【変化の渦中で踊れ】
文字数 3,071文字
いつからだろう、年賀状を重要視しなくなったのは。
いや、それはお前だけだろって思われても全然可笑しくないのだけど、実際どうだろうか。
携帯電話が普及してからというもの、年賀状は年賀メールという形で簡略化され、今では年賀状を出すという風習は絶滅危惧されているといっていい程に薄くなっている。
かくいうおれも、ここ四年程を除けば、年賀状なんて本当に書いておらず、基本的にすべてメールで済ませていた。
確かに、わざわざ年賀状をコンビニなり郵便局なりで買ってきたり、自分でデザインして製作したりという手間を掛けるよりは、メールやラインで簡単に文章を送って済ませるほうがコストも手間も省けるし、そう考えると年賀状というのは時代遅れな習慣なのかもしれない。
確かにメールで済ませるのでは、ありがたみや日頃の感謝の気持ちが伝わりづらい、あるいは赴きがないと考える人もいるだろう。
だが、そういう人たちは年末になって年賀状を書くとなった時に「面倒くさい」と感じていないのだろうか。
感じているのなら、感謝がどうこういう資格はないだろうし、そもそも年賀状に赴きを覚えるなど、それこそ前時代的で、時代のニーズに合っていないのではと思ってしまうのだ。
まぁ、こんな風なことをいいつつも、おれは年賀状を出すことに対してネガティブな思いはあまりなかったりする。
そもそも、おれは自分から年賀状は出さないが、来たものに関してはちゃんとお返しをするようにしているーーまぁ、当たり前か。
何故自分から出さないかといえば、誰が喪中かわからないこと、送った相手が自分に年賀状を出していない場合、返事を出させるのが申し訳ないからだったりする。
いや、お前に年賀状出すヤツなんかいねぇだろって思われるかもしれないけども、それは大きな間違いで、実際のところは毎年川澄居合会の人たちから年賀状を頂いているワケだ。
それもあってここ四年程は自分も年賀状を書いているのだけど、手間に思う反面、年賀状を書くことを楽しんでもいるワケで。
何が楽しいのかと問われると具体的には答えられないのだけど、多分、それは遠い昔ーーそれこそ小学校低学年の頃や何かは随分と楽しんで年賀状を書いていたという、そんな記憶が蘇ってくるからなのではないかと思っている。
にしても、年賀状を書かなくなったのは、いつからだったろう。多分、高校の時にはもう書かなくなっていたと思う。中三の時には携帯電話を持っていたし、四年前から遡って最後に年賀状を書いたのは、中学二年生の頃だったのではないかと思う。
さて、今日は年賀状に関してである。といっても、これといったオチはないんで鼻くそでもほじりながら適当に読んでくれよな。
あれは小学校二年生の頃だった。
当時のおれはそれこそ有り得ないほど頭が悪く、運動は大嫌いで、本も読まないし、文章を書くことなんか嫌いで嫌いで堪らないという、取り柄を探し始めたら寿命で死んでいたということが起きかねないといっていいくらいどうしようもないガキだった。
とはいえ、そんなおれも下手なりに絵を描くことと、ゲームをやることだけは好きで、学校から帰るとそれこそ友人の家に集まってはゲームをやるような生活を送っていた。
まぁ、そんなことができるくらいだから友人は地味にいたワケだ。それこそ、その当時の友人といえば、あっちゃんが代表格だったりするーー覚えてないかな。
そして、そんな友人の中にグッチョンもいたのだ。
グッチョンはそれこそ今でも付き合いのある友人のひとりで、この駄文集には過去何度か名前だけ出て来ている。まぁ、彼のエピソードはその時は出てこなかったってだけで、付き合いが長い分、その数は少なくはないからいずれ書くかもしれんわ。それはさておきーー
まぁ、そんな当時の彼のことを紹介すると、早い話が優等生である。成績はよく、風呂には夕方の五時に入り、よく鼻血を出すという紛れもない優等生だったーーあれ?
