【ぼくの年末日記~伍~】
文字数 3,502文字
終わりまであと少し。
だが、川澄神社は既に大盛況だ。多分、年が変わったと同時に新年を祝い、おみくじを引き、新たな一年における自分の運を占い、甘酒を飲み、酩酊したように楽しい気分を味わうのだろう。そういうのも悪くはないと思う。
春奈はいつも以上に可愛らしく見える。薄暗く、オレンジ色の明かりが彼女の顔に陰影を与え、そのつくりに色艶を与えている。
少し前、春奈の家に着いたぼくは、春奈と春奈の御両親と年越しそばを食べた。その場で何を話したかは殆ど覚えていない。ただ、春奈のお母さんの作ったそばが美味しかったことと、春奈の御両親が、ぼくの緊張をほぐそうとしてか優しく話し掛けて下さったこと、極度に緊張していたことは覚えている。
そばを食べ終えて一時間ほどゆっくりとテレビを観ていた。春奈は年末特番のバラエティを観ていたが、春奈のお父さんが「ちょっといいかい?」とチャンネルを変えた。
春奈はブー垂れていたが、御両親はぼくを待たせてないで早く支度をするようにいい、春奈は顔を膨らませつつもぼくにちょっと待つようにいって、自室へと戻って行った。
御両親はぼくに謝った。が、ぼくはいうまでもなく、大丈夫だといった。
春奈のお父さんが変えたチャンネルは年末の格闘技中継だった。プロレスと格闘技が好きなぼくにはワクワクする内容だ。
春奈のお父さんは、良くは知らないけど格闘技は好きとのことだった。ぼくはどうか、と訊かれたので、知っている内容をかい摘まんで話したところ、詳しいなぁと感心されてしまい、何だか申し訳ない気持ちになってしまった。
それから少しして春奈が戻ってきた。
黒のタイツで脚を隠してはいるが、下はデニム生地のスカート、上は水色のコート。そして手にはフワフワの手袋。
余り見慣れない可愛らしい春奈の格好に、ぼくは見とれてしまっていた。
春奈に、どうしたの?と訊ねられて、ぼくは自分の気持ちを誤魔化すのに必死になった。春奈は不思議そうに首を傾げていたが、春奈の御両親はクスクス笑っていた。多分、御両親にはぼくの気持ちが筒抜けだったのかもしれない。
ぼくは春奈を連れて逃げるように春奈の家を後にした。御両親は笑顔でぼくらを見送って下さった。ぼくはガチガチに緊張しながら春奈と川澄神社までの数百メートルを歩いた。
普段なら何てことなく交わせている会話も、この時は間も話題も持たない。空気がギクシャクと音を立てていた。
結局、大した話も出来ずに川澄神社に着いてしまった。まったく情けない。
そして今、ぼくは春奈とゆったりと神社を回っている。彼女の吐く宝石のように美しい白い息が、艶やかな音を伴ってぼくの目に映る。
そんな彼女がまるでベールを纏っているように見える。多分、照明と雰囲気のせいなのだろうが、ぼくにはそのようにしか見えない。
彼女の笑顔がぼくの顔には眩しく映る。
耳から喧騒が取り除かれていく。ぼくと彼女、ふたりだけの世界ーーそんなモノが今ここにひとつの赤線を以て区切られているような、そんな感じがぼくの中に、中にーー
変な視線を感じて、ぼくは振り返る。
ーー何だ?
