【藪医者放浪記~参~】

文字数 3,245文字

 川越街道は人で賑わっている。

 小江戸と称される幕府の要地であったこともあってか、その人通りは常日頃から大したモノなのはいうまでもない。

 松平天馬の屋敷は川越街道の果て、即ち川越城近辺に位置していた。これはいつ如何なる場合においても川越城を攻め入られないための防壁のひとつとされていたためだ。

 また永島邸は、それよりも江戸寄り、即ち川越城から幾分距離のある場所に置かれていた。だからこそ、人知れず『蔵柔術』という武術博打を催すことが出来たということだ。

「でぇ、目的の宿は新河岸方面なんだろぉ?ちょいと遠かないかねぇ」犬吉がいう。

「仕方ないだろ? 城近辺は値も張るし、少しでも節約するなら多少不便でも、な。それに命に関わる病でもないし、急ぎでも……」

「でもよぉ、天馬さんもケチだよなぁ。どうせ医者を呼ぶなら宿代や籠代ぐらい都合してやりゃいいのによぉ」

「いや、そうするつもりだったんだけど、ダメだったんだとさ」

「ダメ? 何で」

「何でもその医者、とんでもない堅物なんだとさ」そういって猿田は説明をする。

 その医者、名を大藪順庵といい、その道何十年という大層な先生なのだという。話によれば、西洋の奇術とさえいわれて忌避されていた西洋医療をも密かに学び、それを己の医術に取り込んでいるため、その腕前は他の医者の追随を許さぬほど優れているとのことだった。

 だが、その人格は実にひねくれており、人からの施しは絶対に受けたくないというこだわりを持っているという。

 もちろん診察料や施術料は受け取る。それはあくまで仕事であるからだ。しかし、現地まで赴くのは仕事ではない。現地まで赴くことも仕事のひとつとも考えられなくもないが、順庵にとってはそうではないらしかった。というのも、順庵にとって仕事とは、患者に向き合ってから、その場を去るまでとのことなのだそう。

 加えていうならば、順庵にとって医術とは、非常に体力の要るモノであるから、常日頃から体力をつけておかなければならないということだった。加えて、自分が動くことで、人の身体の構造を自分の肉体をもってして理解することが出来るというこだわりから、どんなに時間が掛かろうとも、籠や使いに頼らず、自分の足腰で歩くことを良しとしていたとのことだった。

「また面倒くせぇ医者だなぁ」呆れ気味に犬吉はいう。「で、その順庵って医者、どんなナリの人なんだぃ?」

「年は行ってるらしい。でも身体を鍛えることに余念がないこともあって、見た目は年齢よりも若く見えるんじゃないかって話だが、着るモノは基本的に質素でボロくさいんだとさ」

「じゃあ、具体的な見た目とかは特に聴いてないってことかぃ?」

「そういうことになるな……」

「つくづく変な話だなぁ」

「まぁ、そういうことだから……」

 突然、猿田の目が鋭く光る。その視線は蔵造りの建物の間、薄暗い路地のほうへと向けられている。まるで水滴がポツリと落ちたよう。

「悪い。ちょっと急用が出来た。ひとりで先に順庵先生のところへ行ってくれないか?」

「えぇ!? おれひとりでぇ?」

「そうだ。場所は伝えた通りだ。いいな?」

「んん……、まぁ、いいけど。そんな気難しい野郎相手に、どうすりゃいいんだよ」

「そうなったら実力行使しかない」

「実力行使ぃ?」

「あぁ。何でも順庵先生は自分より腕っぷしの強い相手には、敬意を払って素直に話を聴いてくれるらしい。だから、困ったらお前のその自慢の腕っぷしで何とかすればいいさ」

「へぇ。じゃあ大丈夫かな」

「そういうことだ。じゃあ、頼んだぞ」

「あいよぉー」

 そういって犬吉は手を大振りにしながら、豪快な態度と足取りで江戸へと伸びる街道を下って行く。犬吉が去ったのを確認すると、猿田は瞼の筋肉を緩ませつつ、路地のほうへと入って行く。ゆっくりと、ゆっくり、と。

