【いろは歌地獄旅~我が青春に悔いはない~】
文字数 4,265文字
わたしの青春なんて後悔しかない。
きらびやかで栄光に満ちた青春、それがわたしの望みだった。だけど、そうはいかなかった。
小学校低学年の頃はまだ楽しかった。だけど、中学年辺りから何処かでボタンの掛け違いが起きて、高学年の辺りになったら気づけばわたしは冴えないモブの女子になっていた。
勉強もできなければ、運動もできない。音楽も美術もダメ。これといった才能もない。わたしは完全にダメ人間だった。
容姿がいいワケでもなく、いつしか脂肪に満ちたわたしの身体は太くて長い胴に、太くて短い脚が特徴となり、何とも見るも無惨な姿に成り下がっていた。顔はニキビだらけのあばた面。汚ならしいといったらない。
そして年を取り、わたしも三十代。当たり前のように結婚はしていない。仕事はコールセンターの電話取り。掛かってくる電話を取ればクレームの嵐で、上司に会えばイヤミの毎日。
もうウンザリだった。
こんなことならいっそ死んでしまおうか。そうは思ってもわたしに死ぬ度胸などない。
ホームセンターで黒と黄色のロープを買って、家に帰ってロープに輪っかを作ってみても、それに首を通すまではいいが、自分自身を吊るすまでは至らない。
調理用の包丁で首や頸動脈を切るのもダメだし、当たり前のようにお腹を刺すことも出来ない。そもそも痛いのは無理。だから、どんなに病んでも、わたしの手首にはキズひとつない。
高いところから飛び降りることもダメ。理由は簡単ーーわたしが高所恐怖症だからだ。
何もかもが中途半端。
こればかりは本当にどうしようもない。
生きるにしてもろくな人生は待っていないし、死ぬには度胸が足りない。前は細道、うしろは奈落。どっちを行ってもろくな運命は待っていない。そんな時であるーー
「お困りですかな?」
わたしは驚き振り返った。独り暮らしの自分の家に、他に誰かいるはずがないからだ。
だが、そこには誰もいなかった。
何だ、気のせいか。そう思いつつ、もしかしたらカギを掛け忘れているかもしれないも玄関に向かうもカギはちゃんと掛かっている。
もしかしたら、疲れているのかもしれない。ここ最近、ろくなことがなかったから特にそうだろう。そうだ、わたしは疲れているのだ。
死ねないのならばさっさと寝てしまおう。そうすれば、幾分は気分もーー
「戸川麻美さん、アナタのことですよ」
まただ。しかも、今度はわたしの名前まで。わたしはギョロっと辺りを見回した。当たり前だが誰もいない。玄関はさっき確かめたし、何処の窓も開いてはいない。だとしたらーー
「ここですよ」
ここだといわれてもわからない。これだけ辺りを見回して見つからないならーー
唐突に肩を叩かれた。振り返ったーー
喪服姿の男がそこにはいた。
見た目は二十代後半といったところだろうか。顔はかなりのイケメンではあるが、密室の部屋の何処から沸いて出たのだろうか。
わたしは腰を抜かした。
「だ、誰……?」
震える手で男を指差した。が、男はケタケタと笑うばかり。わたしは唾をゴクリと飲み、
「け、警察!……呼びますよぉ!?」
だが、男は、
「呼べるなら呼んで下さい。アナタには何の危害も加えませんから」
そうはいわれても動けるワケがなかった。恐怖、緊張、不安がわたしから動くという簡単なことを忘れさせていたのだ。
「どうしたんですか? お呼びなさいな」
男は依然として笑っていた。半信半疑ではあったが、わたしはやっとの思いで懐からスマホを取り出し、警察に電話を掛けて事情を説明して部屋まで来て貰うことにした。
が、結果としては警察官に怒られて終わった。理由は以下の通りーー
「誰もいないじゃないですか。イタズラで通報するのは違法なんですからね。今回はこれにて帰りますが、次回からは止めて下さいね」
わたしは尚も反論したが、警察官はまともに取り合ってくれなかった。そもそも警察官の真横で男は堂々と喋り、警察官の眼前で手を振って見せているというのに、警官は気づく様子はこれっぽっちもない。それで漸くわかった。
この男はわたしにしか見えていないのだ。