確かに変な、気持ちの悪い視線がこちらを向いていたような気がした。気のせいだろうか。考え過ぎだろうか。……いや、そんな。
「お、シンゴ!」
突然、うしろから声を掛けられる。誰かと思い振り返ると、その声の主は田宮だった。となりには見知らぬ女子ーーいや、ギャル風な化粧と格好で誤魔化しているけれど、これは間違いなくーー
いずみだった。
それですべてがわかった。田宮がデートをすることになった女子、それはいずみだったのだ。そう、いずみの考えた策というのは、別人に成り済まして田宮にアプローチを掛け、ぼくとの予定をキャンセルさせようというモノだったのだ。うーん、何とも罪深い……。
「なぁんだ、中山も一緒だったのか」
何も知らない田宮がいう。ぼくが愛想笑いをすると、田宮はぼくに近づき小声でーー
「やっぱ、中山といい感じだったんじゃん」
ぼくは一瞬否定し掛けたが、彼女を傷つけてはいけないと思い口をつぐむ。それが滑稽に映ったのか、田宮は笑い、
「すまん、すまん。でもよ、この子も中山に負けないくらい可愛いだろ? 高野みづきさんっていうんだぜ!」
高野みづきーー長野いずみ。母音が全部一緒じゃないか。変装の技量は大したモンだけど、ネーミングのセンスは壊滅的だ。あと後々、田宮がどういう気持ちになるかも配慮ーーそれはぼくも同罪だよな……。反省……。
「あれぇ!? お友達ぃ!?」
いずみーーいや、みづきがいう。酷いブリっ子口調に頭が痛くなりそう。
「おう、シンゴっていうんだ」
「へぇッ! シンゴクンッていうんだぁ! よろしくね!」
みづきはおれに頭を下げた。
「じゃ、そういうことだから、後は中山と楽しくやれよな!」
田宮は笑いながら去っていく。みづきは田宮について行ったが、去り際にぼくの傍で、
「大したもんだろ?」
と微笑する。何が大したモンなんだか。ぼくは罪悪感で頭が痛くなりそうだった。
「あんな子、見たことないなぁ」
春奈が尤もなことをいう。当たり前だ。あんなヤツ、うちの学校には存在しーー
ぼくは雷に打たれたようになる。
春奈の背後、その奥に見るからに怪しい男が陰から覗いている。キャップで目許を隠し、口許と顎回りは髭だらけ。しかもひとり。明らかに不自然だ。ぼくは春奈に、それとなく歩こうか、と声を掛けて歩き出した。
それから男の様子を見たのだが、男は間違いなく春奈をマークしている。ぼくは春奈に気取られないように歩く。
それから一気に彼女の手を引いて走り出す。
ぼくはうしろを振り返る。
男の走る姿。
「こっちだ!」春奈の手を引きながら走る。
春奈は「え!?」といって困惑している。ぼくと春奈は神社からストリートへ出ると、それからすぐに角を曲がり、角際でストップ。男の姿が見えたところでぼくは片足を投げ出す。
ぼくの足が男の足に引っ掛かる。
男が思い切り転ぶ。ぼくは男に覆い被さる。
「警察を!」
ぼくは春奈に呼び掛ける。
「あ! シンちゃん! 違うの!」
「待て! 止めてくれ!」
男が喚くーーあれ?
男の声には聞き覚えがあった。ぼくは呆然とし、男を取り押さえようとするのを止め、
「あなたは……!」男はキャップを脱いで顔を晒す。「先輩ッ!」
そう、男の正体は、ぼくが数日前に話を伺った先輩ーー山田和雅さんだった。
「え、ど、どういうこと?」
「あ、あのね、シンちゃん。これはーー」
春奈が口を開く。その話によるとーー
先輩は、ぼくと春奈の動向を陰で見守っていたのだという。それも春奈の頼みで。
「ゴメン! わたし、シンちゃんとの約束、楽しみだった。でも、何か緊張しちゃって、どうすればいいか山田さんに訊いたんだ。それで、色々アドバイス貰って、ワガママいって見守って欲しいってお願いしたんだ……」
更に春奈がいうには、先輩にその話をし始めたのは、ぼくに初詣の話をする少し前とのことだった。
すべてが繋がった気がした。先輩のあのドライなメッセージ。あれは、春奈に協力する分、ぼくには協力できないという牽制だったのだ。
「悪かったね、シンゴちゃん。じゃ、オッサンは撤収するわ。後は若い子同士、楽しんでな」
そういって先輩は起き上がり、走って行ってしまった。止める余地はなかった。
