【ナナフシギ~拾参~】
文字数 2,301文字
その乾いた音は、乾いた空気の中で暴力的な趣を持って響いた。
「何、今の……?」エミリがいう。
一難去ってまた一難、といったところか。ガスの中の人影、いや霊障に包まれた悪霊の集合体が消えたと思ったら、またもや何かがその存在意義を訴え掛けるかのように産声を上げている。そうとしか思えなかった。
緊張する弓永とエミリを他所に、祐太朗は眉間にシワを寄せる。
「おい、『ナナフシギ』の中に理科の実験準備室の話とかあるのか?」弓永が誰にいうでもなく、虚空に舞う問いを口にする。
「ううん、『ナナフシギ』の中に準備室の話はなかったと思ったけど……」エミリは自信なさげに、祐太朗に答えを請うようにいう。
「確かに七つの中に準備室は出てこないな」が、祐太朗の顔は険しい。「でも……」
「でも、何だよ……」
が、祐太朗は何も答えない。ただ、準備室の扉をじっと睨み付けているだけだ。そんな不明瞭なスタンスに痺れを切らした弓永がいう。
「何だよ、ボーッとドアのほうなんか見ちゃって。何がそんなに気になるんだよ」
「いや……」祐太朗はそこでことばを切ったかと思うと、ゴクリとツバを飲み込んで再び口を開く。「霊感がビリビリ来るんだよ」
「どういう、こと……?」
エミリの問いに祐太朗は説明する。霊感がビリビリ来る。それは霊の世界に片足、あるいは両足を突っ込んでしまった者に働く力。
当然ながら、そういった勘のない普通の人間ではそれを感じ取ることは出来ないため、何がそんなに可笑しいのかはわからないだろう。だが、これはいってしまえば、絶対音感と同じようなモノだ。絶対音感は、それを持つ人にとっては、すべての音が音階として聴こえ、楽器が話しているような感覚に陥る。故に日常の音に人生が左右され、その場に流れるあらゆる音が不協和になれば、それだけでも気分が悪くなってしまうといった不便さもある。
いってしまえば、霊感があることもそれに近い。というより、絶対音感とは比べモノにならないほどに不快な出来事は多くなる。
これはある意味当たり前の話で、道を歩いていても、コンビニに入っても、果ては恋人の家に上がり込んでも、そこに青白い顔をした人の姿を見てしまったり、時には黒い影に怯え、またある時は死亡時のえげつない傷痕を残した霊たちの姿を目に焼き付けなければならなくなるのだから、それは人によってはトラウマとなっても可笑しくないワケだ。
そして更に力が強い人間には、目に見えない感覚、いってしまえば、オーラといった独特な気の力を察することも出来てしまう。ただ、ここでいうオーラというのは、生きた人間が纏っている雰囲気のようなモノではなく、今そこにいる、或いはすぐ近くにいる霊魂の持つ気配のことをいう。だからこそ、霊能力とスピリチュアル的な占いというのは異なるということだ。
「じゃあ、今祐太朗くんは、その霊気を感じているってこと?」
「そう。あの実験室、そのドアの向こうから弱い霊気が感じられるんだよ」
弓永とエミリの間に緊張が走る。互いの感情は異なっているとはいえ、顔を引き吊らせ、糸の張ったような空気感を纏っていることに違いはなかった。
「でも、何だか……」祐太朗はことばを濁す。
「……何だよ?」
張り詰めた声色で弓永は訊ねる。祐太朗は唸る。それは都合の悪いことをどう説明すべきか苦心しているようでもあり、或いはその全体像を把握し切れておらず、ことばとしてどう表現すべきかわからず困っているようでもある。
「もしかして、あまり良くない霊……?」
エミリの不安そうな表情は祐太朗の口を自ずと開かせる。
「そうじゃない。でも、何ていうか……」
「じゃあ、何だよ?」
