【明日、白夜になる前に~伍拾~】
文字数 2,075文字
先ほどまでの緩やかな流れが、急にガチガチに固まってしまう。
それはドロドロに熱せられたマグマが、時間と共に冷え、固くなってしまったようだ。どんなに熱が帯びたモノでも、時間と共に冷めて行くのは当たり前のことだし、それで固くなるのもいうまでもないだろう。
だが、例外はある。
それは人間のこころというモノだ。
人間のこころはどういうワケか、時間が経ってから急に熱せられることがよくあり、しかも熱くなったからといって柔らかく、緩やかになるどころか、逆に硬くなるのもよくある話だ。
そう、今のぼくがまさにそんな感じだ。
地上何十メートルという箱の中、ぼくは桃井さんとふたりきり。外を眺めればそこには大きな夕陽の姿がある。
高まる鼓動と熱量が、ぼくから思考と柔軟性を奪っていく。どうしようと考えても、そこにあるのはオーバーフローした考えばかり。浮かんでは廃棄されていく腐った思考の水。
視線も磁石に引っ張られたように斜め下へと導かれる。別に意図的にそうしているワケではないのだけど、そうなってしまう。
桃井さんもやはり斜め下に目をやりながら全身を強張らせている。やはり彼女も緊張しているのだろう。
だが、そんな彼女を見て、何処か楽になった気がした。ぼくは思わず笑ってしまった。
「どうした……の?」桃井さんはいう。
「いやぁ、だってメチャクチャ緊張してんだもん。いつもの桃井さんみたいじゃないなって」
「そ、それはわたしだって、男の人と観覧車でふたりきりになったら緊張もしますよ!」
声まで強張っているのが、その証拠だろう。
「うん、そうだね。おれもそうだしさ」
「え、そうなんですか?」
緊張でもはやぼくのことは見えていないようだ。案外、気の強い女性のほうが奥手だったりするモノだ。その性格の強さは所詮こころの鎧。自分の弱さを隠すための結界でしかない。だからその皮を一枚捲ってみると、そこには痩せ細って脅えてる子犬が一匹、震えている。
「そうだよ。まぁ、でも色々あったからね」
カッコはつけてみたけれど、ぼくだって緊張している。だが、桃井さんはそれを知るどころか、妙に畏まってしまって、
「あ、そうなんですね……」
とそんな感じ。ぼくも、うんと頷いてそれっきり。緊張していない人間の反応ではない。そもそも話題が続かない。話の引き出しがそもそも少ないのもあるけれど、やはり、ぼくは緊張している。それはもはや仕方がない。
「ウソついてゴメン」ぼくはいう。
「え?」
「実はおれも緊張してる」
そういうと、ガチガチに固まっていた桃井さんの表情に柔らかさが生まれた。
「なぁんだ。斎藤さんも緊張してるんじゃないですかぁ」
「だって、それは、ねぇ」
ここから先をいえば、彼女の緊張が再発してしまうと不意に思い、曖昧にしておいた。
「それは、何ですか?」そういう表情も何処か真に迫ったモノがある。
これ以上は隠しておけないな、と思い、ぼくは彼女にバレないように小さく息を吐く。
「女性とこんな風にふたりきりになれば、緊張しない男はいないってことだよ」
不思議と落ち着いていた。いざことばにしてしまうと、逆に自分の立場を客観視できるというか。でも、震えは止まらないのだけど。
桃井さんはぼくのことばにちょっとした動揺を見せ、ハッとしたかと思うと、またもや視線を落として、
「そう……、ですね」と俯いてしまう。
無限回廊。多分、箱が下に降りるまで、ずっとこの流れを続けることとなるのだろう。と思った矢先のことである。
「斎藤さん、どうしてわかったんですか?」
ぼくは呆気に取られた。何を、と返すと桃井さんは更に口を開く。
「わたしが、斎藤さんを好きだってこと……」
そのことば尻が萎んで行く様は、まるで後悔が満ち潮を迎えたように思えた。いってしまった。もう引き返せないという後悔。
ぼくは自分の中の想いをスッと胃の中に落とし込むように息を吐く。
「何でだろう。そういわれるとわからない」
桃井さんはその答えに戸惑っているようだった。だが、ぼくもウソをいっているワケではないのだ。ぼくはそれを弁解する。
「ただ、桃井さんの言動や何かが、人のためというより、自分のため、おれのためとそっちに向いてるような気がしたんだよ」
「……何それ、意味わかんない」
「ほんとそうだね。でも、ひとついえるのは」ぼくは沈み行く夕陽のほうを見る。「これから夜がやって来る。夜が来れば暗闇がぼくたちを包み込む。それはこころも体もどちらもね。でも、ある人が教えてくれたんだ。どんなに暗い夜でも、そこに好きな人がいれば白夜のように明るくなるって。ぼくを見ている時の桃井さんは、そんな感じだった。明日来るかもしれない、白夜になる前の時間をドキドキしながら過ごしているように見えたんだよ」
自分でも恥ずかしいことをいっているのはわかっている。だが、ことばは恥ずかしさというストッパーを介すことなくスムーズに流れて行った。
桃井さんの顔に希望のようなモノが見えた。