「ゴメンね、シンちゃん……」
頭を下げる春奈ーーぼくは、彼女に対し、
「ううん。でも、春奈も緊張してたんだな」
「え、じゃあ、シンちゃんも?」
ぼくはいずみのことを話した。そして、あの田宮のとなりにいた女子のこともーー
「え、あれ、長野さん!? ……そっか。でも……何か、田宮くん可哀想……」ぼくは後でいずみにきつくいっておくことと、田宮のフォローをすることを約束した。「うん……、お願い、ね。わたしがいえたことじゃないけど……」
それはおれもだった。お互い、年の瀬に反省しなければならないことがひとつ増えてしまった。これは新年の教訓としてしっかりと刻み込んでおこう。そう彼女と誓った。
そんなことを話していると、除夜の鐘が鳴った。そう、年が明けたのだ。
「あ、除夜の鐘!」春奈が声を上げる。「年が明けたんだね!」
ぼくは首を縦に振り、相槌を打つ。すると、春奈がペコリとお辞儀をし、
「今年もよろしくお願いします」
ぼくも改まって頭を下げていうーー今年もよろしくお願いします。
春奈の笑顔が、まるで初日の出のように美しくぼくの目に映った。今日から新年だ。
だが、川澄神社は既に大盛況だ。多分、年が変わったと同時に新年を祝い、おみくじを引き、新たな一年における自分の運を占い、甘酒を飲み、酩酊したように楽しい気分を味わうのだろう。そういうのも悪くはないと思う。
春奈はいつも以上に可愛らしく見える。薄暗く、オレンジ色の明かりが彼女の顔に陰影を与え、そのつくりに色艶を与えている。
少し前、春奈の家に着いたぼくは、春奈と春奈の御両親と年越しそばを食べた。その場で何を話したかは殆ど覚えていない。ただ、春奈のお母さんの作ったそばが美味しかったことと、春奈の御両親が、ぼくの緊張をほぐそうとしてか優しく話し掛けて下さったこと、極度に緊張していたことは覚えている。
そばを食べ終えて一時間ほどゆっくりとテレビを観ていた。春奈は年末特番のバラエティを観ていたが、春奈のお父さんが「ちょっといいかい?」とチャンネルを変えた。
春奈はブー垂れていたが、御両親はぼくを待たせてないで早く支度をするようにいい、春奈は顔を膨らませつつもぼくにちょっと待つようにいって、自室へと戻って行った。
御両親はぼくに謝った。が、ぼくはいうまでもなく、大丈夫だといった。
春奈のお父さんが変えたチャンネルは年末の格闘技中継だった。プロレスと格闘技が好きなぼくにはワクワクする内容だ。
春奈のお父さんは、良くは知らないけど格闘技は好きとのことだった。ぼくはどうか、と訊かれたので、知っている内容をかい摘まんで話したところ、詳しいなぁと感心されてしまい、何だか申し訳ない気持ちになってしまった。
それから少しして春奈が戻ってきた。
黒のタイツで脚を隠してはいるが、下はデニム生地のスカート、上は水色のコート。そして手にはフワフワの手袋。
余り見慣れない可愛らしい春奈の格好に、ぼくは見とれてしまっていた。
春奈に、どうしたの?と訊ねられて、ぼくは自分の気持ちを誤魔化すのに必死になった。春奈は不思議そうに首を傾げていたが、春奈の御両親はクスクス笑っていた。多分、御両親にはぼくの気持ちが筒抜けだったのかもしれない。
ぼくは春奈を連れて逃げるように春奈の家を後にした。御両親は笑顔でぼくらを見送って下さった。ぼくはガチガチに緊張しながら春奈と川澄神社までの数百メートルを歩いた。
普段なら何てことなく交わせている会話も、この時は間も話題も持たない。空気がギクシャクと音を立てていた。
結局、大した話も出来ずに川澄神社に着いてしまった。まったく情けない。
そして今、ぼくは春奈とゆったりと神社を回っている。彼女の吐く宝石のように美しい白い息が、艶やかな音を伴ってぼくの目に映る。
そんな彼女がまるでベールを纏っているように見える。多分、照明と雰囲気のせいなのだろうが、ぼくにはそのようにしか見えない。
彼女の笑顔がぼくの顔には眩しく映る。
耳から喧騒が取り除かれていく。ぼくと彼女、ふたりだけの世界ーーそんなモノが今ここにひとつの赤線を以て区切られているような、そんな感じがぼくの中に、中にーー
変な視線を感じて、ぼくは振り返る。
ーー何だ?