弓永の詰めるような問いに、祐太朗は静かに口を開く。
「……霊気があまり強くねぇんだ」
「……どういうこと?」
エミリの質問に祐太朗は答える。
霊気が強くない。いってしまえば、これは霊の持つ霊力ーー生きた人間でいうところの『生命力』と思って貰って問題ないだろうーーが弱く、その存在感が薄いことを示しているのだが、今祐太朗が感じているその霊力というのが極端に弱いというのだ。
霊力が極端に弱い状態というのは、いってしまえばその霊の存在が消え掛かっている状態であるということだ。
ただ、これは霊障が消え、全体の霊力が弱まったことも関係しているため、一概にその理由を断言することは出来ない。
「取り敢えず、入ってみるか……」
祐太朗はゆっくりと歩を進める。
「おい、マジかよ」弓永はいう。「お前、そんなことして……」
「わたしも行くよ」エミリ。
「マジでいってんのか?」
「マジだよ。だって、祐太朗くんと一緒なら」
「あぁ、わかったよ。祐太朗。行くならさっさと行こうぜ。どうせ、早くしないとおれたちも霊の仲間になっちゃうんだろ? ならさっさと見るモノ見て次行こうぜ」
「……そうだな」祐太朗はツバを飲む。「……行くか」
頷く弓永とエミリ。ふたりを率いて祐太朗は準備室へ近づく。距離にして精々五メートル程度だろうか。だが、その感覚は何千キロにも思えるほどに遠く感じられる。歩けば歩くほどに近づいてくるはずのモノが、近づくほどに遠く感じられる。そんな感じだった。
時間にして、一、二分ぐらいか。だが、準備室のノブに手を掛けるまでに祐太朗が感じたのは、とてつもなく莫大な時間。
緊張が指を伝う。滑らかな金属のノブ、それを握る手にあまり力が入らない。祐太朗はそれでも静かにノブを回すと、ゆっくりと準備室のドアを押す。
準備室の光景に祐太朗はハッとする。
そこには巨大なクモの巣に包まれたクラスメイトの森永の姿があった。
【続く】
「何、今の……?」エミリがいう。
一難去ってまた一難、といったところか。ガスの中の人影、いや霊障に包まれた悪霊の集合体が消えたと思ったら、またもや何かがその存在意義を訴え掛けるかのように産声を上げている。そうとしか思えなかった。
緊張する弓永とエミリを他所に、祐太朗は眉間にシワを寄せる。
「おい、『ナナフシギ』の中に理科の実験準備室の話とかあるのか?」弓永が誰にいうでもなく、虚空に舞う問いを口にする。
「ううん、『ナナフシギ』の中に準備室の話はなかったと思ったけど……」エミリは自信なさげに、祐太朗に答えを請うようにいう。
「確かに七つの中に準備室は出てこないな」が、祐太朗の顔は険しい。「でも……」
「でも、何だよ……」
が、祐太朗は何も答えない。ただ、準備室の扉をじっと睨み付けているだけだ。そんな不明瞭なスタンスに痺れを切らした弓永がいう。
「何だよ、ボーッとドアのほうなんか見ちゃって。何がそんなに気になるんだよ」
「いや……」祐太朗はそこでことばを切ったかと思うと、ゴクリとツバを飲み込んで再び口を開く。「霊感がビリビリ来るんだよ」
「どういう、こと……?」
エミリの問いに祐太朗は説明する。霊感がビリビリ来る。それは霊の世界に片足、あるいは両足を突っ込んでしまった者に働く力。
当然ながら、そういった勘のない普通の人間ではそれを感じ取ることは出来ないため、何がそんなに可笑しいのかはわからないだろう。だが、これはいってしまえば、絶対音感と同じようなモノだ。絶対音感は、それを持つ人にとっては、すべての音が音階として聴こえ、楽器が話しているような感覚に陥る。故に日常の音に人生が左右され、その場に流れるあらゆる音が不協和になれば、それだけでも気分が悪くなってしまうといった不便さもある。
