【帝王霊~四~】
文字数 2,693文字
夜の繁華街は白昼のように明るい。
それはもはや偽りの昼ーーだが、下手すれば昼よりも明るい夜がそこにある。
五村駅のすぐ傍に位置する『五村セントラル』は、亡霊のようにさ迷う酔っぱらいや学生、労働者たちで溢れ返っている。
雑然とした雰囲気。ストリートを見渡せばネコ耳にメイドのような格好をした女子が何かのチラシを持って通りを右に左に眺めている。
或いは、前掛けをした男に女、様々な居酒屋の呼び込みが脳までアルコールに毒された通行人を狙って彷徨いている。
男に女、女に男。ひとりで歩く者もいれば、同性の連れを伴った者もいるし、男女のふたり組もいる。老若、美醜、大人に子供、様々な者が街を闊歩し、街を淡く彩っている。
「美味しかった?」ヤエ。
「うん」シンゴは頷く。
川澄三中の先生と教え子であるヤエとシンゴは、和雅の芝居の帰りに五村セントラルのレストランで軽い食事をし、店を出てストリートを歩いているところだった。
「あの、ごちそうさまでした……」
シンゴが何処か照れくさそうに、申し訳なさそうにいう。ヤエはにっこり笑って、
「いいのいいの! 生徒と食事してお金払わせるワケにはいかないでしょ? でもーー」ヤエは意地悪な笑みを浮かべる。「春奈ちゃんとデートした時は、ちゃんと払ってあげなきゃダメだぞ?」
シンゴの顔が真っ赤になる。
「は!? な、何いってんだよ!」
「年上のお姉さんの忠告だよー」
ヤエは少女のようにあどけなく笑う。シンゴはどぎまぎしながら、
「あ、は、いや、……止めろよ!」
突然、悲鳴が聴こえる。
ヤエとシンゴの顔が引き締まる。
通りの奥から上下黒のジャージに黒のキャップを被った者が走ってくる。その腋には黒づくめの格好にはおおよそ不釣り合いなブランド物のバッグが抱えられている。
走る男を傍観する者、恐怖で震えて動けなくなっている者、壁際や通りの外に避難する者ーー通りには十人十色の人がいる。
「シンちゃん……! 下がって!」
「ヤエちゃんこそ!」
ヤエとシンゴは逃げない。下がらない。真っ正面から走ってくる者に対して真正面から向かい、臨戦体勢になっている。
が、黒づくめは立ちはだかるふたりの姿を見て、直前にある路地で折れ曲がる。
「待ちなさい!」
ヤエが黒づくめを追って走り出す。シンゴも。ふたりは狭い路地へと吸い込まれるように入って行く。
ジメついた狭い路地裏。換気扇からは脂っこいにおいのしそうな白い煙が吹き出し、建物の窓からは室内の白色光が微かに漏れて冷たい明るさが路面に、壁面にへばり付いている。
逃げる黒づくめ。だが、その早さはあまり早くない。ヤエとシンゴ、そこまで運動能力の高くないふたりでも容易に追い付けーー
突然、黒づくめはスピードを上げる。
ヤエとシンゴも走る。
黒づくめとふたり、その差は開かない。一旦閉じたと思えば、黒づくめがスピードを上げてまた同じ距離に戻る。それの繰り返し。
路地を出て表通り、そしてまた路地へ入る。だが、その距離は一向に開き過ぎず縮まり過ぎない程度に保たれている。
「あ、れ……?」シンゴは息を吐きながらいう。「な、ん……だ?」
その声はヤエには届かないのか、何のレスポンスもない。
走る、追う、逃げる、スピードを上げる。
行き止まりーー黒づくめは立ち止まる。
「漸く追い付いた……、さぁ、そのバッグを返してッ!」
ヤエとシンゴも追いつく。ふたりとも息を切らして苦しそう。が、黒づくめは息も乱さず、クルリと振り返って見せる。
「ヤエちゃん……、コイツ、可笑しいよ……」シンゴは息を切りながらいう。
「可笑しいって……、何……が?」
「コイツ……、逃げてるのに、逃げ切る様子が……、ないんだよ……!」
シンゴのいう通りだった。黒づくめの不自然な走り方。逃げ、追い付かれ、スピードを上げたと思えば、またスピードを緩めて距離を保つ。その連続だった。
「コイツ……、もしかして……!」
シンゴのことばを聴いてか、黒づくめはバッグを横に放り投げる。
「あっ、ちょっと!」
ヤエが身を乗り出す。
が、その動きはすぐに止まる。
黒づくめは懐から妖しく光る何かを取り出すーージャック・ナイフ。
シンゴ、ヤエはうしろに退く体勢になる。だが、ふたり共足は震え、動けないよう。
「シンちゃん、逃げて……!」
「ヤエちゃんもだよ!」
