【ナナフシギ~参拾睦~】
文字数 1,083文字
何か不思議な音だった。
やや背の高い草むらを掻き分けるような音にも似ていた。が、その音は確かに保健室から聴こえて来た。草むらのようなモノがあるワケがなかった。或いは何か繊維のようなモノを引きちぎっているような音でもあった。
繊維ーー考えられるとしたら、ベッドのシーツに布団、或いはカーテンだろうか。他に何があるというだろう。例えるなら、誰かの衣服、か?
「そこのアナタ」
岩渕はすぐそばにいた浮遊霊に声を掛けた。浮遊霊はハッとし、自分を指差した。
「もちろん、アナタですよ。ここ、保健室ですよねぇ。中には何があるのですか?」
訊ねるも答えは返って来なかった。目を反らし、まるで自分は無関係だといわんばかりの態度を取っていた。岩渕は静かに微笑した。こうなるともはや人のいいオジサンのようにしか見えなかった。
岩渕はゆっくりと歩を進めた。と、困惑する浮遊霊の目の前で止まると、顔を何寸というところまで近づけていった。
「地獄に行きますかぁ?」
とても軽い口調だった。まるで近所のコンビニまで買い物に行こうと誘っているようだった。浮遊霊は身体を震わせた。顔を右に左に振ると、岩渕は退くこともせずに、
「遠慮はなさらず。こんなあっちとこっちの狭間で腐っているより、地獄でたくさん痛い目を見たほうがアナタのためなのではないですか? えぇ?」
凄みなど出そうとはしていないようだった。だが、浮遊霊は恐怖を顔に宿らせて口をわななかせた。軽い。何処までもある岩渕の口調は軽かった。が、その軽さは口調だけでなく、他人の運命や生命までもを軽く見ているようなそんな感じがあった。
「地獄か『生き地獄』か、どちらか選んでいいですよ」
ふたつにひとつの選択肢。だが、その先に待っているのはどちらにしろ地獄。だが、知らぬ仏より知ってる鬼のほうがマシなのが世の常套。浮遊霊の答えは決まっていた。
「い、生き地獄です......」
熱さの解らぬ熱湯に浸かるより、水温のわかる冷や水のほうがいい。少なくとも、自分が今いる水の中がどれ程冷たいかは理解しているのだから。それに、冷や水から急に熱湯に入れば、心臓は止まり、生命も果てる。
「なら、教えて下さい」笑顔で岩渕はいった。「ここには何があるのですか?」
「詳しくは知らないんです。ただーー」
浮遊霊のことばを聴いて、岩渕はさも納得したように首を縦に二、三度振ってみせた。それから浮遊霊に礼をいうと保健室の前に立ち、一気にドアを開けた。
中はまるでクモの巣が張ったようになっていた。ねばつく糸がそこら中を覆っていた。
岩渕の目の焦点があるモノに止まった。
【続く】
やや背の高い草むらを掻き分けるような音にも似ていた。が、その音は確かに保健室から聴こえて来た。草むらのようなモノがあるワケがなかった。或いは何か繊維のようなモノを引きちぎっているような音でもあった。
繊維ーー考えられるとしたら、ベッドのシーツに布団、或いはカーテンだろうか。他に何があるというだろう。例えるなら、誰かの衣服、か?
「そこのアナタ」
岩渕はすぐそばにいた浮遊霊に声を掛けた。浮遊霊はハッとし、自分を指差した。
「もちろん、アナタですよ。ここ、保健室ですよねぇ。中には何があるのですか?」
訊ねるも答えは返って来なかった。目を反らし、まるで自分は無関係だといわんばかりの態度を取っていた。岩渕は静かに微笑した。こうなるともはや人のいいオジサンのようにしか見えなかった。
岩渕はゆっくりと歩を進めた。と、困惑する浮遊霊の目の前で止まると、顔を何寸というところまで近づけていった。
「地獄に行きますかぁ?」
とても軽い口調だった。まるで近所のコンビニまで買い物に行こうと誘っているようだった。浮遊霊は身体を震わせた。顔を右に左に振ると、岩渕は退くこともせずに、
「遠慮はなさらず。こんなあっちとこっちの狭間で腐っているより、地獄でたくさん痛い目を見たほうがアナタのためなのではないですか? えぇ?」
凄みなど出そうとはしていないようだった。だが、浮遊霊は恐怖を顔に宿らせて口をわななかせた。軽い。何処までもある岩渕の口調は軽かった。が、その軽さは口調だけでなく、他人の運命や生命までもを軽く見ているようなそんな感じがあった。
「地獄か『生き地獄』か、どちらか選んでいいですよ」
ふたつにひとつの選択肢。だが、その先に待っているのはどちらにしろ地獄。だが、知らぬ仏より知ってる鬼のほうがマシなのが世の常套。浮遊霊の答えは決まっていた。
「い、生き地獄です......」
熱さの解らぬ熱湯に浸かるより、水温のわかる冷や水のほうがいい。少なくとも、自分が今いる水の中がどれ程冷たいかは理解しているのだから。それに、冷や水から急に熱湯に入れば、心臓は止まり、生命も果てる。
「なら、教えて下さい」笑顔で岩渕はいった。「ここには何があるのですか?」
「詳しくは知らないんです。ただーー」
浮遊霊のことばを聴いて、岩渕はさも納得したように首を縦に二、三度振ってみせた。それから浮遊霊に礼をいうと保健室の前に立ち、一気にドアを開けた。
中はまるでクモの巣が張ったようになっていた。ねばつく糸がそこら中を覆っていた。
岩渕の目の焦点があるモノに止まった。
【続く】