そんな彼とは、一昨年までは年末に家に招かれ、彼の両親と奥さんと共に食卓を囲むなんてことをするような仲で、今年は例のアレの影響もあって実家に帰れず、中学の仲間九人でリモート飲みをしたのだけど、そういうことをするくらいには親密な間柄だった。
ただ、そんなグッチョンとも小学校低学年の時はちょっと仲のいいクラスメイトといった感じでしかなかった。とはいえ、関係が悪いワケではないので、年始になると、互いに年賀状を送り合う仲ではあったワケだ。
話は変わるが、小学生のおれは年末になると年賀状を書くことに精を出すのが恒例だった。
当然、当時はパソコンで自分の好きなように年賀状をデザインなんてことは一般的ではなく、できてもワープロで、後はーー当時も家族写真を裏に載せることはできてたのだけど、アレって特注だったんかな。ま、いいか。
おれが年賀状を書くのが好きだったのは、シンプルにそういうイベントが好きだったことと、裏に絵を描けるからだった。
そんな感じなんで冬休みとなると、昼は年賀状を書き、夜はゲームをするというのがルーティーンとなっていた。
そして、年が明けると、おれはいつもいの一番にポストを確認し、自分宛の年賀状を抜き取って確認していたのだ。
といっても、年賀状なんて来て六枚程度で大したことはないのだけど、その六枚を見るのが本当に好きだった。送り主はといえば、あっちゃんをはじめ、当時仲のよかった人、そしてグッチョンだった。
まぁ、当然、その時に年賀状を貰った相手には自分からも年賀状を出しているので、新しくハガキを書いて送り返すことはなかったのだけど、翌一月二日に母がこんなことをいってきたのだーー
「グッチョンくんから年賀状来てるよ」
いやいや、グッチョンからの年賀状だったら昨日の時点で来てるから。そう思ったのだけど、母親からそうやって手渡されたのはーー
グッチョンからの年賀状だった。
それも、更なるメッセージ付きで。
具体的なメッセージは覚えてないのだけど、おれが年賀状に書いたメッセージに対する返事のコメントだったワケだ。
まぁ、そんな風に返信されるとおれも年賀状を返すべきだろうなと思い、その日の内にグッチョンにコメントの返事を添えて年賀状を書き、ポストに投函したのだ。
それからは年始の生活を楽しんでいたのだけど、その二日後、どういうワケかーー
またもやグッチョンから年賀状が届いたのだ。
それも、またコメントに対する返事付きで。
当時のおれはこれに対して何も思わなかったんだけど、改めて考えると何故って話である。
とはいえ、年賀状が届いたのでまたコメントの返事を書いて年賀状を投函したのだ。そして、また二日後ーー
またもやグッチョンから年賀状が届いたのだ。
もはやここまで来ると電話で話せってレベルなんだけど、おれは更に返事の年賀状を書いたのだ。そして、二日後ーー
またもやグッチョンから年賀状が届いたのだ。
そして、またおれも返事の年賀状を書きーーとまぁ、このやり取りは何とーー
郵便局が年賀状の取り扱いを終えるまで続いたのだ。
で、結局最後はどうなったかというとーー
年賀状代わりの普通ハガキを学校で直接渡されました。
もうここまでやるとメールでやれって感じよなーーこの時メールないけど。
結局そこまで来て漸く、学校で会うんだし、そろそろ年賀状の送り合いも止めようということで話が纏まった。実に二週間強の話でした。
やっぱ、年賀状って面倒かもしれん。
アスタラビスタ。
いや、それはお前だけだろって思われても全然可笑しくないのだけど、実際どうだろうか。
携帯電話が普及してからというもの、年賀状は年賀メールという形で簡略化され、今では年賀状を出すという風習は絶滅危惧されているといっていい程に薄くなっている。
かくいうおれも、ここ四年程を除けば、年賀状なんて本当に書いておらず、基本的にすべてメールで済ませていた。
確かに、わざわざ年賀状をコンビニなり郵便局なりで買ってきたり、自分でデザインして製作したりという手間を掛けるよりは、メールやラインで簡単に文章を送って済ませるほうがコストも手間も省けるし、そう考えると年賀状というのは時代遅れな習慣なのかもしれない。
確かにメールで済ませるのでは、ありがたみや日頃の感謝の気持ちが伝わりづらい、あるいは赴きがないと考える人もいるだろう。
だが、そういう人たちは年末になって年賀状を書くとなった時に「面倒くさい」と感じていないのだろうか。
感じているのなら、感謝がどうこういう資格はないだろうし、そもそも年賀状に赴きを覚えるなど、それこそ前時代的で、時代のニーズに合っていないのではと思ってしまうのだ。
まぁ、こんな風なことをいいつつも、おれは年賀状を出すことに対してネガティブな思いはあまりなかったりする。
そもそも、おれは自分から年賀状は出さないが、来たものに関してはちゃんとお返しをするようにしているーーまぁ、当たり前か。
何故自分から出さないかといえば、誰が喪中かわからないこと、送った相手が自分に年賀状を出していない場合、返事を出させるのが申し訳ないからだったりする。
いや、お前に年賀状出すヤツなんかいねぇだろって思われるかもしれないけども、それは大きな間違いで、実際のところは毎年川澄居合会の人たちから年賀状を頂いているワケだ。
それもあってここ四年程は自分も年賀状を書いているのだけど、手間に思う反面、年賀状を書くことを楽しんでもいるワケで。
何が楽しいのかと問われると具体的には答えられないのだけど、多分、それは遠い昔ーーそれこそ小学校低学年の頃や何かは随分と楽しんで年賀状を書いていたという、そんな記憶が蘇ってくるからなのではないかと思っている。
にしても、年賀状を書かなくなったのは、いつからだったろう。多分、高校の時にはもう書かなくなっていたと思う。中三の時には携帯電話を持っていたし、四年前から遡って最後に年賀状を書いたのは、中学二年生の頃だったのではないかと思う。
さて、今日は年賀状に関してである。といっても、これといったオチはないんで鼻くそでもほじりながら適当に読んでくれよな。
あれは小学校二年生の頃だった。
当時のおれはそれこそ有り得ないほど頭が悪く、運動は大嫌いで、本も読まないし、文章を書くことなんか嫌いで嫌いで堪らないという、取り柄を探し始めたら寿命で死んでいたということが起きかねないといっていいくらいどうしようもないガキだった。
とはいえ、そんなおれも下手なりに絵を描くことと、ゲームをやることだけは好きで、学校から帰るとそれこそ友人の家に集まってはゲームをやるような生活を送っていた。
まぁ、そんなことができるくらいだから友人は地味にいたワケだ。それこそ、その当時の友人といえば、あっちゃんが代表格だったりするーー覚えてないかな。
そして、そんな友人の中にグッチョンもいたのだ。
グッチョンはそれこそ今でも付き合いのある友人のひとりで、この駄文集には過去何度か名前だけ出て来ている。まぁ、彼のエピソードはその時は出てこなかったってだけで、付き合いが長い分、その数は少なくはないからいずれ書くかもしれんわ。それはさておきーー
まぁ、そんな当時の彼のことを紹介すると、早い話が優等生である。成績はよく、風呂には夕方の五時に入り、よく鼻血を出すという紛れもない優等生だったーーあれ?