ご立腹の警官が帰った後、わたしは男に何という名前で、何の用か訊ねてみた。すると男は、
「名前は、特にありません。強いていうならーー『クロ』とでもいっておきましょうか」
喪服姿だけあって『クロ』とはよく似合う名前だ。クロは更に続ける。
「アナタ、自分の人生がつまらないとお思いでしょう?……やり直してみませんか?」
クロのいっている意味がわからなかった。だが、クロは何の障壁もないといわんばかりに、こう付け加えたーー
「アナタの戻りたい過去まで戻して差し上げましょう。勿論、身体も脳も若い状態で、それでいて今の知識や経験はそのままで」
そんな贅沢な、どの大人も考えそうな話が在っていいのだろうか。だが、クロはわたしにしか見えていないようだ。胡散臭い男ではあるが、ここはひとつ賭けてみるのも手かもしれない。どうせ死ぬことも出来なければ、今を生きるのも苦痛なだけだ。それなら過去からやり直してみるのもいいかもしれない。
大丈夫、このまま小学生にでも戻ればわたしは優等生間違いなしで、運動や音楽、美術もコンスタントにやり続ければ必ず何とかなるはずだーーそう思い、わたしはクロに小学校低学年に時間を戻してくれと頼んだのだ。
次に気づいた時には、古くさい実家のリビングにいた。そこには若い両親と幼い弟の姿。
今となってはヨボヨボの両親も、まだまだエネルギッシュだし、今ではわたしを差し置いて結婚し、子供がふたりいる弟も炬燵に半身を沈めながら寝転がってゲームボーイをやっているではないか。
すごい、本当に時間が戻ったのだ。
だが、まだわからない。
わたしは懐かしさに浸っている暇もなく、走って洗面所まで行くと自分の姿を鏡に晒した。そこにはわたしが映っていた。
それも小学校低学年の、まだ無垢で新鮮なわたしの姿が映っていたのだ。
まだ痩せているしメガネも掛けていない。どっからどう見てもまっさらなカンバスのような純真無垢なわたしがそこにいた。
やったーーわたしはこころの中でガッツポーズした。
「わたしはいつでもどこでもアナタを見守っています。では、新しい人生をお楽しみ下さい」
クロの声が聴こえた。だが、姿は見えない。
そうか、本当に戻ったのか。まだ半信半疑ではあったが、リビングに戻って両親に日付を訊き、新聞を読んでニュースを確認し、テレビの番組を確認して漸く信憑性が高まった。
やはりわたしは過去に戻ったのだ。
これでやり直せる。冴えない人生とはこれでおさらばだ。
わたしは翌日より大手を振って学校に通い始めた。大人の思考を持ち、大卒レベルまではある学力のお陰で、勉強は楽チンだった。
テストは毎度100点満点。運動も積極的に取り組んでみた。すると、わたしの成績はうなぎ登りによくなった。
わたしは、紛れもない優等生になった。
だが、その生活も長くは続かなかった。
二度目の小学校高学年、ここで可笑しな歪みが見え始める。というのも、学力が地味に下がった気がしたのだ。体重も増え始め、これでは元の学生時代と変わらない。
だが、まだストックはあるのだ。まだまだ余裕を持って生活できるはず。
それが間違いだった。
余裕はいつしか焦燥感に変わっていた。身体はブクブク肥え、目は悪くなり、いつしか学力も平凡になっていた。
こんなはずはない。何度も思った。だが、これが現実だった。
そして、気づけば前回と同様の冴えない学生生活を送り、二度目の三十代を迎えた。
結局、何も変わっていなかった。
何もかも元通り。一体、一体何処で間違えたのだ。わたしは大人の学力と経験を持って小学生に戻ったというのに、どうしてーー
わたしは再びクロを呼び出し、再度、同じ小学生に戻りたいと懇願した。
クロは何もいわずに時間を戻してくれた。
今度こそはと息巻いて、わたしは再び幼少時代からやり直し始めた。
だが、結果は同じだった。
最初は好調だが、いずれ何処かで最初の人生と同じ段階に合流する。
何故、何故なのだ。
わたしは三度目の三十代を迎えていた。そして、代わり映えのない独り暮らしの自室にて、クロを呼び出した。
「どうして、どうして何も変わらないの?」