ヤエは首を横に振る。
「生徒を守るのは、先生の役目だよ。お願いだから、早く行って……!」
「やだ!」
「いいからーー」
黒づくめが声を上げて走り出すーーナイフを振り上げて。
距離が縮まる。
シンゴ、ヤエの目が大きく見開かれ、そしてグッと目を瞑りーー
突然、シンゴとヤエのふたりは大きく横に吹き飛ばされる。
壁に肩をぶつけてへたり込むシンゴとヤエーー何が起きたのか、と元いた場所を見る。
黒づくめは突然割れて壁に打ち付けられたふたりを見て、戸惑っている。
衝撃ーー黒づくめが身体を折りうずくまる。
間髪入れず、黒づくめの背中に肘鉄が叩き込まれる。
黒づくめは勢い良くアスファルトにキスする。
黒づくめが顔を上げると、今度は蹴りが黒づくめの顔面を捉える。
鈍い悲鳴ーー黒づくめは動かなくなる。
「うるせぇんだよ、ボケ。殺すぞ」
そういった何者かは黒づくめの片腕を取って肩の関節を極め、背中に膝を突き立てて体重を掛ける。それから何者かは腰元から手錠を取り出し、黒づくめの両腕に掛けてから黒づくめの頭を一発ブッ叩くと、ヤエのほうを見て、
「テメェ、何してんだよ。こんなカス、テメェなら簡単に殺せるだろ?」
「え……?」呆然とするヤエ。
「え、じゃねぇよ。ガキまで巻き添えにして。大体、何でこんなとこにいるんだよ」
「ちょっと、失礼じゃないですか? 助けてくれたことに関してはお礼をいわなきゃだけど、初対面の人にその態度はーー」
「初対面?」何者かは考えを巡らすように目線を外す。「お前、武井じゃないのか?」
「武井……? 武井はわたしの妹ですが……」
「妹……。あぁ、アンタが件の武井の姉貴か」
「え……、あの、アナタはーー」
何者かは黒い何かをヤエに向かって投げる。ヤエは手で顔を庇い、それをキャッチし損なう。
「ハッ! 中々に運動音痴だな」
「ちょっとぉ! これ……!」
ヤエは投げつけられた黒い何かを手に取り眺める。チョコレート色をした中折れ式の警察手帳。ヤエはそれを開く。
「悪かったな。おれはアンタの妹の元上司だ」
弓永龍ーー手帳にはその名前と、おおよそ警官とは思えないような人相の悪い男の写真が張り付けられていた。
【続く】
それはもはや偽りの昼ーーだが、下手すれば昼よりも明るい夜がそこにある。
五村駅のすぐ傍に位置する『五村セントラル』は、亡霊のようにさ迷う酔っぱらいや学生、労働者たちで溢れ返っている。
雑然とした雰囲気。ストリートを見渡せばネコ耳にメイドのような格好をした女子が何かのチラシを持って通りを右に左に眺めている。
或いは、前掛けをした男に女、様々な居酒屋の呼び込みが脳までアルコールに毒された通行人を狙って彷徨いている。
男に女、女に男。ひとりで歩く者もいれば、同性の連れを伴った者もいるし、男女のふたり組もいる。老若、美醜、大人に子供、様々な者が街を闊歩し、街を淡く彩っている。
「美味しかった?」ヤエ。
「うん」シンゴは頷く。
川澄三中の先生と教え子であるヤエとシンゴは、和雅の芝居の帰りに五村セントラルのレストランで軽い食事をし、店を出てストリートを歩いているところだった。
「あの、ごちそうさまでした……」
シンゴが何処か照れくさそうに、申し訳なさそうにいう。ヤエはにっこり笑って、
「いいのいいの! 生徒と食事してお金払わせるワケにはいかないでしょ? でもーー」ヤエは意地悪な笑みを浮かべる。「春奈ちゃんとデートした時は、ちゃんと払ってあげなきゃダメだぞ?」
シンゴの顔が真っ赤になる。
「は!? な、何いってんだよ!」
「年上のお姉さんの忠告だよー」
ヤエは少女のようにあどけなく笑う。シンゴはどぎまぎしながら、
「あ、は、いや、……止めろよ!」
突然、悲鳴が聴こえる。
ヤエとシンゴの顔が引き締まる。
通りの奥から上下黒のジャージに黒のキャップを被った者が走ってくる。その腋には黒づくめの格好にはおおよそ不釣り合いなブランド物のバッグが抱えられている。
走る男を傍観する者、恐怖で震えて動けなくなっている者、壁際や通りの外に避難する者ーー通りには十人十色の人がいる。
「シンちゃん……! 下がって!」
「ヤエちゃんこそ!」
ヤエとシンゴは逃げない。下がらない。真っ正面から走ってくる者に対して真正面から向かい、臨戦体勢になっている。