夕陽と夕闇のコントラストが、桃井さんの顔の凹凸を鮮やかに刻み込んでいた。
【続く】
それはドロドロに熱せられたマグマが、時間と共に冷え、固くなってしまったようだ。どんなに熱が帯びたモノでも、時間と共に冷めて行くのは当たり前のことだし、それで固くなるのもいうまでもないだろう。
だが、例外はある。
それは人間のこころというモノだ。
人間のこころはどういうワケか、時間が経ってから急に熱せられることがよくあり、しかも熱くなったからといって柔らかく、緩やかになるどころか、逆に硬くなるのもよくある話だ。
そう、今のぼくがまさにそんな感じだ。
地上何十メートルという箱の中、ぼくは桃井さんとふたりきり。外を眺めればそこには大きな夕陽の姿がある。
高まる鼓動と熱量が、ぼくから思考と柔軟性を奪っていく。どうしようと考えても、そこにあるのはオーバーフローした考えばかり。浮かんでは廃棄されていく腐った思考の水。
視線も磁石に引っ張られたように斜め下へと導かれる。別に意図的にそうしているワケではないのだけど、そうなってしまう。
桃井さんもやはり斜め下に目をやりながら全身を強張らせている。やはり彼女も緊張しているのだろう。
だが、そんな彼女を見て、何処か楽になった気がした。ぼくは思わず笑ってしまった。
「どうした……の?」桃井さんはいう。
「いやぁ、だってメチャクチャ緊張してんだもん。いつもの桃井さんみたいじゃないなって」
「そ、それはわたしだって、男の人と観覧車でふたりきりになったら緊張もしますよ!」
声まで強張っているのが、その証拠だろう。
「うん、そうだね。おれもそうだしさ」
「え、そうなんですか?」
緊張でもはやぼくのことは見えていないようだ。案外、気の強い女性のほうが奥手だったりするモノだ。その性格の強さは所詮こころの鎧。自分の弱さを隠すための結界でしかない。だからその皮を一枚捲ってみると、そこには痩せ細って脅えてる子犬が一匹、震えている。
「そうだよ。まぁ、でも色々あったからね」
カッコはつけてみたけれど、ぼくだって緊張している。だが、桃井さんはそれを知るどころか、妙に畏まってしまって、
「あ、そうなんですね……」
とそんな感じ。ぼくも、うんと頷いてそれっきり。緊張していない人間の反応ではない。そもそも話題が続かない。話の引き出しがそもそも少ないのもあるけれど、やはり、ぼくは緊張している。それはもはや仕方がない。
「ウソついてゴメン」ぼくはいう。
「え?」
「実はおれも緊張してる」
そういうと、ガチガチに固まっていた桃井さんの表情に柔らかさが生まれた。
「なぁんだ。斎藤さんも緊張してるんじゃないですかぁ」
「だって、それは、ねぇ」
ここから先をいえば、彼女の緊張が再発してしまうと不意に思い、曖昧にしておいた。
「それは、何ですか?」そういう表情も何処か真に迫ったモノがある。
これ以上は隠しておけないな、と思い、ぼくは彼女にバレないように小さく息を吐く。
「女性とこんな風にふたりきりになれば、緊張しない男はいないってことだよ」
不思議と落ち着いていた。いざことばにしてしまうと、逆に自分の立場を客観視できるというか。でも、震えは止まらないのだけど。
桃井さんはぼくのことばにちょっとした動揺を見せ、ハッとしたかと思うと、またもや視線を落として、
「そう……、ですね」と俯いてしまう。
無限回廊。多分、箱が下に降りるまで、ずっとこの流れを続けることとなるのだろう。と思った矢先のことである。
「斎藤さん、どうしてわかったんですか?」
ぼくは呆気に取られた。何を、と返すと桃井さんは更に口を開く。
「わたしが、斎藤さんを好きだってこと……」
そのことば尻が萎んで行く様は、まるで後悔が満ち潮を迎えたように思えた。いってしまった。もう引き返せないという後悔。
ぼくは自分の中の想いをスッと胃の中に落とし込むように息を吐く。
「何でだろう。そういわれるとわからない」
桃井さんはその答えに戸惑っているようだった。だが、ぼくもウソをいっているワケではないのだ。ぼくはそれを弁解する。
「ただ、桃井さんの言動や何かが、人のためというより、自分のため、おれのためとそっちに向いてるような気がしたんだよ」
「……何それ、意味わかんない」
「ほんとそうだね。でも、ひとついえるのは」ぼくは沈み行く夕陽のほうを見る。「これから夜がやって来る。夜が来れば暗闇がぼくたちを包み込む。それはこころも体もどちらもね。でも、ある人が教えてくれたんだ。どんなに暗い夜でも、そこに好きな人がいれば白夜のように明るくなるって。ぼくを見ている時の桃井さんは、そんな感じだった。明日来るかもしれない、白夜になる前の時間をドキドキしながら過ごしているように見えたんだよ」
自分でも恥ずかしいことをいっているのはわかっている。だが、ことばは恥ずかしさというストッパーを介すことなくスムーズに流れて行った。
桃井さんの顔に希望のようなモノが見えた。
夕陽と夕闇のコントラストが、桃井さんの顔の凹凸を鮮やかに刻み込んでいた。
【続く】