わたしは苛立ち気味にクロに訊ねた。が、クロはニヤリと笑って、
「それは、アナタがアナタ、だからですよ」
意味がわからなかった。わたしは更なる理由を訊ねた。するとクロはーー
「いくら脳をアップデートしたところで、性格まではアップデート出来ない。時間を戻したところで、パーソナリティまでは変わりはしない。そもそも、自我がとっくに芽生えている三十代の頭で小学生に戻ったところで、いくら脳のクオリティは子供でも、その性質、本質は三十代のままなのですよ。アナタは所詮、どんなに過去に戻ったところで、最初に迎えた人生よりも最良の人生を迎えることはない。それは、それこそが人間の本質だからです。怠惰で腐っている人は、何度やり直してもそのまんま。そもそも真面目で真剣に自分の人生を生きている人は、子供の頃からやり直したいなどとは考えませんからね。非常に残念なお話ではありますが、アナタが淀んでいたと考えていた学生時代と現代、それこそがアナタが辿るべき最適な人生だったというワケです。だから、自分の青春に後悔の念を抱くこと自体、可笑しな話なのですよ。だって、その人生は潜在意識の中でその人自身が望んだモノなのですから」
わたしは何もいえなくなった。何度戻っても、わたしの性格がわたしの人生の向上を阻んでいる。それどころか、脳の記憶はそのまま更新され続けていることもあって、わたしの脳と意識は既に80年以上は生きていることとなってしまう。そうなれば、思考は凝り固まっていき、より偏って行くことだろう。
自分の青春に後悔し、それを良きものにしようとすればするほどに、わたしは自分の人生を悪い方向へと導いている。
何とも皮肉な話だ。
さっさと気づくべきだったのだ。わたしの経験した青春は、それこそがわたしにとって最適なモノであったのだ、と。
つまり、我が青春に悔いなしーーというより、どんなに時間を戻せたところで、一度成長し切ってしまった時点で悔いたところですべて遅かったということだ。
絶望が、わたしの意識に浸透して行った。
わたしは中途半端に生きるしかない。
後悔などしている暇はないのだ。
きらびやかで栄光に満ちた青春、それがわたしの望みだった。だけど、そうはいかなかった。
小学校低学年の頃はまだ楽しかった。だけど、中学年辺りから何処かでボタンの掛け違いが起きて、高学年の辺りになったら気づけばわたしは冴えないモブの女子になっていた。
勉強もできなければ、運動もできない。音楽も美術もダメ。これといった才能もない。わたしは完全にダメ人間だった。
容姿がいいワケでもなく、いつしか脂肪に満ちたわたしの身体は太くて長い胴に、太くて短い脚が特徴となり、何とも見るも無惨な姿に成り下がっていた。顔はニキビだらけのあばた面。汚ならしいといったらない。
そして年を取り、わたしも三十代。当たり前のように結婚はしていない。仕事はコールセンターの電話取り。掛かってくる電話を取ればクレームの嵐で、上司に会えばイヤミの毎日。
もうウンザリだった。
こんなことならいっそ死んでしまおうか。そうは思ってもわたしに死ぬ度胸などない。
ホームセンターで黒と黄色のロープを買って、家に帰ってロープに輪っかを作ってみても、それに首を通すまではいいが、自分自身を吊るすまでは至らない。
調理用の包丁で首や頸動脈を切るのもダメだし、当たり前のようにお腹を刺すことも出来ない。そもそも痛いのは無理。だから、どんなに病んでも、わたしの手首にはキズひとつない。
高いところから飛び降りることもダメ。理由は簡単ーーわたしが高所恐怖症だからだ。
何もかもが中途半端。
こればかりは本当にどうしようもない。
生きるにしてもろくな人生は待っていないし、死ぬには度胸が足りない。前は細道、うしろは奈落。どっちを行ってもろくな運命は待っていない。そんな時であるーー
「お困りですかな?」
わたしは驚き振り返った。独り暮らしの自分の家に、他に誰かいるはずがないからだ。
だが、そこには誰もいなかった。
何だ、気のせいか。そう思いつつ、もしかしたらカギを掛け忘れているかもしれないも玄関に向かうもカギはちゃんと掛かっている。
