【冷たい墓石で鬼は泣く~捌~】
文字数 2,275文字
あの頃、ヤツは確かにかわいい子供だった。
とはいえ、わたしとうりふたつということもあって、それをいってしまえば、わたしもそうだったのかと自画自賛の手前味噌のようになってしまう気もするが、実際のところは違う。
ヤツは本当にかわいかったのだ。あどけない笑顔を浮かべ、同じくらいの背丈のわたしの元へ、わたしの名前を呼びながらテチテチと歩いてくるヤツが、わたしは本当に好きだった。
ヤツの名前は『馬乃助』ーー『牛野馬乃助』といった。
馬乃助とわたしは同じ日に生まれた。とはいっても生まれた順序はわたしが先で馬乃助が後。すなわち、わたしが双子の兄で、馬乃助が双子の弟ということになる。
わたしたちは房州は館山のほうの名家、『牛野家』にて生を受けた。それもあって、わたしたちは非常に厳しい躾をされて育った。
とはいえ、同じ母の腹から同じ日に生を受け、同じ環境にて育ったにも関わらず、すべてが同じというワケにはいかなかった。
わたしは非常に要領の悪い男だった。学問も剣術もいくら頑張ったところで、大した上達など見えなかった。良くても精々中間よりもちょっと上くらい。基本はいつも真ん中もいいところ。そんなことだから、わたしは随分と父から折檻を受けたモノだった。
何度叩かれたかわからない。何度罵られたかわからない。記憶など、殆ど風化して残っていない。ただ漠然とそういった事実があったということしか覚えていない。
「貴様が頑張らずして、誰が牛野家の跡継ぎとなるのだ!」
父は何度わたしにそのことばを浴びせ掛けたかわからない。わたしに対して。そして、それは端で見ていた馬乃助も同様だった。
馬乃助はまるでビイドロのような美しい目をこちらに向けて、何を考えているのかわからない純粋無垢な表情でわたしたちのことを見ていた。そう、馬乃助はわたしと比べると、そこまで厳しく躾を受けていたワケではなかった。
それもそうだろう。
彼は跡継ぎになることなく、別の武家屋敷へ婿養子となる運命だったのだから。家を継ぐのは長男で、次男以降は婿養子、何処にでもある世継ぎ跡継ぎの光景だった。
「そんなことでは、貴様を跡継ぎにはせん!」
父はわたしを説教する際、良くそのようにいっていた。だが、その「跡継ぎ」の候補の中には馬乃助は入っていなかった。馬乃助には最初から養子に出しても恥ずかしくない程度の教育を受けさせるつもりしかなかったらしい。
だが、当の馬乃助は学問も剣術、武術においてもすこぶる優秀な成績を残していた。わたしが苦痛に苛まれながら学問と剣術の指導を受けている横で、馬乃助は楽しそうに書物と向き合い、木刀を振っていた。
馬乃助は、わたしの目から見ても非常に優れた才能を持っていることが明らかだった。
それに比べてわたしという男は何処までも不甲斐なかった。
恐らく、父はそれも不満であったのだろう。父のわたしへの当たりは、馬乃助が優秀な成績をあげればあげるほどに強くなっていった。
それと共に、わたしの馬乃助に対する憎しみーーといっては語弊があるかもしれないが、それにも似たような感情が渦巻いていた。
だが、馬乃助はそんなことは露知らず、わたしに対して笑顔を浮かべながら近寄って来ていた。わたしはそんな馬乃助がうっとうしくて仕方がなかった。そして、そんなある日、わたしが父から折檻を受けた後に、馬乃助から慰めのことばを掛けられた時、わたしの中で何かが切れた。わたしは目を剥き、突風のような勢いで馬乃助の肩を掴み、壁に押し付けた。
壁がドンととてつもない音を立てた。馬乃助は驚きで目を濡らしながらも、わたしの目を純粋な目で見詰めていた。わたしは、息を荒くしていた。きっと、表情も強張っていたことだろう。だが、わたしはその時怒りにすべてを忘れ、身体を震わせていた。
「うるさい……! 何だ、貴様なんか……! 貴様なんか、いくら学問や剣術が優れていても牛野の跡継ぎにはなれないじゃないか! 貴様みたいなヤツが某に偉そうな口を利くんじゃない。貴様は武家に生まれた野良犬なんだよ!」
わたしはいってしまってからハッとした。罪悪感がじっとりとわたしの頭とこころを濡らしたのだ。だが、時はもう遅かった。馬乃助はあからさまに顔を歪ませ、目には大粒の涙を貯めていた。そして、ただひとこと、
「ごめんなさい……」
と呟き、そのままフラッと何処かへ行ってしまった。わたしは馬乃助の背中に向かって何かしらのことばを掛けなければ、とも思ったのだが、わたしはわたしで頭の中がこんがらがり、何もいえなくなってしまっていた。
以降、馬乃助はわたしや父を避けるようになった。目は虚ろになり、寺子屋や剣術道場においても問題児となっていった。ただ、これが困ったことにどちらにおいても優秀であり続けた。だからこそ扱いに諸先生方も困っていた。どんなに素行が悪くとも、寺子屋や道場の中で誰よりも賢く、誰よりも腕が立つのなら、それはもはや嵐というしか他になかった。
父がお家の看板にキズをつけるようなマネはやめろ、といえば馬乃助は、
「自分のようないずれは放り出されるような者が何をしたって問題はないだろう。それより、そちらの出来の悪い兄の躾をどうにかしたら如何だろうか。学問も剣術も中堅に毛が生えた程度でしかなく、お家を継ぐには不足だと自分は思うのだが、如何だろうか」
父の目は怒りに燃え、馬乃助に折檻を与えようとした。が、馬乃助はひとこといった。
