいえ、この当時の自分にとっては殺陣の経験など搾りカスのようなモノであってないようなモノでしかなかった。
だからこそ、おれは臼田さんと一緒に稽古しながら、自分にできることをやっていくしかなかった。とはいえ、それが上手く作用したのか、後々いい感じの結果に繋がったのだろうけど。
ただ、同じ段位ということで、臼田さんとは交流を持つことが多かった。当然、業のことや、その日の反省点を話し合ったり、大会や試験のことについて考察したりしたワケだ。
大会と試験についてはーー次回だな。
段位がひとつ上がり、初段となってからは、おれの中で臼田さんは打倒すべき相手ではなく、切磋琢磨し合う仲間となっていた。
そこから更に段位が上がり、弐段になると、今度は組太刀にて、業の理合や所作を研究し詰めていく協力者となった。
臼田さんは非常に勉強熱心な方だった。英信流の組太刀に関する古文書を探しだしてきては、その内容をじっくりと考察し、先生たちやおれと共にそれを実践しようとするその努力は並大抵のモノではなかった。
間違っても毎日どうしようもない文章を書きなぐっているおれよりもずっと生産的だし、そもそも格が違うのはいうまでもない。
そんな中でも毎年のように試験に大会と互いの技術を磨き、互いの勝負を見守っていると、やはりいい仲間を持ったモノだと思うのだ。
とはいえ、これから緊急事態宣言が出るワケで、恐らく稽古のほうも休止になってしまうことだろう。
だが、自分には同じ方向を向いている仲間がいる。それなら何も心配することもない。
まぁ、今日はここまで。次回は初の大会と昇段試験に関して。もしかしたらふたつ分けて話すかもしれんけど、それはその時次第。
アスタラビスタ。