もしかしたら、疲れているのかもしれない。ここ最近、ろくなことがなかったから特にそうだろう。そうだ、わたしは疲れているのだ。
死ねないのならばさっさと寝てしまおう。そうすれば、幾分は気分もーー
「戸川麻美さん、アナタのことですよ」
まただ。しかも、今度はわたしの名前まで。わたしはギョロっと辺りを見回した。当たり前だが誰もいない。玄関はさっき確かめたし、何処の窓も開いてはいない。だとしたらーー
「ここですよ」
ここだといわれてもわからない。これだけ辺りを見回して見つからないならーー
唐突に肩を叩かれた。振り返ったーー
喪服姿の男がそこにはいた。
見た目は二十代後半といったところだろうか。顔はかなりのイケメンではあるが、密室の部屋の何処から沸いて出たのだろうか。
わたしは腰を抜かした。
「だ、誰……?」
震える手で男を指差した。が、男はケタケタと笑うばかり。わたしは唾をゴクリと飲み、
「け、警察!……呼びますよぉ!?」
だが、男は、
「呼べるなら呼んで下さい。アナタには何の危害も加えませんから」
そうはいわれても動けるワケがなかった。恐怖、緊張、不安がわたしから動くという簡単なことを忘れさせていたのだ。
「どうしたんですか? お呼びなさいな」
男は依然として笑っていた。半信半疑ではあったが、わたしはやっとの思いで懐からスマホを取り出し、警察に電話を掛けて事情を説明して部屋まで来て貰うことにした。
が、結果としては警察官に怒られて終わった。理由は以下の通りーー
「誰もいないじゃないですか。イタズラで通報するのは違法なんですからね。今回はこれにて帰りますが、次回からは止めて下さいね」
わたしは尚も反論したが、警察官はまともに取り合ってくれなかった。そもそも警察官の真横で男は堂々と喋り、警察官の眼前で手を振って見せているというのに、警官は気づく様子はこれっぽっちもない。それで漸くわかった。
この男はわたしにしか見えていないのだ。
ご立腹の警官が帰った後、わたしは男に何という名前で、何の用か訊ねてみた。すると男は、
「名前は、特にありません。強いていうならーー『クロ』とでもいっておきましょうか」
喪服姿だけあって『クロ』とはよく似合う名前だ。クロは更に続ける。
「アナタ、自分の人生がつまらないとお思いでしょう?……やり直してみませんか?」
クロのいっている意味がわからなかった。だが、クロは何の障壁もないといわんばかりに、こう付け加えたーー
「アナタの戻りたい過去まで戻して差し上げましょう。勿論、身体も脳も若い状態で、それでいて今の知識や経験はそのままで」
そんな贅沢な、どの大人も考えそうな話が在っていいのだろうか。だが、クロはわたしにしか見えていないようだ。胡散臭い男ではあるが、ここはひとつ賭けてみるのも手かもしれない。どうせ死ぬことも出来なければ、今を生きるのも苦痛なだけだ。それなら過去からやり直してみるのもいいかもしれない。
大丈夫、このまま小学生にでも戻ればわたしは優等生間違いなしで、運動や音楽、美術もコンスタントにやり続ければ必ず何とかなるはずだーーそう思い、わたしはクロに小学校低学年に時間を戻してくれと頼んだのだ。
次に気づいた時には、古くさい実家のリビングにいた。そこには若い両親と幼い弟の姿。
今となってはヨボヨボの両親も、まだまだエネルギッシュだし、今ではわたしを差し置いて結婚し、子供がふたりいる弟も炬燵に半身を沈めながら寝転がってゲームボーイをやっているではないか。
すごい、本当に時間が戻ったのだ。
だが、まだわからない。
わたしは懐かしさに浸っている暇もなく、走って洗面所まで行くと自分の姿を鏡に晒した。そこにはわたしが映っていた。
それも小学校低学年の、まだ無垢で新鮮なわたしの姿が映っていたのだ。
まだ痩せているしメガネも掛けていない。どっからどう見てもまっさらなカンバスのような純真無垢なわたしがそこにいた。
やったーーわたしはこころの中でガッツポーズした。
「わたしはいつでもどこでもアナタを見守っています。では、新しい人生をお楽しみ下さい」