「折檻したければ、自分に勝ってからにしたら如何だろうか?」
【続く】
とはいえ、わたしとうりふたつということもあって、それをいってしまえば、わたしもそうだったのかと自画自賛の手前味噌のようになってしまう気もするが、実際のところは違う。
ヤツは本当にかわいかったのだ。あどけない笑顔を浮かべ、同じくらいの背丈のわたしの元へ、わたしの名前を呼びながらテチテチと歩いてくるヤツが、わたしは本当に好きだった。
ヤツの名前は『馬乃助』ーー『牛野馬乃助』といった。
馬乃助とわたしは同じ日に生まれた。とはいっても生まれた順序はわたしが先で馬乃助が後。すなわち、わたしが双子の兄で、馬乃助が双子の弟ということになる。
わたしたちは房州は館山のほうの名家、『牛野家』にて生を受けた。それもあって、わたしたちは非常に厳しい躾をされて育った。
とはいえ、同じ母の腹から同じ日に生を受け、同じ環境にて育ったにも関わらず、すべてが同じというワケにはいかなかった。
わたしは非常に要領の悪い男だった。学問も剣術もいくら頑張ったところで、大した上達など見えなかった。良くても精々中間よりもちょっと上くらい。基本はいつも真ん中もいいところ。そんなことだから、わたしは随分と父から折檻を受けたモノだった。
何度叩かれたかわからない。何度罵られたかわからない。記憶など、殆ど風化して残っていない。ただ漠然とそういった事実があったということしか覚えていない。
「貴様が頑張らずして、誰が牛野家の跡継ぎとなるのだ!」
父は何度わたしにそのことばを浴びせ掛けたかわからない。わたしに対して。そして、それは端で見ていた馬乃助も同様だった。
馬乃助はまるでビイドロのような美しい目をこちらに向けて、何を考えているのかわからない純粋無垢な表情でわたしたちのことを見ていた。そう、馬乃助はわたしと比べると、そこまで厳しく躾を受けていたワケではなかった。
それもそうだろう。
彼は跡継ぎになることなく、別の武家屋敷へ婿養子となる運命だったのだから。家を継ぐのは長男で、次男以降は婿養子、何処にでもある世継ぎ跡継ぎの光景だった。
「そんなことでは、貴様を跡継ぎにはせん!」
父はわたしを説教する際、良くそのようにいっていた。だが、その「跡継ぎ」の候補の中には馬乃助は入っていなかった。馬乃助には最初から養子に出しても恥ずかしくない程度の教育を受けさせるつもりしかなかったらしい。
だが、当の馬乃助は学問も剣術、武術においてもすこぶる優秀な成績を残していた。わたしが苦痛に苛まれながら学問と剣術の指導を受けている横で、馬乃助は楽しそうに書物と向き合い、木刀を振っていた。
馬乃助は、わたしの目から見ても非常に優れた才能を持っていることが明らかだった。
それに比べてわたしという男は何処までも不甲斐なかった。
恐らく、父はそれも不満であったのだろう。父のわたしへの当たりは、馬乃助が優秀な成績をあげればあげるほどに強くなっていった。
それと共に、わたしの馬乃助に対する憎しみーーといっては語弊があるかもしれないが、それにも似たような感情が渦巻いていた。
だが、馬乃助はそんなことは露知らず、わたしに対して笑顔を浮かべながら近寄って来ていた。わたしはそんな馬乃助がうっとうしくて仕方がなかった。そして、そんなある日、わたしが父から折檻を受けた後に、馬乃助から慰めのことばを掛けられた時、わたしの中で何かが切れた。わたしは目を剥き、突風のような勢いで馬乃助の肩を掴み、壁に押し付けた。
壁がドンととてつもない音を立てた。馬乃助は驚きで目を濡らしながらも、わたしの目を純粋な目で見詰めていた。わたしは、息を荒くしていた。きっと、表情も強張っていたことだろう。だが、わたしはその時怒りにすべてを忘れ、身体を震わせていた。
「うるさい……! 何だ、貴様なんか……! 貴様なんか、いくら学問や剣術が優れていても牛野の跡継ぎにはなれないじゃないか! 貴様みたいなヤツが某に偉そうな口を利くんじゃない。貴様は武家に生まれた野良犬なんだよ!」
わたしはいってしまってからハッとした。罪悪感がじっとりとわたしの頭とこころを濡らしたのだ。だが、時はもう遅かった。馬乃助はあからさまに顔を歪ませ、目には大粒の涙を貯めていた。そして、ただひとこと、
「ごめんなさい……」
と呟き、そのままフラッと何処かへ行ってしまった。わたしは馬乃助の背中に向かって何かしらのことばを掛けなければ、とも思ったのだが、わたしはわたしで頭の中がこんがらがり、何もいえなくなってしまっていた。
以降、馬乃助はわたしや父を避けるようになった。目は虚ろになり、寺子屋や剣術道場においても問題児となっていった。ただ、これが困ったことにどちらにおいても優秀であり続けた。だからこそ扱いに諸先生方も困っていた。どんなに素行が悪くとも、寺子屋や道場の中で誰よりも賢く、誰よりも腕が立つのなら、それはもはや嵐というしか他になかった。
父がお家の看板にキズをつけるようなマネはやめろ、といえば馬乃助は、
「自分のようないずれは放り出されるような者が何をしたって問題はないだろう。それより、そちらの出来の悪い兄の躾をどうにかしたら如何だろうか。学問も剣術も中堅に毛が生えた程度でしかなく、お家を継ぐには不足だと自分は思うのだが、如何だろうか」
父の目は怒りに燃え、馬乃助に折檻を与えようとした。が、馬乃助はひとこといった。
「折檻したければ、自分に勝ってからにしたら如何だろうか?」
【続く】