【今日の記憶は明日の何か】

文字数 2,778文字

 終わり良ければ、すべて良しということばがある。これはその通りだと思う。

 何事も道中が険しく、辛くても、終わりさえ良ければ、その経験すらもいい思い出に昇華される。それはいうまでもないだろう。

 大体、道中が辛くないことなんて殆どない。だが、辛くても最終的なゴールがステキなモノであれば、良い思い出として記憶される。

 これが最悪な終わり方をすれば、当然の如く、その辛い道中もゴミクズ以下の記憶として脳内の掃き溜めに沈殿し続けることとなる。

 まぁ、それでいえば、大学卒業に関しても、主役をやった時の舞台も、ただキツかった上に、終わり方も最悪だったこともあって、自分にとっては最低最悪な記憶でしかないワケだ。マジで経歴や経験を潰してもいいから、ここの記憶は捨て去ってしまいたいモノだね。

 それはさておき、やはり物事の終わり方というのは重要なモノだと思うのだ。

 どんな映画や小説でも、途中が面白くても、ラストがろくでもなければ、作品としての質というか、その作品との出会いの記憶は最悪なモノとなってしまうのはいうまでもない。

 まぁ、これは鬱々とした終わり方やバッドエンドがすべてそうというワケでもなく、そういった終わり方が好きだったり、妙に感化されてしまったりということもあるから、一概にこれが悪い終わり方だ、とはいえないのかもしれない。

 ただ、ひとついえるのは、あらゆる物事においても、自分にとって苦いだけ、苦しいだけの終わり方というのは、説明するまでもなく、最悪な終わり方ということだ。

 そんな終わり方をしてしまえば、その後になってその経験がトラウマになったり、その経験によって出来た因縁によって人間関係がギクシャクしたりとろくなことがない。

 まぁ、ここまでろくでもない終わり方をした場合の話をしてきたけれども、とはいえ、そういった経験があまりネガティブな意味を持たず、かつ後々になって役に立つこともある。

 そういう場合っていうのは、確かに終わった後にイヤな思いをしたとしても、そこまで深い怒りや悲しみを抱くことなく、アッサリした気分で終われることか殆どだと思うのだ。

 そんな終わりの経験というのは、結局のところは楽しかった思い出に昇華されるのかもしれない。まとまりはないけれども、そういった経験は、仮に苦労したのだとしても楽しかった記憶として分類されるのかもしれない。

 結局は、道中がどうなのかも、過去を判断する材料としては重要なのかもしれない。

 さて、『音楽祭篇』の続きであるーー

「音楽祭が始まった。各クラスがそれぞれの課題曲と自由曲を歌っていく中、五条氏は緊張で身体が震え、ヘラヘラすることしか出来なくなっていた。ちゃんと指揮は出来るだろうか。不安が精神を蝕んでいく。出来ることなら逃げ出してしまいたいし、このまま時間が止まってくれたら、とも思いはしたが、時間は残酷にも過ぎ去っていった。そして、三年三組の順番が来た。五条氏は、静かに指揮者の立つ段の上へと立つのだったーー」

 とまぁ、こんな感じか。そんな感じでーー

 夕暮れで茜色に染まった五村は、何処かもの悲しさをストリート全体から漂わせていた。

 おれは自転車に乗りながらもはや過去のこととなってしまった音楽祭のことを振り返った。

 結論からいえば、ダメだった。

 ダメというのは、指揮が失敗したということではない。指揮に関していえば、無難にこなすことが出来た。まぁ、何故かその後に麦藁のダメ出しがあって、

「お前のせいでダメだったんだよ!」

 とかいわれて、ハァ?って感じにはなったけども。とはいえ、別にミスはしていないのだ。

 優秀指揮者賞のようなモノには普通に引っ掛かりはしなかったし、決して上手くはなかったのは事実だった。

 では、何故そこまでのいわれようだったかといえば、シンプルにブタさんから教えて貰ったテクニックを使ったら、麦藁に因縁をつけられたとか、その程度の話であって。

 とはいえ、クラス単位の優秀賞はおろか、学年単位での優秀賞すらも逃してしまうような有り様で、三年三組の音楽祭はボロボロだった。

 とはいえ、自由曲はそれなりに歌えたと思うし、正直負けた理由はまったく以てわからなかった。唯一の救いは、三年男子の有志によるアカペラ斉唱が普通に楽しく、評価もされていたことぐらいだった。

 最後、五村市民ホールから出た敷地の一角にてクラスで集まったのだけど、一部の女子は青春よろしく、泣いているヤツもいた。

 まぁ、行事にばかり真剣になるとか、どうなのよ、と以前は思っていたとはいえ、いざ自分が表に立って参加して不甲斐ない結果に終わると、それを悪くいうことは出来なかった。

 そもそも、体育祭も不甲斐ない結果に終わっている時点で、おれが前に出たところでお察しって感じなんだけど、それでもおれは何とかしてまともな結果に終わらせたいーー欲をいえば、栄冠を携えて有終の美を飾りたいとも思っていた。が、ダメなモノはダメだったのだ。

 こうして、中学校最後の音楽祭は幕を閉じたのだった。

 それから時は経って五、六年後。大学生となったおれは、長期休暇で五村に戻り、キャナや健太郎くん、外山と一緒に遊んでいた。

 場所は確か、健太郎くんの家か、キャナの家だったと思う。その時、たまたま部屋の隅から三年生の時の音楽祭の音源をCD化したモノが見つかったのだ。

 これは中学の卒業記念に卒業生全員に学校から配られたモノなので、おれも持っていたのだけど、まぁ、聴くワケなかったし、そもそも何処へ行ったのかも忘れてしまっていた。

 まぁ、でもこうやって久しぶりに会った友人と、懐かしい過去を記録した音源があるということで、みんなで聴いてみることにしたのだ。

 取り敢えず、三年の一組から順番に聴いていったのだけど、まぁ、懐かしい。それもそうだろう。中学生から大学生、ともなると知識も経験も増えて世界の見え方も大きく変わる。

 おれもバンドをやっていて、何となくは音感もあったこともあって、中学生の未熟な歌声を聴いて、色々と感慨深いモノがあった。

 そして、四人全員が所属していた三組の番が来た。まずは課題曲から。ピアノの美しいイントロから始まり、いざ歌唱。おれは静かに聞き耳を立てた。だがーー

 ズゴーって感じだったよな。

 まぁ、何があったかというと、

 音程が絶望的に取れていなかったのだ。

 いやぁ、これには思わず苦笑いだった。女子も男子も兎に角音がズレまくっていて、もはや不協和音って感じだったよな。それも課題曲だけでなく、自由曲も。これはおれの指揮とか関係なしに優秀賞なんか無理だったよな。

 でも、この不協和音も過去の軌跡と考えると、そんなに悪くないとも思ってしまうんだよなぁ。思い出補正は偉大だ。

 さて、これにて『音楽祭篇』は終わり。

 アスタラ。
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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