そんな彼とは、一昨年までは年末に家に招かれ、彼の両親と奥さんと共に食卓を囲むなんてことをするような仲で、今年は例のアレの影響もあって実家に帰れず、中学の仲間九人でリモート飲みをしたのだけど、そういうことをするくらいには親密な間柄だった。
ただ、そんなグッチョンとも小学校低学年の時はちょっと仲のいいクラスメイトといった感じでしかなかった。とはいえ、関係が悪いワケではないので、年始になると、互いに年賀状を送り合う仲ではあったワケだ。
話は変わるが、小学生のおれは年末になると年賀状を書くことに精を出すのが恒例だった。
当然、当時はパソコンで自分の好きなように年賀状をデザインなんてことは一般的ではなく、できてもワープロで、後はーー当時も家族写真を裏に載せることはできてたのだけど、アレって特注だったんかな。ま、いいか。
おれが年賀状を書くのが好きだったのは、シンプルにそういうイベントが好きだったことと、裏に絵を描けるからだった。
そんな感じなんで冬休みとなると、昼は年賀状を書き、夜はゲームをするというのがルーティーンとなっていた。
そして、年が明けると、おれはいつもいの一番にポストを確認し、自分宛の年賀状を抜き取って確認していたのだ。
といっても、年賀状なんて来て六枚程度で大したことはないのだけど、その六枚を見るのが本当に好きだった。送り主はといえば、あっちゃんをはじめ、当時仲のよかった人、そしてグッチョンだった。
まぁ、当然、その時に年賀状を貰った相手には自分からも年賀状を出しているので、新しくハガキを書いて送り返すことはなかったのだけど、翌一月二日に母がこんなことをいってきたのだーー
「グッチョンくんから年賀状来てるよ」
いやいや、グッチョンからの年賀状だったら昨日の時点で来てるから。そう思ったのだけど、母親からそうやって手渡されたのはーー
グッチョンからの年賀状だった。
それも、更なるメッセージ付きで。
具体的なメッセージは覚えてないのだけど、おれが年賀状に書いたメッセージに対する返事のコメントだったワケだ。
まぁ、そんな風に返信されるとおれも年賀状を返すべきだろうなと思い、その日の内にグッチョンにコメントの返事を添えて年賀状を書き、ポストに投函したのだ。
それからは年始の生活を楽しんでいたのだけど、その二日後、どういうワケかーー
またもやグッチョンから年賀状が届いたのだ。
それも、またコメントに対する返事付きで。
当時のおれはこれに対して何も思わなかったんだけど、改めて考えると何故って話である。
とはいえ、年賀状が届いたのでまたコメントの返事を書いて年賀状を投函したのだ。そして、また二日後ーー
またもやグッチョンから年賀状が届いたのだ。
もはやここまで来ると電話で話せってレベルなんだけど、おれは更に返事の年賀状を書いたのだ。そして、二日後ーー
またもやグッチョンから年賀状が届いたのだ。
そして、またおれも返事の年賀状を書きーーとまぁ、このやり取りは何とーー
郵便局が年賀状の取り扱いを終えるまで続いたのだ。
で、結局最後はどうなったかというとーー
年賀状代わりの普通ハガキを学校で直接渡されました。
もうここまでやるとメールでやれって感じよなーーこの時メールないけど。
結局そこまで来て漸く、学校で会うんだし、そろそろ年賀状の送り合いも止めようということで話が纏まった。実に二週間強の話でした。
やっぱ、年賀状って面倒かもしれん。
アスタラビスタ。