が、黒づくめは立ちはだかるふたりの姿を見て、直前にある路地で折れ曲がる。
「待ちなさい!」
ヤエが黒づくめを追って走り出す。シンゴも。ふたりは狭い路地へと吸い込まれるように入って行く。
ジメついた狭い路地裏。換気扇からは脂っこいにおいのしそうな白い煙が吹き出し、建物の窓からは室内の白色光が微かに漏れて冷たい明るさが路面に、壁面にへばり付いている。
逃げる黒づくめ。だが、その早さはあまり早くない。ヤエとシンゴ、そこまで運動能力の高くないふたりでも容易に追い付けーー
突然、黒づくめはスピードを上げる。
ヤエとシンゴも走る。
黒づくめとふたり、その差は開かない。一旦閉じたと思えば、黒づくめがスピードを上げてまた同じ距離に戻る。それの繰り返し。
路地を出て表通り、そしてまた路地へ入る。だが、その距離は一向に開き過ぎず縮まり過ぎない程度に保たれている。
「あ、れ……?」シンゴは息を吐きながらいう。「な、ん……だ?」
その声はヤエには届かないのか、何のレスポンスもない。
走る、追う、逃げる、スピードを上げる。
行き止まりーー黒づくめは立ち止まる。
「漸く追い付いた……、さぁ、そのバッグを返してッ!」
ヤエとシンゴも追いつく。ふたりとも息を切らして苦しそう。が、黒づくめは息も乱さず、クルリと振り返って見せる。
「ヤエちゃん……、コイツ、可笑しいよ……」シンゴは息を切りながらいう。
「可笑しいって……、何……が?」
「コイツ……、逃げてるのに、逃げ切る様子が……、ないんだよ……!」
シンゴのいう通りだった。黒づくめの不自然な走り方。逃げ、追い付かれ、スピードを上げたと思えば、またスピードを緩めて距離を保つ。その連続だった。
「コイツ……、もしかして……!」
シンゴのことばを聴いてか、黒づくめはバッグを横に放り投げる。
「あっ、ちょっと!」
ヤエが身を乗り出す。
が、その動きはすぐに止まる。
黒づくめは懐から妖しく光る何かを取り出すーージャック・ナイフ。
シンゴ、ヤエはうしろに退く体勢になる。だが、ふたり共足は震え、動けないよう。
「シンちゃん、逃げて……!」
「ヤエちゃんもだよ!」
ヤエは首を横に振る。
「生徒を守るのは、先生の役目だよ。お願いだから、早く行って……!」
「やだ!」
「いいからーー」
黒づくめが声を上げて走り出すーーナイフを振り上げて。
距離が縮まる。
シンゴ、ヤエの目が大きく見開かれ、そしてグッと目を瞑りーー
突然、シンゴとヤエのふたりは大きく横に吹き飛ばされる。
壁に肩をぶつけてへたり込むシンゴとヤエーー何が起きたのか、と元いた場所を見る。
黒づくめは突然割れて壁に打ち付けられたふたりを見て、戸惑っている。
衝撃ーー黒づくめが身体を折りうずくまる。
間髪入れず、黒づくめの背中に肘鉄が叩き込まれる。
黒づくめは勢い良くアスファルトにキスする。
黒づくめが顔を上げると、今度は蹴りが黒づくめの顔面を捉える。
鈍い悲鳴ーー黒づくめは動かなくなる。
「うるせぇんだよ、ボケ。殺すぞ」
そういった何者かは黒づくめの片腕を取って肩の関節を極め、背中に膝を突き立てて体重を掛ける。それから何者かは腰元から手錠を取り出し、黒づくめの両腕に掛けてから黒づくめの頭を一発ブッ叩くと、ヤエのほうを見て、
「テメェ、何してんだよ。こんなカス、テメェなら簡単に殺せるだろ?」
「え……?」呆然とするヤエ。
「え、じゃねぇよ。ガキまで巻き添えにして。大体、何でこんなとこにいるんだよ」
「ちょっと、失礼じゃないですか? 助けてくれたことに関してはお礼をいわなきゃだけど、初対面の人にその態度はーー」
「初対面?」何者かは考えを巡らすように目線を外す。「お前、武井じゃないのか?」
「武井……? 武井はわたしの妹ですが……」
「妹……。あぁ、アンタが件の武井の姉貴か」
「え……、あの、アナタはーー」
何者かは黒い何かをヤエに向かって投げる。ヤエは手で顔を庇い、それをキャッチし損なう。
「ハッ! 中々に運動音痴だな」
「ちょっとぉ! これ……!」
ヤエは投げつけられた黒い何かを手に取り眺める。チョコレート色をした中折れ式の警察手帳。ヤエはそれを開く。
「悪かったな。おれはアンタの妹の元上司だ」
弓永龍ーー手帳にはその名前と、おおよそ警官とは思えないような人相の悪い男の写真が張り付けられていた。
【続く】