いってしまえば、霊感があることもそれに近い。というより、絶対音感とは比べモノにならないほどに不快な出来事は多くなる。
これはある意味当たり前の話で、道を歩いていても、コンビニに入っても、果ては恋人の家に上がり込んでも、そこに青白い顔をした人の姿を見てしまったり、時には黒い影に怯え、またある時は死亡時のえげつない傷痕を残した霊たちの姿を目に焼き付けなければならなくなるのだから、それは人によってはトラウマとなっても可笑しくないワケだ。
そして更に力が強い人間には、目に見えない感覚、いってしまえば、オーラといった独特な気の力を察することも出来てしまう。ただ、ここでいうオーラというのは、生きた人間が纏っている雰囲気のようなモノではなく、今そこにいる、或いはすぐ近くにいる霊魂の持つ気配のことをいう。だからこそ、霊能力とスピリチュアル的な占いというのは異なるということだ。
「じゃあ、今祐太朗くんは、その霊気を感じているってこと?」
「そう。あの実験室、そのドアの向こうから弱い霊気が感じられるんだよ」
弓永とエミリの間に緊張が走る。互いの感情は異なっているとはいえ、顔を引き吊らせ、糸の張ったような空気感を纏っていることに違いはなかった。
「でも、何だか……」祐太朗はことばを濁す。
「……何だよ?」
張り詰めた声色で弓永は訊ねる。祐太朗は唸る。それは都合の悪いことをどう説明すべきか苦心しているようでもあり、或いはその全体像を把握し切れておらず、ことばとしてどう表現すべきかわからず困っているようでもある。
「もしかして、あまり良くない霊……?」
エミリの不安そうな表情は祐太朗の口を自ずと開かせる。
「そうじゃない。でも、何ていうか……」
「じゃあ、何だよ?」
弓永の詰めるような問いに、祐太朗は静かに口を開く。
「……霊気があまり強くねぇんだ」
「……どういうこと?」
エミリの質問に祐太朗は答える。
霊気が強くない。いってしまえば、これは霊の持つ霊力ーー生きた人間でいうところの『生命力』と思って貰って問題ないだろうーーが弱く、その存在感が薄いことを示しているのだが、今祐太朗が感じているその霊力というのが極端に弱いというのだ。
霊力が極端に弱い状態というのは、いってしまえばその霊の存在が消え掛かっている状態であるということだ。
ただ、これは霊障が消え、全体の霊力が弱まったことも関係しているため、一概にその理由を断言することは出来ない。
「取り敢えず、入ってみるか……」
祐太朗はゆっくりと歩を進める。
「おい、マジかよ」弓永はいう。「お前、そんなことして……」
「わたしも行くよ」エミリ。
「マジでいってんのか?」
「マジだよ。だって、祐太朗くんと一緒なら」
「あぁ、わかったよ。祐太朗。行くならさっさと行こうぜ。どうせ、早くしないとおれたちも霊の仲間になっちゃうんだろ? ならさっさと見るモノ見て次行こうぜ」
「……そうだな」祐太朗はツバを飲む。「……行くか」
頷く弓永とエミリ。ふたりを率いて祐太朗は準備室へ近づく。距離にして精々五メートル程度だろうか。だが、その感覚は何千キロにも思えるほどに遠く感じられる。歩けば歩くほどに近づいてくるはずのモノが、近づくほどに遠く感じられる。そんな感じだった。
時間にして、一、二分ぐらいか。だが、準備室のノブに手を掛けるまでに祐太朗が感じたのは、とてつもなく莫大な時間。
緊張が指を伝う。滑らかな金属のノブ、それを握る手にあまり力が入らない。祐太朗はそれでも静かにノブを回すと、ゆっくりと準備室のドアを押す。
準備室の光景に祐太朗はハッとする。
そこには巨大なクモの巣に包まれたクラスメイトの森永の姿があった。
【続く】