 路地前でセキレイに差していた刀を落として差し直すと、左手を刀に掛ける。

 そのまま猿田は零れた水が広がって行くように静かに路地を進んで行く、行くーー行く。足音もたてずに。

 路地裏に出る。だが、何もいない。襲い掛かって来ない。猿田は尚も気を緩めることなく、刀を落とし差しから閂差しにして四方八方に意識を飛ばし続ける。

「何をそんなに緊張してんの?」随分と色っぽい、挑発的な女の声。

 猿田は振り返る。と、それからホッと息をつきながら肩甲骨に掛かっていた緊張を解き、刀から手を外していう。

「何だ、お前か……」

 そこにいたのは、紫色の着物を着た非常に艶やかな女がひとり。張りのある白い肌に大きくて赤い唇。ややつり上がった猫のような目が特徴的だった。とてもじゃないが宿場町をうろつく類の者ではない。だが、どういうワケか、その左腕はダラリと落ちている。

「なぁにぃ? 随分と御挨拶じゃない?」

「御挨拶だ? 人に殺意を向けといて、それはないだろ。冗談になってないぜ」

「殺意? そんなの向けてないけど」

「向けてない?」猿田は眉間にシワを寄せて考える。「マジでいってんのか?」

「マジっていうか、あたしが猿ちゃんに殺意なんか向けるはずがなくない?」

「それもそうだな……」

「てかさ、ちょっとヒドイんじゃない? 人を殺し屋みたいにいってさ」

「でも、それは事実だろ?」

「んー! そういうことじゃなくてさぁ! 間違った時はどうするか、わかってるよね?」

「あ?……あぁ、すまなかった」と頭を下げる猿田。「これでいいか?」

「んー、まぁ、許してやろう。その代わり、後であたしを買いに来てね」女は不敵に笑う。

「あのよぉ……、それだけは勘弁してくれないかなぁ……」猿田は困惑する。

「なぁにぃ、あたしに魅力がないってこと?」

「いや、そういうワケじゃないけど」

「じゃあ、どういうワケ?」

「どういうワケって……」

 と、突然女は笑い出す。猿田の困惑は止まらない。笑いが収まると、女はいう。

「ごめんね。でも、猿ちゃん、最近ツレないからさぁ。ちょっとからかいたくなっちゃって」

「冗談はなしだよ、お雉」

 お雉、女はそう呼ばれた。お雉は主に夜、新河岸の川辺にて夜鷹をやっている。夜鷹とは、いわゆる商売女だが、吉原や深川のような風俗街における女郎屋に奉公する女郎とは違い、川辺のような場所にて藁を敷いて身体を売るような女だ。だが、夜鷹になるのは大抵は女郎屋に奉公出来ないような年増の女ばかり。

 そんなこともあってか、三十にもなっていないようなまだ若さの残っているお雉のような夜鷹はモノ珍しく、客足も絶えなかった。

「まったく、猿ちゃんはうぶなんだから。それはさておきーー」お雉の目が鋭く光る。「例の一団、見つけたよ。水戸から下った辺りで見失ったけど、あたしは籠で急いで帰って来たから、連中がここまで来るのも、せいぜい後二日か三日ってところかな?」

「……そうか。ありがとう」

「礼なら天馬様からいって貰いたいね。あたしだって身体張ってるんだからさ」

「そうだな。……おれで良ければ、今度新河岸まで訪ねさせて貰うよ」

「ほんとに?」お雉の目が輝く。

「あぁ、……ありがとうな」

「こちらこそ。でも、気をつけてよ? そこの坊っちゃんとやらはかなりの曲者で、腕もたつ。それにツレのサムライも……」

 猿田は口許を緩めながらいう。

「大丈夫、大丈夫。相手は柳生流だろ。なら、何とかなるはずさ。それより……、その傷、お大事に、な。じゃあ……」

 そういって猿田は路地へと踵を返す。

 猿田のうしろ姿が消えると、路地裏はお雉以外、誰もいなくなる。と、それまで笑顔を浮かべていたお雉は急に歯を食い縛り、左の肩を庇い出す。

「……さすが。でもね、あたしにだって……、意地はあるんだ……。だけど、猿ちゃん……、たまには、たまには……、甘えさせて欲しいな……」

 お雉は苦痛に顔を歪める。歯軋り。

「あの侍、あたしに気づいて手裏剣投げるなんて……。この借りは絶対に返すから……!」

 お雉の目から生命が溢れ出した。

 【続く】



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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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