確かに変な、気持ちの悪い視線がこちらを向いていたような気がした。気のせいだろうか。考え過ぎだろうか。……いや、そんな。
「お、シンゴ!」
突然、うしろから声を掛けられる。誰かと思い振り返ると、その声の主は田宮だった。となりには見知らぬ女子ーーいや、ギャル風な化粧と格好で誤魔化しているけれど、これは間違いなくーー
いずみだった。
それですべてがわかった。田宮がデートをすることになった女子、それはいずみだったのだ。そう、いずみの考えた策というのは、別人に成り済まして田宮にアプローチを掛け、ぼくとの予定をキャンセルさせようというモノだったのだ。うーん、何とも罪深い……。
「なぁんだ、中山も一緒だったのか」
何も知らない田宮がいう。ぼくが愛想笑いをすると、田宮はぼくに近づき小声でーー
「やっぱ、中山といい感じだったんじゃん」
ぼくは一瞬否定し掛けたが、彼女を傷つけてはいけないと思い口をつぐむ。それが滑稽に映ったのか、田宮は笑い、
「すまん、すまん。でもよ、この子も中山に負けないくらい可愛いだろ? 高野みづきさんっていうんだぜ!」
高野みづきーー長野いずみ。母音が全部一緒じゃないか。変装の技量は大したモンだけど、ネーミングのセンスは壊滅的だ。あと後々、田宮がどういう気持ちになるかも配慮ーーそれはぼくも同罪だよな……。反省……。
「あれぇ!? お友達ぃ!?」
いずみーーいや、みづきがいう。酷いブリっ子口調に頭が痛くなりそう。
「おう、シンゴっていうんだ」
「へぇッ! シンゴクンッていうんだぁ! よろしくね!」
みづきはおれに頭を下げた。
「じゃ、そういうことだから、後は中山と楽しくやれよな!」
田宮は笑いながら去っていく。みづきは田宮について行ったが、去り際にぼくの傍で、
「大したもんだろ?」
と微笑する。何が大したモンなんだか。ぼくは罪悪感で頭が痛くなりそうだった。
「あんな子、見たことないなぁ」
春奈が尤もなことをいう。当たり前だ。あんなヤツ、うちの学校には存在しーー
ぼくは雷に打たれたようになる。
春奈の背後、その奥に見るからに怪しい男が陰から覗いている。キャップで目許を隠し、口許と顎回りは髭だらけ。しかもひとり。明らかに不自然だ。ぼくは春奈に、それとなく歩こうか、と声を掛けて歩き出した。
それから男の様子を見たのだが、男は間違いなく春奈をマークしている。ぼくは春奈に気取られないように歩く。
それから一気に彼女の手を引いて走り出す。
ぼくはうしろを振り返る。
男の走る姿。
「こっちだ!」春奈の手を引きながら走る。
春奈は「え!?」といって困惑している。ぼくと春奈は神社からストリートへ出ると、それからすぐに角を曲がり、角際でストップ。男の姿が見えたところでぼくは片足を投げ出す。
ぼくの足が男の足に引っ掛かる。
男が思い切り転ぶ。ぼくは男に覆い被さる。
「警察を!」
ぼくは春奈に呼び掛ける。
「あ! シンちゃん! 違うの!」
「待て! 止めてくれ!」
男が喚くーーあれ?
男の声には聞き覚えがあった。ぼくは呆然とし、男を取り押さえようとするのを止め、
「あなたは……!」男はキャップを脱いで顔を晒す。「先輩ッ!」
そう、男の正体は、ぼくが数日前に話を伺った先輩ーー山田和雅さんだった。
「え、ど、どういうこと?」
「あ、あのね、シンちゃん。これはーー」
春奈が口を開く。その話によるとーー
先輩は、ぼくと春奈の動向を陰で見守っていたのだという。それも春奈の頼みで。
「ゴメン! わたし、シンちゃんとの約束、楽しみだった。でも、何か緊張しちゃって、どうすればいいか山田さんに訊いたんだ。それで、色々アドバイス貰って、ワガママいって見守って欲しいってお願いしたんだ……」
更に春奈がいうには、先輩にその話をし始めたのは、ぼくに初詣の話をする少し前とのことだった。
すべてが繋がった気がした。先輩のあのドライなメッセージ。あれは、春奈に協力する分、ぼくには協力できないという牽制だったのだ。
「悪かったね、シンゴちゃん。じゃ、オッサンは撤収するわ。後は若い子同士、楽しんでな」
そういって先輩は起き上がり、走って行ってしまった。止める余地はなかった。
「ゴメンね、シンちゃん……」
頭を下げる春奈ーーぼくは、彼女に対し、
「ううん。でも、春奈も緊張してたんだな」
「え、じゃあ、シンちゃんも?」
ぼくはいずみのことを話した。そして、あの田宮のとなりにいた女子のこともーー
「え、あれ、長野さん!? ……そっか。でも……何か、田宮くん可哀想……」ぼくは後でいずみにきつくいっておくことと、田宮のフォローをすることを約束した。「うん……、お願い、ね。わたしがいえたことじゃないけど……」
それはおれもだった。お互い、年の瀬に反省しなければならないことがひとつ増えてしまった。これは新年の教訓としてしっかりと刻み込んでおこう。そう彼女と誓った。
そんなことを話していると、除夜の鐘が鳴った。そう、年が明けたのだ。
「あ、除夜の鐘!」春奈が声を上げる。「年が明けたんだね!」
ぼくは首を縦に振り、相槌を打つ。すると、春奈がペコリとお辞儀をし、
「今年もよろしくお願いします」
ぼくも改まって頭を下げていうーー今年もよろしくお願いします。
春奈の笑顔が、まるで初日の出のように美しくぼくの目に映った。今日から新年だ。