クロの声が聴こえた。だが、姿は見えない。
そうか、本当に戻ったのか。まだ半信半疑ではあったが、リビングに戻って両親に日付を訊き、新聞を読んでニュースを確認し、テレビの番組を確認して漸く信憑性が高まった。
やはりわたしは過去に戻ったのだ。
これでやり直せる。冴えない人生とはこれでおさらばだ。
わたしは翌日より大手を振って学校に通い始めた。大人の思考を持ち、大卒レベルまではある学力のお陰で、勉強は楽チンだった。
テストは毎度100点満点。運動も積極的に取り組んでみた。すると、わたしの成績はうなぎ登りによくなった。
わたしは、紛れもない優等生になった。
だが、その生活も長くは続かなかった。
二度目の小学校高学年、ここで可笑しな歪みが見え始める。というのも、学力が地味に下がった気がしたのだ。体重も増え始め、これでは元の学生時代と変わらない。
だが、まだストックはあるのだ。まだまだ余裕を持って生活できるはず。
それが間違いだった。
余裕はいつしか焦燥感に変わっていた。身体はブクブク肥え、目は悪くなり、いつしか学力も平凡になっていた。
こんなはずはない。何度も思った。だが、これが現実だった。
そして、気づけば前回と同様の冴えない学生生活を送り、二度目の三十代を迎えた。
結局、何も変わっていなかった。
何もかも元通り。一体、一体何処で間違えたのだ。わたしは大人の学力と経験を持って小学生に戻ったというのに、どうしてーー
わたしは再びクロを呼び出し、再度、同じ小学生に戻りたいと懇願した。
クロは何もいわずに時間を戻してくれた。
今度こそはと息巻いて、わたしは再び幼少時代からやり直し始めた。
だが、結果は同じだった。
最初は好調だが、いずれ何処かで最初の人生と同じ段階に合流する。
何故、何故なのだ。
わたしは三度目の三十代を迎えていた。そして、代わり映えのない独り暮らしの自室にて、クロを呼び出した。
「どうして、どうして何も変わらないの?」
わたしは苛立ち気味にクロに訊ねた。が、クロはニヤリと笑って、
「それは、アナタがアナタ、だからですよ」
意味がわからなかった。わたしは更なる理由を訊ねた。するとクロはーー
「いくら脳をアップデートしたところで、性格まではアップデート出来ない。時間を戻したところで、パーソナリティまでは変わりはしない。そもそも、自我がとっくに芽生えている三十代の頭で小学生に戻ったところで、いくら脳のクオリティは子供でも、その性質、本質は三十代のままなのですよ。アナタは所詮、どんなに過去に戻ったところで、最初に迎えた人生よりも最良の人生を迎えることはない。それは、それこそが人間の本質だからです。怠惰で腐っている人は、何度やり直してもそのまんま。そもそも真面目で真剣に自分の人生を生きている人は、子供の頃からやり直したいなどとは考えませんからね。非常に残念なお話ではありますが、アナタが淀んでいたと考えていた学生時代と現代、それこそがアナタが辿るべき最適な人生だったというワケです。だから、自分の青春に後悔の念を抱くこと自体、可笑しな話なのですよ。だって、その人生は潜在意識の中でその人自身が望んだモノなのですから」
わたしは何もいえなくなった。何度戻っても、わたしの性格がわたしの人生の向上を阻んでいる。それどころか、脳の記憶はそのまま更新され続けていることもあって、わたしの脳と意識は既に80年以上は生きていることとなってしまう。そうなれば、思考は凝り固まっていき、より偏って行くことだろう。
自分の青春に後悔し、それを良きものにしようとすればするほどに、わたしは自分の人生を悪い方向へと導いている。
何とも皮肉な話だ。
さっさと気づくべきだったのだ。わたしの経験した青春は、それこそがわたしにとって最適なモノであったのだ、と。
つまり、我が青春に悔いなしーーというより、どんなに時間を戻せたところで、一度成長し切ってしまった時点で悔いたところですべて遅かったということだ。
絶望が、わたしの意識に浸透して行った。
わたしは中途半端に生きるしかない。
後悔などしている暇はないのだ。