【ぼくは太宰さんの文学が嫌いです】

文字数 1,346文字

 ぼくは太宰さんの文学が嫌いです。

 とまぁ、また随分と荒れそうなことをいったわけだけど、ちょっと文学の歴史ーーというより逸話かーーに明るい人にとっては、どこか見覚えがあるワードなのではないかと。

 そう、三島由紀夫が太宰治にいったことばですな。それも太宰のファンの集いのような場に出向いていったというのだから驚き。

 この三島の発言に対して太宰は、

「でも、ここまで来てるんだから好きなんだろう?」

 と大人の対応をしたとか、

「だったら来るなよ!」

 とぶちギレたとか色々いわれているのだけど、ここで特筆すべきなのは、三島が太宰に面と向かってそういい放ったということだ。

 考えても見てほしい。わざわざ相手のホームに乗り込んで、そんなこといえるだろうか。

 これはいうなれば、休日にムカつく上司の家に乗り込んで、お前のセクハラとパワハラ、勤務態度でみんな迷惑してるから会社辞めろ、みたいことをいうようなモノだ。

 太宰の件だったらまだしも、上記みたいなことを実際にやったとしたら、間違いなく数分後には両手に銀のブレスレットをハメられ、税金でメシが喰えるようになるだろうね。ヤメロー! 死ニタクナーイッ!

 まぁ、わざわざ相手の家に出向かずとも、相手に対して嫌いだということは中々できることではないし、嫌いとはいわなくとも、何か意見することすら現代社会では難しくなっている。

 実際、キミたちはどうだろうか。今、何か思うことがある相手に対して、そのことを直接伝えることができているだろうか。

 ちなみに、おれはできていない。つか、そんなこと簡単にできることではないし、今後の人間関係を心配したり相手や周りの人に忖度して結局ガマンし続けることになるのが殆どだろうよ。

 だけど、そうした結果、精神を病んで仕事を辞めたり、学校にいけなくなったり、果ては自殺することとなってしまったとしたら、そのガマンは本末転倒になってしまう。

 ならば、どうすればよいのだろう。

 答えは至極簡単、相手に自分の中の気持ちを伝えることだ。しかし、それを行動に移すのは非常に難しい。

 でも、ひとつ思うのは、下手なガマンはしないほうがベターだということだ。

 そりゃ、社会人だろうが学生だろうが、ガマンしなけりゃならない時はいくらでもある。

 でも、ガマンにも必要なモノと不要なモノがある。自分を犠牲にしてまで、他人がふんぞり返って馬鹿笑いしている光景にこれ以上貢献する必要なんかない。

 別に立ち止まることは罪じゃない。だから、何もしない時間があってもいい。だけど、最終的にどうするかは、すべて自分次第。自分を救えるのは、自分だけなんだし、法に触れない範囲で何とかするしかない。

 こんな御時世ってこともあってストレスもフルスロットルになりがちだけど、まぁ、気楽にいこうや。何とかなるだろ。

 ……はい、珍しくまともなことをいってしまったので、最後にクソバカなことをいってスベって終わりにしますわ。

 おっ、なーー【検閲により削除】

【追伸】
 中三の時のこと、高校受験の一週間前に『人間失格』を読んでマジで受験を止めようかと思いました。マジ、馬鹿ですね。
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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