【藪医者放浪記~参拾睦~】
文字数 1,091文字
幸い、そこに凍えた空気は流れなかった。
それはひとえに藤十郎がバカげたことをいったからというのが大きかった。だが、だからといって和やかだったかといわれると、それは明確に否定出来る。
というのも、松平側の人間が抱える緊張が解けることはなかったからだ。
いってしまえば、当たり前の話だった。今はただひとつの問題をやり過ごしただけ。だが、問題はこれから槍が降るように襲い掛かって来るのは目に見えている。加えていえば、その槍がどの方向から飛んでくるかもわからないということだ。
「しかし」藤十郎は困惑した。「この者たちは何者なのですか?」
藤十郎は御簾のそばに正座する数名の者を指した。その数名とは、松平天馬の従者である守山勘十郎、女中のお羊、そして藪医者の茂作の三人であった。
守山とお羊は静かに頭を下げた。が、茂作は脚をピクピクと動かしながらギコチナイ動きで上体を軽く反らしたのみだった。そして、そんな茂作のことを、藤十郎が見逃さないはずがなかった。
「そちらは挨拶もろくに出来ないようだが」
皮肉。そもそも茂作は正座などろくにしたこともなく、慣れない座り方で完全に足が痺れていた。それで下手に動けなかったというのが事実だった。そもそも江戸の街では侍に対して頭を低くすることは日常的にあったし、そこら辺のこともわきまえている。茂作はいいワケがましくいった。
「あぁ、お侍さん、これはーー」
「あぁ、これは!」天馬が割って入る。「こちら様はわたしの懇意にしているお医者様でありまして!」
「医者? にしては随分とみすぼらしいですね」
「あんだと!?」
茂作が声を荒げると、天馬は慌てて茂作の口を手で塞ぎ、愛想笑いを振り撒く。
「あぁ、いや、この方はこう見えても西洋の医学を学んでいらしたすごい先生なのですよ。こんな格好をしてらっしゃるのは、あくまで庶民と同じ目線に立ち続けなければ、患者を治療することは出来ないとの信条からなのです!」
とまぁ、もっともらしい出任せを勢いで良くいい切ったモノだが、藤十郎はやはり何処か納得のいっていない表情を浮かべている。
「......まぁ、それならいいのですが。それよりもお咲の君、そろそろお顔を見せては頂けませんか?」
「それは、出来ませぬ」
と御簾の奥にいるお咲の君が話した。それに対してその場にいる守山、お羊、茂作、天馬は苦笑いをしている。お咲はあくまでしゃべれない振りをしていたのだが、観念して縁談に出ることにしたのだろうか。
「これはこれは」藤十郎は不思議そうな顔をする。「ですが、思ったより声がババ臭いですねぇ......」
一堂、ビクリと震えた。
【続く】
それはひとえに藤十郎がバカげたことをいったからというのが大きかった。だが、だからといって和やかだったかといわれると、それは明確に否定出来る。
というのも、松平側の人間が抱える緊張が解けることはなかったからだ。
いってしまえば、当たり前の話だった。今はただひとつの問題をやり過ごしただけ。だが、問題はこれから槍が降るように襲い掛かって来るのは目に見えている。加えていえば、その槍がどの方向から飛んでくるかもわからないということだ。
「しかし」藤十郎は困惑した。「この者たちは何者なのですか?」
藤十郎は御簾のそばに正座する数名の者を指した。その数名とは、松平天馬の従者である守山勘十郎、女中のお羊、そして藪医者の茂作の三人であった。
守山とお羊は静かに頭を下げた。が、茂作は脚をピクピクと動かしながらギコチナイ動きで上体を軽く反らしたのみだった。そして、そんな茂作のことを、藤十郎が見逃さないはずがなかった。
「そちらは挨拶もろくに出来ないようだが」
皮肉。そもそも茂作は正座などろくにしたこともなく、慣れない座り方で完全に足が痺れていた。それで下手に動けなかったというのが事実だった。そもそも江戸の街では侍に対して頭を低くすることは日常的にあったし、そこら辺のこともわきまえている。茂作はいいワケがましくいった。
「あぁ、お侍さん、これはーー」
「あぁ、これは!」天馬が割って入る。「こちら様はわたしの懇意にしているお医者様でありまして!」
「医者? にしては随分とみすぼらしいですね」
「あんだと!?」
茂作が声を荒げると、天馬は慌てて茂作の口を手で塞ぎ、愛想笑いを振り撒く。
「あぁ、いや、この方はこう見えても西洋の医学を学んでいらしたすごい先生なのですよ。こんな格好をしてらっしゃるのは、あくまで庶民と同じ目線に立ち続けなければ、患者を治療することは出来ないとの信条からなのです!」
とまぁ、もっともらしい出任せを勢いで良くいい切ったモノだが、藤十郎はやはり何処か納得のいっていない表情を浮かべている。
「......まぁ、それならいいのですが。それよりもお咲の君、そろそろお顔を見せては頂けませんか?」
「それは、出来ませぬ」
と御簾の奥にいるお咲の君が話した。それに対してその場にいる守山、お羊、茂作、天馬は苦笑いをしている。お咲はあくまでしゃべれない振りをしていたのだが、観念して縁談に出ることにしたのだろうか。
「これはこれは」藤十郎は不思議そうな顔をする。「ですが、思ったより声がババ臭いですねぇ......」
一堂、ビクリと震えた。
【続く】